2012年10月25日(木) 16時13分57秒

冷笑に負けない~福島市の母子が味わった被曝と自主避難への強い風当たり

テーマ:被曝

幼い家族を守ろうと、周囲の冷笑にもめげずに暮らしている親子が福島市内にいる。子どもたちの被曝回避を口にすれば露骨に変人扱いされ、自主避難先から戻ってきたことを裏切り者のように中傷される。この1年半の苦しみを、母子は涙ながらに語った。原発事故直後、安全ばかり強調した国や県。自主避難者への偏見と無理解…。話すほど怒りは高まるが、母子の願いはただ一つ。「幼い家族を守りたい」


【避難先で浴びた質問「東電からいくらもらった?」】

 子どもを守るのに、どうしてこんな想いをしなければならないのか。

 A子さん(35)は母子避難先の山形県南陽市では「東電からずいぶんと金をもらったんだろ」と質問攻めに遭い、避難を中断して帰った実家のある町内会では「何で戻ってきた?」と責められた。小学4年生になった娘は「どうせもう、被曝しちゃってるんだから、しょうがないんでしょ」と口にする。

 娘との母子避難が実現したのは、昨年10月のことだった。

 娘が限界に達していた。日々、被曝を最小限に抑えようと注意することが増えていたA子さんとぶつかることが多くなっていた。

 「もう被曝しているんだから、どうせ病気になるんだから、土でも何でも触らせてよ」

 南陽市への避難が決まったときには、娘が誰よりも喜んだ。自由を謳歌した。「これで、やっと空気を吸える」「土を触っても良いんだよね?」「水道水を飲んでも良いよね?」。冬になると積もった雪に大喜びして遊んだ。A子さんは当初、半年ほどで福島市に帰ろうかと考えていたが、気づけば半年をあっという間に過ぎていた。だがしかし、母子ともに徐々に気持ちが後ろ向きになっていた。避難生活は10カ月で終了した。

 「年配の方には非常に親切にしていただきました。でも、多くの人が『福島の人は東電からいくらもらっているの?』と好奇心丸出しで聞いてくるんです。次第に福島から来たといえなくなってしまいました。知り合いになった福島の人と公園で話していれば『山形には、昼間から公園で遊んでいるお母さんはいないよ』と陰口をたたかれました。結局、よそ者なんですね。周囲の方が温かくしてくだされば、もう少しは避難生活を続けられたかな」
 娘は多くは語らなかったが、転入した小学校でつらい思いをしているようだった。別の地域に転居しようかと考えたが、避難者には「1県1アパート」の原則がある。A子さんは民間借り上げ制度を利用したので、光熱費だけの負担で済んでいた。そのため、転居するなら家賃を自己負担するか山形県以外の県に移るかの選択を強いられた。持参した線量計は、アパートの周囲の地面に置くと0.3μSVを示した。自宅周辺の除染が始まるとの情報もあった。「福島市と大差ないのなら帰ろうか」。娘もうなずいた。失意のまま、母子は今年4月、福島市の実家に戻った。原発事故から1年が経っていた。

民の声新聞-山形に避難

避難先で被曝を心配せず雪遊びをしたA子さん

の娘。しかし、避難生活は10カ月で終了した

=山形県南陽市(A子さん提供)



【被曝より避難より水や食料、だった事故直後】

 A子さんの母親・B子さん(55)は当初、原発が爆発したと聞いてもピンとこなかった。

今まで原発のことなど意識したことがなかったし、第一、事故が起きたからといって、60km以上も離れた福島市にまで放射性物質が飛んでくることなんて無いと思っていた。そんなことより、今日一日の食料を、水をどうするか。大地震以降、その日その日を生きるのに精いっぱいだった。近所のヨークベニマルは、夜になっても水や食料を買い求める人でごった返していた。誰もが今日を生きることしか頭になかった。被曝のことなど、頭の片隅にすら無かった。そんなとき、思わぬ話が舞い込んできた。

 「え?避難?事態はそんなに深刻なの?」

 息子の勤める福島市内の外資系保険会社に、東京本社から「バスを用意するから避難したい人は申し出るように。ホテルでの宿泊代も会社で負担する」とのメールが届いたのだ。マスクも1年分用意するという。3月14日のことだった。

 自宅のテレビでは、地元テレビ局のアナウンサーが「レントゲン撮影と同程度の放射線量ですから大丈夫ですよ」と呼びかけている。枝野幸男官房長官(当時)は「ただちに人体に影響ない」と繰り返していた。避難するべきか、B子さんは大いに悩んだ。家族会議も開いた。しかし結局、いつまで避難生活が続くのか先が見えないこと、逃げることで周囲に大げさに映るのも嫌だということからバスへの乗車を見送った。後で確認したら、会社が用意したバスに乗った社員や家族は一人もいなかったという。

 「国もメディアも、被曝の危険性をきちんと教えてくれれば孫も守ってあげることができたのに…」

 インターネットを通じて同じ福島市渡利地区の高濃度汚染が伝わってきたのは4月に入ってからだった。家族間で被曝の話題が増えるようになった。孫は少し遅れて新学期が始まった小学校への通学を再開していた。自宅の周囲の放射線量は18-20μSVもあった。テレビでは、内閣官房参与・小佐古敏荘氏が涙ながらに開いた記者会見を伝えていた。

民の声新聞-文知摺観音
民の声新聞-文知摺観音②
原発事故直後よりは下がったとはいえ、いまだに

0.8-0.6μSVもの放射線量を計測する福島市内

の文知摺観音付近。放射線や被曝の話をすると

「変人扱いされる」とB子さんは話す



【避難者は裏切り者、というレッテル】

 母子3代で味わった自主避難の苦労。

 「こんなにいじめられるくらいなら、いっそのこと原発事故の爆発でひと思いに死んでしまった方が良かった」とA子さんは話す。「子供を守るための避難で苦労をしていることがメディアでぜんぜん報じられないのが悔しいです。政府の指示も無いのに勝手に避難している、大丈夫だと言っているのに避難しているという位置づけでしょ?子どもを守りたいだけなのに」。

 B子さんは、所有する600坪もの土地を、除染で生じた汚染土の仮置き用に使ってほしいと市に申し出たが、いまだに実現していない。これまで家庭菜園として活用してきたが、汚染を思うと野菜作りをする気分にはならない。「自宅の敷地内に仮置きすると言っても、庭の無い方もいるでしょう。そういう方に使ってもらいたいのですが、行政の腰は重いですね」。おまけに、子どもたちを被曝から守ろうと声をあげると、町内の住民から面と向かって「頭がおかしい」と誹謗されるという。B子さんらが暮らす自宅の庭では、私の線量計は0.7μSVを超した。

 「国も県も嘘つき。初めに本当のことを言えば良かったんです。専門家は今からでも良いから本当のことを言って欲しい。孫を守りたいんです」
A子さんは、娘の通う小学校の保護者から「よくも戻って来られたな」とののしられた。「そんなに被曝を気にするのなら帰って来なければ良かったのに」とも言われた。避難すると張られる「卑怯者」「裏切り者」のレッテル。苦しみ悩んだ末に戻ったふるさとで受ける仕打ちにA子さんもB子さんも涙が止まらない。これがすべてではないが、これもまた、被曝地・福島の一つの現実。A子さんはつぶやいた。

 「やっぱり私は裏切り者なのかな…」


(了)


コメント

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1 ■身につまされる思いです…。

ブログを拝見していて、
心がギュッと痛くなりました。
この原発事故で、友人だけではなく、
家族とも意見が分かれ、断絶している人が
何人いることか…。
何が一番悪い?危険と言って避難する人間が悪いの?それとも、安全と言って避難しない人が悪いの?いいえ、どちらにも全く否はありません。どちらも「被害者」ですよ。
諸悪の根源は「原発」です。
それを推進する方々です。
膨大な費用をかけて避難訓練をしたり、
放射能拡散シュミレーションするお金と暇があるなら、即刻、日本にある原発、すべてを
廃炉にする方向に動くべきでしょう?
日本は狭いんですよ。小さな小さな島です。
もし、もう一度、もう一度でも、原発事故が
どこかで起きたら…。住むところ、なくなります。
どんなにキチガイ扱いされても、
「脱原発」言い続けます。
なくても、電気は作れます。
少ない電気で、足りるように生活できます。
日本人は「節約」の達人集団ですから!
応援しています。
くじけないでください!
福島の方々、福岡へ来てください!
そんな誹謗中傷する人いませんよ!
みんな逃げてきたんですから。

2 ■Re:身につまされる思いです…。

>Valentino&Minoriさん

はじめまして。 わたしは3月下旬に福岡ではないですけど、九州に避難してきました。
九州の人たちは本当に親切でとても助かってます。
最初あまりに遠くて悩みましたが、九州に避難して良かったです。

3 ■!!!

初めまして。私は神奈川に住む者デス。
避難し、安全安心を叫ぶことに非難する人達の多くは、何らかの事情で正しいコトが正しいと叫べない、行動できない哀れな人達なんです。
当人様からすると、とても辛い状況だと思いますが、その方達を可哀想と思うしかないと思う。子供を持つ親なら、あの時避難すべきでした。行動したことは何も間違っていない。恥じることではない。たとえ10ヶ月でも高線量地域から出たコトはお子様にとっていいことだったはずです。離れず10ヶ月過ごしていれば、最悪の事態になっていたかもしれないんですから。
でもできることなら、空間線量が少なくなったとしても子供を思えば福島から出た方がぃぃ。生活も親族もある土地から離れなきゃならないなんて、しかも自分達が使用していない電力会社の事故のせいで奪われるなんて、私達は誤ってすむ問題なんかじゃナィと思っているケド、私達に今できることを、少しずつ形にしています。 色々な大きな障害にぶつかるケド、原発NO、被災者救済とぃぅ言葉を絶やしません。
頑張って!!

4 ■裏切り者

我が子を危険から守るための避難を裏切りというのは、危険とわかっていてそこにいる人たちの足の引っ張り合いの地獄絵図のように見えます。そこから一歩引いた場所で物事を見ればよく見えてくるはずです。

5 ■無題

子供を守りたい気持ちは、母親なら同じ。でも、避難すると誹謗中傷を受けるっておかしいですよね。
すでに、甲状腺ガンのお子さんも出ているのに。
本当に、悲しいです。

ブログに転載させて頂きました。

6 ■周りに負けないで‼

周りは勝手なことしか言いません!
本当に大切な人間を守るために、周りの雑音を無視して行動しかなくなってきますよね( T_T)
理解している人間は私の周りにはいます!
自分を強く持って日々行動して行きましょうね(^-^)/

7 ■無題

辛すぎますね。とても。

裏切り者じゃありませんよ。きずついた心が傷つけ合ってしまう。痛ましい現実ですね。
放射能を浴び、罵声を浴びる場所から、疲れたらどうぞ、どうぞ又お子さまを守るために、避難されてください。十か月も避難されたあなたは素晴らしい!
新しい温かな出会いにめぐり会えますように。

8 ■皆で心を一つにしよう!

この家族の手記を読んで・・・あなたがたと心を一つにしたいのと、・・・国、県の対処の遅れ、無責任さが、住民間の亀裂を産んだんだと思う。・・・住民には根本的には非がない。・・・というか、住民も被害者で・・・心が荒んだンだと思う。・・・非は行政に有ると思う。

9 ■無題

逆です
私はあれから福島市に住み続けています
子供が2人います。下は小学生です
避難したかったです。
上の子供が大きいので転校出来ないこと、住宅ローンがあって仕事をしなければならないこと。
全て大人の都合で、小学生をここに置いて避難させなかった自分を責める毎日です。
逆にまわりからは
「こんな所にいて良いの?」
と言われると、避難して守ってあげなかった不甲斐なさを責められているようで、辛いです。

10 ■私も、避難考えてます…

千葉ですが、パラパラ移住する人がでています。
会社では、多くの方が咳をしつづけています…

11 ■無題

ブログを拝見し、胸がしめつけられるおもいがしました。私は神奈川県在住ですが、今後も放射能の影響におびえながらの生活もつらいので、移住を考えています。まわりは無関心、他人事のように感じてる方がおおいので、会話にもしづらいですし孤独にかんじることもおおいです。健康、命にかかわっていくことで、現実から目を背けてはいけないのに。福島から避難してつらい経験をされたようですが、こどもの健康をまもりたい、というのは親なら当然のことで、一時避難したことは正しい判断だったとおもいますよ。放射能に不安をかかえていても様々な事情で避難できず避難した人に対する妬みや、よほどの無知なのか、どちらかだとおもうので、まわりにおしつぶされないでほしいです。

12 ■ほんとうに心が痛みます。

こどもに、「どうせ被曝しちゃったんでしょ。病気になるんでしょ。」と言わせてしまう状況は、ほんとうに心が痛みます。
でもまだ、被曝する前の身体に戻すことは可能です。「QOL回復セラピー」受けてみて下さい。私も、微力ながら力になれると思います。

13 ■避難は間違っていません。

「母の愛情に勝る愛情なし」です。

避難したことは間違っていません。周りの人のそうした対応は、概ねやっかみや嫉妬です。
そんな人達に負けないで。

私は東京在住ですが、20年以上も前から、日本の教育行政等に疑問を持っていましたので、自分の子どもには日本の教育は一切受けさせませんでした。
その代償は大きく、学費は超多額でしたし、英語での授業は本人も負担で大変な思いもたくさんさせてしまいました。
昨年からは、本人の進路希望もあり、息子は海外の学校へ行きました。
私も原発の影響が心配だったので喜んで行かせました。

我が家は決して裕福ではない母子家庭です。
私はただ毎日毎日働き、人一倍、子どもの教育費にお金を使いました。
公立の授業料は安く、給食まででて、それでも文句を言う人々はたくさんいます。
近所のお母さんからも、「お金があっていいわね~。」とか、「お宅は私立に行かせられていいわね~。」と散々言われてきました。
そういう人は本当は羨ましいのです。
悲しいかな人とはそういうものです。
でも理解してくれる人も必ずいます。

どうか負けないで。
自分の子を守れるには自分だけ。
子どもさんはお母さんの頑張りをきっと見ています。
大人になったらきっと「あの時私を守ってくれたね。」と、きっと言ってくれるはずです。

14 ■無題

福島から北海道に避難して一年と半年立ちます。わたしは大学生です。北海道の人は、避難について『大変だったね』『生活は、大丈夫かい?』と心配して下さいました。地元の友達は、放射能を心配しながらも福島で生活しています。学生なので、簡単に避難できない現状です。
北海道は、まだ被災者の受け入れもしてます。本州と離れているから不安という方もいますが、地震はめったにないですし、冬も福島より過ごしやすいです。長々とすみません。
一度北海道のHPなどご覧になって下さい。

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