頑固親爺の徒然手記(難問解決への道標)

現役を引退した頑固親爺が、法治国家において法で解決できない問題が山積している現代社会に本音で迫り、問題解決策を模索していくブログ。難問を抱え込まないで相談にも応じます。

 昔は遠くなりにけり

 ほぼ40年間吸い続けた煙草を辞めて5年になる。
 愛煙家であったから、40年間にいろいろな銘柄の煙草を吸い続けた。
 最初に吸ったのがゴールデンバット、以来これまで吸った銘柄は、紙巻きたばこでは、いこい、しんせい、みのり、ハイライト、ピース、キャビン、その中で最も長く(量的にも多く)吸ったのはハイライトである。
 紙巻たばこ以外にも葉巻やキセルを使って刻み煙草を吸った時代もあった。
 また、「缶ピ」と略称で呼んでいた両切りの紙巻きたばこが50本、円筒形の缶に入っている煙草でピースを好んで吸った。
 香りがよくて缶入りで風味が落ちないから、持ち歩けないため自宅で愛煙した銘柄である。
   ただ、この缶ピは、フィルターがないので指の爪がニコチンで黄色くなるのが難点であった。しかし美味しいたばこで、その味が思い起こされる。
 
 禁煙した理由は、退職前に「身体の健康を考えて退職日をもって煙草を辞める」ことを固く心に誓って、退職の辞令を受けた日で決行した。
「なかなか辞められない」、「何回も禁煙したが失敗であった」といった言葉を耳にするし、医者に通う、ニコチンガム、ニコチンパットなどの禁煙グッズを活用する、一日に吸う本数を少しずつ減らしていくなど禁煙に取り組む方法は人様々である。
 頑固親爺は意志が頑固そのものであるから、辞めると決めた日をもって禁煙とした。
 早5年になるが煙草を吸いたいという気持ちはないし、また辞めてよかったと思っている。
 健康面もさることながら、加齢臭と煙草臭が混合した臭いをさせている人が多くいるが、ダンディー、おしゃれをモットーとする頑固親爺にとっては一石二鳥である。

 禁煙してからの5年間に、禁煙や分煙が叫ばれ続けているから愛煙家にとっては肩身の狭いおもいであろう。
 外食産業の店では、禁煙ペースと喫煙ペースを区分するなどして集客を減らさないようにしている。
 
 煙草に思いを寄せると、これまで吸ってきた煙草の銘柄のこと、煙草の煙が目に染みたと理由をつけて涙の訳をごまかしたこと、考え事をする場目にゆらゆら揺れる煙草の煙があったことなどを思い出すと「昔は遠くなりにけり」の感傷になる。
 
 煙草は自分の責任においてルールを守って周囲の人に迷惑をかけないようにしてほしいと願うが、煙草に含まれるニコチンは、青酸に匹敵する毒物で心臓や血管にダメージを与え新陳代謝機能を阻害することは医学上明らかになっている。
 最近、女性の愛煙家が増え喫煙コーナーや自動車を運転中に傍目もはばからず煙草を吸っている女性をよく見るが、ニコチンは女性ホルモンの分泌を低下して肌のくすみやしわの原因になるから、綺麗?な女性は喫煙をほどほどにされマナーを心得て欲しい。
 というのも多くの地域で歩行しながらの喫煙禁止区域が設けられるなどしているにもかかわらず、道路に投げ捨てられた煙草のフィルターに口紅が付着しているのが、特に多いからである。
 
 毒物及び劇物取締法では、ニコチンは同法の第2条別表で19番目の毒物に指定されているから、日本たばこ産業株式会社でない限り販売などの目的で製造することはできない。
 正確には、製造業の登録を受けなければ製造できないから密造は法違反となり重い罰則がある。
 ニコチンに限らず、多くの毒物が法律で製造、吸入、所持が禁止されているから脱法ハーブに代表されるような得体のしれない毒物に注意を要する。
 ところで、毎月22日は禁煙の日とされているが、どれだけ周知されているのだろうか。
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愛しいかぐや姫は今何処に?

 今朝のM新聞に「月のうさぎ形模様:巨大隕石の衝突跡」と題した記事が掲載されている。
 月探査機「かぐや」が観測した月の表側と裏側の画像を比較し、検出された特殊な鉱物を分析するなどして、うさぎ形の部分は、巨大隕石の衝突でできた盆地であることが産業技術総合研究所のデータで確認されたとするものである。

 科学が発達する前(月探査が夢物語の時代)、秋の夜長、満月を眺めながら人々は、月にうさぎが住んでいると空想した。
 また、仮名文字で書かれた日本最古といわれる物語、竹取物語のヒロインであるかぐや姫は、光り輝く竹の中から現れて竹取の翁の夫婦に育てられ、どんどん大きく育って妙齢の娘となり、髪を結い裳を着るとこの世のものとは思えない程の美しさで、翁の家は光が満ち溢れていた。
 また、翁夫婦はかぐや姫を見つけた竹の中の金で生活は豊かになっていく。
 しかし、そんな幸せな日々は長く続かず、やがて、かぐや姫は天へと昇っていく。
というストーリーである。
 天へ昇るとは、月へ帰っていく事を意味し、月からの使者であったのだろうと想像するだけでもメルヘンチックな世界に引き込んでくれる。
 そして、かぐや姫の美貌を自分なりに思い描くだけでも幸せである。

 さて、記事によると、月の表面のうさぎ形の模様ができたきっかけは39億年以上前に巨大な隕石が衝突して盆地ができたとしている。
 産業技術総合研究所のスタッフが月探査機「かぐや」のデータを分析して隕石の衝突で生じる特殊な鉱物を検出したようである。
「カルシウム輝石」の表面の分布を調べると、盆地と分布は隕石の衝突跡が一致し、広さは月の直径(約3500キロ)に迫る直径約3000キロに及び、衝突した隕石の大きさは直径300キロ程度らしい。
 うさぎ模様は、この盆地ができた後に噴出した溶岩がたまって黒くなり、さらに別の衝突による同様の現象を経てできたという。

 著しい科学の進歩は月の地質や地形を分析し、月だけでなく我々が住む地球の生い立ちや生命の起源を解明し、また月旅行が可能な時代が到来しようとしている。
 しかし、その一方で、月にはうさぎが住んでいて、かぐや姫は月からの幸せの使者であった空想すること(メルヘンの世界に陶酔)がなくなってしまった。
 うさぎが隕石の衝突で出来た盆地であるとの事実を突き付けたのが、皮肉にも「かぐや」と命名した月探査機であるから、余計に心が空虚になるような気がしてならない。
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政治家の邪心
 
 今、「維新」という語句が大流行していて日本全国「維新ブーム」と言っても過言でない。
 その火付け役が大阪のH氏であるが、その人気にあやかって何でもかんでも「維新」を附ければ国民受けするといった発想で代議士や議員を目指す者がいるとしたら大きな間違いである。
 一方、東京都のI氏が任期の途中で知事を投げ出して新しい政党をつくると息巻いているが、我が国の首都の首長としては嘆かわしい限りである。
 直接選挙で選ばれたのだから、任期を務めることは当然の責任である。
 このI氏は、にわかに尖閣諸島購入問題を提起し、最後は地権者と政府の問題として逃避、これが日中関係を悪化させる結果となった途端に黙り込んでしまう態度やその性格は、やはり我が国の総理になれる器ではなかったことを証明したように思う。
 そして、官僚批判を繰り返す一方で、大阪のH氏が中心になって「維新」を標榜する組織と和合して政権の座を狙おうとしているが、まだ政策や外交能力が不透明な「にわかづくりの集団」に、こともあろうに首都の首長が媚びて擦りよる姿を見ていると、このI氏の真意が判らなくなってしまう。
 
 I氏は他の政治家と同様に、「官僚支配」という言葉を口にして、これを改革すると叫んでいるようであるが、官僚に支配されているのは無能な政治家である。
官僚に支配されたくなければ、政治家が官僚より能力を有し勉強をして官僚を有効に機能させたらよいことである。
 それが国家の安寧、安泰につながるし、これまでそうであった。
 I氏と全く同じことを言って政権の座に就いた現政権も、結局は官僚の能力が上だから官僚の意見を汲みいれなければなにも出来ないことを実感し、全ての場面でその事実を如実に露呈している。

 さて、I氏とH氏の共通点は、「歯切れがよい」ことと改革を旗印にしていること、そして人並み以上の野心家であるといえる。
 「維新」とは改革を意味し明治維新がそれである。
 多くの者は言いたくても言えずに我慢(特に、公人になると言辞は慎重にならざるを得ない。)しているが両氏はそうではない。(頑固親爺も言いたいことを言ってきたし、今もそうであるが・・・)
 自らの信念?に基づいて一方的に他を批判し、自分ならこうすると主張するやり方と改革(都構想等がそれであるが、都にすればよくなるのか?)を訴えることで地域住民や国民の関心を引き寄せている。(賢い有権者は、だいぶ冷めてきているようだ。)
 果たして、今、我が国は明治維新のような時代の変革期にあって改革しなければならない必要な時期にあるのだろうか。あると言われれば仕方がないが・・・・・
 たしかに現情に甘んじていたら進歩はないし、また現情が満足するものでもないことは明白であるが、国民がほぼ平等に裕福で、恵まれた自然環境の中で安心して生活していけることに感謝すべきでないかと思う。(諸外国と比較して贅沢を言うなと言いたい。)
 決して平和ボケしていないが、誰が政権の座についても明治維新のような改革はあり得ないしそんな必要性は感じない。
 我が国の当面の課題は、高齢化社会における税と年金問題、外交、特に韓国、中国、北朝鮮との関係、地震をはじめとする災害対策、原子力に代わる新エネルギー開発などであって、仮に頑固親爺が総理になっても重要課題として所信演説する。
 「100年の計」でいえば、著しい科学技術の発展が一段落して、それによって失われてきた人間性の復活と自然との共存が課題と考えている。(既にこの世に存在しないから無責任な意見かも・・・・)
 「維新」とか「改革」を旗印やキャッチフレーズにして政権争いをする者の邪心が丸見えである。
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 金木犀によせて
 
 我が家の庭隅に植えた金木犀はオレンジ色の小さな花が無数に咲き誇っていて秋風の中で芳香を放っている。
 庭木として購入してきて手植えしたものであるが、さほど手入れしなくても大きく育ち、庭木の役割を果たしている。
 田舎では、たいていの家に金木犀が庭木として植えられていて、その場所はトイレの近くというのが定番である。
 水洗トイレのない時代の人間の知恵で、トイレの悪臭に代えて金木犀の芳香を貴重としたのだろう。
 自然の中で培われた人間の知恵は、決して、新しい物を求めるだけでなく現存する全ての物の特性を生かして、それを活用することから始まった。
 よって、自然破壊や現在のような著しい技術の発達によって生来的に保有する人間の能力を退化させることはなかった。

 さて、アメリカのマイクロソフト社は、パソコン用の新しい基本ソフト「ウィンドウズ8」を発売した。
 消費者は、先を争ってこの新しいソフトやそれに適合するパソコン機器の購入に躍起になっている。
 「何を急いでいるのか?」と言いたいところである。
 大半の人間は、ゲーム等の遊びをはじめ、緊急を要することに利用することはあり得ないのに先を争っていると推察するがどうだろうか。
 いつもの事で、新しいものが発売されると前夜(場合によっては数日前)から長蛇の列を作って待つ心理がどうしても理解できない。
 
 ところで、パソコン機器等が精神や身体に及ぼす影響について、「よい」と答える者は一人としていないだろうが、最近では「パソコン依存症」、「パソコン病」といった新しい病名まで登場している。
 ストレス障害や視覚障害、さらに「うつ病」、「てんかん病」を発症するとされているから、頑固親爺が以前から主張する「人1類は自らが発明し開発した科学技術によって自らを滅ぼす」ことになるように思える。
 
 話は急に変わるが 最近、「整体」といって身体をマッサージする仕事が大流行し、高齢者でなく多くは若者が高いお金を支払って整体通いしているらしい。
 運動不足と自宅などに引きこもり(電車内では他人への迷惑を顧みず無我夢中で没頭し固まっている)によって血流を悪化させ、整体通いをすることになっているのではないだろうか。
 
 科学技術の進歩や新しい物を否定しないが、特に、次代を背負う若者には、昔からの知恵を生かし、そして新しい知恵をだすこともしてほしい。

 芳香を嗅ぎながら、金木犀の木を知らない者が多くいるのでないだろうかと心配する。
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 ピンポン教室
 「天才卓球少女」、「泣き虫愛ちゃん」名で一躍日本のアイドルとなった卓球選手の福原愛さんは、先のロンドンオリンピックで銀メダルを獲得した。
 4歳でテレビにデビューして以来20年の歳月が経過するが、この間、常に社会から注目され続け、強くて当たり前と思われるプレッシャーを乗り越えての快挙は、泣きながら必死に球を追い続けた幼少の頃の姿が現実のものとなって喜ばしい限りである。
 また、「愛」の名前を日本全国に広げた功績や卓球人口を増やした影響力を考えると、彼女が卓球というスポーツを介して社会に貢献した功労は国民栄誉賞にも匹敵すると思う。
 
 この愛ちゃんに刺激されたわけではないが、半年ほど前から地元の体育協会が主催するピンポン教室に通って汗を流している。
 卓球でなく「ピンポン」としているところが、市民が親しみ、参加しやすいイメージにしようとした配慮なのだろうと勝手に判断している。
 週に1~2回程度、時間は約2時間、古女房に誘われて運動不足を解消しようと考えて参加したが、一年以上継続している古女房より上達してしまった。
 上手な相手だと、3~4分間、一球のピンポン玉でラリーを続けられるまでになった。
 参加者は、市内の老若男女であるが、平日に開催されるため主婦や高齢者が比較的多い。
 中には、当年80歳を超えた先輩がおられて、顔をあわせると必ずプレーに誘われるが実に上手で、その性格は明るく人生の範としている。
 この先輩は、週に3回は教室通いをしているとのことで、卓球に興じることを人生の大きな楽しみとされているようである。
 
 ところで、卓球というと、「身体能力や体力がなくても出来るスポーツ」の印象があるが、実は動体視力と反射能力、高い瞬発力や持久力が求められるハードなスポーツである。
 オリンピック観戦をしていて、選手が絶え間なくタオルで汗を拭いている姿が映し出されたが、盛夏の頃は汗が床や卓球台に流れ落ちる状態となるほど激しいスポーツである。
 この教室は、卓球の技術を向上して試合で勝敗を決めるのでなく、指導者(元学校教師)が基本だけを教示して、あとは参加者が自由に相手とプレーを楽しむ方式である。
 8分毎に相手を替えながらプレーするから、参加者との交流の場にもなっている。

 また、その一方で、卓球を通じてプレーする相手の性格が如実に表れることに気付いた。
勝負を争うのでなくて、ラリーを続けるなどして汗を流すことが目的であるにも関わらず、昔、学生時代に部活などで経験のある人で負けたくないといった意識が強い人、好き勝手なプレーをする人、相手の能力や経験に合わせて打ち返しやすい球を打ってくる思いやりのある人など様々である。
 どのようなプレースタイルが、参加者にとって楽しくてやり甲斐があるかは個人の価値観の違いであるが、こんなスポーツを通じて相手の性格が見えてくるのは、頑固親爺の人間性の悪さなのだろうかと考えてしまう。
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甲賀の"ういたかひょうたん狸"
  • Author: 甲賀の"ういたかひょうたん狸"
  • 1948年1月生れ
    長年、公務員として奉職し定年退職
    コンサルタント会社オフィース”K”代表
    地方公共団体、道路管理、警備業等の顧問、セキュリティーアドバイザー、相談役経験
    社員教育、公判対策、各種問題解決、対外交渉、リスク管理、コンプライアンス等幅広く担当
    「生涯現役」が信条
    法的な解決だけでなく、日常生じる「難問」を抱える企業等の要望に対応、奮闘中

     

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1948年1月生れ
長年、公務員として奉職し定年退職
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地方公共団体、道路管理、警備業等の顧問、セキュリティーアドバイザー、相談役経験
社員教育、公判対策、各種問題解決、対外交渉、リスク管理、コンプライアンス等幅広く担当
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