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震災で妻子亡くした男性、盛岡で納棺師に「思い出忘れぬ」

仏衣の着付けを練習する川村さん

 東日本大震災で妻と2人の幼子を失った男性が、納棺師として命と向き合っている。盛岡市の川村祐也さん(28)。最愛の家族の最期に何もできなかった悔しさを胸に「納棺を通じ(3人の)供養にもなれば」と、一歩を踏み出した。「故人のことを絶対に忘れないでほしい」。自らに言い聞かせるように、遺族一人一人に語り掛けている。

 岩手県山田町で家族4人で暮らしていた川村さんは、妻=当時(20)=と長男=同(11カ月)=、生後7日の次男を津波で亡くした。次男は妻と退院したばかりだった。
 出張でしばらく留守にしていた川村さんは震災翌日、急いで戻り、避難所や安置所を捜し回った。次の日、200メートルほど流された自宅屋根をひっくり返してがれきを取り除くと、気が強くて優しかった妻が、甘えん坊の長男を守るように、胸にしっかりと抱いていた。
 次男は4月上旬に発見された。妻と長男の葬儀前日だった。安置所で生まれて初めて対面した。激しく傷ついた小さな、小さな体。火葬前、納体袋に包まれたままの息子を抱き上げ、泣き崩れた。「助けてあげられず、みんなごめん…」
 ずっと一緒だと思っていた家族との突然の別れ。長男に似た幼子を見掛けると「自分の子かもしれない」と思い、赤ちゃんの泣き声に胸が締め付けられた。「死にたい。俺も一緒に行きたい」。営業職で勤めていた葬祭会社は震災直後に辞めていた。地元にいるのが、つらかった。昨年7月、盛岡市に転居した。
 これからどうしたらいいのか分からず、パチンコに明け暮れていた。そんな時、ある納棺師が被災地で遺族の悲嘆に寄り添い、遺体の復元ボランティアに奔走していることを知った。
 毎日安置所に会いに行くことしかできず、手で触れて妻に化粧をしたり、子どもに服を着せたりしてやれなかった自分。何もできなかったことに、悔しさがこみ上げた。
 昨年9月、盛岡市の納棺業者の求人広告を偶然見つけた。「自分も故人に何かできれば、家族への供養につながるかもしれない」。飛び付いた。
 死後変化を遅らせる処置を施したり、お湯で遺体を清めたりしている。死に触れる日々。子どもの納棺に立ち会うと、切なく、家族を思い出す。
 つらくなるが、ただ悲しいだけではなく、自分にも楽しい思い出もたくさんあったことに気付かされる。「幸せや笑顔を与えてくれた家族に『ありがとう』と言いたい。逆に思い出してあげる方がいいのかな。忘れないためにも」
 現場では、遺族が抱えるさまざまな感情を読み取り、外に出してあげたい。要望に応えられるよう技術をもっと高め、遺体がどんな状態であっても諦めず、きれいにできるようになりたい。
 天国に多分いる妻と子に、届くと信じて。


2012年10月28日日曜日


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