- プロフィール
Author:冥王星
予備校の世界史講師
アナーキスト
バイセクシャル(二次元限定)
ペドフェリア(二次元限定)
既婚・主夫(家事主力)
政治活動家(稼げない)
世俗的に言えば「左翼」
(結論)
変態な予備校講師
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1989年に導入されたブータン北部の伝統と文化に基づく(南部の民族にとっては強引な内容、例えば暑い南部で北部の民族衣装の着用を強制)国家統合政策により、誘発された南部の民主化運動(暴力的な事件もあったと言われている)を口実に、行政機関をあげての「民族浄化」が行われたためです。
.民族 チベット系(約80%)、ネパール系(約20%)等
.宗教 チベット系仏教、ヒンドゥー教等
.略史
17世紀、この地域に移住したチベットの高僧ガワン・ナムゲルが、各地に割拠する群雄を征服し、ほぼ現在の国土に相当する地域で聖俗界の実権を掌握。
19世紀末に至り東部トンサ郡の豪族ウゲン・ワンチュクが支配的郡長として台頭し、1907年、同ウゲン・ワンチュクがラマ僧や住民に推され初代の世襲藩王に就任、現王国の基礎を確立。第4代国王は、1972年に16歳で即位。第4代国王の下で、国の近代化と民主化に向けた粘り強い取組が行われてきた。現国王(第5代目)に、2006年12月王位継承。
日露戦争は防衛戦争に非ず
昔から憤りのようなものを感じるのが、日露戦争を「防衛戦争」とする歴史観である。”防衛戦争”観の根拠として
日本が朝鮮を地政学的に抑えることは、自国防衛において重要であり、 当時、ロシア勢力が朝鮮に及べば、日本・朝鮮の独立性を危うくするものだった。 ロシアの侵攻に対する抵抗・防衛行為は、自衛行為に過ぎない。 |
ポーツマスに見る日本側の意図
日露戦争の具体的発火点は1903年の日露交渉において「日本の朝鮮介入権の適否」で最後までロシア側が譲歩しなかったこととも言える。文末に
歴史文献として名著の誉れ高い『父がわが子に語る世界歴史』(ネルー著)では、(日露戦争はアジア人を勇気付けた)ところが、日露戦争のその後の結果は、一握りの侵略的帝国主義国のグループ(=欧州列強)に、もう一国(=日本)を加えただけに過ぎなかった。
その苦い結果を舐めたのが、朝鮮であった。 |