本と映画と政治の批評
by thessalonike5
アクセス数とメール

access countベキコ
since 2004.9.1

ご意見・ご感想



最新のコメント
最新のトラックバック
以前の記事


access countベキコ
since 2004.9.1


















左派は都知事選に統一候補を立てよ - 知識人は動け
週明けに石原新党についての世論調査が出るかと予想したが、大きな報道になっていない。マスコミ各社でバラつきが大きく、傾向が一つに纏まらないからだろう。昨夜(10/29)のNW9を見ていたら、石原慎太郎に対する「街の声」の映像が流れていて、高齢者の女性が、「ハッキリものを言う人がいないといけない」とか、「周りの国に気を使う人ばかりの中で頼もしい」などと言っていた。「文明がもたらしたもっとも悪しき有害なものはババアなんだそうだ」と侮辱を受けている当の者たちが、石原慎太郎にエールを送っている。テレビの前で脱力させられたが、大越健介がわざわざこんな絵を撮らせて放送したのは、前日(10/28)のTBSのサンデーモーニングに河野洋平が出演し、石原慎太郎へのス批判を直言したからで、巻き返しを図ろうとしたためと思われる。大越健介や保守系マスコミは、石原慎太郎について、「都民に圧倒的な人気を持つ」存在という表現を使い、その評価を一般像として前提して報道をする。この評価は、果たして適正と言えるのだろうか。テレビは、石原慎太郎がディーゼル車の排ガス規制でペットボトルを振り回す映像を何度も使うが、あれは10年以上前の1期目の話で、当時は確かに石原慎太郎の人気は高かった。2選時の得票率は70%を超えている。しかし、それ以後、相次ぐ弱者への暴言や新銀行東京の破綻があり、明らかに知事としての人気は低迷を続けていた。
 

2007年の3期目を狙う選挙は、直前まで選対本部長の佐々淳行も敗北を覚悟する逆風だったが、対立陣営が魅力的な候補を擁立できず、敵失で石原慎太郎が勝利を拾っている。4選目は東日本大震災が重なって選挙どころではなかった。石原慎太郎については、現状、一般市民から高い人気を博しているという事実はない。石原慎太郎を熱狂的に支持して日の丸の小旗を打ち振っている群衆の光景は、8月15日の靖国神社の境内で見られるだけだ。そして、ネットの中で石原慎太郎を「閣下」と呼ぶ右翼の一群がいるだけである。選挙で勝ち続けている要因は、都政も国政もオール与党体制になっているためで、他の首長と変わらない。今、保守マスコミが報道で強調している「石原慎太郎人気」は、明らかに実体のないもので、大越健介らマスコミの人間が作為的に演出し、強引に宣伝工作しているものである。石原慎太郎については、右翼の一部に強烈な支持者がいるけれど、それ以上にネガティブに感じている者の方が多い。石原慎太郎に対する否定的な評価は、これまでの都政の実績に即している。この点、橋下徹とは違う。期待感というものがない。市井の保守層の石原慎太郎と橋下徹への見方の違いというのは、例えば、古舘伊知郎の反応を見ると分かりやすい。古舘伊知郎は、現在でも橋下徹への積極的な態度を隠さない。

ところが、石原慎太郎に対しては、大越健介のように前のめりに礼讃することはないのである。石原慎太郎への期待感を滲ませる場面はない。放送の中には出ない。要するに、簡単に言えば、古舘伊知郎は橋下徹には騙されているが、石原慎太郎には騙されていないのだ。この違いは大きいだろう。現在、大越健介らがやっていることは、石原慎太郎への国民大衆の期待などないのに、それがあると見せかけ、無理やりマスコミの手でブームを捏造して既成事実化することだ。西の橋下徹、東の石原慎太郎と、そうマスコミは囃し立てる。NHKがそう言うと、西日本の地方の人々や、東北・北海道の人々は、首都圏では石原慎太郎が英雄なのだろうと思い込む。しかし、そのような事実はない。だからこそ、東京五輪招致も都民の支持が低いまま推移した。大阪の橋下徹フィーバーの現象と異なって、東京では、石原慎太郎が何か言えば、都民が踊り狂うという状況はない。石原新党というのは、実はすでにできていて、平沼赳夫の「たちあがれ日本」がそうだ。鳴り物入りで登場したこの政党の出発から今日までを眺めれば、石原慎太郎への都民や国民の期待の内実が分かる。石原慎太郎がこれまで辞任と新党を躊躇い、時期を遅らせていたのは、息子の伸晃が自民党総裁になる芽があったらだと言われている。実にバカらしい話ではないか。誰も本気にはならない。

問題なのは、せっかく石原慎太郎が都知事を降りたのに、左派(革新系)がそれに対抗する政治の動きを準備しようとしていないことだ。まさか、福島瑞穂は、この局面で何も動かず、猪瀬直樹と東国原英夫の一騎打ちを見守るとか、石原都政をそのまま引き継ぐ保守系候補の乱戦を指を咥えて見ているだけのつもりなのだろうか。共産党のフロント市民団体である「革新都政をつくる会」は、何も迷うことなく独自候補擁立に動くと言っている。一体、彼らは何を考えているのだろう。今度の都知事選は左派が国政を巻き返しに出る上での千載一遇のチャンスであり、現在の右傾化に歯止めをかけるための重要な政治戦の機会だ。保守系候補が乱立すれば、勝機は自ずと開けるはずで、現実に乱立する方向になるだろう。東京都知事は誰でもやりたい。財政は万全で、強大な権力を持ち、解散に怯える必要もなく、マスコミが吹かす風に右往左往する必要がない。1期やれば、2期目の選挙は現職が圧倒的に強く、8年間も権力の座に居続けることができる。鵜の目鷹の目だ。有力な候補を出せば、左から風を起こして比較第一位の候補に躍り出ることは十分に可能だろう。都知事選の勝利の鉄則は後出しじゃんけん。保守系に出るだけ出させて、後戻りできないようにさせ、最後に革新系の本命を出せばいい。本命となれば、具体的な候補の名前は絞られる。誰でもいいというわけではない。

国政を一気に左へ押し戻すのは難しいが、都知事選ならそれを一発勝負でできる。ということをTwitterで言ったが、反応が恐ろしく鈍く、我ながら呆れ返るばかりだ。本来、こういうことは、私などが具体的に提案する前に、山口二郎とか、田中優子とか、西谷修とか、高橋哲哉とか、本田由紀とか、斉藤貴男とか、その種の者たちが先に言い、先に動き始め、市民団体や政党の間を調整して運動を組まなくてはいけない問題ではないか。すでに、私は候補者の名前を特定して出した。選挙運動の事務局長は小森陽一でいいだろう。歯車が少し動き出せば、佐高信とか、内橋克人とか、落合恵子とか、鎌田慧とか、辻井喬とか、大江健三郎とか、ロートル系も動くに違いない。左からウィングを広げ、上野千鶴子や姜尚中を包摂して行けばいい。生活党が独自候補を立てなかった場合は、生活党の支持者も取り込めるだろう。私が指定した候補者なら、菅伸子が応援に回るのではないかとも想像される。この構想で間違いない。絵は簡単に描ける。アイディアを出し、提案を出し、戦略を示すのが私の任務だ。あとは動く立場の人が動かないといけない。


 
by thessalonike5 | 2012-10-30 23:30 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://critic5.exblog.jp/tb/19389883
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
名前 :
URL :
※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。
削除用パスワード 
昔のIndexに戻る ワシントンポストの石原新党批判... >>