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鎖国と開国の相克

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七福神と宝船


「鎖国」と聞くと、多くの人が江戸時代の「鎖国」を思い浮かべるようです。
けれど日本の歴史を振り返ると、実は「鎖国」と「開国」が交互に起こっています。

古いところでは、推古天皇の頃(推古8(西暦600)年)から、推古26(618)年(推古26年)まで行われた遣隋使があります。
有名なところでは、小野妹子が有名な「日出処の天子」の国書を持参したのが第2回の遣隋使です。

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やまと新聞社「ねずさんの動画マガジン最新号」特別編
歴史通11月号P60より「日韓併合から李承晩ラインに至るまで」

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遣隋使は、推古26年に随が滅んだことによりなくなり、次いで支那に建った王朝である唐への遣唐使がはじまりました。
遣唐使は、寛平6(894)年までの264年間続きます。

廃止したのは菅原道真で、理由はいくつかありますが、一般には唐が末期となり、支那の国が荒れ、交易をする意味がなくなったこと(唐は907年に滅亡し、支那は五代十国に分裂した)が理由とされています。

遣唐使を取りやめた日本は、以後、日本人が国の許可なく異国に渡ることを禁じた「渡海制」をひき、さらに唐や宋などの商船に対すしても、前回の来日から次回の来日まで、最低10年の間を空けることとする「年紀制」を定めています。
要するに日本は「鎖国」したわけです。

これを再開したのが平清盛の父、平忠盛で、彼は民間貿易としての日宋貿易を本格化させています。
平忠盛の時代は、12世紀初頭ですから、日本は約100年「鎖国」していたことになります。

一般に平家は水軍を中心とする武力をもって朝廷に大きな権力を築いたとされていますが、実際に忠盛が朝廷内で出世し、清盛の時代に源氏を倒して「平氏にあらずんば人でなし」という時代を築いた背景には、この入宋貿易によって得られた巨額の資金がものをいったとされています。

その日宋貿易も、1185年の平家滅亡により、事実上停止となります。
鎌倉幕府は、南宋末期まで支那との交易を行っているものの、あくまで幕府管理下で、細々とこれを行っただけであり、宗が滅び、元が起こると、日元貿易は、あるにはあったけれど、その規模は極めて小さなものにまで縮小しています。

そして次に日本が国として支那との国交を開くのは、応永8(1401)年の室町幕府三代将軍足利義満による「日明貿易」の時代となります。
つまり、日本は216年間、再び「鎖国」していたわけです。

もっとも、国交のない「鎖国」状態の中でも、いわゆる密貿易はあったし、また村上水軍や五島列島などの島民を中心とした倭冦は、1300年代から度々支那や朝鮮半島に押し掛けてもいます。
ただしこれは、国としての公式な交易ではないので、ことについては後述します。

日明貿易が開始された背景には、この私的交易団である倭冦が、度々明を荒したので、国家として公式かつ安定的な交易を開始しようとしたことが背景にあったとされています。
実は、これは不十分な説明と思うのだけれど、そのことも、後述します。

日明貿易は、フランシスコ・ザビエルが来日した天文18(1549)年まで19回行われましたが、このとき、割り符を利用して互いの国の正式な派遣船であることを証明したことから、この交易を「勘合貿易」とも呼んでいます。

当時の交易の様子については、たとえば宝徳年間に明に渡った商人の楠葉西忍の記録によれば、明で250文で買った絹糸が、日本に持って来ると5貫文(5000文)の値で売れ、
反対に日本で10貫文で仕入れた銅が、明で40〜50貫文で売れたそうです。
さらに、刀剣類や漆器などは、やはり2〜30倍の値段で売れた。
貿易は、それだけボロ儲けできる商売だったわけです。

ところがこの日明貿易は、開始からわずか10年で一時中断しています。
なぜかというと、この日明貿易を行うにあたり、足利義満が「朝貢」形式を採ったからです。
これを不服とする人々が、交易の継続を拒否した。

交易が再開されるのは、天文5(1536)年ですが、これ以降の交易は、国家としてのものというよりも、周防国(山口県南東部)の大内義隆による個人貿易の色彩が強いものでした。
その大内氏も、弘治3(1557)年に毛利元就に討たれて滅び、以降、明との交易は公式なものは停止となり、倭冦による民間交易だけが続くことになります。
つまり日本は、156年間の開国の時代を終わり、ここで三たび支那に対して「鎖国」したわけです。

ところが一方で、この時期になると、今度はスペイン、ポルトガル、そして東南アジア諸国が、新たな交易相手として登場します。
信長を筆頭に、各藩はこぞってこれらとの交易を盛んに行ない、ヨーロッパにまで使節団が派遣された(天正少年使節団)ことはみなさまご存知の通りで、さらに家康の代になる慶長6(1601)年以降になると、ベトナム、マニラ(フィリピン)、カンボジア、シャム、パタニ(タイ)などと正式な国交関係を樹立し、盛んに貿易が営まれるようになりました。

東南アジアの各町には、日本人町が作られ、なかでも有名なのがタイのアユタヤで勇名をとどろかした山田長政です。

おもしろいのは、この時期(慶長11(1607)年)には、家康がガレオン船まで建造していることです。
ガレオン船というのは、よく西欧の海賊ものの映画などに出て来る大型帆船で、4〜5本の帆柱を備え、舷側に大砲を揃えた、あの外洋航海用の大帆船です。

おもしろいのは、日本はこの直前である文禄元(1592)年から慶長3(1598)年まで、朝鮮征伐で明、朝鮮の連合軍と戦っていたことです。
秀吉の死後、日本は朝鮮から撤兵(慶長3)していますが、その一方で、東南アジア諸国やスペイン、ポルトガル、オランダ等と、盛んに貿易をしていたわけです。

ところが、寛永16(1639)年になると、日本は南蛮(ポルトガル)船入港禁止令をひき、鎖国します。
つまり、1401年にはじまる日明貿易から、東亜、西欧との交易にいたる開国解放政策は、238年で幕を閉じ、以降、嘉永7(1854)年の日米和親条約締結までの215年、日本は四度の「鎖国」に踏み切るわけです。

ここまでの流れをすこし整理すると、次のようになります。
600〜894 ( 264年)開国 遣隋使、遣唐使
894〜1100 (約100年)鎖国
1100〜1185(約 85年)開国 平家全盛期
1185〜1401( 216年)鎖国
1401〜1557( 156年)開国 足利幕府
1557〜1868( 311年)支那に対して鎖国
1639~1868( 229年)鎖国 江戸幕府 
1868〜2012( 144年)開国

これ以前にも、開国解放と鎖国は、度々繰り返しているようなのですが、要するに民間部門での私的交易や、細々と行われたであろう大陸との交流は別として、公式に行われた交易は、時代とともに鎖国政策と開国解放政策が時代とともに交互に行われてきた歴史が、日本にあるわけです。

ではなぜ、こうした開国解放と、鎖国政策が時代とともに大きく揺れ動いたのでしょうか。
海外との交易が、交易をする者に巨額の富をもたらしたことは、上にご紹介した楠葉西忍の記録がこれを証明しています。

またよく見かける七福神は、冒頭の絵にあるように、みなさん宝船に乗っておいでです。
これなども大陸から帰還する船が、都度、巨額の富を日本にもたらしたことをモチーフにしたものとされています。

ひとつはっきりといえるのは、なるほど開国解放政策の時代には、大陸からの多宝物がたくさん日本にやってくるというプラスの面がある一方で、おそらくは、人的交流もさかんであったであろうということです。
実際、それぞれの時代、随や唐、宗や明などから、多数の人格高潔とされる高僧なども来日し、帰化しています。

しかも、交易は、巨万の富をもたらした。
けれどものごとというものは、作用があれば必ずあるのが反作用です。
プラスの面があれば、同時に必ずマイナスの面が起こる。

おそらくは、交易が盛んになるにつれ、多数の帰化人、渡来人の中には、ろくでもない連中も多数来日したであろうことは、容易に想像がつきます。

実際、遣隋使、遣唐使が盛んだった時代には、世が荒れ、国内治安が乱れ、白村江の戦いも起こり、遷都が繰り返されています。
治安が良く、政治的混乱もなく、世が安定していれば、遷都の必要などないのです。
にも関わらず、住み慣れた都を捨て、改めて都を遷さなければならない。
それには、それを「せざるを得ない」何かがあったであろうことは、誰にでもわかることであろうかと思います。

菅原道真が遣唐使を廃止したあとも、国内の混乱は続きました。
そしてこの頃から、民間部門で力を持ちはじめたのが、武士団でした。
なぜ、民間に武力が必要だったのでしょう。

必要があるから、武士が生まれたのです。
必要がないなら、武士は生まれません。

武士の始まりを、平安貴族の荘園(農園)の警備員たちに求める説があります。
果たしてそうでしょうか。
日本人の感性として、たとえば日本人の日本の銀行の本店にいるガードマンが、頭取を殺害してその銀行を乗っ取るという発想をするでしょうか。

むしろ、日本人が、あえて民間武装止む無しという行動に走るのは、関東大震災のあとの治安の悪化の中で自然と武装した自警団が生まれたこと、あるいは、終戦直後の混乱の中で、在日朝鮮人達の横暴に対してヤクザが武装して立ち上がり、警察署などを守ったことなどがあげられます。

もともと日本人というのは、縄文時代の1万7000年間にわたって、「人が人を殺すことをしない」、むしろみんなで力を合わせて何かを作る、築くことを是とした民族です。
1万7000年というのは、ものすごい年月です。

なにせ、関ヶ原の戦いからでさえ、まだ412年しか経っていません。
一世代がだいたい25年、百年で4世代が交替するとすると、関ヶ原からで16世代です。
計算上は、700年前の鎌倉時代の一組のカップルから、日本のいまの人口(1億2700万人)が誕生する。これが28世代です。
それが1万7000年というと、680世代というとほうもない期間です。

その長い期間にわたって、全国津々浦々、なんとか貝塚とか、なんとか遺跡とか、縄文時代の古い遺跡が日本中に数万カ所あるけれど、そのどの遺跡からも、野うさぎなどの小動物を狩る矢じりや、道具としての石斧、あるいは土器や土偶などは数限りなく見つかっているけれど、対人用の武器が出土していないのです。
つまり、日本人は、縄文の昔から、人を殺すことを良しとしなかった。

さらに有名な三代丸山遺跡にある六本柱の巨大建造物や、縄文時代の木造の住居跡も沢山みつかっているけれど、そこで使われた木材を、いったい縄文人達がどうやって伐り倒し、どうやって枝を払い、どうやって地面から立てたのかが、またおもしろい。

巨木を伐るといえば、いまの時代ならチェンソーを使いますし、一昔前なら、金太郎が担いでいる鉄製の大マサカリが使われたことでしょう。
けれど縄文時代には、チェンソーを動かす電気はなかったし、マサカリに使う鉄器も、青銅器さえも、まだないのです。
では、何をつかって巨木を伐り倒したかといえば、磨製石器を使った。
どうやったかというと、木の根元を火であぶって焦がし、そこを先の尖った磨製石器でガリガリ削って、木を伐り倒していたのです。

少し考えたらわかりますが、そうすると一本の木を伐るだけでも、膨大な時間がかかります。
つまり、誰かが木を伐っている間、その食は、別な誰かがみなきゃなりません。
さらに枝を払い、目的地まで運び、さらにその木を加工して、木造建築物を建造するとなると、これはもうひとりでは、絶対に無理です。
ならばどうするかと言えば、人々が互いに協力しあう。たすけあう。

そういうことは、人が人を殺し、奪う文化では、決して実現できないことです。
みんなが力を合わせることで、はじめて、実現できる。
それを、縄文の昔から、日本人はやり続けてきたのです。

もうすこし言うと、縄文時代の遺跡からは、足形付き土器というものも出土しています。
幼子の足形を粘土にとって、それを焼いて土器にし、あとあとまで残したのです。
どうしてそんなことをしたかというと、明治時代くらいまで、(これは日本だけでなく世界中どこでも)、子供というのはよく死んだのです。

ですから、何人も産んで、ようやく成人できるのは、そのうちの何人かでした。
そして、我が子が死ぬとつらいのは、現代人も縄文人も変わりません。
なので、亡くなった子供の足形を、永遠にとどめるために、土器に残したのだといわれています。

そういう和と協調、やさしさと思いやりの文化が、日本人のDNAに深く刻み込まれています。
ですから、日本人は、人と人とが助け合い、いたわり合い、みんなと共同し、協力して何かをなすことに自然な喜びを抱きます。

ところがこれに対し、大陸の文化は、大きく異なります。
常に人が人を殺す。
殺すだけじゃなくて、人が人を食べる。
食人があたりまえの文化です。

三国志で、魏の曹操が80万の大軍を赤壁に進軍させるけれど、その80万の軍勢の糧食はどうしたのか。
もちろん、地元民から略奪はあたりまえです。
けれどそれだけじゃない。
彼らは、80万の軍勢を食わせるために、村人や負けた国の奴隷たちを、バラして食べていたのです。

そういう食人文化を持った人たちがいる国と交易をする。
もちろん、すぐれた文物もあることでしょう。

倭冦などの記録をみると、日本からは、主に銅や金(GOLD)を大陸や朝鮮に運び、向こうで買って仕入れたのは、主に書物だったと書いてあります。
とりわけ仏教文化に関する文物は、たいへんに貴重なものとして、日本で高く評価されたことでしょう。
つまり、お金になった。

けれど、そうした交易には、当然のことながら、人的交流も含まれます。
そして交流「人」の中には、ろくでもない犯罪者や乱暴者も多数含まれていたことでしょう。

そして、武器を持たない日本人の一般庶民は、そうしたろくでもない支那人、朝鮮人にしてみれば、恰好の餌です。
奪い、犯し、殺す。

当然、日本国内の治安は悪化します。
つまり、一部の人が交易によって富む一方で、国内の庶民生活は、不逞外国人による泥棒や、強姦、殺人等の事件が、頻繁に起こり、平穏な生活がおびやかされるようになるのです。

さらに一部の不逞外国人たちは、交易によって得られる富を背景に、日本の政治にも深く関わるようになってきます。
そして日本文化にはまったく見受けられない、非常識、すなわち自己の利益のために庶民の生活を平気で踏みにじるという政治を行いはじめる。

実は、これは日本人には本能的にできないことです。
たとえば、パチンコ屋が儲かるからと、戦後多くの日本人がパチンコ店の開業に踏み切りました。
けれど、そのほぼ全てが、倒産の憂き目にあっています。
あれだけ儲かる(いまや全国の真の長者番付の上位はことごとくパチンコ店主です。税務署に頼んで、納税の日を納付期限日の翌日にしてもらうことで、番付に出ないようにしているだけです)商売であるはずなのに、日本人だと、なぜパチンコ店の経営ができないのか。
損して、丸裸になるような人を、放置できないからなのだそうです。
ついつい人情が出てしまう。

加えて、日本人経営のパチンコ店ができると、近隣の朝鮮系パチンコ店が、徒党を組んでその日本人パチンコ店を潰しにかかったのも、有名な話です。
日本人は、基本、自己責任で、あまり徒党を組むことをしませんが、支那人や朝鮮人は、よるとさわるとすぐに徒党を組むという特徴があります。
これには理由があって、お互いに信用できないから、一緒に行動せざるを得ないのだそうです。

日本人は、そうではなく、信じて任せてしまう。
そして、建設的なことならば集団で力を合わせるけれど、マイナスのことに関しては、あまり組みたがらない、というのも日本人の古来変わらぬ特徴です。

要するに、不逞外国人達は、あちこちで暴力沙汰や強姦致傷、窃盗、強盗などの重大犯を繰り返す。
それがどうにも目に付くようになるから、結果として、鎖国に踏み切る。

鎖国といっても、江戸時代もそうですが、政府単位の公式な交流がないというだけで、民間レベルの密貿易に近い交易は、綿々と継続します。
ただし、これはあくまでも、民間レベルの小さな窓口だけでの交流ですから、不逞外国人が大挙して日本にやってくるというようなことは起こらないわけです。

そして鎖国をしている期間、日本文化は、毎回、花を咲かせています。
平安文化、鎌倉文化、江戸文化、いずれも、日本の日本らしさが満面に讃えられた文化が花開いています。

けれど鎖国して何十年か経つと、やっぱり交易が儲かるからと、またぞろ、触手を伸ばそうとする権力者があらわれる。
遣隋使初期の小野妹子や、平安末期の平清盛、室町幕府の足利義満などです。

結果、何が起こるかと言うと、その権力者が莫大な財力を手中にする。
ところが、清盛が赤禿(あかかむろ)というスパイまで使ったということにもあきらかなように、そうして我が世の春を満喫する施政者が出る一方で、庶民の生活は脅かされるどころか破壊され、結果、国が荒れる。

遣唐使を終わらせた頃の日本は、平将門の乱や、藤原純友の乱などが起こっています。
将門も、純友も、大金持ちだったという記録はありません。
どちらかといえば質素な生活をし、民からたいへんに慕われていた。
では、そういう人が、なぜ反乱を起こすまで追いつめられたのか。
そこには、なんらかの、我慢できない事情があったと考えるのが普通です。

とりわけ日本社会というのは古来、全ては家を単位として意思決定が行われます。
つまり、将門が、「俺は我慢ならんから、中央と争う!」と述べたとしても、将門の家人たちが、「いんやぁ、おらたち、農作物の収穫があるだに」と逆らえば、それまでなのです。

逆にいえば、将門や純友が立ち上がったというのは、将門や純友以上に、その家の家人たちが、やもたてもたまらないくらいの怒りに燃えていたということです。
それだけ世が荒れた。
荒れた理由が何なのか。
それを説明する文書はないけれど、帰化人達が日本国内に増え、徒党を組んであちこちで狼藉を働いていたとするなら、それを放置し、取り締まらない政府があれば、民の非難が集中するのは、無理からぬことです。

室町時代の開国では、もっと顕著な出来事が起こっています。
つまり、日本が戦国時代に突入してしまったのです。
戦国時代の始まりは、百年続いた応仁の乱からで、応仁の乱は、足利将軍が怠惰で怠け者だったことが原因とされているけれど、そういう解釈はいかがなものかと思う。
なぜなら、日本社会では、いわゆるキレ者が将軍でいることよりも、ちょっと抜けたような人が上にいることのほうをむしろよろこぶ気風があるからです。

加えて、戦国末期に来日したザビエルの書簡をみても、日本人は、「お上から諸民にいたるまで、貧乏であることを不名誉と思わない」と書いています。
貧乏はいやだけれど、みんなが貧乏、オレも貧乏なら、わははと笑っていこうじゃないかというのが、日本人の気質です。

ならばなぜ、大名同士の争いが激化したのか。
治安が極端に悪くなり、武装して戦わなければ、国を維持できないところまで追いつめられたからと考えれば、すべてが辻褄が合います。
では、どうして治安が悪くなったのかといえば、足利幕府の開国解放政策で、不逞渡来人が増え、国内のあちこちで、いまでいったらコンクリート詰め殺人事件や、強姦致傷事件が頻発したから、と考えれば、民の怒りの爆発も十分に納得できる。

そして、織豊時代にはいり、東南アジアやスペイン、ポルトガルとの交易が盛んになるけれど、この時期は、むしろ明国や朝鮮との付き合いは、ほとんど行われなくなっています。

ところが、スペインが明国を制圧し、その大軍をもって日本にやってきたら、日本はとんでもないことになる。
だから、秀吉は朝鮮出兵を決意しました。
そしてその結果、日本人は直接明国や朝鮮人と干戈を交え、彼らの残忍性や、人食いや強姦の実態をつぶさに見聞することになる。

で、どうしたかといえば、秀吉の死後、即時、日本は朝鮮半島から撤兵し、サッサと鎖国してしまった。
当時の日本は、世界の鉄砲保有数の約半数を保有すると言う、超軍事大国です。
ガレオン船を建造したくらいで、世界の海をまたにかけて海外渡航できるくらいの海運力、造船力さえもあった。

つまり、世界の海を制することさえも可能なくらいの海軍力さえもあったのです。
鉄砲保有数世界最大ということは、世界最強の陸軍国であるということです。
東南アジアや、ヨーロッパにまで人を派遣したということは、海軍力も強大だったわけです。

その強力な軍事力があったからこそ、日本は、あえて、国を閉ざした。
なぜでしょう。

巷間、よくいわれることは、人類の平等を説くキリスト教が施政者にとって都合が悪かったから、です。
それはおかしな理論です。
キリスト教が人類の平等を説くなら、なぜ欧米には人種差別があったのでしょうか。

欧米列強の植民地政策を畏れたから、という説もあります。
これまたおかしな理屈です。
当時、世界最強の勢力を保持していたのはスペインです。
そのスペインは、フィリピンのマカオに総督府を置いていました。
秀吉の時代に、これが一定の脅威となっていたのは事実だけれど、そのスペインは、当時英国と覇権をかけて80年戦争と呼ばれる英西戦争を戦っていた最中であり、秀吉が刀狩りを開始した頃、スペインの無敵簡体は、グラヴリンヌ海戦で英国に完敗するという事件を起こしています。

つまりその頃のスペインは、英国と覇権をかけて争っていた最中であり、東亜に力を割くだけの余力がない。
一方で、スペインにかわって世界の覇者となる大英帝国も、この時点では、いまだスペインとの抗争中で、東亜に出るだけの力がない。
つまり、東亜地域は、西欧の植民地政策上の空白地帯にはいっていたわけです。

その時期に、たとえば家康なども、当初は大喜びで東南アジア諸国に家康の経営する日本人町などをつくり、各国の文物をさかんに採り入れ、ヨーロッパ事情にも精通していたにもかかわらず、その家康がまだ存命中に、いともあっさりと鎖国に踏み切っています。

東南アジア諸国の日本人町の経営が破綻した、という話もありません。
むしろ、日本人町は、当時大発展していたことが、さまざまな記録に書かれています。

では、なぜ、日本は世界最強の軍事力を抱いて鎖国したのでしょう。
これもちょっと考えたら、答えはすぐに見つかります。

開国解放政策というのは、簡単にいえば、城の塀を取り除いて、人々が自由に往来できるようにするという体制です。
これに対して鎖国政策というのは、城に高い塀を築いて、人々の出入りを厳しくチェックする体制です。
(鎖国しても、狭き門を通じてのごくわずかな人的交流はある)

塀を築いて人々の往来を制限するというのは、外敵を防ぐためです。
もっといえば、家の周りに塀をつくるのも、泥棒が侵入しないようにするためです。
いまの日本では、玄関に鍵をかけるのはあたりまえですが、ほんの数十年前までは、家に鍵をかけるなんていう習慣は、日本にはありません。
それが鍵をかけるようになったのは、泥棒や強盗、強姦魔が家に侵入するようになってきたからです。

これにはだいたい傾向があって、
強盗、傷害、残虐殺人などは、おおむね支那人。
強姦を伴う、若い女性や少女が犠牲になる事件は、おおむね朝鮮人による犯行です。

時代がかわっても、民族の行動は、そうそう変わるものではありません。
要するに、支那、朝鮮との交流が盛んになると、富と交換に、不逞のヤカラが多数日本にはいってくる。
そして日本中を荒し回る。
結果、人々がどうするかといえば、自警団を組んで防犯に努めるとともに、他国からの侵入者に対して警戒的になる。
そして軍事力を持つお上に、治安の維持を依頼する。
その肝心のお上が、交易からもたらされる富みに溺れて、支那朝鮮人を多数国内に招けば、結果として、犯罪発生率は増大し、人々の警戒心は一層増す。
結果、役に立たないお上は、民衆の気持ちを理解する新たな勢力によって、ほろばされるわけです。

そういえば、開国開放路線だった平清盛は、福原(いまの神戸)に都を遷そうとしています。
その理由についても諸説ありますが、一般的なのは、福原という交易港に都を遷せば、一層の贅沢と富が手に入ると清盛が考えたからだといわれています。

そしてその当時の交易相手は、支那、朝鮮です。
ということは、港には、多数の支那人、朝鮮人達が上陸してくる。
中には、マトモな人もいたことでしょう。
けれど、どうにもならない不逞のヤカラも、中に多数混じっていたことは、想像にかたくありません。

そしてどういうわけか、鳴り物入りで福原宮に遷都したけれど、あっと言う間に福原は見捨てられ、都が京にもどってしまっています。
なぜでしょう。
支那人、もしかすると不逞朝鮮人による貴族女性への暴行事件があったのかもしれません。
記録はないけれど、もしあったとすれば、清盛が何をいおうが、多くの女官達を擁する公家たちが、荒れた福原を嫌がって京に戻ってしまったとしても、なんら不思議はありません。

要するに、我が国の歴史は、開国解放路線と、鎖国路線が常に交互に行われたという歴史を持ちます。
そして国が荒れるのは、決まって開国開放路線後のことです。
そして国を閉ざしたのも、決まって不逞支那人、不逞朝鮮人による国内治安の悪化が最大の要因となっている。

もちろん渡来人の全てがろくでもない人でなしというわけではありません。
立派な人も数多くいたし、日本に帰化して日本人との間に子を設け、何代にもわたって純粋な日本人としての心をもつようになった人も数多くいます。

けれど、その一方で、どうにも箸にも棒にもかからないとんでもない連中が多数日本に渡来してくるというのは、これまた事実として認めなければならないことだと思います。

実際、田中角栄さんが日中国交正常化を推進しました。
その結果何が起こったかというと、国交回復後10年を経て、クレジットカードの不正買い回り事件が多発するようになりました。
支那人たちが大挙して日本にやってきて、日本人からクレジットカードを盗み、これを使って、利用限度額20〜30万円のカードで、多いものでは1億円くらいの買い物をしました。
当時は、いまのようなCAT端末による電子的照会がなく、インプリンタと呼ばれる圧力紙に刻印してサインをもらう形でしたから、利用限度額のチェックを受けることなく、やろうと思えばいくらでも不正買い回りができたのです。

当時、上海市の月間予算が3億円程度だった時代です。
その時代に、日本で、個人で数億円の買い回りをし、そこで得た物品を売りさばいて1億円程度の不正に取得したカネを持って、国外に逃亡し、支那本国に帰る。
帰れば、それこそ大金持ちの資産家です。
ありとあらゆる贅沢ができる。

そして日本のクレジットカード会社が、電子取引化を推進し、盗難カードが使えなくなると、次に多く発生しはじめたのが、強盗に殺人です。

もうひとつ。
共同墓地で、墓石をひっくり返して遊んだり、あるいは外地において外国の戦没者の慰霊碑に落書きをする。
あるいは、小さなお地蔵さんやお稲荷さんの小さな祠に、選挙ポスターを貼る。
あるいは、神社に火をつけて、火災を起こす。
こうした行動は、よほどグレた日本人でも、日本人の感性では、まずできないことです。
けれど、不逞支那人、不逞朝鮮人は、平気でこれをやります。

あくまでも全部とはいいません。
けれど、そういう連中が、次々と出てしまうというのが、彼らの民族のもつ傾向であることは、認めざるを得ない真実であろうと思います。

さて、今日、私が書いたことについて、いやいや江戸時代はなるほど鎖国していたけれど、朝鮮通信使という制度があり、朝鮮の使節団が来日して、たいそう歓迎されたという記録があるではないか、というご意見がありました。

ところが、この朝鮮通信使を調べてみると、なるほど日本が鎖国をした理由、そして、鎖国の理由をあえて隠した理由までもが、明確になってしまうのです。

そのことについては、明日の記事でまた詳しく書きたいと思います。

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なぜ、鎖国こそが理想で、今それが不能なのか?藤井聡京大教授


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★「自分の国にケツ拭いてもらえ」 在日外国人の生活保護問題、お笑い芸人のツイートが波紋
RBB TODAY 10月22日(月)15時48分配信

 国民の大きな関心を集めている生活保護問題。厚生労働省が、生活保護を受給している在日外国人の国民年金保険を本人申請によって
全額免除にする方針に決定したことが物議を醸しているが、これに関して言及したお笑い芸人のツイートがネット上で波紋を呼んでいる。

厚労省は20日までに、生活保護を受給している在日外国人の国民年金保険について、本人が申請すれば自動的に全額免除にする方針を決めた。
この決定については、国民の間に動揺が広がっており、ネット上でも激しい議論が繰り広げられている。お笑い芸人のガリガリガリクソンもこの話題についてTwitter上で言及した一人。
「お金無くて生活困るなら来なけりゃいいのに。自分の国にケツ拭いてもらえよ。日本は神の国だが、紙の国ではないよ。あ、うまいこといいましたね僕」とツイートで持論を展開した。

 この発言は、厚労省の決定を不服とするネットユーザーを中心に、「賛同!同感!全くその通りだ!!」「よく言った、確かにその通りだわな」「ガリクソンけっこうまともなこと言うよね」
「当たり前のこと当たり前に言える勇気が偉い!」と支持する声も多数上がった。しかし、その一方で、これまでにも芸能人による不用意な発言がきっかけとなって
Twitterやブログの炎上騒ぎなど思わぬ騒動につながったケースも少なからずあることから、「間違ったことはいってないけど立場が残念になるぞ」「正論言うと干される芸能界」
「芸能人生賭けた発言だな…・」「ガリガリガリクソンが謝罪に追い込まれる予感」と、心配する声も多数見られた。

 なお、ガリガリガリクソンはその後のツイートで「はっきり言って、僕は馬鹿やからあんまよく分かってないのに思ったことを言うよ」とした上で、
「そんなやつの発言ばっかり気にしてさあ、馬鹿のつぶやくことを記事にするマスコミはもっと馬鹿か」と、マスコミ報道についても批判している。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121022-00000031-rbb-ent

★ヤフーコメントでガリクソン支持票が圧倒的多数になっています。
支持30508票 
不支持191票
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121022-00000031-rbb-ent
https://twitter.com/gg_galixon
2012/10/23(火) 06:49 | URL | ■嫌われすぎの在日 #amXlFcx2[ 編集]
No title
反日国とは基本鎖国する、ただし借金は全額返してもらいます。
不定外国人には母国に強制送還、通名禁止、帰化条件厳正化を行う。
2012/10/23(火) 07:09 | URL | イシコウ #-[ 編集]
将門、純友の乱
 将門、純友の乱は、大陸が唐から五代十国の戦乱時代で難民が日本に流れて来たというだけでなく、白頭山の大噴火の影響があったのではないかと考えています。
 渤海は直接的被害で滅亡しましたが、火山灰が日本に届いていることからもわかるように大規模な噴火だったので、少なくとも北東アジア地域の高空は火山灰や火山ガスが漂い、気候が寒冷化したものと考えます。新羅は主に寒冷化による飢饉で滅亡し、唐の滅亡にもその影響があったかもしれません。日本も当然その影響で不作になり、そのため政治が不安定化したのではないでしょうか。だから、将門、純友の乱は単に難民の流入だけでなく、国内的にも気候異変ー>不作による政治の不安定化があったと考えています。
2012/10/23(火) 07:59 | URL | #-[ 編集]
ある方とのお話で
その方の友人が会社から中国へ出張に行かないか?と言われたそうで
給料は毎月35~40万、出張手当が毎月20万出るそうです。その夫婦は大喜びして行くと返事をしたそうです…

私はいろいろと報道されてない事実をその方にお話したけれども、この不景気でお金を優先して考えてしまう方々もいるのでしょうね…とても残念に感じました。

私自身ねずさんのおかげで歴史や真実に多少は詳しくなり『もっと教えて!』と言われることも多くなりました(^-^)
ひとりでも多くの日本人に目覚めて欲しい気持ちでいっぱいです!!
2012/10/23(火) 08:34 | URL | れいさき #-[ 編集]
No title
明日の朝鮮通信士の話がたのしみ~。
2012/10/23(火) 08:41 | URL | #-[ 編集]
No title
【11.4 偏向メディアを許さない!安倍総裁応援デモ in 大阪】


彼は戻って来た。他でもない日本国の為に・・・。

日本人は反日マスコミとの第2ラウンドに備えよ。
関西からも闘いの煙幕を上げるぞ!

今から5年前、自由民主党・安倍元首相は戦後体制からの脱却を目指し、
悪意あるマスコミとの死闘を繰り広げ、結果、退陣を余儀なくされました。

退陣後、北朝鮮・中国・韓国の高笑いが止まらなかった・・・。
日本国内の反日勢力は歓喜を上げ、横田ご夫妻を中心とした拉致被害者の家族は落胆の色を隠せませんでした。

振り返ると、この時から民主党政権誕生へのカウントダウンが始まっていたのかも知れません。

皆様もご承知の通り、今、日本は昨年の東日本大震災の影響により国難に直面し、
衰退への坂道を転げ落ちています。

この厳しい状況下で唯一の希望の光が安倍総裁だと確信しています。

国民の質は政治家の質です。
政治家が日本人のための政治ができるよう、国民一人一人が当事者意識をもって声をあげていきましょう!
日本の為、安倍総裁と共に闘いましょう!

国を思う気持ちに党派や会派は関係ありません。
デモの主旨にご賛同できる方は奮ってご参加ください!

【暗い闇が深くても、必ず夜明けは来る!今こそ、反転攻勢の時!】


<参考>

第二次安倍政権待望論Ⅱ
http://ameblo.jp/toshio-tamogami/entry-11375744948.html

安倍晋三 再起までの5年間のまとめ 日本の夜明けの始まり
http://www.nicovideo.jp/watch/sm19047594

【対メディア戦争】10.13安倍救国内閣樹立!反日メディア糾弾![桜H24/10/15]
http://www.youtube.com/watch?v=HWY7H85DZ3k

【主催】愛国議員応援デモ実行委員会
    ※お問い合わせ・ご意見等はこちらまでお願いします。
     aikoku-demo@excite.co.jp

【日時】
平成24年11月4日(日) 13:30~15:00
集合(集会)  13:30
デモ行進  14:00~15:00

【集合場所】
新町北公園(大阪市西区新町北公園1-14-15)
地下鉄(御堂筋線、中央線、四つ橋線)本町駅23番出口から南方向

【コース】
新町北公園から御堂筋を南下→難波を通過→元町中公園で流れ解散

【注意事項】
・趣旨に則した内容のプラカードおよびビラ持ち込みは大歓迎です。
・統一感を出すために旗は日章旗のみでお願いいたします。
・特攻服などの服装着用での参加はご遠慮ください。
・撮影が入るため差支えのある方は各自で対処をお願いいたします。
・差別用語や汚い言葉遣いは絶対にやめましょう。
・警備して下さる警察関係者には敬意を払い暴言など絶対にやめてください。
・痴漢・暴力等の犯罪行為をみかけたら速やかに警察官や運営スタッフに伝えてください。
・周知することが一番の目的なので一般の方への暴言等は絶対に禁止です。
・上記の注意事項にご賛同いただけない方は参加をご遠慮ください。
==============================================================



参加したい!!!!!!!!!雄叫びを上げたい!!!!!

小遣い制の小生には今遠征する余裕ナッシング。。。

我が家の大蔵大臣を瀬戸内海に叩き込め~!!!

お詫びに徹底的に拡散協力させて頂きます!!!



外圧、そして内圧が激化する今の日本。

その中にあって唯一の光が安倍晋三氏です。

しかし自民党内部にはまだまだ過去の栄光を引きずり、

我こそがご意見番なり!と幅を利かせる老害。

地方議員など左翼の手下かと言わざるを得ない糞議員がいます。

そしてマスコミです。



我々の希望の光 安倍晋三を今応援せずに いつ応援するのか!

2012/10/23(火) 09:20 | URL | kakusan kibou #-[ 編集]
中国対策
なるほど。
今日のお話は一般人にも非常に解りやすいお話でした。
結局、今の日本は思い切って対中国との国交を一時的に制限する事が日本の安泰につながる。
と言うことでしょうね。
悪いのは中国共産党政府の覇権政策です。
これに気付いていながら(何も解っていないのかも)何も舵取りをしない民主党政府は滅びるでしょう。
しかし、重要な事は、国交回復を締結したのは前の自由民主党総裁です。
これを修正するのは自由民主党に努力をしていただく責務もあるのではないでしょうか。
2012/10/23(火) 09:52 | URL | はっちょもん #-[ 編集]
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2012/10/23(火) 10:54 | | #[ 編集]
Paniolo とカンナムスタイル
ねずさん記事有難うございます
日本は小さな島国でありながら自然災害は多い国なので自然に助け合い精神が芽生えたと私は思ってます
敵国の死体を放置せずに埋葬して供養するのも日本特有の風習でしょう

骨壺(土器)に骨を入れて埋葬するのもかなり大昔からありますね

江南スタイルは福島のハワイアンカウボーイだと私は言ってましたけど
本場ハワイのパニオロ(ハワイアンカウボーイ)に
同じ振付ありました
p://www.youtube.com/watch?v=qBtMWMclRPU&feature=related
p://www.youtube.com/watch?v=HE4oNVJTPbI&feature=relmfu

p://www.youtube.com/watch?v=ihmiwcc-iWA&feature=related
2012/10/23(火) 11:38 | URL | みるる #-[ 編集]
多文化共生という矛盾
多文化共生主義者は、「移民を積極的に受け入れ、互いの文化の違い・
民族の個性を認め合いつつ民族と文化の融合、融和を目指す」としていますが、
国境の垣根を下げて移民を受け入れ続ければ、その国固有の文化は次第に破壊され
民族としてアイデンティティは薄まってついにはなくなってゆきます。

民族の個性を尊重することと、アイデンティティが薄まり消失することは、論理的に
そもそも矛盾しています。多文化共生という考えは、初めから自己矛盾したデタラメ
な考えと言わざる得ません。

まさに鎖国こそがお互いの国にとって、互いの文化を保持し尊重するのに最良の
方法です。(EUの失敗を見れば一目瞭然です。)
2012/10/23(火) 11:46 | URL | 保守系外科医 #-[ 編集]
No title
朝鮮通信使というと、雁屋哲が「美味しんぼ」で
「当時の朝鮮は日本よりもずっと文化文明が進んでいた」
「朝鮮通信使は日本に文明を教えるためにやって来た」など
朝鮮人のプロパガンダをそのまま垂れ流していた事を思い出します

雁屋は他にも支那・朝鮮人のプロパガンダそのままの内容を
漫画やブログに書いて失笑を買ってるんですが
朝鮮人がいつごろからこんな出まかせを雁屋ようなサヨク世代の連中に
吹き込んでいたのかも知りたいです
2012/10/23(火) 11:53 | URL | #-[ 編集]
『朝鮮通信使』といえば…
『鶏泥棒』が有名ですが彼らはその盗んだ鶏をどの様に処分したのでしょうか…仮に食べたとしても江戸幕府(又は各藩)から被害者への『補償』はあったのでしょうか…本当に『李氏朝鮮』というのは見せかけだけの『建前国家』です…。
2012/10/23(火) 12:08 | URL | 和田 #PZCSQ.uQ[ 編集]
 
現在の内閣府副大臣の選挙時のポスター
http://pds.exblog.jp/pds/1/201007/09/01/c0072801_083363.jpg
2012/10/23(火) 13:34 | URL | 野原 #-[ 編集]
鎖国について
前に 徳川の宝物展を見に行きましたら 外国からの進物も多く展示してありました。
鎖国と言っても 外交が完全になかったのでは、ないように思えました。
2012/10/23(火) 13:58 | URL | 匿名 #Dq74ESy.[ 編集]
NHKは何故国益を損なうのか
昨日のコメントで日清戦争の起きた年をうっかり日露戦争の1904年と書いてしまいました。日清戦争は1894年でした。

シナの戦略は孫子の兵法です。自分に有利になるように世論を形成していきます。そして、相手が怯むような心理戦を使います。尖閣問題でもアメリカの大新聞に尖閣はシナの固有の領土と広告を掲載しています。明らかにアメリカ国民に対する世論戦です。それに対して大きな声で反論しなければアメリカの世論はシナに傾倒していきます。

シナは国営の放送網を持ち、世界に発信しています。日本は戦前から情報戦に負け続けています。日本には世界に発信できる報道機関がないのでしょうか。ないのではなくてあっても使っていないだけです。使わないだけでなく、何故かシナのための報道をしています。

NHKが目覚めて、日本の国益のための報道を始めればシナに負けない情報戦を闘うことが出来るはずです。NHKの衛星放送は世界に送られています。当然シナ国内でも放送されています。その影響力は大きいものがあります。

尖閣諸島が日本固有の領土である根拠を報道すれば世界の世論を動かす事が可能です。シナ国民が真実を知ればシナ政府もうかつなことは出来ません。NHKは何故日本の国益を損なうことをするのでしょうか。

アメリカの新聞社は経営不振のためにシナの支援を受けていると言います。日本の大新聞社も同じかもしれません。経営に関係のないNHKはどんな理由があるのでしょうか。良識のあるNHK職員は教えていただけないでしょうか。
2012/10/23(火) 15:36 | URL | にっぽんじん #-[ 編集]
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2012/10/23(火) 16:00 | | #[ 編集]
No title
鎖国というのは、外交の一つの形態です。完全に国を閉ざすのではなく、交わる相手を選び、厳格な管理の元自国に害がなく、自国に益をもたらすような態勢となる。

>多文化共生という矛盾
多文化共生というのは、他人の作った快適な環境に寄生するための口実に過ぎません。
多文化主義の実験は既に欧州で失敗に終わったことが、明確に立証されております。
日本と日本国民を失敗するとわかっている実験台にするわけにはいきません。
2012/10/23(火) 16:40 | URL | #KfMO8t.E[ 編集]
多文化共生という矛盾に賛同
保守系外科医さんの多文化共生という矛盾に賛同します。

このたびのお話でも日本は他国との鎖国、開国ということを
西暦600年から現在の2012年の間に4回も行っている
その理由は、権力者が他国との交易でぼろ儲けするという利点
もあるが同時に日本人の生き方に馴染まない悪逆非道な不逞
支那人、朝鮮人も入ってきて治安を乱す。

それがあまりにも酷くなるので鎖国を実施する。そして暫く
経って落ち着いてくるとまた開国するという繰り返しだった
のですね、はじめて知りました。

現在も、支那、韓国の反日騒動で鎖国すべきだという意見も
多数上がっているようです。

40年前国交回復したと得意顔に喜んでいた政財界の連中は
彼の国との交易による利益ばかりを計算して過去の歴史から
学ぶということを何故、忘れていたのか先見の明が無さ過ぎた
ということでしょう。

地球市民、そして安易なグローバル化、そして特に祖国日本の
文化を破壊するような1千万人の移民政策など、とんでもない
ことです。

現段階では、彼の国と鎖国することが最善の策だと確信します。
2012/10/23(火) 17:02 | URL | terag3 #KVPRtAI6[ 編集]
No title
日本という国家が今日あるのも先人がその時代、時代の状況により日本国という国を守る為に、それに応じた国策をしてきたに他ならないからだと思います。
それが今回の記事にもあるように鎖国だったのだと思いますし、不幸にして先の戦いだったのだと思います。
いつの時代にもその根源にあったのは「日本国を守る」この一念です。

「中国4000年の歴史」などという言葉があるようですが、そんなことはありません。
支那は広い国土の中で何度となく亡国を繰り返しています。
言い替えれば戦いの歴史でもありました。
近年やっと中華人民共和国が成立、しかしその長きの戦いの中で培われた人間性の無さというか、残虐性というか、日本人と全く違うDNAを持ち合わせているのだと思います、お隣しかりです。

それに比べ、万世一系、天皇を拝し一つの国としてあり続け栄た国は世界広しといえど日本国だけです。
いかに素晴らしい国かということを改めて感じさせられます。
その日本国が存亡の危機に瀕しているのです。

国史が教えているように必要に応じて鎖国、今で言う断交ですが、有りだと思います。
鎖国といえば国としての門戸を全て閉めるというイメージがありますが、現代においてそれは無理でしょう。
世界にああいう国家(特亜)が存在すること事態おかしいのですが、そんな国との鎖国であって、友好国も含め全てにおいて鎖国をするわけではありません。
むしろ、友好国ともっと親密にお付き合いをし、お互いの国益の為に日本の心でもある「共存共栄」を果すべきではないでしょうか。

そういう意味において害国との鎖国、願ったり叶ったりです。

抗議の署名、FAX、電話、メールにしても「自分一人くらいしなくても」という考えの方がもし居たとしたら、いえ、世間の大多数の皆さんがそう思っているかも知れません、それは大きな間違いです。
「自分が行動しないと国は守れない!」この一念で頑張らないと国は救えません。
頑張りましょう!
2012/10/23(火) 18:55 | URL | 桜子 #PyZMa2bE[ 編集]
No title
イギリスでは、不法移民が手厚い社会保障費目当てになだれ込み、強制送還しようにも、人権、特に子供の人権を武器に居座ることが問題化しているそうです。
その上、外国人のための行政経費は、2兆円6千億円にも達するとか。
イギリスに限らず、他の移民を入れた欧州の国々では、外国人移民が金食い虫と化しているからこそ、移民排斥を主張する極右政党が急速に拡大し、支持を集めているのです。
外国人を入れれば、年金や医療費の財源になると主張する移民推進派は、こうした状況をどう見ますかね?
外国人も人間ですから、高齢化しますし、病気にもなったり、怪我もします。親も兄弟もいます。犯罪目的で来るものも多いでしょう。
日本に来る外国人は、歳も取らず、病気も怪我もせず、犯罪は一切やらないとでも思っているのでしょうか?
現在ですら、既に日本は、外国人の高齢者、病人、失業者、犯罪者のために多大な公的資金を投入されているのに、移民で社会保障費の財源確保など現状を全く見ないお花畑頭の妄想でしかありません。
欧州の移民政策の失敗、世界各地の民族紛争、宗教紛争をみるにつけ、異なる民族が平和的に共存する方法は、境界線で区切って住み分けすることであると示唆しています。
2012/10/23(火) 22:15 | URL | #KfMO8t.E[ 編集]
No title
日本の鎖国は江戸時代だけでなく、遣隋使、遣唐使の時代から開国と鎖国を何度も繰り返していたのですね。そして、開国している期間は治安が悪かった。・・・・・・その通りです。
支那、韓国に限らず江戸時代初期の西欧も、奴隷として日本人を連れて行ったと聞いたことがありますから、基本的に外国は油断できません。
もっとも、現代の世界は一国だけでは成り立たないので、難しいところです。

ところで、日本人は平和に暮らしてきたから、基本的に大人しい民族です。なにしろ、聖徳太子が日本で始めて作られた一七条憲法の第一条が「和を以て貴しと為し」ですから・・・・・争いごとを好まない。
日本人はいさかいがあっても、お互いが理解し、譲り合うことによって物事を納める文化があると思います。
ですから、理不尽なことがあっても、基本的には我慢をする。しかし、とことんまで行って、我慢の限界を超えたときは爆発します。そのときは、損得なし、可能か不可能も通用しなくなります。
そのときの対象者は、災難と行ってもいいくらいです。ですから日本人をとことんまで、追い詰めてはいけないと思っています。
自分でも分かりにくくなりました。日本人は、窮鼠猫を噛むということが好きだと思います。

中国は、世界に反日報道をしています。
翻って、日本がどの程度日本の主張をしているかというと、極めて少ないと思います。
随分昔の話ですが、NHKでヤオハンとスワニー社の特集がありました。両者とも中国進出のパイオニアともいえる存在で、中国に行くまでは素晴らしい業績を上げていましたが、行った先の中国で振り回されてひどい目にあった。ヤオハンは倒産したし、スワニー社どうなったのか、私は知りません。これを放送した直後、NHKに中国からすさまじい抗議があり、その後は同様の放送ができなくなったとか・・・・・・最近は、中国の実情が多少は解禁になったかも知れませんが、もう少ししたらまた抗議されて沈没するだろうと思っています。
噂でしか知りませんが、NHKに中国の事務所があるようなことを、聞いたことがあります。(本当でしょうか?)
2012/10/23(火) 22:26 | URL | ポッポ #-[ 編集]
No title
幕末の攘夷運動と聞くと、時代劇の影響からか、頭の固い侍が、単に刀を振り回して外国人を殺傷するという印象があります。
しかし、攘夷運動には、不平等条約によって、当時の日本の金が海外へ流出し、インフレによって日本国民は貧しくなったり、領事裁判権によって外国人が殺人、強盗、強姦、宗教施設の破壊行為をやりたい放題やるようになりながら、幕府がそれを取り締まらなかったという背景があります(これが、幕府の権威を失墜させ、人倫の離反を招きました)。これは、将軍のお膝元である江戸ですらそうでした。
当時、幕府が招いたオランダ人医師ポンペは、不平等条約によって、日本人の貧困、不良外国人による治安の悪化を目の当たりにし、条約締結の前は、あれほど親しげに彼の周りに集まった日本人が、条約締結後、彼を見ると恐怖に怯えて逃げ出す姿を描写し、そして「日本人から呪いと罵りの声しか聞こえなくなっても不思議ではない」。また流入した白人(外国人)によって、「日本人の心の平和と幸せは、滅茶苦茶になってしまった」と書き残しています。
今の時代、首相官邸や皇居の前で、外国人が犯罪行為を繰りかえし、警察がそれを取り締まらなかったらどうなりますか?当然のように政府は、国民からの信用を失い、国民の中から外国人を排除するために実力行使に及ぶ者が出てくるのは、むしろ自然なことと言えるでしょう。幕末の攘夷運動は、頑迷な排外主義ではなく、当然の帰結として生まれた運動だったのです。
今の時代、外国人が日本国内に増加して、日本人にどんな益がありましたか?日本人の雇用が増えましたか?日本人の働く貧困層が激減しましたか?
逆でしょう。刑務所は、外国人で溢れ帰り、税務署は外国人の税金逃れに悩まされ、役所は、生活保護をよこせとごねる外国人に頭を抱え、警察は外国人の犯罪にてんてこ舞いとなり、外国人に日本人の税金がつぎ込まれ、日本人が経済的事情から高校や大学を中退しながら、外国人への奨学金が惜しみなくつぎ込まれる。
はっきり言って、日本を愛し、日本に本気で貢献したいと考えている外国人など、少数派というよりは例外的なものだと思います。

2012/10/23(火) 22:54 | URL | #JiQ/ninA[ 編集]
はじめまして(__)
本当に勉強になります。
今まで全く知らなかった事ばかりです。

>先月か先々月の事。

私は、市の公共施設へ行ったさい展示室を覗いて見たのですが、そこでアレッ?と思った事がありました。
粘土細工の人形や絵画、書道から編み物にいたるまで、様々な素人作品の中に混じって、何の関連性もなく新聞の切り抜き記事が綴じて置かれていたのです。

何年も前の新聞連載を綴じたもので、確か『朝鮮通信使』だったような気がします。
ご丁寧に、隣にもう一冊コピーしたものも並べられており、それには蛍光ペンでアンダーラインまで引いてあります。

例によって、『日本に朝鮮の女がいたのだが、もちろん無理矢理に連れて来られて云々』という記述にゲンナリした私は最後のアンケート用紙に苦情をはっきりと書きました。
いくら何でも不自然な展示物過ぎて不快でした。
竹島問題のすぐ後でしたし、在日の人が展示したんだと感じました。

今でも思い出すと、胸がモヤモヤとして嫌な気持ちがします。
2012/10/23(火) 22:59 | URL | K #-[ 編集]
No title
歴史が物語っております。決して我が日本国は支那、朝鮮とは交われないと言う事が身に染みて分かってきた次第であります。この事は、日本国民全員が理解しなければいけません。いくら善良な日本国が特亜三国に援助を施しても、(日本は見返り等は期待していない。)恩を仇でかえす反日国家とは、付き合い方を考えなければならないと思います。(国交断絶)
又、いち早く売国民主党を政権から引きずりおろし、憲法改正を直ちに行い、日本国を護る為の軍事行動、在日外国人の排除、(日本人としての誇り高き行動がとれないなら強制送還、外国籍のままでの日本定住の見直し)日本人が日本国で安心して暮らせる生活ができるようにすることのできる政治を行うべきです。
2012/10/24(水) 15:54 | URL | #-[ 編集]
平家物語の平重盛の死去の件で、重病の重盛の為に父平清盛が連れて来たシナの医師の診察を、自分のような国家の重臣を異国の医師に看させるのは国の恥と断って、そのまま亡くなってしまう話があります。公家や後白河上皇とも親しかった重盛は、保守的な思考の持ち主でしたが、父のシナへの肩入れを心苦しく思っていたのかもしれません。
2012/10/24(水) 18:45 | URL | #-[ 編集]
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坂田三吉と関根金次郎
身を犠牲にしてレントゲン撮影に革命をもたらした林信雄医学博士
生涯の夢を乗せて 白瀬矗
大村藩の新精隊 渡辺清
悲しみの山河を越えて 石井筆子
万次郎上陸
名を残す 片平観平
あんぱん誕生
あんぱんの開発と日本の発展
だけれども僕はやる 中田厚仁
義に生きる 山田方谷
日本初の小学校女性教師 黒沢登幾
アドレナリン 高峰譲吉
猿とみなされながら世界一の大数学者に 高木貞治
命に代えて 福井文右衛門
教育に捧げた生涯 井口阿くり
朝鮮半島の再建 目賀田種太郎
シンディー・ローパー
マッカーサーを心服させた昭和天皇
世界最強の天皇陛下
どこまでも謙虚に 細井平洲
石巻の「青い目のおなご先生」
玉川兄弟
昭和最後の武道家 望月稔
世のため人のために 清水次郎長
伝統と創造 横山大観
日本人としての誇り 岡倉天心
二宮尊徳のこと
武人として 川路聖謨
漢方医学と浅田宗伯
幕末の志士たちを支えた白石正一郎
乃木将軍と孝行辻占売り
日本初のコンタクトレンズ水谷豊博士
リーチェンの桜の木肥沼信次医師の物語
横井小楠に学ぶ
世界を代表する数学者岡潔博士
かあさんの鼻緒緒明菊三郎
忠臣児島高徳
山縣有朋に学ぶホンモノの政治家と国民の人気
世界初のパソコン用マイクロプロセッサ
世界を超えた1枚の写真 丹羽保次郎
真珠と御木本幸吉
義民松木庄左衛門
ビタミン発見鈴木梅太郎
仮定がたとえ奇抜なものであっても 長岡半太郎
世界の最先端数学国だった日本
大森今村両教授の信頼と絆
維新の先駆けとなった男、大塩平八郎
古関裕而と新しい時代の幕開け
松波勘十郎と船橋随庵

≪日本の心≫
大和心とポーランド孤児
たおやかに やまとなでしこ 咲きにけり
トルコ軍艦エルトゥールル号遭難事件
キャプテン翼大作戦
チリひとつなかった江戸日本
ギリシャ神話と日本の心
日本ミツバチの結束行動
いくつかの主張
公のために働いた武士
「日の丸」のお話
国旗の由来と掲揚
「君が代」
「靖国」
「教育勅語(1)」
「教育勅語(2)」
「軍人勅諭」
「八紘一宇」
八紘一宇の塔
「蛍の光 仰げば尊し」
海軍兵学校「五省」
日本人の誇り
ご皇室は日本の宝
幼年時代の昭和天皇
戸籍について考える
人間を矮小化してはならない
飴を買う幽霊
シコロの木
戦艦三笠を守れ
リンゴの心
日本美の再発見・ブルーノ・タウト
見沼通船堀
ウズベキスタンの日本人
世界に誇る日本の交番
イザベラ・バードの日中韓紀行
弁慶の勧進帳
子守りをする少女 エドワードモース
悪代官のお話
有森裕子選手と日本武道
静御前の舞
大理の日本四僧塔
ウガンダの高校生を変えた日本の躾
救出された1200頭の牛
海上自衛隊・海賊船対処
日本の水を守ろう
赤穂浪士の真実
赤穂浪士と山鹿流
日本は一国一文化
日本刀と鉄砲伝来
貧農史観というウソ
特攻と日本武士道・・・笹森順造
元航空自衛隊宇都隆史参議院議員の演説
靴磨きの少年
赤穂浪士と山鹿流
江戸からくり人形と雇用のお話
小石川養生所
桃太郎とイザナギ、イザナミ
大国主は日本最初のイジメ被害者だった
中越沖地震で分かった日本人の美徳
美意識と日本的価値観 加瀬英明先生
日本建国の理想は「家族国家」
日本建国の理念に帰ろう
すぎやまこういち先生の御講演
平沼騏一郎と国本主義
誇りを持て、日本人!
陛下のお言葉
東京スカイツリーと法隆寺五重塔
古事記のお話
お寿司のお話
ビル・ゲイツが認めた日本人
昔の日本
イージス艦「きりしま」の快挙
寺子屋と筆子塚
古事記のお話
磨製石器と相沢忠洋
日本のホイッスル世界に響く
カンボジアの水道水
世界一の砲丸職人
日本の技術で地雷をなくせ
お札のお話
大相撲ちょっといい話
お弁当のお話
手術針のお話
尋常小学校修身書二年で学ぶこと話
ハチ公像が待っているもの
西宮神社の黄色い手袋
赤いご飯のヒミツ
白根山の駒草
願兼於業と日本人
日本人に生まれて
池田成彬と自助の精神
沖縄県民かく戦えり
厚情に生きる
日本人はみな同胞
頭山満とイスラム
にんじん畑
日本の原風景に学ぶ
電気と国会議事堂のお話

≪帝国軍人≫
ランボーは日本人だった!舩坂弘軍曹
緑の連隊長 吉松喜三大佐
義烈空挺隊を忘れるな 奥山道郎
海戦史を塗り替えた男・吉川潔
軍神・広瀬武夫中佐
大西瀧治郎中将
佐久間勉艦長
陸軍大将今村均
本当の日中友好 吉田保男憲兵曹長
敵さえも味方にしてしまった草鹿任一海軍中将
442部隊に学ぶ
小灘利春元海軍大尉の遺稿
渡邊美光上等飛行兵曹の遺稿
重き荷を背負いて 玉井浅一
六十年の時を経て届いた手紙 長田和美中尉
勝利の要諦は至誠と愛情と情熱 藤原岩市陸軍中佐
不屈の精神とユーモア 高崎弥生さん
名将、山口多聞
単騎シベリア横断 福島安正
人情と情けの人 小園安名大佐
戦時下のノーヒトノーラン 石丸進一
愛のかたち 快心隊隊長藤井一少佐
歴史から学ぶべきこと 広瀬武夫中佐
プロ野球の特攻隊員 石丸進一
水雷屋気質 佐藤康夫中将
ひとりでも闘う 小野田寛郎
桜花と野中五郎大佐
最後の特攻 中津留達雄大尉
大空の武士 檜貝嚢治
沖縄戦で米軍を苦しめた参謀 八原博通大佐
バックナー中将と石原正一郎大尉
慶良間の空に散る…伊舎堂用久大尉
命をかけて守る 荒井退造
会ひたい無性に 穴沢利夫大尉
東条英機閣下の遺書
最後の海軍大将 井上成美
清廉至誠の武人 伊東祐亨
日本人という生き方 醍醐忠重海軍中将
街のサンドイッチマン
二二六事件と阿南大将の訓話
特攻せず。芙蓉部隊美濃部正少佐
二人の撃墜王、坂井三郎と笹井一
軍神西住戦車長
永野修身元帥閣下
橘中佐と遼陽会戦
相花信夫少尉の遺書
ルーズベルトニ与フル書 市丸利之助中将

≪大東亜戦争≫
ちいさくても強いサムライ
戦前の東亜
硫黄島の星条旗と日章旗
硫黄島の日章旗
花嫁人形
開戦の詔勅と終戦の詔勅
終戦の詔勅を読む
大東亜戦争に勝利した日本
日本に手を出した国は、必ず滅びる
大義のために戦った日本
12月8日を記憶せよ
大東亜戦争に関する各国の評価
日本の再生こそ世界を救ふ
公正な世界を目指して戦った日本
日本兵の手紙 ■
玉砕までして戦った理由
英霊たちが守ろうとしたかけがえのないもの
ハーグ陸戦条約
植民地支配への戦い
腰の軍刀は竹光か
バシ―海峡の慰霊
戦没者の遺書
インパール作戦とパル判事
インパール作戦のこと
五族協和を目指した満洲国
南京の攻防
体験的歴史の真実
B-29との戦い
サンフランシスコ条約と日本
伊58潜水艦と原爆のお話
駆逐艦「雪風」の幸運
ケネディと駆逐艦「天霧」
終戦記念日における政府談話、日心会草案
広島市平和記念式典で読まれない もう一つの平和宣言
白梅の少女たち
特攻とテロリズム
三ヶ根山殉国七士廟
真の近現代史観
塹壕で母は生まれた
勝てた戦争
特攻隊員の思い
橋の上のホラティウス
張作霖と満州のお話
インパール作戦とパル判事
インパール作戦 続き
■満州従軍看護婦実話
(1)集団自決
(2)南新京駅
(3)青葉慈蔵尊
小町園の悲劇
大川周明 米英東亜侵略史
広島と長崎に落ちた原爆は種類が異なる
無条件降伏という国際的詐欺に騙され続ける日本
南の島に雪が降る
8月9日のソ連軍侵攻で起こったこと
女性の乗った特攻機 神州不滅特別飛行攻撃隊
パンプキン爆弾
ドクター中松氏の日本は負けていない
大東亜戦争開戦前の御前会議
真珠湾攻撃と人種差別
大艦巨砲主義
■戦陣訓を読む
(その1)
(その2)
(その2)
日米戦争の原因
ひうらさんの思ひ出
戦前という時代と新しい未来
支那事変は支那が起した
種類の異なる原爆
長崎へ投下された原爆の当初目標地点は北九州市


おススメ記事02
≪戦記≫
日本とパラオ歴史を超えた友情
エクゼターとエンカウンター
義和団事件とコロネル・シバ
アロハ・オエ
アッツ島の戦い
グアム島の戦い
タラワ・マキンの戦い
拉孟の戦い
騰越の戦い
占守島の戦い(1)ニチロの乙女たち
占守島の戦い(2)士魂戦車隊
回天の志
回天・後日談
戦艦大和出撃のメッセージ
勇敢で高潔で誰からも好かれた日本軍人
三宮事件 ■
日清戦争 ■
日露戦争 亡くなられた方の気持ち
日露戦争の勝利はアジアの偉大な救い
日本軍の蛮行 デビンティンギ事件
戦争の体験談
第二次上海事変
■南京攻城戦 (1)南京戦まで
(2)城内突入
(3)城内敗残兵掃討
(4)国際安全区内敗残兵掃討
石頭予備士官候補生の戦い
沖縄の二人の知事 泉守紀と島田叡
セヴァストポリの戦いと旅順要塞戦
天誅組に学ぶ、尊王攘華、尊王攘韓
サイパンの玉砕戦(1)
サイパンの玉砕戦(2)
アンガウルの戦い
ビアク島の玉砕戦
キスカ島撤退作戦
赤トンボの戦い
通州事件1
通州事件2
通州事件3
尼港事件
斉南事件
奉天駅前事件
廊坊事件
通化事件に学ぶ国を失うことの過酷
真岡郵便電信局事件と九人の乙女たち
ノモンハン事件
盧溝橋事件
リットン調査団
重慶空爆
満洲国開拓団の殉難
沖縄の集団自殺の虚構
小野田寛郎さんが語る従軍慰安婦
南京大虐殺というデタラメ
慶長の爆弾三烈士
北条時宗と元寇
大津事件
天狗党の乱
天誅組に学ぶ、尊王攘華、尊王攘韓
刀伊の入寇と竹島
旅順要塞陥落
航空戦艦伊勢と日向の物語
久松五勇士
日清戦争のお話
重巡洋艦「熊野」の生きざま
阿片戦争と支那人の嘘吐き
二本松の戦い

≪台湾≫
台湾2・28事件
日本の台湾統治
日本の台湾統治の真実 ■
台湾・高砂義勇隊
日本人はとても素敵だった
カナダからの手紙
元日本人の歩んだ道~蔡焜燦
台湾の占領統治からの解放のこと

≪支那≫
支那人の残虐性
支那人の“避諱”観念と虚言
支那「日本支配工作要領」
相手が弱いとみるやつけこむ民族
支那に支配された国の実情
「日本は唯一の被爆国」に隠された嘘
支那の盗掘
カネを吸い取られ続ける日本企業
ロシアも怒る支那のパクリ
支那・文化大革命の恐怖
女真族と満洲の話
いまなお続く法輪功弾圧
停車場
カナダの悲劇 中国移民に占拠されたバンクーバー
支那人による日本買占めの恐怖
支那・国防動員法
支那の粉ミルク
恐怖の外国人永住者
華僑と植民地統治について
支那の中国漁船問題に思う
清き国、日本
中国人の語る中華思想
中華民族琉球特別自治区設立を許すな
支那を「中国」と呼ぶのは国辱
シナ人とは何か
南京の次は重慶
チャンコロは蔑称ではない
胡錦濤国家主席殿への公開質問状
支那が嫌われる七つの理由
中共による事実上の宣戦布告
法輪功弾圧
四度あった南京事件

≪韓国北朝鮮≫
韓国建国の英雄
韓国保守派の嘆きと憤慨
誇り高く生きる 洪思翊中将
李氏朝鮮の時代(1)
李氏朝鮮の時代(2)
閔妃殺害事件
李氏朝鮮時代の刑罰
在日朝鮮人
関東大震災の記憶
関東大震災と不逞朝鮮人の暴虐
朝鮮進駐軍の非道を忘れるな
警戒を差別とすり替える在日朝鮮人
従軍慰安婦問題
在日コリアンたちの本音
犯罪をしたら日本人になりすませ
民団の驚くべき活動
ダライラマの法話で見た韓国人の民度の低さ
下半身裸で水死する脱北女性たち
日韓併合のこと
檀君神話という韓国のデタラメ
李承晩と朝鮮半島の歴史
在日朝鮮人との付き合い方
和夫一家殺害事件
韓国国債など買う必要はない
朝鮮半島危機に備えよ
真の敵は国内にあり
日本が嫌いな在日朝鮮人は祖国に帰れ
韓国産食品に人糞が混入、米国は販売停止に
韓国人売春婦について
韓国に鉄槌を!
あきれ果てた韓国の五輪
剣道は韓国発祥と珍説を世界に宣伝?!
韓国人留学生の嘆き

≪その他の国≫
アンコール遺跡とカンボジア
ビルマの近代史
アフガンの地雷
二つのアメリカ
ハバロフスク事件顛末(1)
ハバロフスク事件顛末(2)
ハバロフスク事件顛末(3)
シベリアのトイレ
ウクライナ物語
地上の楽園のウソ
インカ帝国の滅亡
マサダ砦の戦いと尖閣問題
インドのジャンヌ・ダルク
セントルイスブルース
明治維新と南北戦争の不都合な関係
チベットの悲劇01
チベットの悲劇02
チベットの悲劇03
ガンデンポタン
日本の人がこの国に来てくれて嬉しい!
ブータンとダショー西岡
インドネシアと植民地統治
マレーシア国定中学校歴史教科書

≪憲法≫
日本国憲法という欺瞞
日本国憲法を否定せよ
Made in Occupied Japan
歴史的に無効な憲法の破棄を
二つの日本

≪教育を考える≫
愛国心を育てよう
教育における「父性」ということ
ボーイスカウトと郷中教育
仁徳天皇陵を大仙陵と呼ぶまやかしを許すな
武徳教育のすすめ
これでもあなたは日教組に子どもをまかせられますか
歴史教科書
尋常小學修身書
ねつ造史観の歴史教科書を許すな
鎌倉幕府の始まりと教科書の欺瞞
教育を変えるということ
子供達を壊す教育を許すな
堕胎と少子化問題
釜石の奇跡
母と子
「いじめ」雑感
大津市中学生自殺事件に思う
神話を学ぶ
神話を学ぶことの意義
歴史を学ぶことは民族の価値観を学ぶこと

≪メディア≫
やまと新聞を守れ
毎日新聞英語版のあまりにひどい報道
マスコミが反日になっている理由 ■
反日キャスターを許すな! ■
反日主義者たちの陰謀
≪反日左翼≫

国鉄と鉄道公安官
夢の超特急「あじあ号」 ■
弾丸列車と戦後左翼の利権 ■
国連という名の欺瞞
白旗の少女
プラスの言葉
反日左翼工作員にみられる共通の特徴
野麦峠と戦後左翼の欺瞞

≪核≫
核のお話2
核のお話
放射線の危険、誰が得をし誰が損をするのか
放射線は怖くない!ラッキー博士の小論文
広島の原爆被災者の記録
国賊的策謀が見えてくる
塩分と放射能
原発について
除染しなかった広島は女性の寿命が日本一

≪時事≫
尖閣を守れ
日本人が知らない資源のお話
750兆円の国家財源
最高の景気対策は国防にあり
地方行政とゴミ処理問題
小学生の妊娠
自国の防衛は自国で
日教組に立ち向かえ
外国人参政権
政治資金規正法
竹島問題の真実
夫婦別姓などもってのほか!
子供手当が在日外国人の母国に残した子供にも出る?!奴らを許すな
「日本派」の政治家
中国産新型エイズの恐怖
口蹄疫問題に関する衆議院の質疑の模様
口蹄疫は韓国の陰謀という噂の真相を問え!
尼崎児童暴行事件
売国土下座外交のウラ
都民の100人に1人が中国人
あなたの隣に中国人が。それでもいいですか?
すべては私たちの選択にかかっている
支那人に買い占められる日本の水
尖閣問題と国益
尖閣問題と琉球共和国
尖閣領域の中国漁船問題に思う
いまと似ている通州事件前夜
口蹄疫はまだ終わっていない
子宮頸ガンとセクシュアルデビュー
在日支那人の取締りを強化せよ
神社が燃やされている
沖縄県平和祈念資料館の展示見直しを要請する
被災地で頑張る自衛官
ヒゲの隊長大震災を語る
復興は将来世代のために最良のものを
電力一律削減は日本の産業を壊滅させる
悪質書き込みは即賠償
人権救済法案はた日本人差別法案
大雨と公共工事のお話
トルコ地震に寄せて
TPPは日本を崩壊させる
八重山地区歴史教科書問題
近未来の物語
思い切った良質の公共投資で景気回復を
客船コスタ・コンコルディア号転覆事故に思うこと
地方主権論は国を滅ぼす
日本の防衛は日本の手で
景気復活の要諦は日本の心を取り戻すこと
都市鉱山の回収は日本に巨富をもたらす
支那、韓国の本音
埋蔵資源と軍事力 総額200兆円の財政出動のこと
野田総理の尖閣買取発言は売国発言
片山さつき先生を守れ
民主党の猿芝居に騙されるな!
民主党のバラマキはなんのため?
日本は軍事力を強化せよ
日本を抜本的に建て直す
税と社会保障法案の成立と引き換えに解散を迫る真意

≪コラム≫
天壌無窮の神勅
天皇人間宣言という言葉のまやかし
持てる力のすべてを未来への建設に傾けて
帝国日本を語り継げ
保守は No War !!
動物農場
世界に誇る縄文文化
漆と縄文文化
巨視的に見る
縄文人と渡来人の相克
世界四大文明の嘘
中国四千年の歴史という馬鹿げた妄想
魚沼産コシヒカリ物語
小麦のお話
小麦のお話2
大豆と満洲のお話
歴史に対する姿勢
伝書鳩物語
軍艦島のお話
新しいこの国のカタチのために
たった一度の敗戦で日本を失ってはならない
ブログの拡散効果
消えた歴史
日本の未来の枠組み
日本再生のために民度の向上を
元来日本社会は窮屈、でも窮屈ゆえに安心
「理論」と「心」と「都合」のお話
正しい万歳
近世のニッポン
伊勢神宮の式年遷宮
夏の怪談
文化は武器より強し
ヤプー人の伝説
犬種と人種
悪は断じて許さないという心が大切
大麻についての考察
ススキとセイタカアワダチソウのお話
秋の七草
階級闘争主義と信頼主義
日本の心をつたえる会
聖徳太子と十七条憲法
国連という名の欺瞞
石原莞爾「最終戦争論」を読んでの所感
石原莞爾「最終戦争論」
ある国の物語
マイセンのスープ皿
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相貌認知
戦後世代は何をやってきたのか
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鄭春河先生の遺稿2「日本同朋へ」
亀井静香先生と面談してきました
ローハイド
日本の心をつたえる会について1
日本の心をつたえる会について2
日心会の価値について
勾玉のお話
批判ということ
横浜市歌
現場の使命感、現場の奮闘
着物の叡智
江戸の水道井戸
絵の具と戦争
皇后陛下 祈りの御歌
ニール・パスリチャ「Awsome(最高)」の3つの要素
桜餅のお話
和菓子のお話
日本解体のトラップ
影響の輪、関心の輪
階級闘争は共産主義の悪魔
歴史を学ぶ
先を読む
日本人はみんなどこかでつながっている
大国の発言、小国の発言
なでしこのお話し
メーリングリストを潰す方法
稲穂を見て
凛として愛
語り継ぐこと
栗のお話
越前恋水仙物語

父祖が築いてくれた国、日本
敵に警戒されるのは、正しいことをしている証拠
今年もお世話になりました
壬辰の年
鏡は化我美
誠と義
五常の徳
徳の概念と諱(き)の概念
聯合艦隊と連合艦隊
反日宣伝と日本人の対応
愛国心を涵養する名言集
河本準一と生活保護
通り魔殺人と日本の自殺
アイデンティティの形成
ダイエット飲料を飲むと太る
女子高生コンクリート詰め殺人事件に思う
日本の秘密をばらしたら
大麻と国益のお話
秀吉の朝鮮出兵
大切にしたい日本の四季
おハシと神代文字
東郷さんの檄文
西欧の保守主義と日本の保守主義
あるレジ打ちの女性
ライオンキングと日本人へのメッセージ
源平桃と壇ノ浦の戦い
美人画
うま味と日本人
トイレが個室であることの幸せ


(2012/8/15記事までを掲載)
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コメントをくださる皆様へのお願い
いつもたくさんのコメントをいただき、ありがとうございます。
ほんとうに皆様のコメントが、とっても嬉しく、かつありがたく拝読させていただいています。

議論というものは、すくなくともこのブログのコメント欄が、国政や地方自治、あるいは組織内の意思決定の場でなく、自由な意見交換の場であるという趣旨からすると、互いに互譲の精神を持ち、相手を尊敬する姿勢、ならびに互いに学びあうという姿勢が肝要であると存じます。

私は、相手に対する尊敬の念を持たず、互譲の精神も、相手から学ぼうとする姿勢も持ち合わせない議論は、単なる空論でしかなく、簡単に言ってしまえば、単なる揶揄、いいがかりに他ならないものであると断じます。

ましてや、自分で質問を発したものについて、それぞれお忙しい皆様が、時間を割いて丁寧にご回答くださった者に対し、見下したような論調で応対するならば、それは他のコメントされる皆様、あるいは、それをお読みになる皆様にとって、非常に不愉快極まりないものとなります。

従いまして、謙譲・互譲・感謝、そして学ぶという姿勢のない連続投稿、粘着投稿に類する投稿をされた方については、以後のコメント書き込みを、管理人である私の判断で投稿の禁止措置をとらせていただきますので、あしからずご了承ください。
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小名木善行(HN:ねず)

Author:小名木善行(HN:ねず)
職業: 国史研究家
所属: 日本の心をつたえる会
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通州事件の真実
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尖閣諸島問題について
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http://www.worldtimes.co.jp/
尖閣諸島に関する1972年の外務省資料(PDF)
http://www.worldtimes.co.jp/special2/senkaku/senkaku.pdf
尖閣問題について

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