【主張】技術流出 官民で阻止する態勢作れ - MSN産経ニュースとかという記事を読んで笑っちゃったので。
だいたい、何人かの技術者を引き抜いて、週末に働かせれば技術が盗めるとか、そう簡単な話だったら、小規模の日本の同業者がトップ企業の技術者の二番手三番手を引き抜いて、いきなりメジャーになれてますって。技術者を引き抜いて、新たな技術を作り出せる優秀な技術者には以前在籍していた日本の会社とは比べ物にならない厚遇をして、そうでない技術者はあっさり首を切って、そしてそういった優れた技術者がクリエイトした技術を生産に結び付ける基盤があって、それで初めて「技術流出」が可能になるわけです。そういった態勢を作ることができた韓国の経営者の手腕こそが問題なのだと思います。なんだか秘密保持契約とかそういう小手先の芸で技術流出を防げると思っているのはお気楽すぎると思います。
実際、私の周囲でも韓国にスカウトされていった技術者の話を聞きますが、本当に優れた技術者が韓国に行くのは、元いた会社が、その技術者の分野を「選択と集中」とやらで切り捨てにかかったとかという事情があったりして、そうでない事情で行くのはやはり技術者としての社内の評価は二流三流で、でも最初はみな前の会社とは比較にならない高給を得て、それでやっぱり韓国の企業が大事にするのは本当に優れた技術者であって、そうでない人たちは2〜3年で首になって… ということらしいです。如実に、経営力の差が表れているように思います。本当に優れた技術者を手放したくないなら、優れた技術者の優れた面をきちんと見出して、そして他の凡百の技術者とはちゃんと差をつけた処遇をして、本人に「この会社でずっと仕事をしたい」と思わせるようなやる気が出る仕事を与えて、といった優れた経営が必要だと思うのです。
最近、ルネサスに最大5千人の追加削減要請 革新機構 - MSN産経ニュースというような記事もみますが、こういう感じでつぶれた会社が徐々に人的資源を切っていくのも考え物で、こういう下手な経営をしていると、優れた技術者から順番に市場に出て行ってしまうわけですね。そうならないように、会社丸ごと買い取って、ダメな技術者をどんどん切っていく、そういった経営技術がある会社が日本には少ないからこういった事態が発生し、きっとルネサスの優れた技術者の一定割合は、競合の海外企業にスカウトされていくわけでしょう。
優れた技術と優れた技術者が日本に残らない理由、それは、技術者の目利きをできない、あるいはしてもそれにふさわしい処遇をできない、ふさわしい仕事を与えられない経営の問題のように思います。そして、競合の韓国は、それができている。
日本が本当に技術流出を防ぎたいなら、経営者を鍛え、選抜するような社会制度を、国策として考えるべきだと思います。
まあ、それは既存の日本経団連とかの経営者にとっては好ましくない話なのでしょうから、経済産業省のように日本経団連と骨がらみの関係を結んでしまった官庁にはとても期待できない「国策」ですが。
(参照図書)
V字回復の経営―2年で会社を変えられますか (日経ビジネス人文庫)
巷で評判の自民党のシャドウキャビネットを見ました。
いろいろ批判がされているようですが、私としては、一番大切なのは「内閣総理大臣」のところだと思いました。
それにしても、このページのはてなブックマークページ(ここ)に谷垣氏の写真が出ているのは、谷垣氏に対するある種の誹謗だと思いました。
(参照)
昨日のエントリで少し示唆した話なんですが、感想欄などを見るとやっぱり警察・検察を他人視して非難しているコメントが結構あって脱力したのであえて書きます。
この文章を読んでいる人の中で、以下のような考えは正しいと思っている人はいませんか?
こういう人は、「かけられた嫌疑を、早く認めてごめんなさい、すればするほど、課される制裁が軽く」なる日本の司法システムと、それを運営している警察や検察や裁判所を暗黙の裡に支持しているのですよ。
逆に言うと、検察や警察、あるいは裁判所は、そういう国民が大多数だからそういう訴追の仕方をするし、そういう判決を書くのですよ。
もちろん、そういう仕組みには一定の合理性があり、やはり、情状酌量という手段を用いて、個々の犯罪者が早く反省して社会に復帰することを促進することが、社会全体にとっては合理的であるというのは紛れもない事実だと私だって思います。
そして、警察や検察は、別に自分たちの論理だけで「日本の司法自体に、実際に罪を犯していようがいまいが、本人にとって罪を認めるほうが得であるというインセンティブシステム」を構築しているわけではなく、むしろ大多数の国民が信じる正義を実現するために、そういう風に法律を運用しているわけです。
だから、昨日のエントリのような文章を読んで、警察や検察を他人事のように批判する人は、自分の内なる関与に無頓着である可能性が結構あって、なんだか私としては、そういう他人事の偽善がまかり通っている限り、おかしなインセンティブシステムの行き過ぎにはブレーキがかかりにくいんだろうな、と思ったりします。
少年の自供誘導か…上申書、詳細すぎる記述 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
朝日新聞デジタル:「早く認めた方が有利」 誤認逮捕の学生に神奈川県警 - 社会
など、警察の捜査がおかしかったのではないか、誘導だったのではないかという批判がなされています。
典型的にはPC遠隔操作事件が白日のもとにさらした、警察の自白強要‐anond.hatelabo.jpあたりの記事が指摘するところです。
私もそれはその通り、と思います。個人的に、詐欺の被害者として警察の取り調べを受けたときに似たような経験があるので。まあ被害者なので、被害感情の峻烈さとか落ち度がなかったことの強調とかを小学校の教科書のような日本語で書かれて、俺はこんな頭悪い話し方は一回もしたことないぞと思いつつハンコをついたという経験ですが。
でも、実はこのいきさつが示唆する問題点は、もう少し根深いものがあると思います。
いみじくも上記朝日新聞の記事に書いてありますが、「早く認めれば処分も有利になる」という言葉です。
日本の司法においては、一部で知られた事実ではありますが、かけられた嫌疑を、早く認めてごめんなさい、すればするほど、課される制裁が軽くなります。そして、裁判の判決の日まで犯行を認めずに否認しとおしたら、裁判所の判決ではしばしば、やった奴が自分の罪も認めずに強情に否認をし続けるとはけしからんので罪を重くするとかというコメントが出てきます。裁判員制度の導入まではこのような判決が横行していましたし、裁判員制度が導入されてからも変わったという話は聞かないので、ひょっとしたら裁判員もそういう考えに同調しているのかもしれません。
でも、本当に罪を犯した人が、しらばっくれてやってないと言い逃れるのは確かに「盗人猛々しい」という評価にふさわしいと思いますが、もしこれが冤罪だったらどうなるでしょう? 警察も検察も誤解して訴えたのに、無実を確信して、なんせやってないんだから、と思って裁判所で主張したら、裁判官が「けしからんので罪を重くする」と判示するこの理不尽。
さらにその前段で、判事と同じような専門的訓練を受けてきた検事が同じような判断をしているからこそ起訴されるわけです。実際、被害者の証言に多くを依存するがために冤罪の温床と言われる痴漢事件などでも、最初からごめんなさいした人は起訴猶予になり、最後まで争った人は起訴される実態があります。ごめんなさいした人でも、争った人でも、やったことの中身は変わらないわけで、そこで差をつけるのが本当に合理的なのかどうかという疑問があるわけですが、実態的には、最初にごめんなさいするほうが有利な運用がされています。いみじくも、冒頭の記事に掲載されている大学生は保護観察処分になっているわけですが、これが最後まで否認して争ったら、嘘のIPアドレスの証拠で起訴され裁判にかかり、今頃ひょっとしたら刑務所にいたかもしれないわけです。
とすると、問題は、単に警察の強引な捜査だとかでっちあげにあるだけではなく、そもそも日本の司法自体に、実際に罪を犯していようがいまいが、本人にとって罪を認めるほうが得であるというインセンティブシステムが埋め込まれていることにあります。闘ったらブタ箱で、認めれば起訴猶予の保護観察処分、ということであれば、普通なら認めますよね。警察の誘導に従ってでも。問題なのは警官の誘導だけではなく、その誘導を力あるものにしている日本の裁判の判断そのものにあると思うのです。
そして、そのような日本の裁判の判断を、日本人は最高裁判所裁判官の国民審査制度を通じて認め続けてきました。またもし裁判員制度によってもこのような判断の仕方をひっくり返せないのであれば、警察・検察にいったん目をつけられたとたんに、嘘であろうがホントであろうが罪をとっとと認めたほうが有利である、という冤罪生産システムを、日本国民として支持し続けているということになります。
警察の愚かさを指弾するのはいいけれど、最後はそれ、自分たちにかぶってくるんですよ?
(参照図書)
そしてそんな日本の司法文化を全面的に礼賛する本がこんな感じで出版されています。
「そんなの知らないよ」と彼女は - デマこいてんじゃねえ!を読みました。
このエントリでは、非常におおざっぱに言えば、この世の中で生き延びていくために、「交換不可能な人材になる」ことを目標として掲げ、そのために「自分にできるニッチを複数組み合わせて持つこと」と「自分にできることは、何もしなくていい時にしていることであり、それこそを仕事にすべき」と言うことを主張しています。
でも、それって何かの罠だよね、と私などは思います。基本は、まあそうなんだろうねえ、って同意するんですが(そういえば私自身以前に別の視点から似たようなエントリを書いた)、細かいところにごまかしがあるというか。でもその細かいところにこそ差を分ける何かがあるというか。
たとえば、レトリックの問題なのかもしれないけれど、「交換不可能な人材になる」ってねぇ。労働市場ってことで見ても、交換不可能な人材って存在するんですか? 総理大臣だって、候補とされる人はたくさんいて、今の人が突然世の中からいなくなれば、代わりの人がすぐ出てくるんですよ。ちょっとした知識を分野横断的に複数持ってたからと言って、その知識が本当に世の中で金になると分かったとたんに、その知識を習得してチャレンジしてくる人が無数に湧いてくるのが現代社会です。そういうように、労働市場では常に自分は交換可能であるという冷徹な自己認識のもとに、そんじゃどうすればよいか、ってのを考えるんでなければなりません。
単に交換不可能になりたいから複数のスキルを身に着けたいっていうだけなら、婚活をやめて浮いたお金で英会話学校に通いながら保育士と宅建とフィナンシャルアドバイザーの資格を取るために勉強している34歳独身♀@保険会社の正社員*1は、正しい戦略を踏んでいるという評価になってしまうわけです。私はこの保険会社の正社員が、彼女のありたい姿に向かって正しい努力を踏んでいるとはとても思えないんですが。
ここでいう交換不可能性ってのは、要は、今の仕事を誰かに代わってやろうと思ったときに、今の給料と仕事内容でだれかどうよ?って聞いたら1億数千万の日本人が何人手を挙げてくるか、という話であり、それが少なければ少ないほど交換不可能に近いって話でしょう。でもそれって、同じエントリで否定的に取り上げられている「頓智ドットを退職した‐@suniのブログ『ニートですが?』」のように、滅私奉公、場合によっては低賃金での勤労をも正当化してしまう。心を病むほど、あるいは最低賃金ぎりぎりの値段で働くのであれば、「代わって!」と声をかけたときに手を挙げてくる人は少なくなる。やったー、交換不可能だ! でもそんな交換不可能性、意味ありますか? そんな交換不可能性、すなわち、かけがえのない私、ってやつを追い求めると、心を病んだり低賃金労働に甘んじたりするわけです。
かといって、では、今ほっといてもやって楽しいことが仕事になるかというと、世の中そんなに甘くないです。そのことを、私らしく生きていればかけがえのない私になれる!って主張だよ、って言い換えれば、その甘さがお分かりになるでしょうか?
たいがい、自分でほっといてもやってるようなことは、金になりません。金にしたいのであれば、それは意図的に金にしようと思って道を選ばないと、行き当たりばったりでやれることなんて、しょせん、どこかの卓越した人材がすでに歩いている道を後からついていくことになってしまうだけです。そこには意図的な戦略がなければならないことを、冒頭のエントリは意図的にかどうなのか、あえて書いていないように思います。大概の人は、与えられて初めて、ああ、これだったら自分でも空いた時間にでも好きに取り組めるかも、と思うのであって、自分でそれを探し出すのは、宝探しに近い戦略性と僥倖が必要だと思います。
生存戦略なんて、ほっといて湧いてくるものの中には存在しないんですよ。自分で意図的に探さなくては。
*1:私の知り合いに実在する個人です
日本共産党の機関紙赤旗のこの記事とその感想欄、ついでにこの記事を読んで疑問に思ったので書きます。
赤旗の記事を読んでNECのやり方をひどいと思った人、当然、中高年がろくな働きもないのに会社でのうのうと高給を食んで君ら若いSEをこき使うのはOKと思ってるんだよね?
このようないわゆる「リストラ」で切られるターゲットにされるのは、多くは、企業内で十分な働きをしてないけれど年齢相応の高い給料をもらっている社員です。彼らは、日本の労働慣行、あるいは裁判例で示された解雇要件に守られて来ました。NECのような大企業では、今のような状況に至っても指名解雇や整理解雇を実施するのは難しいです。赤旗で批判されているようなやり方をしないと、働きが悪い中高年を切ることはできません。NECのやり方をひどいから止めるべきと思った人、今の日本の労働慣行では、それはろくな働きをしない中高年を守るということを意味します。
実際、この赤旗の記事に出た人がどうかは知りませんが、一般的に、大企業でのうのうと高給を食む中高年って、びっくりするくらい仕事に対するやる気はないし、仕事の能力も低いです。こういう人でも、日本の労働慣行や判例に守られてきているのです。まあ私自身も、無能なのに大企業でのうのうと禄を食む中年なわけですが。
この会社側の対応が頭が悪いように思えるとしたら、それを強いている日本の労働慣行や判例そのものに思いを致したほうがいいように思います。そして、その労働慣行や判例に自分の雇用が守られているのだ、ということも。
(参照図書)
安倍晋三氏、そこまで言って委員会で持論を展開 - シェイブテイル日記を見て、面白いと思ったのでちょっとウェブを検索していろいろ拾ってみました。
実は、今の野田総理って、消費税アップの法律を成立させた後は、物価上昇率アップに相当の政治的資源をつぎ込んでいるんですよね。
まず、日銀政策委員の人事。
新たな審議委員となる野村証券金融経済研究所の木内登英チーフエコノミストと、モルガンスタンレーMUFG証券の佐藤健裕チーフエコノミストがいずれも、追加的な金融緩和に前向きな主張をしていることだ。消費増税を控え、デフレ脱却には追加緩和が必要だと日銀法改正までちらつかせる姿勢が与野党でともに強まる中、政府の人選は「よく考えた案だ」(別の党幹部)と評価も上々。
焦点:日銀審議委員人事、欧州危機にらみ空席長期化を回避 | Reuters
さらに、民主党代表選挙の公約。
[東京 10日 ロイター] 民主党代表選に出馬を届け出た野田佳彦首相の陣営は、10日午前、代表選の選挙公約を発表した。「デフレ脱却・経済再生緊急プラン」を策定し、1年以内に物価上昇率1%を実現、財政出動も行う方針を示した。
野田首相が代表選の公約発表、1年以内に物価上昇率1%を実現
そして閣僚人事。
前原氏は野党時代に党代表も務め、政権獲得後は国土交通相、外相、政調会長などの要職を歴任した。デフレ脱却、円高対策に金融政策は「極めて有効」との立場で、政府・日銀のアコード(協定)締結や日銀の外債購入に前向きな発言を繰り返し、小沢鋭仁元環境相から「リフレ派の政調会長」と呼ばれた。
財務相に城島氏、戦略相は前原氏で田中(真)氏も入閣−野田改造内閣 - Bloomberg
これらを見る限り、現在の野田総理も、デフレ脱却には相当の覚悟をもって、自らが動員可能な政治的資源をそれなりにつぎ込んで行っているようです。
そんで安倍氏。街頭演説では「3%の物価上昇」とか威勢のいいことも言っているようですが、実際に総裁になってのちに発言しているのは、上記エントリでは「日銀と調整をしながら、デフレを脱却するような施策をとって行かなければならない。」と言っているのみです。自民党総裁選中には日銀法改正に言及していたらしいのに、なにかどう見ても後退じゃあないですか。
これらの発言を見るだけでは、リフレーションという一点から見たときに、野田総理と安倍元総理の優劣はつけがたいと思うのです。
そして、この両者の違いは、実行力、です。安倍氏が総理だった時に、経済政策、なにかよいことは一つでもありましたか?彼が口で言っていた経済政策で、めぼしいものはなにか実現しましたか?彼が総理だった時には上げ潮派の閣僚をいっぱい抱えていましたがリフレーションは実現できましたか? 野田総理は、そのことへの評価はともあれ、消費税増税という、歴代の総理が、もちろん安倍氏もその必要性を認めつつもできなかったことをやってのけています。そして、インタビューを何度読んでも、安倍氏も、野田氏も、消費税増税をスムーズに実現するために物価上昇が必要という一点において共通の認識を持っています。
こと、リフレーション政策という視点から見て、安倍氏を、現在の野田総理より優れていると断じる理由は、全くないように思います。
まあ、高級時計が大好きな高橋洋一氏との関係とか、憲法改正とか、そういう私ら零細の庶民から見てどうでもいい論点、あるいは河野談話撤回のように国益を大きく損ねかねない政治的見解への関心度合いで見れば安倍氏は優位なんだろうな。それは認めるけど、それはリフレーションの成否とは何の関係もない論点ですから。むしろ国益を損ねかねないお話ですからそれ。
(参照)
あーあーまことにバカがいるよね、と思ってみた以下の3つのエントリ。
異例! 都内の小学校で「ママ友」会合禁止令〈AERA〉 (dot.) - Yahoo!ニュース
Twitter / 108suusang: もうね、厚労省はいい加減にしたら良いと思う
【書評】『日本、買います 消えていく日本の国土』平野秀樹著 - MSN産経ニュース
一番上のAERAの記事には、
「保護者同士のトラブルに関する相談が毎年少なからず寄せられます。学校は教育機関であり、このようなトラブルに対応する人員を配置しておりません」
通知にはそう書かれ、トラブル防止のためのルールであることへの理解を求めているが、問題が起きても学校は関知しないという意思表示にも読める。
と書かれています。問題が起きたら学校に関知し関与してほしいという意思表示にも読めます。
二番目のTweetでも、普通の常識があれば豚の生肉なんて絶対に口にすべきでないものをしかも内臓について、いちいち公権力が介入して食うの食わないのという指示をすべきだと読めます。
三番目の記事。不動産の所有権なんて、道路や空港を作るときだって収容措置ができるのに、さらに不動産への国の介入を強めるべきという主張に読めます。
つまり、世の中で、学校教育や食品衛生や不動産にかかる財産権といった全く無関係な分野において、いずれも、公の介入を増やすべきだという主張が、あたかも正論のようになされている実態があります。
ねぇねぇ、日本人が規制緩和とか小さな政府を望んでいたりとか、増税に反対していたりとか公務員をたたいていたりとかって、いったいそれは本当のことなのですか? そういう主張をする橋下市長を喝采する一方で、豚肉だーママ友会だー不動産所有だーといった、ほぼ純粋に私的領域に属することについて公的介入を求めるなんて、それいったいなんて自己矛盾?
まあたぶん単なるないものねだりなんでしょうけどね。でもその行き着くところは、虻蜂取らず、だと思うぞ。
(参照図書)
安倍自民総裁:「改憲が次期衆院選の争点」− 毎日jp(毎日新聞)と朝日新聞デジタル:安倍総裁、憲法改正を争点化の考え 次期衆院選 - 政治
まあ、きっと安倍氏大好きな人たちは、マスコミの報道ぶりがゆがんでいるんで、ほかに経済とかいろいろ主張する中で改憲がone of themとして出てきたのに朝日と毎日はもう…!と主張しだすのでしょうが、それにしても…と思います。安倍氏が総理を辞めるに至った経緯をもうご本人は忘れてしまったのでしょうか。
健康問題が辞任に至った主たる原因であって、いまは特効薬ができたから大丈夫とかという(参照)ようなふざけた言明もしているようですが、まさにその健康問題は後付けの理屈に限りなく近いもので、本当に安倍氏の総理としての命脈を絶ったのは、2007年の参議院議員選挙だったはずです。この選挙で、自民党は民主党の三分の二以下の議席数しか確保できず(参照)、参議院における第一党の座を民主党に譲ります。以後、民主党は参議院における数の優位を濫用し、何かにつけては審議拒否、閣僚の問責決議で自民党の統治能力と公衆からの信頼を限界まで削った挙句、2009年の政権交代に至ります。福田元総理や麻生元総理のありさまは自民党下野の原因ではなく、安倍政権下の参議院選挙の結果でありました。すなわち、自民党が野党に下ったほぼ直接の原因を作ったのが安倍氏でした。
ではなぜこの選挙で自民党は負けたのか。当時の安倍政権は、衆議院で三分の二になんなんとする議席数と参議院の過半数を擁し、実現したいならばそれこそ憲法改正以外のありとあらゆることができたはずの政権でした。しかし、安倍氏は、年金問題の処理に窮し組織いじりに逃げ、格差社会の是正という要求に応えず、教育改革関連三法の改正や国家公務員制度改革、憲法改正のための国民投票法といった、国民生活には直結しない課題にばかりその議席数を投じました。また、その「戦後レジームからの脱却」といった課題を共有するお友達を多く大臣に登用しました。このように安倍氏は「美しい国」構想にそのほぼすべての政治的資源を配分してきたからこそ、「国民の生活が第一」を掲げた民主党に、自民党は参議院選挙で大敗したわけです。まあその民主党のマニフェストも嘘まみれであったわけですが、それは別の話。
ならば、民主党政権が今このような状況になっている時だからこそ、そのような民主党に政権を譲り渡すほぼ最大の原因となった自らの政権の政治のありさまについて振り返り、そこにおける学びを示すことが、まさに自民党敗戦のA級戦犯たる安倍氏が行うべきことであったと思うのですが、どうも冒頭の記事を読む限り、全然学んでいないようですね。
本来ね、憲法改正なんて、この人は、政権取るまで、絶対に口にしちゃいけないはずの人なんですよ。
(参照)
安倍氏と違って、おじいさんは、反省と振り返りができる人だったようです。