役所の意思決定が縦割りになるのにも長期雇用が影響している。前述のように自分のキャリアは自分を採用した役所に依存している。するとどうしても自分が所属する役所の利害を真っ先に考えることになる。例えば、国家戦略室のような組織を作って各省から人材を集める。そんな時、多くの人は「骨をうずめるつもりで仕事をしろ」と言うのだが、やはり骨を拾ってくれるのは出身省庁なのだから、出身省庁の利害を考えてしまうことになる(かなり単純化して説明しています。例外的な人もたくさんいます)。
この時、前述の「専門スキル依存型」で人材の流動化が進んでいれば、例えば、エコノミストという専門的なスキルを持った人が、役所、企業、大学等の組織を移りながらキャリアアップしていくことになるから、天下り問題も縦割り問題も発生しないはずだ。
第2に、企業のダイナミズムにも長期雇用が影響していると思う。
日本では、ベンチャー企業を輩出しにくく、企業の開業率も廃業率も低いと言われている。要するに企業の入れ替えが少ないのだ。ダイナミックな経済においては、企業もまた活発な新陳代謝を繰り返し、常に元気な企業が経済をリードすることが望ましい。こうしたことが言われて久しいのだが、現実にはなかなか企業の新陳代謝は進まない、進まないどころか、政策的には逆に、つぶれそうな中小企業を延命させる方向が志向されている。資金繰りに苦しむ中小企業を救うため、借入金の返済を猶予する中小企業金融円滑化法(2009年12月施行、いわゆる亀井法)がその典型例だ。
このように中小企業をできる限り存続させようとするのは、中小企業が雇用の担い手になっているからだ。長期雇用の下で、企業が従業員の雇用の安定を担うという社会では、企業がつぶれると即失業につながるため、どうしても企業の存続を目指すことになりやすい。前述のようにスキル依存型の労働移動がやりやすい流動的な労働市場が形成されていれば、「企業の存廃」と「失業の有無」が切り離されることになるので、ダイナミックな企業の入れ替えが促されることになるだろう。
第3に、長期的雇用は大学教育のあり方とも関係していると思う。
もともと特に文系の大学では、大学生があまり勉強せず、大学がレジャーランド化していると言われている。これは日本の大学生が怠け者だからではなく、日本では、長期雇用慣行の下で、社会人としての能力形成が主に企業内で形成されてきたからだ。企業は「大学で何を勉強してきたのか」を問うことはなく「入社後鍛えればどれだけ伸びるか」を見て採用者を決めている。そもそも大学教育に期待していないのである(このあたりもかなり単純化して記述しています)。
また、最近の大学事情を見ると、学部の学生は3年の後半になると就職活動に気が向いてしまい、学業に身がはいらなくなる。これも学生を責められない。長期雇用慣行の下では、卒業時の就職が人生で1回だけの勝負の時となる。それで一生が決まるとなれば、学業そっちのけで就活に励むのは当然のことだ。しかし、それによってせっかくの大学における勉学の機会が無に帰してしまっていることもまた事実である。
もし、スキル依存型の流動的な労働市場が形成されていれば、新卒の段階で、ある企業に入っても、いくらでもやり直しの機会があるのだから、スキルの充実の方に力を入れるようになるはずだ。
以上のように、日本型の雇用慣行はかなり広範にわたる日本の経済社会の諸問題と関連し合っている。もちろん、雇用慣行を変えれば問題がすべて解決するわけではないが、雇用慣行を変えていくことはこうした諸問題の解決のための負荷をかなり軽減することになるだろう。
(日本型雇用慣行は、人口オーナスへの対応という観点からも大きな問題となっています。次回はこの点について考えます。掲載は、11月14日の予定です。)