【更新】1年の大切さ。
2011.11.04 [Fri] 13:30

■留年を経験してみて分かったこと。

正直、いろんなことがなかったら、トントントンと卒業して、大学院にでも進んでしまった方が良かったのかもしれない。でも、もし留年していなかったら、1年がこんなに大切だったんだということにも気が付かなかったのかもしれない。と今は思っている。これはもう留年してみた人にしか分からない。

■置き去りにされる恐さ。

まずひとつ目は、置き去りに去れる恐さだ。

僕は1年間社会勉強のために休学した、そしてその社会見学にのめり込み過ぎた結果が留年。つまり2年間、みんなと時間がずれている。だから、僕の後輩はもう卒業しちゃって、立派に社会人をやっている。今、大学には一人で通っていて、すごくさみしい気持ちだ。朝起きて、大学に行って講義を聞いて、そのまま帰って来る。今の若者がどんな状況にあるのかとか、最近の流行りとか、そういう情報はいっさい入って来ない。それはまるで「情報を統制されている」様な感覚に陥る。

■後輩が先輩になった瞬間。

後輩が先輩になった。でも、今まで僕を尊敬してくれていた後輩たちは、ますます僕を慕ってくれる様になった。なぜだろうか・・・僕には分からない。以前よりも頻繁に連絡をくれる様になったし、遊びに来てくれるし、プレゼントを置いて言ってくれたり、差し入れをくれたり、楽しいお話を聞かせてもらったりしている。時には、仕事のこと、人生のこと、不安なことについて打ち明けてくれる。そして僕はまだ学生の立場だけど、一緒に考える。

僕はそんな後輩たちが可愛くてしょうがない。

後輩が先輩になっちゃったけど、それはそれでよかったなぁと思えた。きっと、僕が自然に「弱み」を見せれる様になったこと、立場が逆転したことで、もっと関わり易くなったこと、そういうことが良い方向へ転んだんだと思う。

■だけど1年は戻ってこない。

そう、良いことは沢山あったけど、それでも時間は戻せない。だから、今を一生懸命生きるしかない。昔、留年した先輩と一緒に講義を受けたことがあるけれど、その先輩はすごく真面目な人だった。講義をノートに取っていて、そのノートを見せてもらったけど、すごく綺麗に書いてあって、僕は感動したのを覚えている。

下級生は言う、「留年してから必死になっても遅い」と。でもそうじゃないのかもしれない。失敗を経験して、そこから何か学んだから、今の先輩があるんだと思う。今、先輩は立派な仕事をしているし、すごく幸せそうだ。

1年の大切さを感じる為にはとても良い機会だと思った。真面目になれたし。何事にも「取りあえず真剣勝負」でやってみようと・・・以前の僕なら「適当にやればいいや」くらいに思っていたから、それは進歩だ。

■それに・・・。

何かしら失敗を経験した人の言葉は優しい。

 
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