特集ワイド:原発の呪縛・日本よ! 文芸評論家・川村湊さん
毎日新聞 2012年10月26日 東京夕刊
<この国はどこへ行こうとしているのか>
◇文学からの警鐘を聴け−−川村湊さん(61)
「福島の原発事故から1年半。最初に立ち上がった大江健三郎さんや瀬戸内寂聴さんらも、お疲れになっているころではないかと思うんです」
「日本近代法の父」といわれるお雇い外国人の名を冠した、法政大市ケ谷キャンパス(東京都千代田区)のボアソナード・タワー。20階にある眺めのいい研究室で、文芸評論家の川村湊さんは、今月9日に「脱原発文学者の会」を作家の加賀乙彦さん、森詠さんらと発足させた理由を語り始めた。物書きの得意分野を生かして小冊子を発行したり、討論の場としてサロンを開いたりすることなどを検討しているという。
「今さらと言われるかもしれません。しかし、原発に依存しない社会を構築するには5年、10年と息長く運動を続けていく必要がある。先行する人たちと一緒にやるだけでなく、2番手、3番手として次々に声を上げることが全体の力になる。サッカーの選手交代のようなものですね」
そう言うと、柔和な細い目が一瞬、鋭くなった。「少し手を緩めれば、原子力ムラの逆襲が始まりますから」
日本の文学者は原発とどう関わってきたのか−−東京電力福島第1原発事故は、日本の古典から現代、朝鮮半島の文学まで幅広く研究してきた川村さんに、新たなテーマを課した。「日本はヒロシマ・ナガサキを体験し、戦後、井伏鱒二の『黒い雨』に代表される原爆文学と呼ばれる特殊なジャンルを築いてきましたが、原発に関してはほとんど触れてこなかった。3・11の後、原爆と原発は基本的には同じものであると知られるようになりましたが、それ以前は原水爆の象徴『ゴジラ』は悪いが、原子力の平和利用のシンボル『鉄腕アトム』はいいといった発想がずっとあったと思います」
それは文学者への批評であるだけでなく、川村さん自身の深い反省でもある。「社会変革」「反戦平和」が叫ばれていた70年代前半に学生時代を過ごした。各地に原発が造られ始めたのは、まさしくそのころ。だが関心は向かず、問題性にも気づかなかった。
悔いる思いと「なぜ、こんなことに」という怒りが、3・11直後にペンを握らせた。震災発生当日から15日間の日記に加え、インターネット上に公開されていた原発推進派の文書を全文引用して批判した「福島原発人災記 安全神話を騙(かた)った人々」を昨年4月にスピード出版した。日ごろ、学生に「リポート作成でネットからのコピー・アンド・ペーストはするな」と指導している教員が、自らコピペだらけの本を書いた異色の災害記録となった。