河野談話の検討
河野談話については、談話が発表されたときから疑問がもたれており、更に検討が必要であるとの意見は少なくなかったし、事実、国会議員、学者、ジャーナリストの間でも検討が続けられていた。目に見える成果が挙がったのは平成9年に入ってからだった。
先ず参議院予算委員会では、3人の議員によっての質疑がなされたが、片山虎之助議員が1月30日、小山孝雄議員が3月12日、板垣正議員が3月18日にそれぞれ、かなり長い時間をかけての質疑であった。政府側が答弁に窮する場面もあり、強制連行の根拠については具体的な証拠、証言を示すことができず、集めた資料を検討して総合的に判断したと説明するのが、やっとであった。国会で3人もの議員が、この問題についてこれほどの時間をかけての質疑は、後にも先にも例がなく、甚だ有意義な審議であった。
この年は教科書検定の年に当たっていたこともあり、自民党の議員が「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」を結成し、3月から6月にかけて河野元官房長官、石原元官房副長官をはじめ外務官僚、大学教授などを招いて9回の勉強会を開いている。会で述べられた意見は本に纏められ刊行されている(「歴史教科書への疑問」、展転社)。
このような中で特に印象深かったのはジャーナリストの櫻井よしこさんが、『文藝春秋』4月号に寄稿された「密約外交の代償」と題する解説であった。加藤紘一元官房長官、石原信雄元官房副長官、谷野作太郎元外政審議室長などに直接取材して纏めたものであり問題の核心を正確に捉えて、強制連行の根拠の乏しさを明らかにして、この問題についての国民の理解を大きく深め、広めたものであった。
これらを機に河野談話による強制連行は根拠を疑われるようになり、総ての教科書で取り上げられていた慰安婦問題の記述が次第に改められ、今日の中学教科書では全く見られぬようになっている。また、これまで強制連行を強く主張していた朝日新聞も論旨を変えて、「日本軍が直接に強制連行したか否か、という狭い視点で問題を捉えようとする議論の立て方は、問題の本質を見誤るもので、慰安婦の募集、移送、管理を通して強制と呼ぶべき実態があったことは明らかだ」と、問題をすり替えながらも、強制連行の主張を取り下げる姿勢に変わってきた(平成9年3月31日付社説)。
この主張は、誤解を招く恐れがあるので付言しておきたい。募集段階での強制と移送、管理段階での強制はその性格を全く異にするものである。これを一括して強制性があったというのは誤解を招く。募集段階での強制は公娼制度の下でも違法な犯罪行為である。
しかし当時、判例は娼妓に関し身体の拘束を目的とする契約は公序良俗に反し無効、従って娼妓には廃業の自由はあったが、前借金契約は有効との立場をとっていた。(我妻栄、横田喜三郎、宮沢俊義編、『法律学小辞典』岩波書店、昭和12年発行、「娼妓」の項)。前借金契約を結んだ娼妓にとって、契約に基づく借金返済義務のあることは当然である。
借金の返済を終えた娼妓が自由になり、戦地からも帰国できたことは平成5年8月4日の政府調査報告でも明らかにされている(「いわゆる従軍慰安婦問題の調査結果について」)。朝日新聞の主張は公娼制度の批判とはなり得ても、強制連行の存在を証するものではない。
当時、我々は河野談話について「強制連行があったのか、なかったのか」を問題にしていたのであり、募集段階での強制、強制連行はなかった、と言っているのである。これが判っていて、なお移送、管理段階で強制があったという主張は公娼制度についての批判である。それはそれで、強制連行があったのか、なかったのかの議論とは別に納得のいくまで議論をすればよい。
このように平成9年を境に河野談話の強制連行は、その根拠を欠くことが明らかにされたが、海外では強制連行の誤解が解消されていない。平成8年にはクマラスワミ報告が国連の人権委員会に提出されたが、それは「戦地の慰安所は国際法違反として日本の責任を問い、性奴隷にされた慰安婦に謝罪して賠償金を払うことなどを勧告している」ものであった。
また平成10年にはマクドウガル報告がレイプセンターなどという言葉を使って日本の責任を問い賠償を勧告している。そして、これらと同じような誤解がアメリカ下院での慰安婦問題についての対日非難決議を実現させたのである。これらは間違いなく河野談話を放置していることに因るものである。
強制連行の事実がなかったことを政府が明確にせず、河野談話を放置していることによって、繰り返されているのである。日本は、いまこのような位置にいることを国民は自覚して欲しい。河野談話を引き継ぎながら、強制連行がなかったと主張するのは無理で、それは問題解決の先送りになるだけである。徹底した事実調査と、それに基づく河野談話の処理がどうしても必要である。
強制連行の根拠についての責任者の説明
このように、海外では明らかに日本政府による強制連行があったと誤解している。これに対して河野談話作成に携わった関係者はどう考えているのだろうか。
河野元官房長官は、平成9年6月17日に「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」で説明しているが、あとの質疑で次のようなやりとりがあった。
衞藤晟一議員は「強制連行が事実かどうかはっきり分からない状況で、゛ほぼ事実に近いですよ″という形の言いかたをすると、それが結局事実になるわけです。事実ということを実証できないのに事実になってしまう。少なくとも、私ども、いままでの勉強会の中では、軍の強制連行は証明できませんでした。
いま外国で言われているのは、日本という国はとんでもない国だ、そこに歩いている女性を強制的に軍隊が引っ張ってきてセクシャル・スレイブとして使ったんだと。そういう印象を与えて、そしてそのことが広がっているということが問題なので、ここのところで本当に軍の強制があったのかどうなのか、という1点の事実確認はどうですか」という質問をしている。これに対して、河野元官房長官は「軍の直接関与があったかどうか、あるいは間接関与があったかどうか、という問題があるわけです。
つまり兵隊が女性に飛びかかってレイプをして、そのまま連れていっちゃった、あるいは引っ担いで連れていっちゃったという、軍そのものがやったかどうかという問題と、あのころの時代的背景から言うと、軍の力というものはもう圧倒的、非常に強い権力を持っていた。そういう軍を背景に、表現はちょっと適切ではないかも知れませんが、人狩り、女衒の類が背後に軍がいるようなことをちらつかせてやったということもあるかもしれない、ということまで含めて考えていただきたいと思うんです」と答えている。
続いて、平沢勝栄議員の、「要するに状況からして、その可能性が高い、蓋然性が高いということでしょうか。先ほど゛だろう″、とか゛と思える″とかいうお話をされましたが」との質問に対しては、「資料を集めて、議論したとき゛これならやはりあったと思わざるを得ない″と私が思ったことは事実です」と答えている(若手議員の会編、「歴史教科書への疑問」、展転社、438頁以下)。
石原信雄元官房副長官は、「結論として、強制連行を裏付ける資料は見つからなかった。談話発表の直前に行った韓国での元慰安婦16名からの聞き取りが決め手になった。この調査については裏付け調査はしていないが、当時の状況ではそれはできなかった」と語り、「裏付け調査はせずに河野談話を決定したことに異論のあることは承知している。
決断したのだから弁解はしない」とも語っている。事実この姿勢には異論もあり、若手議員の会の安倍晋三事務局長は、平成9年6月17日の勉強会で、「元慰安婦16名のインタビューに裏付けをとっていないというのは、被害者だからそんなことをするべきでないということも分からないこともないが、ただ国家として態度を決めるからには、やはりそれをする必要があるんだと私は思う」と述べている。
当時の外政審議室長の谷野作太郎氏は「募集レベルで軍が組織的に引っ張ったという認識はない」と語っており(櫻井よしこ『文藝春秋』平成9年4月号)、また平林博元室長は、国会で「政府は公開されていない資料、個々の裏付け調査をしていない資料で、平成5年8月4日の決定をしたことになるのか」と、質問されて、「結論としてはその通りだが、資料全体を仔細に検討して総合的に判断した結果である」と答えている(平成9年3月12日、参議院予算委員会)。
アメリカ下院での論議と日本政府の対応
安倍首相は今年3月5日の参議院予算委員会で、「狭義の慰安婦強制連行はなかったし、アメリカ下院に出されている決議案には明らかに事実誤認がある」と述べたが、他方で「政府の基本的な立場として河野談話を受け継いでいる」と述べている。
「強制連行の事実はなかった」という主張と「河野談話を引き継ぐ」という主張を両立させることには無理があると思う。各国の責任者は問題の詳細を知らないのが普通であろう。「河野談話は引き継ぐ」と言いながら他方で「強制連行はなかった」ということを納得させるには
、長時間をかけての詳細な説明が必要であり、それは現実的には不可能に近い。聞いている側は頭がくらくらする思いになるだろう。外交上の面子はあろうが国家の名誉がかかっている問題である以上、ここは敢えて河野談話の再検討に踏み切り、河野談話の誤りを明らかにして、これを公式に取り消す以外に、この問題の実態について内外の正しい理解を得る手だてはないのではないか。
安倍首相の「強制連行の事実はなかった」という発言は決して単なる思い込みや官僚の国会答弁資料によったものではない。この問題の実態について、かなり深く研究して得られた結論であり、発言には自信が感じられ、正しいと言える。
しかし、河野談話は引き継ぐが、強制連行はなかったのだ、という説明ではアメリカ下院議員を納得させることは困難であろう。去る2月25日のフジテレビの「報道2001」に出演した、決議案にもかかわっている、マイク・ホンダ議員は「強制連行がなかったのなら、どうして首相が謝罪したり、民間のアジア平和基金による元慰安婦への資金の提供が必要なのか」と語って、「強制連行はなかった」とするテレビ司会者の発言には最後まで納得しなかった。
安倍首相の「狭義の強制連行はなかった。アメリカ議会下院での、慰安婦問題に関する対日非難決議案は客観的事実に基づいていない」との主張と駐米日本大使の説明は呼吸が合っていない気がしてならない。
西岡力教授によれば、事態をここまで悪化させたのは、慰安婦問題についての米国内での議論で、日本外務省は「慰安婦20万という数字は間違っているとか、日本政府は元慰安婦に謝罪している」などと説明するだけで「朝鮮人慰安婦の国家権力による強制連行はなかった」と事実関係に踏み込んだ反論を回避してきたからだと述べておられる(『正論』平成18年11月号)。
全くその通りで、ここで見せた外務官僚の姿勢は平成8年4月の国連人権委員会におけるクマラスワミ報告の討議のときに見せた姿勢と全く同じである。そのとき日本政府は、誤解に基づく記述の多いクマラスワミ報告の事実関係の記述についても反論すべく、1度は「日本政府の見解」という文書を事務局に提出したが、すぐにそれを撤回して「日本政府の施策」と題する文書に差し替えている。
差し替えられた資料では事実関係についての反論は行わず、慰安婦問題について日本政府がそれまでにとってきた施策、河野談話、女性のためのアジア平和国民基金の紹介などにとどめている、とのことである。しかし、これでは強制連行を日本政府が再確認したことになり逆効果ではなかったか(秦郁彦著『慰安婦と戦場の性』新潮社、277頁)。どうして外務省はこのような姿勢に終始するのか。
河野談話の再検討、否定ということになっては困る、という気持ちが動いているのではないか。たとえ、外交上の面子や責任問題が考えられても、この際慰安婦問題の実態をきちんと整理して、アメリカ下院の関係者に明確な説明をすることがどうしても必要である。
「河野談話」を如何にして取り消すか
慰安婦強制連行の誤解は速やかに解消せねばならない。従って「河野談話」は速やかに再検討して、1日も早く公式に取り消されねばならないのである。
取り消しの具体的な方法の第1は、政府で再検討する方針を決定し、委員会でも設置してその答申を得て処置することであろう。第2は国会での質疑に対する政府答弁で実質的に河野談話を取り消す方法であり、第3は河野談話取り消しを求める訴訟を提起して、判決によって取り消す方法等が考えられるのではないだろうか。
第1の方法は、河野談話を引き継ぐと言明している安倍内閣では、政府自ら再検討することの方針決定自体が困難であるかも分からないが、事の重要性を考えて、できれば決断して欲しい。
第2の国会での質疑に対する政府答弁で、実質的に河野談話を取り消すことは最も常識的な方法かとも思うが、効果の伴う取り消しとするには政府として河野談話の公式な取り消しを決定し、公表する形式を踏まねばなるまい。
第3の訴訟による「河野談話の取り消しを命じる判決」が得られれば、これは行政から独立した司法の判断であるので最も都合のよい方法であり、安倍内閣も内心ではこれを望んでいるのではないかと思う。ただ、これには、訴えの利益とか、原告適格の問題などが考えられ、却下の恐れもあると思われるので専門家による検討が必要であろう。
しかし、河野談話の問題点は「事実認定を誤っている」ことであり、この点は行政の自由裁量の範囲に属するものではない。この「事実認定の誤り」を裁判の判決で正したいということであるので、常識的には可能ではないかと思われるし、審議に入れば「事実認定の誤り」は立証できる。
おわりに
朝鮮人の女性を8万人とか20万人とか強制連行したとすれば重大問題である。それを目撃した人は百万人を超えているはずである。強制連行が事実だとすれば、民衆から敬愛の目で見られていた学生達が先頭に立って抗議運動を展開していたはずである。
戦後47年間、日韓間で何も問題にされないことなど考えられるであろうか。また1965(昭和40)年に締結された日韓条約の長期にわたる交渉過程でも、問題にされていない。強制連行があったとすれば、それに続いて、或いは戦後早々から展開されて当然と思われる事象は何1つ起きていない。
以上のように普通の国では考えられない非常識がまかり通って、それが積み上げられた結果が河野談話であった。
これは何百年も昔のことではない。いまでも80歳以上の人なら当時のことを体験的に知っており、当時の実態を語ってくれるはずである。この人達の証言を集めることも実態解明に役立つだろう。
最後に、慰安婦強制連行の論議をしているとき、「それでも強制連行はあった」と主張する人が、実例として挙げるのが、ジャワ島でオランダ人女性を強制連行した事件である。最近ではアメリカ下院での対日非難決議の証人としても証言しているので、その実態を説明しておきたい。
これは、いま問題にされている日本政府による組織的犯罪というものではなく、B、C級戦争犯罪というべきものである。戦後軍事裁判にかけられ、死刑を含む重罰が科せられている。平成5年8月4日発表の日本政府の調査報告によると訴追の対象になったのは、ジャワ島セラマン所在の慰安所関係の事件について、軍人5名、民間人4名、同じくバタビヤ所在の慰安所関係の事件で民間人1名であった。
判決によると認定された事実は「(元陸軍大佐の場合)兵站関係担当将校として、ジャワ島セラマンほかの抑留所に収容中であったオランダ人女性らを慰安婦として使う計画の立案と実現に協力したものであるが、慰安所開設後(1944年2月末頃)、女性らが同意の上、抑留所を出て自発的に慰安所で働くという軍本部の許可条件が満たされていないことを知り得たのに、その監督を怠り、同年4月頃、事態を知った軍本部が慰安所閉鎖を命じるまでの間、部下の軍人または民間人が慰安所で女性に売春を強要するなどの戦争犯罪行為を行うことを黙認した(判決、有期刑15年)」というものであった。
他の判決での事実認定も軍人については略々同じようであったが、民間人は慰安所経営者であり、女性を脅すなどして売春を強要したという認定であった。判決は、元陸軍大佐、有期刑15年。元陸軍少佐、死刑。元陸軍少佐、有期刑10年。元陸軍大尉、有期刑2年。元陸軍中将、有期刑12年。民間人4人は、いずれも有期刑で20年、15年、10年、7年であった(「いわゆる従軍慰安婦問題の調査結果について」9頁)。