You wii be …
第1話


―その顔…初めて見る、彼女の表情。“内面と表面は異なる”良く聞く言葉だけれど、ピンとこなかった。相手の心の中に潜むモノを探る…できないし、第一、しようと思わない。苦手なんだ…人と深く関わるのが。

友好な関係を維持するために、相手の顔色を伺う。疲れるからそういうのは。僕の発した言動で、人を傷付けてしまわないか一々考えてみたり、バカにされたりしないか考えるのが怖くて。

だったら一人でいた方がマシ。それなら、少なくとも誰かを不快にさせることはないから。でも、実際は違っていたんだ。後から知ることになるけれど、何もしない、行動に移さないことによって人を悲しませたり、苛立たせたりする。そんな事態も起こりうる…それに、ちょっとだけど気付いたんだ。

時にはぶつかり合うのも悪くない。
はっきり言っちゃうのも悪くない。

今思えば、最初から僕は本音で話していたのかも。彼女―アスカの方はどうなのか未だに分からない。でも、そんなのはもう考えなくてもいいかな。足音を立てて自室に潜り込むアスカの背中。それを見送っていると、ちょっとした幸福感に満たされて。

つい、口をついて言っちゃった事だけど、後悔はしてないよ。アスカのあんな顔を見ることができたから。

 

 

「たっだいまー」

玄関の開く音と共に、明るい女性の声が聞こえる。この家…3LDKのマンションの主、葛城ミサト。軽快な足取りでキッチンに立つシンジの方に向かってくる。

「お帰りなさい。夕食、もうすぐですから」
「いつも悪いわね、シンちゃん。あら、美味しそう…」

匂いにつられたように、ミサトはシンジの肩越しに鍋を覗き込んでから洗面所へ向かう。

(すっかり慣れちゃったな)

それほど好きでも得意でもない、料理という作業。しかし全くできない訳ではない。ここに引っ越してくるまでは、一通りの家事をこなしていたから。シンジの母親は、彼が物心付くか付かないか…そんな歳で亡くなった。その後、親戚の家に預けられ、叔父と二人で暮らしていた。

彼も父親同様、忙しい人であった。それにより、齢14…中学二年生という身分でありながら、主夫という存在になりつつある、シンジ。

「里芋のにっころがしにお揚が入ってるの?」
「味が染みてなかなかよいんですよ」

ほうれん草のおひたし、秋刀魚開きのバター焼き、じゃがいもとネギの味噌汁は湯気を立てている。

「ミサトさん、席に着いていて下さい。僕アスカを呼んできますね」

もう一人の同居人。惣流・アスカ・ラングレー。シンジと同じくエヴァンゲリオンのパイロット。そして同級生でもある。ドイツ育ちのクォーター。

三人の奇妙な同居生活。直接エヴァの指揮を取るミサトは、二人にとって上司であり、保護者でもある。

そしてアスカ。正直、苦手だった。少し前までは…

「なーんか、茶色いわね」

食卓に並ぶ料理を見るなりアスカは言う。これはもうお約束。何かしら難癖をつける。彼女の習慣みたいなモノだ。

「まあまあ、そう言わないで。とても美味しそうじゃない?」

不満そうに冷蔵庫から麦茶を出して席に着くアスカ。そんなアスカを笑いながら見つめるミサト。彼女がこの状況で笑っている訳。それは、シンジもちゃんと理解していて。

「いただきます」

(…ほら、ね)

味が薄いだの、魚は骨が面倒などと文句を言いつつ、箸が進むスピードが速い。毎晩繰り返される、こんな夕食の風景。

美味しそうに料理を頬張るアスカを尻目に残る二人は込み上げる笑いをこらえ、そっと目配せし合う。

(可愛いモンよね)

そんなミサトの視線。シンジは苦笑するしかない。

(…でも、良いものなんだな)

誰かと一緒に食事をする。自分の作った料理を嬉しそうに(面には出さないけれど)食べ続けるアスカ。ほんの些細なこと。それなのに無性に嬉しくなる。

「バカシンジ! 聞いてんの?」

バカシンジ―彼女はシンジをそう呼ぶ。最初はカッときたけれど、習慣とは恐ろしい。アダ名みたいなモノ。本気でバカにしている訳でもない…それに気付いてからは、そう呼び掛けられるのが当たり前になってしまっていた。

「なに、アスカ」
「お代わりって、さっきから言ってるでしょ」
「それくらい自分でやってよ」
「“それくらい”の事ならやってくれてもいいじゃない」

勝てる訳ない。口では。まあ、アスカという女の子は、スキップで既に大学まで卒業している。オマケにエヴァの操縦センスも抜群。恵まれた容姿。寸部の隙もない、完璧な人間だ。

でも、人間とは不完全なイキモノ。一見すると、何もかも神に与えられた、選ばれし少女。それがアスカ。誰の目にも彼女はそう映るだろう。

シンジもそう思っていた。自分とは違う人種なんだと。

―アスカの、あの言葉を聞くまでは。

 

『…ママ』

夜中にふと目が覚め、トイレに立った時だ。アスカの部屋から漏れる嗚咽。それが耳に入ってきて、思わず立ち止まった。

『私は、エヴァに乗るしかできないの。他になんの価値もないのよ』

寝言なのか、独り言なのか分からないが、弱々しい声で繰り返される非情な言葉。それに伴う弱々しい泣き声。

もしかしたら、アスカも深い悲しみを背負っているのかもしれない。直接聞くには至らない…してはいけないと思ったから、シンジの憶測にすぎないが。

後片付けをしながら、シンジはそれを思い出す。それから少し、アスカという人間を気にかけて、以前と異なる見方をするようになっていた。シンジ自身も気付いていないうちに。

 

アスカとはクラスも同じだ。彼女と頻繁に目が合う…それを意識したのはいつ頃だったのか覚えていない。

休み時間に友人達と話していると、視線を感じ、その方角を見ると、その先にはアスカがいる。シンジに気付いてにこりとする訳でもなく、慌ててそっぽを向く。

体育の授業。女子はマラソン、男子はサッカー。同じグラウンドにいる時、颯爽と先頭を走るアスカに目をやると、必ずと言って良いほど、シンジの視線に気付く。不思議な感覚…ただ、目が合うってだけ。それだけの事なのに…何か特別な感じがして。

極めつけ…そうとも取れる、アスカの視線。それは給食の前に行われる日本の古き習慣…黙想。その時に起きた。シンジが何の気なしに、目をうっすらと開き、アスカを見ると、蒼い瞳が自分にぶつかる。一瞬、大きく目を見開き、気まずそうにうつ向く。その仕草…皆が風習に従い、目を閉じている時に、こっそり自分を見てくれていた。

―甘酸っぱいような、気恥ずかしいような感覚。

これは、トドメとも言える。完全に意識してしまった。アスカの事を。

“意識”。これをどういった言葉で表せば良いのか…シンジは考えないようにする。そう仕向けた。いつも通りに。これがいつまで続くのか分からない。何故なら。

アスカには想っている人がいる。ドイツから彼女の随伴してきた男性。加持リョウジ。何度彼女の口からその名が出てきたのか数えきれない。

大人の男性。物腰は柔かく、人あたりも良い。シンジも彼を嫌いになる理由などある筈もなく…それに、何故か加持は自分に優しい。同情されているのかと思ったりもしたが、加持を知れば知るほど、魅力溢れる人間である事実を実感する。

「たまにはいいだろ? 男同士で食事ってのも」

加持に誘われるまま、夕飯を食べに行った日。

「…でも、忙しいですよね。いいんですか? 僕なんか誘って」
「君と話をしてみたかったんだ」

そう言う加持の表情は穏やかで、シンジが会話をしやすい雰囲気を自然に纏っている。

「毎日葛城とアスカのお守りしてたら疲れるだろ」
「い、いえ、そんな…」

加持の目は細められる。葛城…ミサトの名を口にすると。鈍感を自覚しているシンジでも分かる。二人の間にあった…今でもあるかもしれない、特別な想い。

「すまないな。君たちに頼りきりで」

エヴァの事を言っているのだろう。

「僕は、あまり考えたことがなくて。自分がやっている事すら、正しいのかも分からないんです」

加持はちょっと失礼、と言い、タバコに火を点ける。

「…俺も同じさ。葛城も」
「え?」
「俺は弟。葛城は父親を亡くした…セカンドインパクトで」

返答に困る。自分が生まれる前の大惨事。その足跡は世間から消えつつある。それでも、人々の心には未だ余波を残している。

「アスカも、な」

秘かに想いを寄せつつある女の子の名を聞くと、シンジの鼓動が速まる。

「…アスカにも、何かあるんですか?」
「それぞれ、色々と抱えているんだよ…こんなご時世だからな」

否定はしていないが、明確な返答でもない。喋りすぎたかな、と言って加持はタバコを揉み消す。

(…あの時の事かな)

圧し殺した鳴き声。母親を求める声。恐らくもうこの世にはいない、母親を。

案外普通の女の子。もしかすると、同じ年頃の子より、幼いのかもしれない…アスカは。こんなことは口が裂けても言えないけれど。彼女のどんな反撃に遇うか考えただけで恐ろしい。

―だけど。

“反撃”という名の防衛。彼女はそうして心…弱い部分。それを必死に隠しているのではないか。シンジはそれを人と遮断する方法で行う。形は異なるが、同様の行為…たぶんそう。

そんな日々を送っていた。小さな幸せ。気になる女の子といつでも一緒にいられる。それだけで十分だと思っていた。

―あの事件…その言い方は少々大袈裟だが、シンジにとっては大事件とも言える。それが、起こった日。その時から二人の関係は少しずつ動き始める。

 

ミサトが留守にした夜。あの時から―。

 


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