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UEI/ARC shi3zの日記 RSSフィード

2012-10-30

ダークツーリズム  今の20代は今の被災地を見ておくといいんじゃないか

東浩紀さんの「福島第一原発観光地化計画」の取材合宿として、先週末の二日間、福島県南相馬市に行って来た。


公式ニコニコチャンネル

http://ch.nicovideo.jp/channel/fukuichikankoproject


一日目は現地の人たちとのディスカッション、二日目は実際に市役所の方の案内で警戒地域や被災地域の現状の視察、というスケジュールで、一日目のディスカッションでは様々な角度からかなり活発な意見が交わされた。


そして二日目、いろいろな場所が順調に回復し、空間線量も1/3程度にさがっているなか、被害にあった真野小学校などを視察すると、言葉を喪った。

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ここはまだあの日のままだった。

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3月でとまったままの予定表。

打ち捨てられたトロフィや準備中のままの卒業式。


ここでささやかに暮らしていた児童たちの日常は一瞬にして奪われてしまったのだ。

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南相馬市の小高区になるとまだまだ復興への道のりは遠い。

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ボランティア活動センターに人影がない。

一年半という月日が経過して、もう僕たちはこの悲劇を忘れようとしている。



これは遠い外国で起きた話ではない。

東京からわずかに4時間。

目と鼻の先で起きた出来事だ。


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立ち入り禁止区域は原発まで10kmの地点まで近づいた。

ただし南相馬市には未だに居住制限区域が多い。一時立ち入りは可能でも、夜間の居住は認められていない。


立ち入り禁止区域に近づくと、警官が「危ないから早く帰ってください」と丁重にいなしてくれるという。

本当に危ないのは、そこにずっと立っている彼らの方なのに。


各都府県の県警から未だに応援が来ていて、交代で哨戒任務をこなしているらしい。



僕が福島の被災地に来たのはちょうど一年ぶりくらいだ。

震災からかなりの時間が経っているにも関わらず、未だ進まない復興。

現地の方々は、それでも健気に日々の生活を取り戻そうと奮闘を続けている。


あちこちに掲げられた「がんばろう!」の旗や看板。

「自衛隊、警察のみなさん、ありがとう」という垂れ幕。


日本はどうすれば良くなって行くのか、この現状を目の当たりにするといよいよ頭を抱えてしまう。


僕は社会起業家ではない。

公共の福祉みたいなものを商売の種にするつもりはない。


しかし現実に目の前で起きていることに対して、自分ができることがほとんど何もないということに関しては大きな焦りと苛立ちを感じる。


寄付やボランティア活動だけで救済できるというレベルを超えているのだ。

もちろん常に放射線の恐怖もある。


ある程度の覚悟を決めて来て、なんども被災地を訪れている僕のような人間とて、原発まで10kmという地点で窓を開けるのは勇気が必要だった。なにしろレントゲンすら怖い人間なのだ。僕というのは。


0.3マイクロシーベルト時、東京の約10倍の線量だ。

短期間にこのくらいでは人体にはほとんど有害とは言えない。

あたまではくどいほど解ってる。にもかからわず、だ。


実際、今回の福島往復全体を通したトータルの積算被爆量は津田さんの測定によると2マイクロシーベルト(シーベルト時でないことに注意)。

レントゲンが50マイクロシーベルトだからレントゲン一回よりは遥かに少ない。


経営者として、こうした現状を目の当たりにしてなにか僕にもできることがあるのではないか。

自然とそういう発想に頭が行くのである。


なにしろ商売が全滅に近い状態となった場所なのだから、なにか全く新しいことをやらなければ始まらない。

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かしま福幸商店街。

ここは仮設商店街として地元の人に愛されている。


ラーメン屋さんやお惣菜やさんのような生活必需品のお店だけでなく、写真館や花屋さんなど、生活を豊かにするお店が並んでいることに感動した。


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潰れたクルマを見る度に心が痛む。

このクルマだって、きっと誰かの宝物だったに違いない。


被災地に来ると、なんともいえない気分になり、溜まらず魂を揺さぶられる。

なにかしなければという気持ちになる。


僕たちはここから何を学べるだろうか。

僕はここになにが貢献できるだろうか。


被災地にあるのは日本の現実の最前線だ。

僕たちは長い時間をかけて、この現実と戦って行かなければ成らない。


悲劇を目の当たりにして自分の中に刺さるものを考える。


まさにダークツーリズムだ。なるほど。

これが東さんの考える、福島第一観光地化計画なのか。



僕は今の20代の人に、ぜひ今の福島を見ておいてほしい、と思った。

なにしろ彼らが生きる21世紀前半の日本の物語というのは、この悲劇とどう戦って行くかという物語なのだ。


周辺地域の線量が十分さがるまであと25年かかると言われている。

今の20歳が45歳になるまでかかるわけだ。


であれば今のうちに、我々がなにを誤ったのか、いや、そもそも誤ってなど居なかったのか、それを感じるため、その目で見て、その場を体験してこの震災の凄まじさを実感してほしい。



放射線の危険性を考えるなら、福島よりもっと北側でいい。

相馬郡新地町や、岩手の陸前高田市など、津波の被害だけでも相当なダメージを受けて立ち直れていない場所はいくらでもある。その現実を見てほしい。


それが心の中の何かを動かすのは間違いない。いい方へか悪い方へかはわからないが、この悲劇を前にして自己中心的な考えに陥る人は僕は居ないと思っている。


一人一人がより良い社会のあり方を考え、日々の仕事に目的を持って励む。

それが全体としてポジティブな日本を作るようになってほしい。


そう願っている。