「小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 〜世間に転がる意味不明」

物言いは“すべからく”上品に

バックナンバー

2012年10月26日(金)

2/5ページ

印刷ページ

 素直に読めば、これは、記事を書く側の人間が、あらかじめ悪意を持って取材をすすめる旨を宣言しているカタチだ。こんなタイトルで記事を書いたら、原稿の内容が、たとえ野の花のように可憐であっても、中吊りの広告で流布される部分だけで、人々に良くない印象を撒き散らすことになる。

 ほかにも、本文中には、刺激的な単語がいくつも出てきている。が、ここでは、それらのいちいちには触れない。記事が、全体として、悪意を持った書き方で書かれていたことを指摘すれば十分だ。

 出自に関連する記述や、実父の死、縁戚の来歴にまつわる不祥事は、前述した通り、既に昨年の段階でいくつかの雑誌上で記事になっている。

 その意味では、今回の週刊朝日の記事が書いた内容は、初出の暴露記事ではない。
 にもかかわらず、橋下徹大阪市長は、この記事への抗議の意思表明として、朝日新聞グループ全体に対する取材拒否という、極めて峻厳な態度で臨んでいる。

 昨年来、ほぼ同内容の記事を掲載していた、新潮、文春の一連の記事に対して、強い言葉で罵倒はしたものの、結局、訴訟や取材拒否といった具体的な対抗手段を打ち出すことはしなかったにもかかわらず、である。

 この対応の違いは、どのあたりにあるのだろうか。

 業界筋に流れている分析では、両者に対する対応の違いは、橋下市長が、「相手の足元を見た」からだということになっている。

 一言で言えば、訴訟や抗議に慣れている出版社系の雑誌(←新潮&文春)が、市長がどんな手段で抗議したところで、簡単には謝罪しないのに対して、新聞社系の雑誌である週刊朝日は折れる可能性が高いということだ。

 新潮ならびに文春は、結果がどっちに転ぶのであれ、目先の損得を超えて、決して謝らない集団だ。謝らないということが、彼らの記者魂を支えていると申し上げても良い。彼らは、訴訟であれ取材拒否であれ、闘いを仕掛けられたら、最後まで闘い抜く。よほどのことがない限り、途中で折れることはしない。

 とすれば、闘いの幕が切って落とされれば、それは、市長、出版社双方にとってリスキーなチキンレースに化けることがあらかじめ決まっているわけで、政治家としては、あまりメリットが無い。

 ひるがえって、公称800万部を数える新聞を発行している朝日新聞社は、その公器としての性質からして、抗議や訴訟にはさほど強くない。彼らは、ふだんから人権と良識の守護者としてふるまっている手前、差別や名誉毀損みたいな事柄で争う「泥仕合」は避けたい。そこのところが「社会の木鐸」のつらいところだからだ。

 取材拒否にも弱い。
 特に総選挙が近いと言われている現在のタイミングでは、たとえ一部の政党であっても、注目の集まっている公党に取材拒否を突きつけられることは、来るべき選挙報道においてあらかじめの敗北を宣告されるに等しい事態で、そのような馬鹿げた災難は、何としても回避しなければならない。よって、編集部にでなく、新聞社グループ全体に抗議の刃を向けられた時点で、朝日の側の敗北は、ほぼ決定していた……といったあたりが、事情通の皆さんの一致した見方になっている。

 なるほど。
 聞けば、たしかに、わかったような気持ちになれる話ではある。
 でも、思うに、このテの事情通っぽい解説は、事態の背景を物語っているに過ぎない。 
 本当の争点は、やはり、記事そのものの中にある。

バックナンバー>>一覧

関連記事

参考度
お薦め度
投票結果

小田嶋 隆(おだじま・たかし)

小田嶋 隆 1956年生まれ。東京・赤羽出身。早稲田大学卒業後、食品メーカーに入社。1年ほどで退社後、小学校事務員見習い、ラジオ局ADなどを経てテクニカルライターとなり、現在はひきこもり系コラムニストとして活躍中。近著に『人はなぜ学歴にこだわるのか』(光文社知恵の森文庫)、『イン・ヒズ・オウン・サイト』(朝日新聞社)、『9条どうでしょう』(共著、毎日新聞社)、『テレビ標本箱』(中公新書ラクレ)、『サッカーの上の雲』(駒草出版)『1984年のビーンボール』(駒草出版)などがある。ミシマ社のウェブサイトで「小田嶋隆のコラム道」も連載開始。

記事を探す

読みましたか〜読者注目の記事