今月で80歳になるも未だフリーダムな石原慎太郎都知事。
彼の小説はもっと自由だ。
自らはアニメや漫画の表現を規制する条例を作り、
「作家や業界が良識を踏まえてものを作るようになった」
とコメントする一方、10年前に出版した『聖餐』は次の内容だ。
まさにフリーダムである。
主人公の健は風俗プランナーで、女性に半透明なビニール袋をかぶせ、
客に触らせる店を運営している。裸ではなくビニールを着ているので
合法だと主張し、それを規制しようとする警察や東京都についてこう考察する。
客に触らせる店を運営している。裸ではなくビニールを着ているので
合法だと主張し、それを規制しようとする警察や東京都についてこう考察する。
第一、連中とてこれを本気で犯罪とは思っていまい。
人間たちが喜ぶことをしていて、それが何かを犯しているという
意識なぞ誰にもありはしない。だから連中との関わりは、
ただ一種の追いかけっこのようなものだった。
つまり、彼らも彼らなりに楽しんでいるということか。
人間たちが喜ぶことをしていて、それが何かを犯しているという
意識なぞ誰にもありはしない。だから連中との関わりは、
ただ一種の追いかけっこのようなものだった。
つまり、彼らも彼らなりに楽しんでいるということか。
それにしても、
都知事が上記を書いていることが
究極のブラックユーモアである。
代表作の『太陽の季節』は前々回にご紹介したが、
他の若い頃の作品もあまり変わらない。
これらの主人公がハチャメチャな理由は、
「素直に人を愛せないから」である。
なんて迷惑な主人公だ。
自分の本当の気持ちがわからず模索しているのだ。
しかし、そんな主人公と都知事が目覚める時がくる。
都知事自らの原点だという次の作品だ。
どんな原点やねん!
と思うが、読み込むとけっこう深い内容だ。
人は「自分は良い人間だ」
「他人から良く思われたい」
「親や友達とは仲良くしておきたい」と思うがゆえに、
自分が本当に思ってないことをしたり考えたりしている。
なので、たとえ親でも誰でも「他人」としてみなし、
「嫌う」という自分の負の感情も認め、
「嫌われること」をためらわない事で、
はじめて自分に正直になれる。
つまり、「○○ちゃんかわいー!」という人より、
「あいつぜったいぶっ殺す」という人の方が純粋で自由だ。
理屈は正しくとも近寄りたくない人物だが、
ここに、現在のストレートな発言の原点があるのだろう。
このことは次の作品にも明確に描かれている。
以上あげた5つの作品を振り返ってみると、
つねに主人公は、自分の気持ちに正直な殺人犯である。
天真爛漫な氏の人柄が、小説にはっきりと出ている。
「憎しみ」が氏のテーマだ。
これらの本を読んでいて思い出したのは、
『スター・ウォーズ』で、アナキンがダークフォースに落ちる場面だ。
師匠のオビ=ワンが「お前は選ばれし者だったのに!」と悲嘆すると、
アナキンが「あんたが憎い!」と大声で叫ぶ。
彼は「憎しみ」が持つパワーにとりつかれてしまったのだ。
この展開はなぜか石原都知事の小説に近い。
そしてダースベイダーの素顔がもし石原都知事でも違和感がない。
むしろそういうCMがあっても面白いのではないだろうか。
氏も性格からいってノリノリで出演してくれるかもしれない。
■プロフィール■
谷口一刀
バカ日本地図&chakuwiki管理人。
1972年滋賀生まれ。
大学を卒業後、空手修行のため渡米。
ヌンチャクを主に学ぶが、帰国後ヌンチャクで食えず、IT業界へ。
現在はバカ広告企画のプロデューサーとして活動。
これまでにバカな本を6冊出版。
運営する個人サイトには、月間100万人が訪れる。
Twitter: https://twitter.com/#!/chakuriki