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2012年10月30日(火)付

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臨時国会開幕―報復の連鎖を断ち切れ

異常な幕開けである。きのう、臨時国会が召集され、衆院本会議で野田首相の所信表明演説があった。ところが、参院はこれを拒否し、各党の代表質問も行わない[記事全文]

再審無罪へ―15年の検証が必要だ

事件が突きつけた課題にどう向きあい、信頼回復につなげるか。刑事司法にかかわるすべての人の姿勢が問われている。東京電力の女性社員が15年前に殺された事件のやり直し裁判は、[記事全文]

臨時国会開幕―報復の連鎖を断ち切れ

 異常な幕開けである。

 きのう、臨時国会が召集され、衆院本会議で野田首相の所信表明演説があった。

 ところが、参院はこれを拒否し、各党の代表質問も行わないという。憲政史上、例のない事態である。

 参院は先の通常国会で首相の問責決議を可決した。だから首相の発言は聞くに値しない。自民党など野党側が、そう唱えたためだ。

 政権にどんな問題があろうとも、あくまで審議を通じてただしていく。それが国会の役割ではないのか。怠慢というほかはない。

 自民党としては、野党が多数を握る参院で野田政権を揺さぶり、衆院の早期解散を迫るのがねらいだろう。

 だが、予算執行に不可欠な赤字国債発行法案や、衆院の一票の格差是正の「0増5減」法案などの処理は喫緊の課題だ。

 参院自民党には、ただちに審議に応じるよう強く求める。でなければ、参院不要論に火をつけ、結局は自分たちの首をしめることになる。

 そもそも「ねじれ国会」が続くなか、参院が政権の命運を左右するほどの力をふるうことが、今回の異常事態を招いたともいえる。

 問責決議を理由に審議を拒んだり、重要法案を人質にとったりするのでは、政治の混迷は深まるばかりだ。

 首相は、所信表明演説で赤字国債法案を駆け引きに使う悪弊を「ここで断ち切ろう」と訴えた。私たちも同感だ。

 赤字国債発行法案は予算と一体で成立させる。問責を決議しても審議には応じる。

 そんな慣例やルールをつくり、政治を前に進める。臨時国会では、そのことに与野党あげて取り組むべきだ。

 一方、首相も野党に求めるだけでなく、譲るべきは譲らねばならない。

 足元の民主党の惨状は目を覆うばかりだ。

 28日の衆院鹿児島3区補選では、民主党推薦の候補が自民党前職に敗れた。離党者も止まらず、きのう新たに2人の衆院議員が離党届を提出し、単独過半数割れまで3議席となる。

 政権に、難局を打開する力が残っていないことは明らかだ。

 自民、公明に再度の党首会談を呼びかけ、解散時期についてより踏み込むなどして、協力を求める。そして互いに報復し合う連鎖を断ち切り、政治を動かす道筋をつける。

 それこそが、野田政権の仕事ではないか。

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再審無罪へ―15年の検証が必要だ

 事件が突きつけた課題にどう向きあい、信頼回復につなげるか。刑事司法にかかわるすべての人の姿勢が問われている。

 東京電力の女性社員が15年前に殺された事件のやり直し裁判は、検察側が「被告を有罪とは認められない」との意見を述べて、ただちに結審した。

 現場に落ちていた体毛、被害者の体内に残された体液、そして爪の付着物。この三つから、被告ではない人物のDNA型が検出された。いったん無期懲役が確定した被告に、来月7日、無罪が言い渡される。

 6月の再審開始の判断は、最初の二つの鑑定結果が大きな根拠になった。逆転をねらった検察は8月に爪の鑑定を嘱託。これが、当の検察に誤りを認めさせる決定打となった。

 だれもがおかしいと思うだろう。弁護側は5年以上前から、「爪に犯人の皮膚片などがついている可能性がある」として、鑑定を求めていたのだ。

 このほかにも検察には、証拠隠しと批判されて当然の振る舞いがあった。こうした背信行為をゆるさない仕組みを、急ぎ整えなくてはならない。

 ところが検察は、捜査や公判を検証する考えはないという。とんでもない話だ。少なくともこの間の証拠開示に関する姿勢は、国民の理解を得られるものではない。「公益の代表者」として恥じる点はないと、本気で思っているのか。

 郵便不正事件など一連の不祥事で検察の信頼は地に落ちた。組織をあげての改革を口にするが、実態はこのありさまだ。体面を重んじ、批判をきらう独善的な体質は改まっていない。

 裁判所も問われる。東京高裁は、一審の無罪判決が指摘した重大な疑問点の解明をおきざりにしたまま、逆転有罪を言い渡した。この高裁判決は、多くの刑事裁判官に「緻密(ちみつ)に事実を認定している」と受けとめられ、最高裁も支持した。

 なぜ誤判に至ったのかを解明し、教訓を共有しなければならない。もちろん、その方法は慎重な検討が必要だ。政治的な思惑が紛れこんだりすると、「裁判官の独立」が脅かされ、将来に禍根を残しかねない。

 だがそうした懸念を口実に、この問題から逃げてしまっては不信は深まるばかりだ。

 いまは、ふつうの人が裁判員として有罪無罪の判断にかかわる。つまり、間違えれば市民が冤罪(えんざい)の加害者になる時代だ。

 無実の人を罪に落とさない。それは、これまでにも増して、重大で切実な社会の課題であることを忘れてはならない。

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