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【ブロマガ】安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 児玉真美

SYNODOS SYNODOS:記事一覧 2012年10月1日(月)10時42分配信

尊厳死法制化をめぐる議論で、尊厳死を推進しようとする人たちの中から「既に安楽死や自殺幇助を合法化した国では、なんらおぞましいことは起こっていな い」という発言が出ることがある。私はそうした発言に遭遇するたびに、そこでつまづき、フリーズしたまま、その先の議論についていくことができなくなってしまう。

「おぞましいこと」は本当に起こっていないか? それとも現実に何が起こっているかを、この人は知らないのか? しかし、これだけ尊厳死法制化に積極的に 関わってきたこの人が、本当に知らないということがあるだろうか? それとも現実に起こっていることを十分に承知していながら、なおかつそれらをこの人は 「おぞましい」とは思わない、ということなのだろうか? ……目の前の議論から脱落し、そこに立ち尽くしたまま、私の頭はこだわり続けてしまう。
 
2006年の夏から、インターネットを使って介護と医療に関連する英語ニュースをチェックするのが日課になっている。最初は単に仕事のための“ネタ探し作 業”だったのだけれど、アシュリー事件と出会ったことから事件を追いかけるためのブログを立ちあげると、“ネタ探し作業”が一気に“本業”になってしまっ た。

■アシュリー事件とは何か


アシュリー事件とは、米国のシアトルこども病院で04年に重症重複障害のある当時6歳の女の子アシュリーから子宮と乳房が摘出され、ホルモン大量投与で身 長の伸びが抑制されたもの。両親が「アシュリー療法」と名付けたこの医療介入の倫理問題をめぐって、07年に世界的な論争が巻き起こった。

私にはアシュリーと同じような障害像の娘がある。「介護をしやすく」「本人のQOLのために」「赤ちゃんと同じ重症児に尊厳は無用」などの議論に衝撃を受け、事件やその周辺の議論を追いかけてきた。事件については昨年『アシュリー事件 メディカル・コントロールと新優生思想の時代』(生活書院)として取りまとめたところだ。

こ の事件を追いかけた年月、私はアシュリー事件という小さな窓を通して、世界が自分の想像をはるかに超えるコワい場所であることを発見し続けてきた。いつの まに世界はこんなにコワい場所になっていたのだ……と、呆然とすることの連続だった。その思いは、ブログを始めて6年が経った今も強まるばかりだ。

「おぞましい」と感じるかどうかは個人の感性によって違うかもしれないけれど、そのコワい世界の現実の中から、「死の自己決定権」議論(安楽死または自殺幇助合法化議論)の周辺で起こっている出来事の一部を紹介したい。なお、それぞれの情報の元記事は拙ブログ(http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara)の当該エントリーにリンクされている。


■世界同時多発的に加速する議論

私が英語ニュースのチェックを始めた2006年の段階で、安楽死または自殺幇助が合法化されていたのはオランダ、ベルギー、米国のオレゴン州だった。その他に、後述するように特異な状況にある国としてスイス。

その後、「死の自己決定権」を求める議論は野火のような勢いで世界中に広がり、09年に米国ワシントン州、ルクセンブルクが相次いで医師による自殺幇助を 合法化した。米国モンタナ州でも09年の大みそかに、終末期の患者への医師による自殺幇助は違法ではないとする最高裁判決が出た。それまでに合法化した国 や州とは異なり、新たな法の枠組みを作ることなく現状のままで違法ではないと判断するものだった。

その後も、最終的に否決されてはいるものの、いくつもの国や州で議会に合法化法案が提出されてきた。日々のニュースを拾い読みしていると、どこで何が起 こっているのだったか混乱するほどに、世界同時多発的な動きが加速している。今年に入ってからも、6月にカナダのブリティッシュ・コロンビア州最高裁から、自殺幇助を禁じる 刑法は憲法違反だとの判決が出たし、米国マサチューセッツ州では、11月に医師による自殺幇助合法化への賛否を問う住民投票が予定されている。

いずれの国または州でも、合法化を支持する論者は正当化論の基盤を「死の自己決定権」に置き、十分なセーフガードを設けることによって、なし崩しに対象が 拡大されたり、高齢者や障害者など社会的弱者に不当なプレッシャーがかかることはない、と主張する。しかし、合法化した国や州から流れてくるニュースを読 んでいると、その主張は様々な事実によって既に否定されているのではないか、とも思えてくる。


■“宅配安楽死”が稼働するオランダ

例えば米国オレゴン州では、がん患者に対して「抗がん剤治療の公的保険給付は認められないが自殺幇助なら給付を認める」という趣旨の通知が届く、というの はよく知られた話だろう。オレゴン州とワシントン州の保健省は毎年尊厳死法を利用して自殺した人に関するデータを取りまとめて公表しているが、それらの データから見えてくるのは、本来ならセーフガードで食い止められるはずの終末期ではない人や精神障害者に致死薬が処方されている、限られた医師が多数の処 方箋を書いている、処方すれば後は放置で患者が飲む場に医療職が立ちあっていない、などの実態である。

うつ病で「死にたい」と言ってきた 人に対して、治療する方向に対応するのではなく「ああ、そうですか。死の自己決定権を行使したいのですね」といって致死薬を処方している医師がいるのだと すれば、法的にも倫理的にも重大な問題であるはずなのだが、両州の保健省は問題視する姿勢を見せない。

一方、オランダには25歳以上の重症脳損傷患者を治療するための専門医療機関が存在しないという。そのため、今年2月にオーストリアで休暇中に事故で脳 損傷を負った同国の王子は自国ではなく英国に運ばれ、現在も意識不明のままロンドンの病院で治療を受けている。安楽死が合法化された国に一定年齢以上の脳 損傷を治療する医療機関が存在しない、というのは一体どういうことを意味するのだろう。

またオランダでは去年3月にナーシング・ホームで暮らしていた認知症が進行した高齢の女性に積極的安楽死が行われている他、今年3月からは「起動安楽死 チーム」が稼働している。安楽死を希望しても応じてくれる医師が見つからないという患者のために、医師と看護師のチームが車で駆けつけて自宅で安楽死させ てくれる。いわば“宅配安楽死”制度だ。これが保健省の認可を受けて、現在6台稼働している。オランダ国内ならどこへでも行くという。運営しているグルー プは、今後は台数を増やすと同時に、もう生きていたくないという高齢者なら、たとえ健康であっても安楽死を認める法改正を求めて運動していく、と言ってい る。


■ 囚人の安楽死後臓器提供?

もっと衝撃的なのはベルギーだ。05年から07年にかけて「安楽死後臓器提供」が4例行われたことが、09年の移植医療の専門誌で報告されている。安楽死 を希望する人が同時に臓器提供も自己決定したとして、レシピエントが待機した隣の手術室で安楽死を行い、心臓停止を待って臓器を摘出したという。論文の著 者らは学会発表した際に、既にプロトコルができていることを明かした。さらに安楽死者のうち約2割を占める神経筋肉障害の患者について、彼らの臓器は比較 的「高品質」であり、これらの安楽死者はベルギーにおける臓器不足解消のために利用できる「臓器プール」だ、とも述べている。

安楽死が臓器提供と繋がっていく懸念について言えば、10年に英国の生命倫理学者のドミニク・ウィルキンソンとジュリアン・サヴレスキュとが「臓器提供安 楽死」を提言している。安楽死も臓器提供も自己決定するなら、提供意志を無駄にしないためにも生きている状態で臓器を摘出するという方法で安楽死しても らってはどうか、というものだ。ベルギーの「安楽死後臓器提供」をさらに一歩進めたものと言えるだろう。こちらはまだ現実には行われていないだろうけれ ど、ベルギーの現実を思えば「安楽死後臓器提供」から「臓器提供安楽死」までの距離は、実際のところ、どれほどあるものなのだろう。

また、つい最近、ベルギーでは長年収監されてきた囚人に安楽死が行われていた事実も明らかになった。安楽死法に規定された要件は満たしているので問題はな いとされ、むしろ政治家が表に出したことで囚人のプライバシー侵害の方が問題視されているというのだが、果たして安楽死法が囚人に適用されることの倫理問 題はどのように議論されたのだろう。

私がこのニュースを読んで思いだしたのは、米国オレゴン州の死刑囚から処刑後に全身の臓器を提供したいとの要望が出ている、という去年3月のニュースだっ た。この時、臓器提供を望む声を上げた死刑囚は、ニューヨーク・タイムズに寄稿した記事で「自分の死後に自分の体をどうしたいかを自分で決める権利を奪わ ないでほしい」と書いた。彼はその段階で既にオレゴン州の死刑囚35人の大半とコンタクトをとって約半数から臓器提供希望の意思を確認しており、さらに死 刑囚にも臓器提供を呼びかける活動団体を立ち上げていた。

ベルギーで法律上問題なしとして囚人への安楽死が行われているとしたら、その囚人が同時に臓器提供を望む場合には「安楽死後臓器提供」も行われる可能性が あるのではないだろうか。そして、それも囚人のプライバシーを理由に公にはされないのだとしたら、そこにはやはり慎重に議論すべき重大な倫理問題があるの ではないか。


■ディグニタスの“自殺ツーリズム”

病院やナーシング・ホームでも自殺幇助の希望があれば専門職はその希望を尊重すべきだと決めたところもある。スイスのヴォ―州だ。今年6月の住民投票で新 法の制定が決まった。新法施行後には、病院と施設のスタッフには自殺幇助希望者の意思を尊重する義務が生じる。条件は、不治の病または怪我を負っているこ とと、自己決定できるだけの知的能力があることの2点。この条件がどれだけ幅広い病状や障害像の人を対象に含んでしまうかを考えると、暗澹とする。また、 これでは劣悪なケアの施設や病院ほど死にたいと希望する患者・入所者が増えてベッドの回転率が上がることになり、医療やケアの質を担保・向上させるインセ ンティブは、もはや働かないのではないだろうか。

スイスはもともと、自殺に関する法律の解釈から、自殺を希望する人に毒物を飲ませて死なせてくれる民間団体が合法的に活動している特殊な国である。スイス 在住者を対象にした自殺幇助機関のほかに外国人を受け入れるディグニタスという組織があり、世界中から希望者が訪れる「自殺ツーリズム」の場所となって いる。08年には事故で全身マヒになった23歳の英国人青年が「2流の人間」として生きて行くのは嫌だと言って、両親がディグニタスに連れていって自殺さ せた。翌09年には健康な高齢男性が「妻を失っては生きていけない」といって、末期がんの妻と一緒に同じくディグニタスで自殺している。ディグニタスを運 営する元弁護士のルドウィッグ・ミネリは、死にたいと希望する人には無条件に「死の自己決定権」が認められるべきだとの持論の持ち主である。


■「くぐりぬける力」を信頼する

私はこの23歳の英国人青年のことを考えるたびに、「くぐりぬける力」ということを思う。障害に限らず、人は誰でも人生の途上で不運としか呼びようのない ことと人生で出会ってしまう。それでも多くの人は、その不運によって突き落とされる絶望の中から、やがてくぐりぬけて、何とか生きようと思えるところに這 い出してくるのではないか。もう死んでしまいそうな絶望的なところを、命からがらやっとの思いで「くぐりぬけ」た時、人はくぐりぬける必要が生じる前より も深いところにある何かに触れるのではないか、それまで「これが自分だ」と思っていた自分よりも、一つ深いところにいた自分と出会えるのではないか、とい う気がする。


私には寝たきりで全介助の娘がある。全介助の寝たきりだということは、身体ぜんぶ、自分の命の丸ごとを他者にゆだねて生きている、ということだ。そういう 娘と25年間生きてきて、そんなふうに身体を丸ごと相手にゆだね、ゆだねられて、介護し介護される関係性の中には、とても豊かな、豊饒と呼びたいようなも のがあるということを感じてきた。それは、他者と言葉や論理を通じてやりとりをしたり通じ合うことが当たり前の日常を送っている私たちにとって、非常に遠 いものとなってしまっている繋がり合いの形なのかもしれないけれど、言葉を超えて人が身体感覚や存在そのものの次元でコミュニケートし、伝えあい分かりあ い繋がりあう、豊饒で満ち足りた関係性だ。

私たちはみんな無力で無防備な存在だった乳幼児期に、誰かとの間に存在を丸ごとゆだねゆだねられる関係性を経験してきた。そんなふうに人と通じあい、繋が り合う中で互いにかけがえのない存在となるという関係性を知ってきた。だからこそ、そんなふうに生きてきた私たちは誰でも人生の途上で様々な思わぬ理不尽 に見舞われるけれど、そこを「くぐりぬける」力が本当はみんなに備わっているんじゃないだろうか。

事故で全身マヒになって「死にたい」と言っている人に向かって「そうだね。あなたの生は確かにもう生きるに値しないね」と言って毒物を飲ませて死なせてあ げるのは、彼の中にあるはずの「くぐり抜ける」力を信頼しない、ということではないのか。必要なのは、くぐりぬけようとする前から諦めることに手を貸すの ではなく、その人がくぐりぬけることを支える手を差し伸べること、誰にとっても、そういう社会であろうとすることではないのだろうか。


■家族の中に潜む恐ろしい関係性

しかし、この青年の母国、英国は、スイスともその他の国々ともまた違う形で、独自の「死の自己決定権」の道を突き進んでいるように見える。その他の国や州 で合法化されているのは、一定の条件を満たした人が所定の手続きを踏んだ場合の医師による自殺幇助または安楽死なのだが、英国では対象者も幇助の方法も限 定しないまま、近親者による自殺幇助が事実上合法化されたに等しい状況になっている。

英国では08年に多発性硬化症の女性デビー・パーディが起こした訴訟をきっかけに、10年2月に公訴局長(DPP)のガイドラインが発表され、主として近 親者の自殺幇助の起訴判断に一定のスタンダードが示された。自殺幇助は今なお違法行為であるとし、すべての事件を警察が捜査するとしながらも、起訴が公益 に当たるかどうかを判断する基準となる22のファクターを列挙し、最終的にはDPPが判断する、と定めた。その結果、09年以降、証拠が確かだとして警察 が送検した自殺幇助事件は44件あるが、すべて不起訴となっている(11年9月データ)。

その中には先の青年のように、家族がスイスへ連れて行くという形の幇助もあるが、長年介護してきた家族が、「こんな状態で生きるくらいなら死んだ方がマシ だ、死にたいと本人が言ったから死ぬのを手伝った」と言い、愛情と思いやりでやったこととして無罪放免されているケースも多い。最近では、妻を介護してい る夫が妻の自殺を幇助して不起訴になる事件が増えているようにも思え、私は気になっている。

夫と妻、親と子どもは、いずれも力関係にはっ きりと差のある関係性だからだ。自殺幇助を希望する人には女性が多いとも言われている。先ほど触れた、身体ごと命を丸ごとゆだね、ゆだねられる関係、介護 され介護する関係性の豊かさの隣には、家庭という密室空間の中で支配し支配される恐ろしい関係性も潜んでいる。慈悲殺や自殺幇助の問題を考える時、家族の 中に潜む、この恐ろしい関係性から目をそむけてはならない、と思う。


■リン・ギルダーデール事件  

DPPのガイドラインが出る1年前に判決が出た興味深い事件がある。08年12月に、慢性疲労症候群(ME)で17歳の時から寝たきりだったリン・ギル ダーデールを、14年間つきっきりで介護してきた元看護士の母親ケイが殺害した。殺害方法は、砕いたモルヒネの錠剤を空気と一緒に血管に注入する、という もの。ケイは逮捕時にリンについて「死んでいるわけではないけど、まともに生きているとも言えない状態だった」と語り、本人が絶望して死にたいと望んだけ ど自力では死ねなかったので、やむなく殺害したのだと主張。自殺幇助の罪状のみを認めた。

しかし、慈悲殺と自殺幇助は違う。両者を分けるのは決定的な行為を本人が行うかどうかにある。そのためスイスのディグニタスですら、毒物を混ぜた飲み物の ストローを口元にまでは持っていくが飲ませることはしない。飲ませてしまうと自殺幇助ではなく殺害行為になるからだ。ギルダーデール事件では、母親が決定 的な行為を行っている。

が、当時の英国は、先に述べたデビー・パーディ訴訟の行方を巡って、合法化議論が一種の狂騒状態にまで加熱してい た時期だった。英国世論はケイ・ギルダーデールの14年間もの介護という献身に感動し、涙し、娘を殺害した行為に拍手と賛辞を送った。逮捕・起訴した検察 局には「母の愛を裁くな」と、非難の嵐が巻き起こった。そして09年1月、裁判官までが「こんなに献身的で愛情深い母親を起訴したのがそもそもの間違い」 と検察を批判し、事実上の無罪放免としたのである。

英国で家族介護者による自殺幇助事件が不起訴になるたびに、家族介護は密室だ、ということを考える。英国のガイドラインは、相手への思いやりからすること で自分が直接的な利益を得るのでないなら、自殺幇助の証拠はあっても起訴することは公益に当たらないとして、これまですべて不起訴にしている。最近では、 警察が早々と捜査を打ち切っているという情報もある。しかし、それで本当に殺人や慈悲殺と自殺幇助とを区別できるのか、という疑問が私にはずっとある。

ギルダーデール事件の際に一人のME患者の女性が新聞に投稿し、以下のように書いた。「障害のある人を身内が殺して刑罰を受けなかったこの事件は、我々の 社会のダブル・スタンダードの、さらなる1例です。つまり、患者自身の苦痛よりも、病人のケアをしている人のほうに同情が集まる。もしも身障のない人が死 にたいと言って、身内がその人を殺したという犯罪だったとしたら、それは間違いなく殺人となったはずです。自分で身を守るすべを持たない弱者をケアしてい る人たちに向かって、この事件は誤ったメッセージを送ります。『介護者が助けてほしいといっても、その願いは無視されますよ、でもね、もしも、どうにもで きなくなって自殺を手伝うのだったら、同情をもって迎えてあげますよ』と」

私はギルダーデール事件には、アシュリー事件と全く同じ構図が隠れていると思う。どちらも、障害のない人に行われれば違法行為になることが、障害のある人 だというだけで親の愛の名のもとに許容され、そればかりか賛美までされてしまった。その背景として、障害のある人を障害のない人よりも価値の低い存在とみ なす価値意識が社会に共有され始めている、という現実があるようにも思う。

もう一つの共通点は、アシュリー事件の議論の中にもギルダーデール事件の議論の中にも、「社会にできることはなかったのか」と問うてみる視点、「社会で支 える」という視点がまったく欠けていることだ。その意味で、この2つの象徴的な事件では、重症障害児・者本人たちと一緒に、実は介護者である親や家族も同 時に、社会から見捨てられているのだと思う。「自己決定権」や「自己選択」という名のもとに、実は「自己責任」の中に個々の家族が冷酷に投げ捨てられ、そ こに置き去りにされ、見捨てられようとしているのではないだろうか。

親が介護しやすいように障害児の体に無用な医療で手を加えたり、それを小児科医が提唱するような社会ではなく、どんなに重症障害のある子どもも一人の子供 として尊重され、尊厳を認められて、ありのままの姿で成長し生きていくことを許される社会、人生途上で障害を負い絶望する人に「もう生きるに値しない人生 だね」と共感して死なせてあげるのではなく、その人が生きる希望を取り戻すための支援を考える社会、家族介護者が介護しきれなくなったら殺してもOKにさ れていくような社会ではなく、支援を受けながら風通しの良い介護ができる社会へと、社会がどう変わるべきかが本当は問題なのではないだろうか。


■ 介護者もまた支援を必要としている

アシュリー事件を追いかけ始めてしばらくした頃に、仕事の関係で英国の介護者支援制度について知り、時々調べるようになった。英国には介護される人のニー ズとは別に、介護者自身のニーズをアセスメントする責任を自治体に負わせた介護者法がある。日本ではまだ「介護者支援」という言葉そのものが馴染みが薄 く、「支援」というと要介護状態の人への支援でイメージが止まってしまっているけれど、介護を担っている人も生身の人間なのだ。どんなに深い愛情があって も、どんなに壮絶な努力をしても、生身の人間にできること、耐えられることには限界がある。介護者もまた支援を必要としている。私は、アシュリー事件もギ ルダーデール事件も「介護者支援」という視点から改めて考えると、まったく違う様相で見えてくるものがあるのではないか、という気がしている。

日本でも2010年にケアラー連盟という市民団体が立ちあげられた。去年、日本ケアラー連盟として社団法人となり、介護者支援法の制定を求めて活動を始め ている。私も加えていただき、昨年度、北海道の栗山町が日本で初めての介護者手帳を作った際に、ちょっとだけお手伝いをした。手帳の表紙には「大切な人を 介護している、あなたも大切なひとりです」と書いた。

「アシュリー療法」やギルダーデール事件が許容されてしまう国々が向かっているのは、決して誰も幸せになることのない社会のように思えてならない。それは 「自己責任」の中へと「障害者や高齢者や介護者が」棄て去られる社会ではなく、「障害者や高齢者や介護者から」棄て去られていく社会、ではないのか。その 先にできていく人の世とは、一体どのような場所なのか。

尊厳死の法制化を拙速に決める前に、本当に「安楽死や自殺幇助を合法化した国ではおぞましいことは起こっていない」のかどうか、これらの国々で起こってい る出来事についてきちんと知り、「起動安楽死チーム」や「安楽死後臓器提供」が既に現実となっている国々が一体どこへ向かおうとしているのか、しっかりと 見極めるべきだろう。まだまだ知るべきこと、考えるべきことは沢山あるのではないだろうか。


児玉真美(こだま・まみ)
1956年生まれ。京都大学文学部卒。カンザス大学教育学部でマスター・オブ・アーツ取得。2006年7月より月刊「介護保険情報」に「世界の介護と医療 の情報を読む」を連載中。2007年5月よりブログ「Ashley事件から生命倫理を考える」を開設。著書に『私は私らしい障害児の親でいい』(ぶどう 社・1998)、『アシュリー事件~メディカルコントロールと新・優生思想の時代』(生活書院・2011)、『新版 海のいる風景』(生活書院  2012)。「現代思想」2012年6月号「『ポスト・ヒポクラテス医療』が向かう先~カトリーナ“安楽死”事件・“死の自己決定権”・“無益な治療”論 に“時代の力動”を探る」。

荻上チキの αシノドス 「安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 児玉真美」より


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  • @desuada

    「資格を習得して毎日殺り放題だwwあんた死にたいのか?なら俺が殺してやるよ!ヒャッハーw」・・・ていう輩が出てきたりしてね・・・

  • @hurati

    <安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 児玉真美>

  • @kero_bw2

    うーん… 死に関してはデリケートな問題でもあるから <安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 児玉真美>

+ <安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 児玉真美> http://nico.ms/nw386377 #niconews
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  • @chopenuit

    これゆゆしきことじゃないか? 安楽死などが問題解決の手っ取り早い手段となりかねないし、自殺を容認することになる <安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 児玉真美>

  • @noviiro

    親子や、障碍者と介護者の絆が軽視され、患者の言葉を尊重するあまり壁を乗り越える手助けをしなくなった、ということか <安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 児玉真美>

  • @hatakeyama1436

    <安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 児玉真美> 随分長いな..._ノ乙(、ン、)_

  • @amaenbo_

    <安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 児玉真美>  堕胎は許されて安楽死は認めない国が多いのはなんででしょうね。

  • @tyuken_jp

    生きることも死ぬことも許さない社会の改善も必要だろう。もはや人口が多いことは現システムで国家国民互いのリスクとなってるし、導入考えてみては?

  • @F1Tkomura

    なんか・・・・すげえな

  • @kyo_TNT

    ベルギーの安楽死後の臓器移植はすごいな。生きたい人は生きればいい。死にたい人は死ねばいい。そのスタンスが。 <安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 児玉真美>

  • @huuchi

    読んでる  <安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 児玉真美>

  • @you_wing

    個(本)人に対する生殺与奪件は、認めるべきなのではないでしょうか?生きているだけでもつらいと思える時に自身の意思で人に迷惑かけたくない…思いを

  • @CosK314

    QOLや尊厳というのは誰が決めるものなのだろうか?

  • @anakin0611

    <安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 児玉真美>

  • @akira_tomato

    <安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 児玉真美>

  • @yuzuru_D4U

    たぶん、ここのコメ的なものを筆者は全部わかりきってる。それでもあえてこう書いた理由があると踏むべきだと思う。まずは筆者の本をお勧め。一気に読める <安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 児玉真美>

  • @mash_cash

    「おぞましい」かどうかの解釈などに筆者のバイアスを強く感じるけど、とても有用な記事だと思った。私自身はいずれ希望し得る尊厳死を妨げられたくない。

  • @kusare_gedou

    ”「抗がん剤治療の公的保険給付は認められないが自殺幇助なら給付を認める」という趣旨の通知が届く”やっぱこういう話があるのか、こうなるから難しい

  • @hiroujin

    <安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 児玉真美>

  • @hirabarisumi

    いや、本人の意思が大事だから。家族じゃなくてい者がちゃんと本人と話して、最終的に本人が家族に手伝ってほしいって言ったならそれでいいじゃん。

  • @Oshaberitoamto

    安楽死と尊厳死は全くの別物なのになぜ同列で語られるのか。  <安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 児玉真美>

  • @wiki2119

    3行で誰か説明を。いや、本人が。 <安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 児玉真美>

  • @cocoa3776

    日本で実現したら自殺者年間3万人どころじゃなくなりそうだな。

  • @harddays_rabbit

    長い・・・・主旨が伝わりにくい。

  • @m4132

    こういう考えの人はいる。でも国は健常者の問題すら抱えきれてない。この健常者が上という考え方が悪だとするなら、ボクは死刑囚にだってなろう。

  • @kazuki2605

    長い 今北産業

  • @taremeganist

    後で読む

  • @harakirimaru

    これ認めたら過労死消えるで。。。 <安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 児玉真美>

  • @Nonohoo

    長いな・・・(

  • @tyi13

    妻が死んだから死にたいとか認めたら社会が成り立たなくなるだろう。

  • @gakusei_A

    僕は国の立場としては世間が成熟するまでは合法化しないほうがいい気がするけどね

  • @idiodickk

    なげ~よ('A`)

  • @aoiko36

    電車や跳び降りよりマシだし自らの意思で本気で死にたいと思ったなら止める必要はないさ で空白はなんなんだ? <安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 児玉真美>

  • @xxxhhkkqeuylawf

    やっぱ安楽死尊厳死はむずかしいな 調べれば調べるほどわからなくなる

  • @tsuda05

    各国で命の洗濯が始まっているという話。洗剤の如く尊厳死で命が浮き上がる。だが、洗濯が終わった衣類は元の着心地が良く美しい服なのだろうか。

  • @FoolSoul

    人間は多すぎてもいけないし少なすぎてもいけない。 多すぎれば自分の価値に疑問を持ち、少ないと孤独で死ぬからだ

  • @ooo34ooo

    読みにくい記事だなこりゃ…。とりあえず、メモ

  • @koiwaihirosi

    死の自己決定権を認めることと、「くぐりぬける力」を信頼しないという事は別の問題でしょう。要介護者の権利を認めないただの差別主義者ではないか。

  • @zasiwara

    とりあえず、自殺とは無関係だったか

  • @shinkoro31

    所々にある空白を反転させたのは私だけではないはず。

  • @umaka33

    極端な例を出してアピールする所は詭弁の常套手段だな 自殺したい側だってこの程度の件数なら「これは殺してあげたほうがいいわ」みたいな事例あるだろ

  • @Atoranchis

    捕鯨反対国がいかに野蛮かがわかるな。中国の臓器狩りまで真似し始めた…サイコパスが多すぎるのか?それとも極端なキリスト教原理主義への反発なのか?

  • @akiya_sikizawa

    内容がどうというより、所々の空白が何よりも怖い記事だった。

  • @Atoranchis

    「もう生きていたくないという高齢者ならたとえ健康であっても安楽死を認める法改正を求めて運動していく』←正義が金に負けた瞬間。支那の臓器狩りと同じ

  • @j1121160

    さて自殺は認可されるべきかされないべきか <安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 児玉真美>

  • @kukku_akotaro

    言いたいことはなんとなく分かるんだけどさ・・・読みにくすぎやしないか・・・? <安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 児玉真美>

  • @haniho1003

    他人のくぐり抜ける力を信じていないのは、だれよりこの筆者ではないか。笑わせる。 <安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 児玉真美>

  • @haniho1003

    くぐり抜ける力を信じると言いつつ、筆者はまるで安楽死や自殺に至った人間がくぐり抜ける努力を怠ったかのように書いている <安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 児玉真美>

  • @haniho1003

    生に価値を見いだせているひとの意見だろ、これは。世の中、みんながみんな強い人間じゃない。死を強制する権利がないなら、生を強制する権利もないはずだ <安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 児玉真美>

  • @1041989

    終末期医療についてはありだと思うけれどそれ以外をなし崩し的に認めてしまうのはどうかと思う。 <安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 児玉真美>

  • @seijyurousan

    コレなぁ、国家が責任をもって尊厳死の体制をとらんとイカンわ。自殺で迷惑かけるなら、尚の事その後の事を全て想定して体制を持つべき

  • @GEEK1007

    日本は自殺云々の前に自殺の要因をなんとかするべきだと思うけどな

  • @_naruchandayo_

    書き殴り感が凄くて何が言いたいのかさっぱり

  • @AidaMaki

    場合によると思う。世の中には耐えがたい強烈な苦痛を産む病気もあって、私はそういう人達に「自然に命尽きるまで苦しみ抜くべき」なんて言えない。

  • @nerebaneruhodo

    これをみてるとヨーロッパやらで日本の死刑を問題視してる奴らがどんだけ傲慢なのかわかるな。

  • @nebel3

    宮沢賢治の「フランドン農学校の豚」を思い出す。 生き死にの問題を法でくっきり分けるのは難しい

  • @VeryFreed

    日本でも施行すれば良いと思う。今海外から狙われてる2つの島を漫画の自殺島みたいにして流してしまうけどOK?みたいな。数ヶ月過ごして帰ってきて

  • @twnaocchi

    Dr.キリコが現実にでてくるのか・・ <安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 児玉真美>

  • @ippan5893

    死にたがりの人の自殺を助けたり、介護人の殺人は尊厳死とは全然違うと思うんだけどな。

  • @youthorion

    古いところもあるけど社会で全部支えるのは難しいと思うなぁ。あと感情移入が強いのか尊厳死と自殺幇助を介護者視点で一緒にして考え過ぎてる気がするな。 <安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 児玉真美>

  • @tamkaz23

    死を救いと考えるか生を幸せと考えるかってとこか?確かにある程度法で拘束しないと倫理ってのは暴走するよな。

  • @rotarywonda

    ブラックジャックを思い出す…「人間が生き物の生き死にを自由にしようなんておこがましいとは思わんかね……」延命も安楽死も等しく不自然な行いなのだ。

  • @tatsuhikoP

    ああ、この記事こっちにも出たのね  <安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 児玉真美>

  • @ginironoakazema

    ずるずると周囲の想いで生かされる事による苦痛が問題だったりします、でももし意思のある内に尊厳死として安楽死を望むのであればそれは罪ではないかと。

  • @373556

    この件に関してはケースバイケースだなぁ。そしてその結果出た判断が正しいかと言われたらそれも人それぞれだと思う。

  • @ginironoakazema

    まとめがおかしい、ちゃんと構成考えなされ。さておき事件性に繋がるのなんて無くならないです、問題なのは無駄に延命をすることで本人の意思とは別に

  • @chinjufuchoukan

    終末医療についての一視点としてはよい。だが、本を出版されている方にしては、文章がまずい。事実と理屈と感情をごちゃ混ぜにして書いてるから読みにくい

  • @teletsukutsu

    国民人口の1/3が65歳以上になる日本。そのうち要介護者の割合と、介護を行う人口がどれだけになると思う?追い詰められる前に議論したいね。 <安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 児玉真美>

  • @pinafores

    どこからコピペした記事なのでしょう変なスペースが気になります

  • @sznoon

    本人の幸せを客観的に判断する方法がないな。あと、長い。出来れば事実と論理と思いを混ぜ過ぎない方向でまとめてくれ。

  • @achopu0

    死人に口無し。だから数百人単位の第三者機関を配置して治癒の見込みが無い事を確認。自殺の意思を確認、ってやらないとあかんよね。まぁ理想論だけどさ。

  • @QRIATE

    衝撃でした

  • @hotmoon54

    日常茶飯事でなれてしまった「おぞましい」時事は身の回りにそれこそたくさんある、その中に尊厳死をめぐる事由が数件入ったところで何程の事があるだろう

  • @shu_senya

    どれだけセーフガードを敷いたって、周囲の人々の物言わぬプレッシャーは絶対にあるんだよ・・・

  • @n_asai

    すでに国家に対して希望も魅力もろくにないからな・・・

  • @Raven39857

    <安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 児玉真美>

  • @mitsu_1014

    想像以上に深い話だったな…日本で自殺幇助が合法化されたらと思うと……

  • @zeke_evolution

    日本人は鬱になりやすいから自殺幇助すると国民減る。

  • @odagiridai

    オランダ人医師「もう生きていたくないという高齢者なら、たとえ健康であっても安楽死を認める法改正を求めて運動していく」こうやって拡大解釈されてく

  • @heboya

    安楽死、自殺幇助合法化が、そのまま(主に社会的弱者への)自殺推奨社会になる危険性。自殺大国の日本でこれらを推奨したい人の意識はどこに向いているのか?> <安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 児玉真美>

  • @littlendayo

    その子供は生きたいと言っていたしかし現実は生きるのが辛いそんな子供が選択したんだその選択を否定することはだれにも許されないと思う

  • @littlendayo

    安楽死には賛成したくないけど自分と同い年で先天性の病に他にもいろんな病を抱えていて自力では呼吸ができなかったその子供は親と話し合い安楽死を選んだ

  • @tx_bu

    面白かった。

  • @utuno_kurage

    しかし、この点クリアーしないと、終末期医療も進まない。尊厳死は即死だけではなく、ゆっくり死を迎えるケースも含む訳だし。

  • @kabotya____

    <安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 児玉真美>

  • @motsu_sin

    治療して資格とバイトで履歴書作ったら30歳で就職できたぞ

  • @motsu_sin

    俺も胎児の時の病気の後遺症でで意識は不定期にブラックアウトするは身体は字を書くのもきついくらい歪んでたは耳の聞こえは悪いはで大変だったが、

  • @motsu_sin

    小説にあった「命あるものに死を司るのは重過ぎる」という台詞を思い出した。

  • @swee2swee2

    なにいってんだかわからんな <安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 児玉真美>

  • @hanpanaiM

    問題を社会にする。それは皆が平等に生きられる社会が出来ていないっていう論点のすり替え。ハゲ頭を周りが気にしていなくても本人が気にするのにな。

  • @ZERO8492

    日本人はまだ欧米よりも法に関しては未熟なところがあるし、死生観も独特だから、危険な希ガス。

  • @hisanori7542

    そういえばキボキアン先生ってどうなったんだろ? まだ選挙活動をやっているのだろうか

  • @novefs_soul

    これは興味深い話だのー

  • @Nama_no_Sakana

    安楽死についても考えをもう一度自分の中で改めてみるか

  • @annonsorujia

    興味深い…っていうか、いま自分の中でドロドロしているもの。

  • @spirits_yamato

    死にたきゃ勝手に死ねばいいが、法で容認するのは別の意味を持つ。日本人は一線を越えてはならない。

  • @frgxc181

    死ぬのはいけないこと、っていうけど相手にも誇りってものがあるだろ。

  • @SuouKaname

    ページ設定のミスか?空白・・・読みにくい(そして長い)んだが・・・

  • @SaKrada

    良い記事を読んだ。しかし、途中にさしはさまれる謎の空白はなんなんだ…?

  • @gommadare

    非常に興味深い記事

  • @tatsuya1106

    BETAに食われている人を射殺することは残酷かな?自分ができるかは分からんが、間違ってはいないと思う。介錯は必要。ただその判断の整合性がね…

  • @kemuyosi

    文字がとぎれと ぎれになって怖 い <安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 児玉真美>

  • @micro_jpe

    宅配安楽死…そんなのもあるのか

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