くまあつQ & A
Q&A

父方のルーツをたどると、新潟県の越後湯沢になります。
大阪出身のノーベル文学賞受賞者、川端康成さんが宿泊して小説「雪国」を書いたのが、祖父の実家で、この小説の舞台になったところです。
祖父の実家の温泉旅館の露天風呂から、谷川連峰を望む。この下の坂道を上がって、駒子は通って来ていたそうです。
Q&A
豊臣秀吉が初めて一国一城の主となった、近江長浜(滋賀県長浜市)の日赤病院で生まれました。そして、豊臣秀吉が生まれ育った尾張中村(名古屋市中村区)で育ちました。ちなみに京都に住んでいた時の場所は、古地図と照らし合わせると、聚楽第の本丸跡の一角でした。そして、大阪1区には、あの大阪城があります。
Q&A
京都大学法学部卒業です。
大学院は、社会人学生として、京都大学大学院法学研究科に在籍している時に、衆議院議員の公認候補予定者となり、そのまま中退してしまいました。
Q&A

写真撮影、自然の営みや、街の何気ない景色を撮るのが大好きで、高校生のときから、一眼レフカメラを持ち歩いて、いろんな所に写真を撮りに行っていました。そのせいか、光の捉え方に興味があって、絵を見るのも好きです。
特に印象派の巨匠モネの絵が大好きで、オルセー美術館の本物を見たときには、感動してしばらく絵の前から動けなくなりました。
Q&A
親父の形見の一眼レフカメラ。
そのカメラのレンズの視線を感じると、今でも親父に見守られているような気がします。
Q&A

大学時代に、バックパッカーした時かな。特にトルコ放浪が楽しかった。現地の大学生と意気投合し、かれらが共同でシェアしていた下宿にころがりこみ、しばらく一緒に生活してました。
これがその時の写真と日記です。
(一番左端が僕です)
Q&A
小学校のころは電車の運転手になりたかった。国鉄で車掌をしていた親父の影響が大きかった。
Q&A
一度決めた目標は、どんなに大変でも、どんなに時間がかかっても、達成しないと気がすまない。
Q&A
結構イラチで、短気です。 こんなことで怒らなくてもええやん、って後から思うことはよくありますが、その場では押さえられなくなることもよくあります。
最大の犠牲者は、携帯電話。何台投げつけて壊してしまったか・・・・。
Q&A

色はやっぱり黄色かな。好きな花はさくら。
ただ、満開のさくらよりも、風に舞い散る花びらが心に響きます。
Q&A
高いところ。高層ビルや山頂。大江山から見える雲海、その向こうから上がる朝日なんか最高です。
Q&A
天下一品のラーメン。
毎月必ず何回かは行っちゃいます。
Q&A
土の香り。
なんかホットしますね。
Q&A

福山雅治さん。
実は、今僕がかけているメガネは、福山さんがドラマ「ガリレオ」の撮影で使ったそのものなんです。ドラマが成功した幸運のメガネということで、このメガネで頑張って下さいと言って、知り合いの方が譲って下さいました。
Q&A
アイルトン・セナ。なんといってもこの人に尽きます。
命がけで自分の限界に挑戦する姿にあこがれました。セナが死んでしまったときは、本当に一晩中泣いていました・・・。
Q&A

自転車での街宣活動。
なんと言ってもこれが今の僕にとって一番の運動です。いいダイエットにもなりますしね。
Q&A
大国主義ではなく、
それぞれの民族・国家が尊重される地球連邦の創設。
Q&A
自らの手で、道を切り開いていこうという思いを持ち、
実際に努力している人。
Q&A
父。
自分の考えを構築する上で、やはり一番の影響を受けていたと思います。
Q&A
ノーベル平和賞を取れるような政治家になること。
それは、ノーベル賞をとりたいということではなく、大臣という地位や権威、さまざまな利権ではなく、政治家として行った業績が、社会への貢献として評価されるよな政治家になりたいということす。
Q&A

二つの大きな理由があります。
ひとつは、自分の高校生時代の経験です。私が高校生のとき、国鉄の分割民営化がありました。前にも書いたとおり、私の父親はその国鉄で車掌をしていましたが、分割民営化で職をなくしました。父にもそういった情勢についていけなかった所があったのかもしれませんが、このとき私が感じたことは、政治の決断ひとつで暮らしは根底から変えられてしまうことがあるということでした。国鉄を辞めたその日ら、なれない手つきでワープロのキーボードをたたき、毎日のように徹夜同然の状態データ入力の仕事をしていた両親の姿を見て、弱い立場の人間にしわ寄せを押し付ける政治の姿勢に疑問を感じました。確かに、国鉄の赤字は経営のあり方にも原因があったのしょう。
しかし、自分の票と権利のために、必要のないローカル線を作らせ、赤字をどんどん増やしていった政治家の責任は問われることもなく、それどころか分割民営化をしたヒーロー気取りで取り上げられる。政治の理不尽さを痛感しました。

しかし、「だからこそそんな政治を変えたい!」と強くおもうようになりました。
もうひとつは、「伝えたい!」「残したい!」という思いからです。私は、風景写真を撮るのが大好きでした。自分が見て感動した景色を、「一人でも多くの方に伝えたい!」、そしてできうることなら、「この素晴らしい景色そのものを、次の世代にも残してあげたい!」そう思うようになったんです。そのためには、私の中で環境問題とエネルギー問題は避けて通れないテーマとなりました。だからこを会社も、重電部門のある三菱電機に入社し、エネルギーの現状を現場で学びたいと考えました。しかし、学べば学ぶほど、政治の壁が大きく立ちはだかってきました。やはり政治を変えなければならない、との思いが強くなりました。
別々におこった二つの思いが重なり、私は会社をやめ、政治家の世界に飛び込みました。
私は、「暮らしを守りたい」「環境を守りたい」という思い、すなわち、私たちが受け継いできたものを、次の世代にしっかりと伝えていきたいという思いで活動しています。
だからこそ、「子ども」「環境」「エネルギー」が私の3つの柱なのです。
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