※ 語っても黙しても、会員の心をつなぎとめられない創価学会の”ジレンマ”。
創価学会員が法華講へ奔る勢いは、私の想像を超えています。
わが講中では毎月のように請願目標を達成し、年単位で見れば目標をはるかに上回る数の入信者があります。
つまり、達成できない月があっても、そのほかの月が目標を上回っているため、年全体で見るとむしろたいへんな好成績になるわけです。
創価学会からの入信が最も多く、次いで一般の方、次いで顕正会等です。
と言っても、講員は厳しいノルマを課せられるでもなく、折伏行にいそしむ人は自ら進んで、またお仲間の誘い勧めによって立ち、思いがけぬ成果に仏様のお導きを感じますます強盛に信心を致す姿となります。
いっぽうで、講中が急速ににぎわうということは、活動等を熱心に行なう人の率はむしろ下がります。
義務付けノルマが無いので、あくまでも信徒の自発自由意志に頼むがゆえです。
それでも、おして折伏行に励む方々への諸天の守りは堅く、一見すれば悪しき出来事も、後の利益に変じますます信心を強め、いきおい講中は歓喜の渦となります。
要するに、功徳を頂けるという実証があるからこそ、共に勧めあい折伏行の隆盛はとどまることがなくなるわけです。
全て御金言のとおり。
されば私のような莫迦でもこの道の正しさを実感確信するにいたるというわけです。
そうした講中の実情は、あるいは間者(スパイ)を通じて創価へ届くでしょう。
それを受け創価は、魔によってグズグズにされた脳みそを無理矢理押し動かして、なにかしら対策めいたものをひねり出す場合があるようです。
そのひとつと目されるのが、昨今の聖教新聞における紙面の変化です。
少し前までは、おおよそ3日に1回のペースで掲載されていた”宗門の悪口”が、ここへ来てパタリと見えなくなっています。
考えてみれば、聖教新聞はかつては「三大紙と肩を並べる!」と荒唐無稽な”目標”を掲げ、会外すなわち一般人への販拡が行なわれてきました。
つまり一般人に読んでもらわなければ部数は増えません。
ところが、わかりやすい例を挙げれば、「富士宮市での啓蒙は必要ないの?」という疑問が浮かぶことがあります。
「大石寺は没落の極み」とか、「桜の木はほとんど残っていない」とかのウソを書けば、地元の方々は、むしろ離れている講員よりもそのウソの”ひどさ”に如実に気づくわけですから、大石寺周辺の地域では、一般人から鼻をつままれ塩を撒かれることはあっても、聖教新聞を購読しようなど夢にも思われないのが当然の結果となります。
第一に、「新聞がたびたびウソを書いて良いのか?!」という、素朴な疑問に突き当たる人はむしろ多いことでしょう。
疑問はほどなく怒りとなり、嫌悪感に変じるでしょう。
お金を出して虚偽情報を読まされるのでは、たまったものではないからです。
こんな当たり前のことに気づくのに、創価学会聖教新聞は、何十年を費やしたのでしょう。
そしてこんにち、法華講員個人、末寺や講中が手がけるサイトが増え、また各地でチラシ配布が盛んになっています。
つまり、聖教新聞などの創価側の媒体が力を失い、日蓮正宗側の情報伝達媒体が量と力を増している現実があり、今後ますます盛んになる趨勢が見えるのです。
たとえば創価新報は、会員全員が購読しているわけではありません。
より多くの会員へ”宗門の悪口”を読ませるために、聖教に載せるという着想なのでしょうが、それは”邪宗と闘う創価”というイメージの伝達という恣意を含んでいます。
それを一般人にも伝えるという安易な思考からの”失策”だったのでしょうが、そもそもウソを書いては会員とて眉をひそめるが当然の道理です。
つまりは逆効果。
創価学会とは、誰も頼みもしないのに自ら進んで自らの墓穴を掘る、頭破作七分の”ウソつきニセ宗教団体”であることは疑いようもないことです。
2012年10月29日
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聖教新聞に見る”軌道なき右往左往”〜ウソを平気で連呼する気狂い新聞ここにあり!
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