がんの免疫療法 高額なのに効果未知数 [10/11/16]
体に備わっている免疫の仕組みを利用してがんを攻撃する免疫療法の研究が進められている。手術や抗がん剤、放射線に次ぐ「第4の治療法」と期待され、本やインターネットで効果を宣伝しているクリニックもある。しかし有効だと裏づけられた療法は、日本にはまだない。(岡崎明子、福島慎吾)
■「ひょっとしたら」と望み
埼玉県の看護師の女性は2008年3月、検診で胃に異常が見つかった。進行の速いスキルス胃がんだとわかったのは、その3カ月後だった。
県内の病院で手術することになり、事前に抗がん剤治療を受けた。しかし、がんが進行して、10月に転移が見つかったため、手術するのが難しくなった。翌年の4月末まで抗がん剤を変えながら治療を続けたが、がんは抑えられず、主治医からは「もう手だてがない」と伝えられた。
インターネットなどで情報を集めていた夫(68)は、東京都内で免疫療法をしているクリニックを見つけた。主治医から「お金を損するだけ」と忠告されたが、ほかの治療があるとも言われなかった。
患者の血液を採って、がん細胞を攻撃する血中の免疫細胞を増やしてから患者に戻す「免疫細胞療法」という治療法だった。1回の治療にかかる費用は30万円。4回繰り返したが、効果はなかった。
次に望みをかけたのが、横浜市内にあるクリニックだった。スキルス胃がん患者の症状がよくなり、海外旅行もできたというネットでの体験談にひかれた。「よくなりますか」と聞く夫に、医師は「あなたたち次第。効果が出る前に最低3カ月は見ないといけない」と答えた。
免疫を活発化させるという飲み薬や点滴の後、血管内に入れた管を通じて抗がん剤をがん細胞にかける治療を受けた。入院費も含めて、1カ月で600万円ほどかかった。しかし症状は悪くなるばかりで、治療をやめて退院した。
「ひょっとしたら、という気持ちを免疫療法に持った」と夫は振り返る。「今はだれにも勧めない。高額な治療費に見合うものではないと思う。治療法がなくて、路頭に迷っている人がすがっているのを許していいのか」
●再発…確認せず
名古屋市に住む女性(58)は昨年、卵巣がんの再発を防ぐため、市内のクリニックで免疫細胞療法を受けた。
08年12月に診断を受けた時には、すでにがんは転移していた。術前の抗がん剤治療を受けながら、勉強のため、インターネットや本で情報を集めていた。ちょうどそのとき、地元紙で免疫療法の記事を読んだ。試さずにすぐ再発したら後悔すると思い、無料相談に行った。
免疫療法の仕組みや効果など、1時間ほど話を聞いた。前年に再発を防ぐための治療を19人が受け、2人が再発したという。治療が新しいため、まだ論文になっていないとの説明も受けた。
計6回の治療を受けることを決め、約170万円の治療費を先払いした。昨年10月、6回目の治療を終えた。しかし医師からは、今後の予定などの話は一切なかった。看護師から渡された封書に説明書が入っているのかと思いきや「いつまでもお元気で」という手書きのメモ。ばかばかしくなり、自宅で破り捨てた。
「再発予防の治療なのに経過を確認しないなんて。私が再発してもクリニックは症例に入れないんですよ」。今年7月、再発がわかった。今は抗がん剤治療を受けている。
■研究40年 進まぬ臨床試験
有効性示せず保険適用なし
免疫療法は40年ほど前から本格的に研究が始まった。
採血して体外で免疫細胞を増やしてから体内に血液を戻す「免疫細胞療法」や、ワクチンを注射し、体内で免疫細胞を増やす「ワクチン療法」などがある=下図左。
いずれも公的医療保険は使えず、患者が医療費を負担する。免疫療法が保険で認められるには従来の治療法より効果があることを、大規模な臨床試験をして科学的に示さなければならない=下図右。
免疫細胞療法を専門にする瀬田クリニックグループは、これまでに約1万1千人の患者を診ており、「国内最大級の治療実績」を持つ。連携する医療機関も含め全国約60カ所で治療している。免疫細胞は、メディネットという会社が提供している。
治療費は6回で約160万円。治療をやめると半年から1年で効果が無くなるといい、効果を望むなら1~2カ月に1回は免疫療法を受け続ける必要があるという。
臨床試験も行っており、メディネットが大学病院に免疫細胞を提供、患者集めは大学病院、治療はクリニックが担う。しかし有効だという証拠を示せていない。メディネットの幹部は「資金が足りず臨床試験に参加する患者を数人しか集められないため、論文が出しにくい」と説明する。
瀬田クリニックはウェブサイトで治療を受けた患者の成績を公表している。腫瘍が小さくなったと判断できるのは1割ほど。瀬田クリニック東京の後藤重則院長は「抗がん剤に比べると、縮小効果は明らかに低い」と話す。治療後の経過を追うことのできた患者も約3割にとどまる。「追跡者が増えればもう少し数字は悪くなるかもしれない。免疫療法はがんを消すというより、従来の治療に上乗せして生活の質をよくするものだ」
京都市内のクリニックは5月から、レトロネクチンというたんぱく質によって免疫細胞を増やす免疫細胞療法をしている。すでに100人弱が受けており、半数は京都府立医科大から紹介された。
同大は昨年、患者9人に対して、この療法の「安全性」を確かめる臨床試験に取り組み、重い有害事象が出ないことを確認。そのうえでクリニックでの自由診療を「許可」した。生存期間や再発予防の効果は、わかっていない。
同大では肝細胞がんと食道がん患者に対して、有効性を調べる臨床試験を続けている。その他のがん患者が免疫療法を希望した場合は、クリニックを紹介するという。臨床試験は無償だが、クリニックでの治療は「臨床試験ではない」ため、患者は6回の治療で約150万円を支払わなければならない。
担当の准教授は「患者を放り出すわけにはいかない。従来の免疫療法より有効性が高いことは理論と動物実験で証明されている」と話す。
久留米大は99年から、がんワクチンの研究を続けている。その一つがペプチドワクチン療法。がん細胞の表面にあるたんぱく質の断片(ペプチド)を人工的につくって注射し、がんを攻撃する免疫細胞を増やそうという治療だ。
今年8月からは前立腺がん患者を対象に免疫療法と公的医療保険が併用できる「高度医療」の承認も国内で初めて受けた。科学的データを集めるのが目的で、並行して実用化に向け大学発のベンチャー企業でも研究が続く。このベンチャー企業のこれまでの開発費は約40億円という。
「日本では医師の裁量が認められており、どんな治療も自由診療でやれば問題ない。営利目的で治療している医療機関は、あえてお金のかかる臨床試験をしないだろう」と同大先端癌治療研究センターの山田亮所長は指摘する。
山田所長によると、保険適用に向けた臨床試験の条件は厳しく100症例で億単位の費用がかかる。免疫細胞療法はワクチン療法に比べ費用が高く質にばらつきも出る。このため試験をしても保険適用は難しいと予測する。
●「治療法ない」が追い詰める
国立がん研究センター中央病院腫瘍内科の勝俣範之医長の元には、免疫療法を受けている多くの患者がセカンドオピニオンを求めに来るという。どうしても免疫療法を受けたいという患者には、きちんと計画された試験を無償で実施している医療機関を紹介。有償の所には行かないよう伝えているという。
「免疫療法はまだ、がん治療の標準治療にはなっていない。効果が確かでない治療を患者に行う場合は、すべて臨床試験としてやるべきだ。未承認の治療は、患者を実験台にしてデータを取るのだからせめて無償が原則だ」
がん患者の心のケアを支援するNPO法人ジャパン・ウェルネスの大井賢一事務局長は、「ほかに治療法はない」という医師の言葉が患者の希望を奪い、効果が不明な治療に走らせていると話す。
大井さんは「再発転移後の治療法の選択は、患者の価値観で決まる。高額な治療法は効くと思いがちだが効果があるなら保険が適用されるはず」と指摘する。そのうえで「医師は治療イコール治癒と思いがちだが痛みを取る緩和ケアも治療だ。患者に寄り添いながらかかわることで、患者の選択も変わってくると思う」と話している。
(2010年11月16日付 朝日新聞朝刊から)
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