第1章.ベッカルト村編
第1章.ベッカルト村編:第9話「出産の立会い」
村長の家では、村長と村長の息子のイザークが迎えてくれて、妻のフリーダのところに案内される。すでに薬師のヤネットが来ており、フリーダの容態を見ている。
「ヤネットさん、俺は出産に立ち会ったことがない。あんたの方が経験も豊かだし、俺が口出すことはないだろう。手伝うことがあったら、何でも言ってくれ、あんたの指示に従うよ」
とヤネットの顔を立てておく。
ヤネットも昨日のベルティの件でこちらの腕を見ているので、顔を立ててもらったことに気をよくしている。
ヤネットは村長に向かって、
「治癒師殿が来てくれたんなら、何も心配は要らないよ。今晩くらいに生まれそうだから、準備しておきな」
俺はこの世界の医療技術を良く知らない。ベルティのケガの治療を見た限り、殺菌とか衛生とかの観念はあまりないようだ。
「ヤネットさん、準備をやっておくよ。湯冷ましの水を作っておくよ」
「湯冷ましの水って何に使うんだい。あたしのとこじゃそんなもの使わないよ」
「ああ、良く判らないんだが、生まれた赤ん坊を洗うのにきれいな水と使った方がいいと思ったんだ。治癒師としての知識かもしれない」
記憶を失っている設定なので無理やりな感はあるが、治癒魔法とセットで頭の中にあると言えば納得してもらえるのではないか。
「汲み置きの水は病の元が入っていることがあるから、湯冷ましを用意しておいて、沸かした湯を冷ますのに使う。それから、へその緒を切る道具も熱湯に潜らせてから冷ましておく。俺がやっておくから、それでいいかい」
「へぇぇ、そうなのかい。そんな話は聞いたことがないねぇ。まあ、治癒師の知識ならやった方がいいね。任せたよ」
「了解。こっちで準備しておくよ。他になにかやっておくことはないかい」
「とりあえず、あんたにやってもらうことはないね。準備が終わったら休んでおきな」
「手をきれいに洗っておくのも大事だって思い出したよ。ヤネットさんも早めに手をきれいにしておいてくれよ」
俺の不確かな記憶では、発展途上国の出産時の死亡原因に感染症があったはずだ。産褥熱っていうんだっけ?この世界の産婆に殺菌や衛生の知識は無さそうだから、治癒師の常識みたいな話として伝え、できるだけ細菌による病気を防ぐことにした。
大きな鍋で湯を沸かし、埃が入らないようふたをして冷ましておく。ヤネットのハサミを借り、煮沸消毒もしておく。
準備が終わり、村長の家で待機することになった。夕食をご馳走になり、食卓のところで待たしてもらう。
午後9時頃、ヤネットから陣痛が始まったとの連絡を受ける。湯を沸かしておくよう村の女の人に指示を出し、フリーダのところに向かう。
不安そうな俺を見て、ヤネットが
「この子は3回目のお産だからそんなに時間はかからないよ。準備は大丈夫かい」
「ああ、村長の奥さんに湯を沸かすよう頼んでおいた。赤ん坊を包む布もここに用意してある」
準備ができていることを確認したヤネットはこれからが本番とばかりに
「後は任せな。治癒師以外の男供は邪魔になるだけだから出ていきな」
数時間後、無事に元気な男の子を出産。
ヤネットがフリーダに「良くやった」と褒め、助手と俺は「おめでとう」と声をかける。
きれいな布にくるまれた赤ん坊をヤネットから受け取ると、心の底からうれしそうな顔でフリーダは赤ん坊を抱いている。
結局、俺は手を握ってやるだけで何もしていない。
やったことと言えば、「早く何事もなく終わってくれ」と祈ることだけだった。
それでもフリーダは治癒師がいるだけでも心強いといってくれたので、少しは役に立ったのだろう。命に係ることで感謝されると言うのは面映いものだ。
しかし、初めての出産の立会が人の嫁さんというのも奇異な気がする。
手伝いの女性に呼ばれた村長とイザークが入ってきたので、俺は部屋の外に出て、近くのいすに座りこむ。ヤネットが出てきて、
「お疲れだったね。まだ、油断できないから、朝までここにいておくれ」
さすがに慣れたものなのか、ヤネットは疲れも見せず、水を飲んでいる。
「ヤネットさんもお疲れ様。ここに座っているよ。何かあったらいつでも呼んでくれ」
とは言ったものの、俺はいすに座ったまますぐに寝てしまった。
幸い、何事も起こらず、朝を迎える。
村長たちに挨拶をしてギルの家に帰ろうとすると、村長と家族が次々と礼を言ってくる。
「俺は何もしていませんから、礼ならヤネットさんにしてください。俺は帰ります。フリーダさんにもう一度おめでとうと伝えてください」
といって、帰ろうとするが、
「タイガさん、ギルから話は聞いている。後で礼をギルの家に届けさせるよ。本当にありがとう」
イザークが手を握りながら、更に礼を言ってくる。
村長の家から何か貰えるようだ。
ギルの家に帰り、昼まで休ませてもらう。
ギルはすでに狩りに行っているようで不在だった。
昼頃、イザークが革のブーツ、革のマント、革製の鎧を持ってやってきた。
「タイガさん、妻と子が本当に世話になった。これは俺と親父からの心ばかりのお礼だ。受け取ってくれ」
と持ってきたものを渡してくる。その荷物を見て、俺は驚き、
「これ全部ですか。そんなに役に立ってないけど、いいんですか」
「フリーダは2度の出産の失敗でかなり心細かったようなんだ。タイガさんがいてくれたおかげで安心できたといっていた。ヤネットばあさんも、フリーダにとってタイガさんの存在が大きかったと言っていたよ」
役に立てたのならと遠慮なく、ブーツ、マント、鎧を受け取る。
ギルが帰ってくるまで時間があるので、小川まで行き、洗濯をすることにした。
この世界に来てから、下着を替えていないので無茶苦茶気になっていた。下着の着替えがないから、今晩は下着なしで過ごそう。
洗濯が終わった頃、ギルが帰ってきたのでブーツ他について報告する。そして鎧の付け方を教えてもらった。これで外見だけは一端の冒険者っぽい感じになった。
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