深澤直人

ふかさわ・なおと
FUKASAWA, Naoto

プロダクトデザイン

Product Design

教授

2005年4月着任
1956年山梨県生まれ
多摩美術大学美術学部
立体デザイン科卒業

研究テーマ:

「行為に相即するデザイン」

'80年多摩美術大学卒業。'89年渡米しデザインコンサルティング会社IDEO(サンフランシスコ)で8年勤務後帰国、IDEO東京支社を設立。'03年に独立しNaoto Fukasawa Designを設立現在に至る。近作はau/KDDIの携帯電話「INFOBAR」や無印良品の壁掛け式CDプレーヤー、家電、雑貨の新ブランド±0など。企業の若手デザイナーとのデザインワークショップ「without thought」をディレクションし、そこから生み出された作品の展覧会と図録は毎年、大きな話題となっている。
'03年からはイタリアやドイツ、北欧のメーカー、B&BItalia、Driade、Magis、Danese、Artemide、Boffi、Vitra、Lamy、ERCOから新作を発表し続けている。日本の大手メーカーのデザインコンサルティングを手がける他、海外のメーカーとのプロジェクトも多数。
過去のデザイン賞は米国IDEA金賞、ドイツif賞金賞、英国D&AD金賞、毎日デザイン賞、織部賞などを含み50賞を超える。
著書には『デザインの輪郭』TOTO出版、『デザインの生態学』東京書籍(共著)、『デザインの原形』六耀社(共著)、『ワークショップ 人間生活工学1』人間生活工学研究センター編・丸善(共著)、『Naoto Fukasawa』Phaidon。
多摩美術大学客員教授、21_21 DESIGN SIGHTディレクター。

http://www.plusminuszero.jp/
index_j.html
プラマイゼロ株式会社 加湿器

プラマイゼロ株式会社 加湿器

Photo by Hidetoyo Sasaki(佐々木英豊)


株式会社マルニ木工 アームチェア

株式会社マルニ木工 アームチェア

LAMY note

LAMY note

良品計画壁掛け式CD プレーヤー

良品計画
壁掛け式CD プレーヤー

au KDDI INFOBAR 2

au KDDI
INFOBAR 2




人間工学と美、そしてデザイン

何を基準にものは「使い易い」と判断されるのだろうか。何をもって「人に易しい」とか「人にとって気持ちよい」とかいう感覚が共有できるのだろうか。この章は製品美とその開発について解説するが、それを総称してデザインとしても間違いではない。しかし、デザインあるいは製品美がものの形や色、あるいは装飾のことを指しているともし認識している場合はその理解は間違いではないが、やや狭義過ぎる。人は場所や状況を問わず美しい形のものが存在するのではないかと思い込みがちであるし、それを普遍と定義したりしがちであるが、そのような美は存在しない。美しいということはその状況下における必然である。異なる状況下でも許容される美しさは、多様性や自由度があることを示している。
デザインとは人とものと環境が相互に折り合いをつけることである。相互の調和した関係性をつくり出すことがデザインである。製品美とはその関係性の成り立ちの姿であって鑑賞するための美しさのことだけではない。したがって、使い易いということは既に美の一部なのである。「人に易しい」とか「人にとって気持ちよい」とかいう表現はやや抽象的且つ感覚的で、どちらかというと人間を中心にものや環境を捉えている感がある。人とものと環境の関係性をつくり出すことがデザインだとするならば、人もものも環境も等価としたうえでの相互の立場を考えなければならない。「人に易しいものづくり」が人間中心のものづくりとしての独りよがりな解釈のもとに進められてはならない。
ものの使い易さの判断基準は、人がものに寄る、あるいはものが人に寄る、その寄り合った点にある。その点の見いだし方は一様ではなく状況や人によって異なる。しかし、ものが人により過ぎて、それを「人に易しい」と称した昨今のものづくりの姿勢には注意が必要である。使い易いということと、便利であるということは混同されている。便利であるということが、人間が本来持つ機能やそれを使いこなそうとする意思や動機を退化させてはいけない。つまり一時の便利さよりも長く人とものが付き合ってその関係が溶け合ってくることによる使い易さも判断の基準になる。
人とものが寄り合って接する点を見極めることが製品美の基準である。それは人ともののインタラクションの創造でもある。このインタラクションは接触によるものだけでなく人の五感の複合によって感受されるものであるから、その感覚の中には、日常で経験される顕著な事象の記憶(アクティブ・メモリー)やその象徴的な見えによる顕著な形(アイコン)の存在も含まれてくる。
デザインあるいは製品美における「美」という言葉にはたぶんに視覚的ニュアンスが多く含まれている。したがって見て美しいものが、デザインがいいもので、製品美のあるものであると思われがちな既成事実がある。したがって、この章ではまず、デザインという概念が既成概念的な視覚的美であるというところから少し解釈を広げ、インタラクションを円滑化するための成り立ちと姿としてものを捉えることから始めなければならない。さらに、視覚的美は自覚的あるいは意識的な「見る」という行為に関連づけて捉えられているが、それはそのものを使うということと関係がない場合も多々ある。むしろ「使う」というときの人の意識は、あまりそのものを扱っているという自覚がないものであり、ましてそのものの形の美しさというものはあまり使用中には自覚されないものである。視覚的に自覚されない美は使用の中に溶け込んだ行為によって初めて露出する表現のしにくい美の姿であり、形に固執しない日本本来の美の捉え方に近寄ってくる。
したがって人ともののインタラクションの美は思考に訴える視覚的美ではなく、思考から離れたところの身体的なあるいは生態的な感覚からうまれるもので、生物として備わった自然の摂理に添うとも解釈できる。
「人にやさしいものづくりのための方法論」『ワークショップ 人間生活工学1』
人間生活工学研究センター編、丸善(共著)より
ページの最初へ