イシバシ評論トップへ戻る
 「しんかんこてんほめごろしかきてのじごく」へ戻る

片野真佐子『皇后の近代』
講談社選書メチエ 2003年

渡邉里紗

  
 待望の片野真佐子の皇后論が出た。誰が待っていたのかはわからないが、少なくとも私は待っていた。なぜなら、いろんな本に載っている片野氏の論文を探すのが面倒だったからだ。美子(はるこ)皇后(明治天皇の妻)から節子(さだこ)皇后(大正天皇の妻)、そして良子(ながこ)皇后(昭和天皇の妻)までの三代にわたる皇后論。片野氏は、この個性豊かな三人について、詳細な研究を行っている。  
  とは、いうものの、片野氏の主眼はやはり、近代の皇后を誕生させた美子皇后に向けられている。4章分を美子皇后に、2章分を節子皇后に割き、良子皇后については最後の1章だけである。片野氏の皇后論の研究が「近代皇后像の形成」、美子皇后の研究から始まっているのだから、無理もない。本書は「近代の皇后」ではないのだ。『皇后の近代』なのだから。  
  皇后に最も求められること、それは世継ぎを生むことである。皇太子妃雅子にかけられたプレッシャーからも見てとれるように、現在でもそれは変わっていない。しかし、近代になってはじめての皇后、美子皇后は、早速その役割を果たすことはできなかった。欧米諸国に習って近代化を推し進めたい日本であったが、宮中は依然として前近代の風習、側室制度が残っていた。明治天皇は一夫一婦多妾制であった。美子皇后は奥にいる女官たちを束ね、宮中の近代化にも率先して取り組み、妻として、皇后として求められた役割を立派にこなしていく。「天皇=軍事」に対し「皇后=文化・学事・慈善」、といった性別役割分担を踏まえ、近代の皇后像を確立していく。しかし、実子を産めなかった美子皇后は、側室の柳原愛子が産んだ皇太子嘉仁を満8歳で儲君とし、実子とすることでなんとか「母」になった。美子皇后は、一夫一婦多妾制という公然の秘密を保持しながら、天皇との麗しき夫婦像を演じ続けた。  
  それにかわって、節子皇后は結婚後立て続けに4人の男子を産み、名実ともに天皇の妻として、皇太子の母として、近代の皇后像を確立していく。4人の男子を産みえた節子皇后は、側室を持たない、近代的な一夫一婦制モデルとして国民の前に姿を現した。病弱な天皇を支え、4人の男子を立派に育て上げた節子皇后は、宮中内で発言力を強めていく。大正天皇死去後は、慈善事業に力を入れる「神ながらの道」に邁進し、慈悲深き女性像を国民に示していった。  
  「女腹」と言われながらも、二男五女を産んだ良子皇后は、宮中改革に勤しむ裕仁皇太子(後の昭和天皇)と、宮中の伝統を守ろうとする姑節子皇后との板ばさみに苦しみながら、日中戦争、第二次世界大戦期には良妻賢母の先頭に立ち、国民を動員していく。  
  本書において片野氏は、仮面夫婦であった美子皇后、大正天皇の病気に悩んだ節子皇后、時代の波に翻弄され、夫と姑の板ばさみになった良子皇后それぞれが、「お気の毒」な要素を持っていたと述べている。美しく、やさしく、しかも「お気の毒」であった皇后たちは国民の心を魅了していったのだと。確かに、美智子皇后も雅子皇太子妃も「お気の毒」要素は充分に持っている。  
  しかし、全体を通して美子皇后や節子皇后を、「すごい、すごい」と言い過ぎてるんじゃないかとも思う。特に節子皇后に関しては、片野氏が「このような節子に、私は吸い寄せられる」と述べているように、随所でかなり賞賛している。美子皇后に関しても「理知の人、意思の人であり、明治という時代を颯爽と駆け抜けた人であった」(5p)と表現し、常に美子の聡明さを強調する。確かに、皇后なんて賢くて人格者でないと務まらないのかもしれない。国民に与えた影響も大きいだろう。でも、本当にそうだろうか。皇后たちは常に立派で「お気の毒」な人たちなのだろうか。皇后が自らの役割を積極的に受け入れ、取り組んでいたとの記述は見られるものの、やはり「すごかった」部分の強調が多いように思われる。もう少し一歩踏み込んだ、皇后の「ダメな」部分も述べてほしかった。それに前半の調子よさが後半ではかなり失速する。特に良子皇后に関してはあまり詳しく述べられていないし、美智子皇后についてもほんの少ししか触れていない。その点は少し残念である。  
  もう一度言おう。本書は「近代の皇后」ではない。『皇后の近代』である。私は本書を本屋でちらりと見かけて、その後アマゾンだかなんだかのネットで購入しようとし、間違えて「近代の皇后」と入れてしまった。それまでの片野氏の論文では「近代皇后」というのがタイトルに入っていたため、勝手に「近代の皇后」だと思い込んでしまったのだ。しかし本書は『皇后の近代』である。「近代の」皇后についてではなく、「皇后の」近代なのである。1903年(明治36年)生まれの良子皇后についての記述が少なかったり、生まれたのがすでに近代であり、宮中入りしたのが戦後の美智子皇后(1934年(昭和9年)生まれ)については最後にほんの少し触れるにとどまったり、戦後生まれの雅子皇太子妃については全く触れていないのもしかたないことである。雅子皇太子妃はまだ皇后ですらないのだから。それに美智子皇后については、川村邦光の『オトメの行方』に詳しく載っているし。  
  片野氏の『皇后の近代』は、「皇后の」近代化について知るには、良書と言えよう。いやいや、本当に。読みやすいし、詳しいし。今後、より詳しい良子皇后についてや美智子皇后について、更には皇后だけでなくより一歩突っ込んだ天皇・皇后両者についての論を片野氏に期待したくなる。




ページのトップへ