法社会学ゼミ発表:
ニフティ事件とコンピュータ・ネットワーク上の名誉毀損について
1998.09.21
文責:湯浅楠仁
0.ニフティ事件について(東京地裁平成九年五月二六日判決・判例時報一六一〇号二二頁)
参照:
http://mac-309.ih.otaru-uc.ac.jp/nifcase/nifcase0.html
http://www1.yk.rim.or.jp/~hmatsu/suit.html
http://www.asahi-net.or.jp/~vh3j-skmt/saiban/1shin.html
http://www.imasy.or.jp/%7Ephoque/cookie.html
文献:
@法学教室NO.210別冊付録 判例セレクト’97 8頁
論点:
1.シスオペ・ニフティの責任について
2.ネットワーク上の名誉毀損について→以下ではこれについてのみ取り上げる。
1.ネットワーク上の名誉毀損
文献:
A藤原宏高編「サイバースペースと法規制」(日本経済新聞社)P.143〜161
B高橋和之「インターネットと表現の自由」(ジュリストNO.1117 P.26〜33)
論点:
1.名誉毀損・名誉権と表現の自由との調整
2.ネットワークの特質に基づく問題(双方向性、即時性・広範さ、匿名性、等)。また、「ネットワークは自由であるべき」という考えが根付いている点
2.名誉毀損の成立可能性
名誉毀損:刑法二三〇条(名誉毀損の構成用件)・刑法二三〇条の二(阻却事由)
民法七〇九条・七一〇条←民事法上も損害賠償責任(名誉感情の侵害も含む)
民事法上も相当性の法理。また公正な論評の法理。(ただし最高裁はこの法理を不採用)
名誉権と表現の自由の調整は、相当性の法理の中で十分。ネットワーク上の表現の自由に重要性を認めるとしても、ネットワーク上で行われる場合は違法でなくなる、という根拠はない。原則として、従来の名誉毀損法理の中で処理していくべき。
3.反論は可能か−対抗言論(モア・スピーチ)について
ネットワークは議論の場、名誉は自己の反論によって守ることができる、∴名誉毀損にならないという見解も。ネットワークは、個人が自由に情報を発信できる重要なメディアになりうる、∴人格権の制約を認め、名誉毀損の成立範囲を限定しようとする考え方も。
よく言われるのは、表現のもたらす害悪に対する原則的な救済手段は「対抗言論」である。このモア・スピーチの原理が、名誉権と表現の自由の調整の出発点。
だが、反論の「機会」が与えられるからといって、名誉毀損発言の違法性がなくなるわけではない、社会的評価の低下の危険性がなくなるわけでもない。
(反論:この限りで言えば、本件は法的制裁による対抗が認められる事例ではない。モア・スピーチが可能でも、モア・スピーチでは名誉の回復が不可能である場合には法的制裁による対抗をとることも許容される。)
当人が日頃このメディアにアクセスし、表現活動を行っていたという事情がある場合には、公人と同様に扱ってよいとする考え方も。(→「公人」理論)
対抗言論があった場合でも、既に生じている名誉毀損行為の違法性に影響与えるとは思われない、抽象的にネットワークには双方向性があるという特質からただちに反論可能性を認め、端的に名誉毀損の成立や違法性そのものに影響を与えるとするのは妥当ではない。
4.名誉毀損の公然性
刑事法上、名誉毀損は不特定または多数に対するものでなければならない。しかし、多数か少数かの限界は、判例では数人(五〜六人)。さらに、伝播性の理論が判例では承認。
民事法上の名誉毀損による不法行為責任の場合には、刑法と異なり明確に要件とはなっていない。しかし、原則として名誉毀損事実が一定範囲に流布されることが必要。
パソコン通信上のBBS等では、そのネットワーク全会員に認識可能性がある。インターネット上のホームページなどでは、公然性が認められるのは当然。
ネットワーク上では情報の流通が速い。ネットワーク内では情報伝播性は大きなもの。このような不特定多数に対する認識可能性があることによって、十分公然性が認められる
5.匿名か実名か−加害者の匿名性・被害者の匿名性
見かけの匿名性と真の匿名性
誹謗中傷を公然と行う会員には、IDと登録名のみしか情報が得られず、実在するどこの誰であるかさえ定かでないことも。法的責任の追及を困難にするという問題。
ただ、匿名による情報発信を認めることで、より自由な情報発信を可能にするというメリットの存在も。
名誉毀損をされた被害者としても、IDと登録名しか判明せず、いかなる名誉を毀損されたのかが問題となることも。名誉毀損の成立には、被害者の特定性が必要。
他の事情を考慮すれば、誰を示すかが推知されるような場合には、原則としてその人に対する名誉毀損が成立。特定の人物に他の会員が結びつきを認めることができれば、被害者の特定性があるものとすべき。
将来的には、被害者と現実社会における実名とが結びつかず、現実社会における社会的評価の低下が生じない場合であっても、名誉毀損の成立を認める余地が生じてくる可能性。ネットワークを一つの社会として認め、そのネットワーク社会の構成員として名誉を想定し、そのハンドル自身についての名誉毀損を論じることも不可能ではない。
ネット人格なるものが実在の人間とはまったく切り離され独立して存在し、それを仮想人格であるとして別の人格を認めることではない。あくまで実在の人物と最終的に結びついてこそ、法的保護を論じる意味がある。
6.紛争をどう解決するか
ネットワーク上のトラブルについては、ネットワーク内で自主的に解決するのが妥当とする見解は根強い。∵ネットワークは市民が獲得した草の根からの情報発信も可能な機動的メディアであり、何者にも規制されない自由な場として維持したいという願望。
しかし、権力によって恣意的に規制されないということと、法的紛争を司法によって解決する可能性とは区別すべき。
裁判は第三者による紛争解決手段として有効に機能することが考えられる。また現在それに代わる有効な紛争解決手段も見いだしがたい。さらに裁判によって得られる結果が今後の行為準則にもなりうる。
基本的には裁判による救済を否定すべきではない。しかし、現在の法的救済手段にも限界がある。また、法的な対応も高度情報化社会に十分適応できているわけではない。
このような状況の中で、まずネットワーク上での慣行、ルールの醸成等を図る試みも。
こうしたガイドラインは、内容が適切なものであれば公正な慣行を醸成していくためには一定の評価ができるが、方法やその内容については十分な検討が必要。目的を超えて利用者に対する強制的なものにならないか、萎縮効果を及ぼさないか等に配慮して慎重に。
自主的な紛争解決機関を設置することは、ネットワークに対する国家による干渉を防ぎ、自立的な秩序を保ちつつ自由な情報伝達を確保する上で有益。
7.まとめ
まず、ネットワーク上の名誉毀損に対しても、従来の名誉毀損法理が当てはまる。その中で既に表現の自由との調整はなされているからである。
次に、ネットワークの双方向性に基づく反論可能性についてであるが、確かに、反論可能性があるとは言え、名誉毀損が成立しないとは言えない。そもそも、対抗言論により名誉権と表現の自由の調整がなされるとの説にも、全面的には賛成できない。また、公人理論を適用することも行き過ぎである。公人理論が成立するのは、その当人がメディアへのアクセスを有するからではなく、その当人の行為に社会的関心・利益が存在するからである。
しかし、だからといって、何にでも法的に紛争解決を求めるのも、どうかと思う。ネットワークの持つ双方向性は、名誉毀損を成立させないわけではないが、法的以外の紛争解決をも提供するものだと思うからである。ニフティ事件についても、法的紛争解決以外には道がなかったのかは、少し疑問にも思える。
次に、ネットワーク上の名誉毀損に公然性があることには争いはない。むしろ、公然性の点では、ネットワークは、その即時性・広範さより、従来よりも程度が高いと言える。
次に、匿名性については、まず加害者の匿名性が問題となる。匿名性により自由な議論がなされる利点もあるが、逆に、匿名性(非対面性)により議論が加熱し易い点もあるからである。何らかの不法行為があった場合には、法的紛争のための要請があれば、ネットワーク運営者は加害者の情報を被害者に開示すべきである。またこのためにも、完全な匿名性を技術的に排除すべきである。
また、匿名性については、被害者の匿名性も大きな問題である。ニフティ事件では被害者の本名が示されていたので問題とはならなかったが、本名が示されず現実社会上は被害者の特定がない場合には、法的紛争解決は必ずしも相応しくないと思われる。