感想
1 日本水軍の戦術と「亀甲船」の設計思考 日本水軍の伝統的戦術は、敵船に接舷し、斬込んで刀で決着をつけることであ った。「源平合戦」の時代は、櫓手は無防備でも殺されない、闘いは双方の武士 だけが行うと云う習慣があった。これは日本国内だけで通用するもので、日本水 軍は長らくこの「無防備の習慣」から脱却できなかった。太平洋戦争でも軍艦設 計、航空機設計等において、何故か「防御の設計思考」が脱落したのは民族性の 現れかも知れない。一方、朝鮮では古来、騎馬民族に苦しめられ、戦争の主要武 器は弓矢(狩猟民族の最良の武器)を得意とし、刀は苦手、攻撃力と同等に防御 力を重要視するのが常識であった。まず自軍の損害を最小限に止め、次ぎに敵軍 の損害を大きくするために飛道具(常に新兵器を考案)を使った。なお、これは 現在でも変らない、軍事に関する「世界の常識」である。遮二無二斬込む日本水 軍はこの常識に欠けていた。一方、「亀甲船」の設計思考は「波のない岸辺の水 上戦用(耐波の要なし)、自船の上部に頑丈な天蓋を設け、蓋板上には刀の刃 を林立させて相手を船内に踏込ませない(自軍損害皆無)。 操縦性良好、板厚100 mmの頑丈な船体、武器は撞破力と新開発の火砲」正に合理的で完璧である。日本 水軍には考えられない「発想」であった。
2 国柄による船型の差異。 和船は太古の「刳り船」から進化した構造船で、日本海、玄海灘、東シナ海を 渡るため、伝統的に頑丈な方形船首材を持ち、船首の尖った耐航性の良い細長船 型であった。 NHK「北条時宗」のTV放送の中でも「(日本の船は)波を突き切っ て進む」と云うセリフがあったと覚えている。一方、朝鮮の船も和船と同様に「 刳り船」から変化した構造船ながら、和船とは対象的に浅喫水沿岸用の船であっ た。耐波の必要皆無で工作容易な船首材を持つ幅広型が造られた。このように、 それぞれが自己の用途に適するように分科したのであろう。一方、中国の船は元 来、河川用として発想されたもの、耐航性に乏しく、船首材はやはり板張式が採 用されている。「元寇の役」で使用された「元、高麗連合軍」の軍船は大型なが ら、耐航性に弱く、台風に耐えられなかったのは、上記のような各国それぞれの 国柄による船型の差異が、種々影響を及ぼしたのではなかろうか。
3 亀船と関船(和船)、中央断面の比較 (付図参照) 亀船は船底外板、船側外板が厚く(約100mm厚)、加竜木(和船では船梁と云う ) が各外板毎に取付けられて頑丈、船体縦強度、横強度共に強い。Cm (中央横断面 係数)が大きく、排水量が大。 これに対し、関船(和船)は船底外販、船側外板共 に薄く( 約50mm厚)、船側外板は3枚の広い板からなり船梁(フナバリ)の数が少な く構造が華奢で、船体横強度が弱い。Cm(中央横断面係数)が小さく、軽排水量の 高速船型で亀船に衝突されると撞破られる危険があった。
4 亀船の抵抗性能 (付図参照) 和船の「やせ型高速船型」に対し、亀船は「低速肥大船型」であった。約 6ノッ ト以下(フルード数Fn<0.20)の船速では船体抵抗が少ない。 船体堅牢、重武装、 排水量が大きいので、このような船型になったのであろう。「櫓」により6 ノッ ト近くの速力を出すことが可能で、これは、静水域で相手船団に突入するに充分 な速力であったろう。 船型はバトックフローのバージ型、 船体周りの流れはス ムースであったと思われる。流れの船体入射角は大きいが、船体ランアングルが 小さく、船型学的に優れていたと見受けられる。また、船尾には双スケグが付き 、大型舵が取付けられ、保針性、操縦性が良好であったと推定される。驚くべき ことは、 このように理に適った船が、今から400年の昔に建造されていたと云う ことである。
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