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【コラム】 TOKOTOKO2

发布: 2011-5-25 06:49 |  作者: onikawafans |   查看: 992次

他人を批判をするべきか、するべきでないか

 

 

  笈川幸司

 

今日は「他人を批判するべきかどうか」という、少し考えるだけで途端に眠くなるようなテーマにしてみました。しかし、読者の皆さんは前回に続いて今回も読み始めようと決心したわけですから、最後までお付き合いいただけないでしょうか?絶対に後悔はさせません!

世間では、「批判するのは善だ」とか、「他人を批判したら損をする」とか、いろんな意見があるので、あなたはきっと今この瞬間も迷われていることでしょう。

もしかしたら、あなたはその答えがこの世には存在しないと思いこんでいるかもしれません。しかし、答えは必ずあります。この世には、答えを知っている人がいます。そして、その答えを、簡単に他人に教えるような馬鹿な真似をする人はほとんどいません。なぜなら、そういうことを他人に話すと自分が痛い目に遭うからです。それに、そういう話しをすると、周りから「頭がおかしい」とか、「信じられない」などと陰口を叩かれてしまうからです。大人の世界というのはやっかいなところです。しかし、私は今日も懲りずに「本当のこと」を皆さんに伝えていきます。

皆さんへのメッセージ②:いきなりですが、中国に来た日本人留学生は全員、加藤嘉一氏を目標にして頑張るべきです。

これは、ある留学生の単なるたわごとかもしれませんが、留学生の中に、加藤氏に対して良いイメージを持っていない人が極まれにいるそうです。

私は確信しています。その時点、つまりあなたの心が加藤氏についていけなくなったその瞬間、「負け」であると。いま、「負け」という表現を使いました。誤解されては困るので少し説明させてください。勝負には勝ち負けがつきものです。ですから、たとえ「負けた」としても、いつかは勝つチャンスがあるはずです。しかし、私がさきほど言った「負け」は、永遠の「負け」ですから、勝負の「負け」ではありません。あなたは、死んだも同然です。

もし、彼を批判したいという気持ちがちょっとでも湧きあがってきたなら、彼がしてきた倍の努力を、あなたはこれからしていかなければなりません。もし、そうする勇気と根性がないのなら、黙って彼の存在と彼の能力を認め、あなたが邪魔しているその道を譲るしかありません。「批判」は、直接相手の顔を見てすることですが、この場合、それすら許されません。まして、陰口などもっての外です。はっきり言いますが、黙って譲る以外にあなたが生き残る道はないのです。ここでの「生きる」とは、苦しい世界でもたくましく生き続ける能力を持った人間の姿を指します。もちろん、私たちは人間ですから100%完璧にはいきません。しかし、間違って批判してしまったとしても、すぐに謝るとか、反省するとか、モーションを起こすことはできるはずです。退屈な留学生活に慣れ、怠惰に陥り、すぐにフォローをしないでいると、あなたが軽蔑している駄目な大人に、あなた自身がなってしまいます。いえ、もう、なってしまっているかもしれませんが…。

あっ、いけない、いけない。もしかしたら、加藤嘉一氏のことをよく知らない人がいるかもしれないので、ここで私が知っている彼を少しだけ紹介させてください。

加藤嘉一氏は走ります。毎日1時間以上。私が自転車を漕ぐよりも速く…。北京に来て二年で同時通訳を始めました。英語もスペシャリストです。ただし、彼の特徴は語学力ではありません。足を使って世界中を飛び回り、大勢の人、そしてメディアを巻き込み、責任はすべて自分で取るところです。テレビでは、朝まで田原総一郎氏と張り合っています…。

これ以上書くと、私が単なる加藤嘉一ファンだと言われかねないのでここまでにしますが、彼の仕事ひとつひとつに、どれほどアツイ気持ちが込められているかを知っている人なら、彼を応援こそすれども、批判などできないはずです。つまり、仮にあなたが彼の努力に近づき、彼以上に努力をしたなら、彼の努力と苦痛を理解できるわけですから、彼を批判することができないというわけです。

ん?これは矛盾していますね。では、ちょっとおさらいしてみましょう。彼を批判したいなら、彼以上に努力しなければならない。しかし、彼以上に努力をしたら、彼の偉大さがわかるから彼を批判できない…ですって?そう、ここが大人の世界のやっかいなところの核心なのです。

あなたは、大人同士が批判し合っているのを見たことがありますか?あんなの、本気なわけがありません。もし本気で相手を批判している大人がいたとしたら、その人は大人の皮をかぶった只の愚か者です。大人はみな、相手を批判する「フリ」をしています。そんな下手な演技に踊らされ、本気と信じこむあなたが「甘い」のです。そして「ハメられた」あなたは、他人を批判することを格好良いと思んでしまうのです。そんな馬鹿馬鹿しいことを真に受けていたら、あとで惨めな思いをするか、批判した相手を一生苦しめるかのどちらかです。

では、他人を批判しなければならない場面はないのか?と言えば、答えは「ノー」です。私のように教師という仕事をしていると、若い人を叱らなければならない場面がおのずと出てきます。会社の上司にも言えることかもしれませんが、そこで大事なのが「心」。もっとわかりやすい言葉で言えば「愛情」です。そして、もうひとつ大事なのは「相手よりも頑張っているという事実」です。また、この「頑張っている」というのも、やっかいです。なぜなら、それは年齢やキャリアとは関係がないからです。その日、その瞬間に、叱りつける相手よりも頑張っているかどうかが鍵になります。もしも、その瞬間、自分の立場を守るためだけに叱り付けたりでもしたら、そんなものはすぐ相手にバレてしまいます。「愛情」を持って相手を叱るのは疲れます。気合いを入れて5分叱りつけただけでヘトヘトになって、ソファーに転がり込んだらしばらく立ち上がれません。それが嫌で、ほとんどの大人は若者を叱り付けません。それってズルいですよね。でも、毎日叱り付けていたら、つぶれてしまうことぐらいあなただって理解できるでしょう?

だから、もし、あなたを本気で叱り付ける大人がいたとしたら、あなたもその人を愛してあげてください。なぜなら、その人はあなたのために命を削って叱り付けているからです。

私もここまで書き綴ってきて本当に疲れました。こんなに疲れたのはいつ以来でしょうか。それぐらい、今日は本気であなたのために「本当のこと」を書きました。

では、また次回。わたしはこれからベッドに転がり込みます。お休みなさい。

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