魅力的な低音と的を射た“毒舌”でテレビ番組の司会やコメンテーター、審査員などでも活躍した藤本さんが逝った。
浪速大(現大阪府立大学)経済学部在学中からシナリオなどを手掛け、ラジオドラマ「つばくろの歌」で1957年度芸術祭文部大臣賞を受賞。才能を買われ卒業後は宝塚映画に入り、「駅前シリーズ」などのシナリオを執筆。「20代にはシナリオ3000本書いた」と話していたほど。62年から放送作家として独立して「法善寺横丁」などを執筆した。
そんな藤本さんを一躍、全国区にしたのが日本テレビ系深夜番組「11PM」。端正なマスクと渋い落ち着いた声で、まさに“政治から性事”まで幅広い話題と豊富な知識で視聴者を魅了。放送開始の65年から放送終了の90年まで、大阪・読売テレビ制作分の司会を25年間、2520回にわたって務めた。
その傍ら、69年から大阪弁と上方的な発想を生かした軽妙な作風の小説を発表し、74年に「鬼の詩」で第71回直木賞を受賞。芸人や職人を生き生きと描いた人間ドラマをテーマに、数々の小説や評論で、多くのファンを魅了してきた。また、漫才集団「笑の会」を主宰し、上方の若手漫才師や漫才作家の育成にもあたっていた。
一方で、95年の阪神淡路大震災で親を亡くした遺児の心のケアにも取り組み、99年には兵庫県芦屋市にケア施設「浜風の家」をオープンし、理事長を務めるなど、社会派の一面も。大阪・岸和田市立浪切ホール総合監督や、日本放送作家協会関西支部長も務めた。
競馬とともに愛したのが阪神タイガース。2000年にはモーニング娘。に対抗して、元阪神の川藤幸三氏(63)やパーソナリティーの浜村淳(77)、タレントの坂田利夫(71)ら関西のオヤジでグループ「イブニング親父。」を結成。サントリーのCMに出演し、CM曲「夜の街へレッツゴー。」を歌ったこともあった。
最近では落語家の六代桂文枝(69)が、襲名直前の7月、藤本さんから「男は振り向くな すべては今」という色紙をもらい、襲名の迷いが吹っ切れたと明かしていた。
作家の故司馬遼太郎さんから「ギイッちゃん」の愛称で呼ばれ、かわいがられていた藤本さん。「人生は己を探す旅である」の名言を残し、世の男性のあこがれにもなったダンディーな姿は、もう見られない。
★競馬歴50年以上「週刊ギャロップ」に寄稿も
プロ野球と競馬は「わが人生の歳時記」と公言していた藤本さんは、50年以上の競馬歴を数える筋金入りの競馬ファン。サンケイスポーツが発行する競馬誌「週刊ギャロップ」の臨時増刊「重賞年鑑」では、2003年、04年の豪華布陣によるGI回顧に登場し、ともにアドマイヤグルーヴが優勝したエリザベス女王杯の思い出を執筆。03年では「競馬は1年間にJRAと地方競馬合わせて約3000レース以上やるが、それらの勝率は手帳にびっしり書き込んでいる」と綴り、妻でタレントの藤本統紀子(76)と夫婦で競馬を楽しんでいた。
(紙面から)