29年前の今日、私たちは軽井沢の聖パウロカトリック教会で結婚式を挙げました。1956年、私が1歳の時から半世紀以上神父を務められているカルロス・マルテイネス司祭から式前に説教を授かり、おごそかな雰囲気の中で式を終えることができました。
純白のウエディングドレス姿(妻が添乗した顧客の社長がしつらえてくれた特別なウエディングドレスでした)でヴァージンロードを歩く、若き日の妻の姿と、カルロス・マルテイネス司祭の祝福の笑顔が忘れられません。
結婚証明書も頂きました。現在は15,000組を超えているのでしょうが、私たちは、確か5,000番代の終わり当たりだったように記憶しています。
関連ブログ
軽井沢フォレスト
http://www.karuizawa-forest.com/spot/stpaulchurch.html
以後、軽井沢には何回も家族で訪れました。そして、かならず向かったのが中軽井沢駅前のそば店「かぎもとや」です。「かぎもとや」のそばを食べに軽井沢に通ったと言っても過言ではないかもしれません。
「かぎもとや」ホームページ
http://www.kagimotoya.co.jp/history.html
オリエンタルランド時代に、私が幹事になり、軽井沢のゴルフ場でコンペをした後に、「かぎもとや」本店の二階を貸し切り、表彰を兼ねたパーティーを開催したこともあります。ご主人から挨拶も頂戴しました。もちろん、「しめ」は天ざるそばです。
オリエンタルランドのゴルフコンペは、房総ばかりでしたので、この「非日常的体験」ゴルフコンペは、好評を得ました。
そばの話ではありますが、話はがらりと変わります。それは、母が打ってくれた手打ちそばについての記憶です。母は、例えば盆や彼岸など家に来客が訪れる時には、決まって手打ちそばをつくっていました。
まず、お酒が出ます。義姉の手料理を満喫した後の「しめ」は、そばです。母は、夕方にはそばを打ち終えていたと記憶しています。そして、食べるのはその数時間後です。
打ち立てではありません。表現すれば「乾いたそば」とでもいうのでしょうか。「ツルツル」と食すのではなく、「ゴワゴワ」と噛み入れるのです。そばつゆ(おしたじ)は、鰹だしのあっさりとした温かい「スープ」であり、わんこそばではありませんが、「スープ」とともに食したその味は忘れられません。
このそば打ち手法は、私が育った地域では共有されていたようであり、親戚の家でも「人寄せ」時には、よくこのそばが出されたと思います。
最後に、私のそば打ちについて簡単に記します。
よくチャレンジしました。つながらないこともあり、成功率は5割を切っていたでしょう。それでも、手打ちのそばを食べてくれる家族のために何回もそばを打ちました。オリエンタルランド勤務時代は、大みそかは、たいていの場合仕事であったために、年越しそばを打ったのは、退職後のことだったかもしれません。
いまでも、そばを打ちたい気持ちに駆り立てられることが時々あります。
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