通り魔事件の報道について、あれこれと考えながら書いていたら長くなったので、3分割にしました。
⇒その1:ほんとに今年は多い?(このエントリ)
⇒その2:なんで増えた?
⇒その3:テレビは報道を自粛すべきでは?
最初に結論を書いちゃうと、
- 通り魔が増えたとか多いとかいうのは、数を見れば確かにそうなんだけど、額面通りには受け取れない
- テレビは通り魔とか自殺とかのワイドショー的な報道をすぐにやめれ
- 犠牲者のうちの何%かは、あんたらが殺したようなものである可能性は、低くないぞ
- ていうか、報道する意味自体、ほとんどないかも
- ほんとの原因も、ほんとに増えているかどうかもわからんけど、もし「増えた」「多い」と騒ぐなら、マスコミも自分でできる「増やさない工夫」から始めるといいと思うよ
たぶん3つとも、当たり前のことしか書いてません。ていうか、メディアはもっと当たり前のことを書いてくれ。
■マスコミは、今年は通り魔事件が多いと言う
今年に入ってから、すでに8件の通り魔事件が起きており、そのうち4件がここ1カ月半のものだそうだ。
通り魔続発、今年8件目=最近1カ月半で4件−警察庁(時事ドットコム 2008/07/23)
警察庁によると、通り魔事件は、東京都八王子市の殺傷事件で今年8件目となり、昨年1年間の発生件数と並んだ。ここ最近は続発しており、秋葉原で通行人ら17人殺傷(6月8日)▽青梅市のスーパーで買い物中の女性刺傷(7月15日)▽茨城県東海村の川沿いで散歩中の親子刺傷(同16日)▽八王子の殺傷事件(同22日)と1カ月半で4件が起きた。ここ10年の推移を見ると確かに多いようだ。そのためもあってか、あちこちのメディアで、なぜ続発するのかなどといった議論がかまびすしい。
過去10年間の認知件数は、1998年が10件で、99〜2003年は6〜9件、04年以降は3件、6件、4件、8件と推移した。
■通り魔事件は、本当に増えているのか
ちなみに、ぼくらがこの手の事件を知ることができるのは、ほとんどマスメディアを通じてでしかない。マスメディアがすべての事件を報道しているわけはないので、ぼくらが感覚的に「多いなあ」と感じるのは、飽くまで「今年は通り魔事件についての報道が多い」ということでしかない。
で、ここ10年については時事通信の記事でわかったとして、もうちょっと長い目で見ると通り魔事件ってどれぐらい起きているものなのか。こういうときは、みなさまご存知の、かの有名な少年犯罪データベース(http://kangaeru.s59.xrea.com/ )を調べてみるに限る。
同サイトのブログ「少年犯罪データベースドア」を訪れ、ブログ内検索で「通り魔」と入れてみる。2つ記事がヒットした。
31年前の加藤智大(少年犯罪データベースドア 2008.07.01)
通り魔事件の映像(少年犯罪データベースドア 2008.06.11)
検索結果一覧で、後者に「過去の事件については少年犯罪データベース 通り魔事件をご覧ください。昔はとにかくこの手の事件が多くて、ここにまとめているのはほんとうにごく一部だけですが。」なんていう文があることがわかったので、そっちを見てみる。
■昭和30年代までは、もっとずっと多かった
関連部分をちょっと見てみよう。
拙著『戦前の少年犯罪』に「戦前は通り魔がやたらと多いのが特徴で、ほぼ毎日、全国どこかの新聞で記事を読むことができます。」と書きましたら、この表現が大げさではないかと引っかかる方がいたようですので細かいことを記しておきますが、私が目にしたものだけで年に200件近い通り魔の記事がありまして、私が読んでいるのは全国の新聞の半分もありませんから「ほぼ毎日」というのはほぼ正確だと思われます。まあ、きっちり数えているわけではありませんので、あくまで「ほぼ」の話ですが。なお、その記事は「これで5件目」とか「7件連続」とかいうのがちょくちょくあるので事件件数は非常に多いです。と当時のニュース映画の映像が紹介されている(日本映画新社が公開しているそうです。すげえ。詳細はリンク先の記事をどうぞ)。
戦後も昭和30年代までは似たような状況で、その頃の日本がいかに殺伐とした時代だったかはこんな映像でも窺えます。通り魔事件の映像(少年犯罪データベースドア)
(赤字は引用者による強調)
■昭和30年代以降はどうなの?
昭和30年代以降は激減しているらしいことが、上記だけでもわかる。どれぐらい減っているのだろう。
ブログ記事の終わりの方に、こんな話がある。
通り魔の統計は、『昭和58年版 犯罪白書』にある、昭和56年(1981)は254件発生、うち少年による事件は30件、昭和57年(1982)は182件発生というのが唯一のような気がします。減ってるって言っても、80年代でもそれかよ。
その後には、いくつかの統計と警察庁に直接問い合わせた結果から作成した、昭和55(1980)年から平成19(2007)年までの通り魔事件の件数が表で掲載されている。その28年間で10件を超えるのは、昭和57年(13件)、60年(16件)、63年(10件)、平成8年(11件)、10年(10件)の5年。8〜9件という年が5年ある。8件だった年のうちのひとつは昨年、平成19年だ。
なるほど、今年はここ30年ほどでも確かに多い。1982年に比べれば10分の1にもならんとか言ったって、20余年前とは世情も違うし、とか思いますよね。しかも、今年は年の半ばで8件ですから、もし万が一このままの勢いで増えたら、昭和60年と並んで同率トップになるかもしれない理屈です。このままいったら、ね。
続く。
http://blog.livedoor.jp/kangaeru2001/archives/51651790.html#comments
によると、〈事件後、宮崎哲弥氏がいろんな番組で作田明氏の「若者による無差別殺人が増えた(?)要因に少子化や核家族化があげられる」というコメントを紹介しています〉とか〈ヤフーの月刊チャージャーで「少年の人口は減っているのに、少年犯罪の件数はさほど減っていない」(桐生氏)のが不気味な兆候だ。」と言ってるいる人がいますね〉なんだそうです。
なんかもう、なんでも言い放題なのかという気もしますが、そもそも少子化と若者の犯罪の関係って、どうやれば見出せるんでしょうね(少年犯罪ってのは、またちょっと違うと思う)。
確かに、少子化も進んでるし、その結果、若者も相対的に減ってるんです。15歳〜30歳を若者だとして、その15年前の14歳以下をスライドさせてみると、およその傾向がつかめますよね。80年代ぐらいまでは30%台後半で推移していたものが、その後減り続けて2005年には24%とかになってる。2020年ぐらいには18%程度まで減るでしょう。
そういう「若者人口の減少」のことを言ってる運ですかね。それとも、もっとストレートに子どもが減ってることを言ってるんですかね。
それともそこは関係ないのかな。
んで、凶悪犯罪が減ってるのは全体だけじゃなくて、少年犯罪も減ってるし、若者の凶悪犯罪も減ってる。確か、日本だけが20代の犯罪率がすごく低いんですよ。日本で凶悪犯罪をおかしているのは50代以上がピークじゃなかったかな。
まあ、ここ1、2年の通り魔報道で出て来るのは若者が目立っているのは確かなんだけど。
さて、本記事についてですが、これはもう、おっしゃる通り。統計資料をもとにしていらっしゃるのですから、全面的に認めざるを得ません。
しかし、わたしはもやもやした気分でいます。その理由は、
学校にかかわる犯罪、あるいは、犯罪的な事象ですが、
少なくとも、わたしの教員生活35年のなかで、この種の事件は、近年多発しているのです。わたしの学校においても、校庭に石を投げ込まれ遊んでいる子が負傷したり、保護者が教室にまで入り込み、我が子の友達を脅して殴打したり、・・・、まだまだあるのですが、あまり例示するのはやめたいと思います。
そうした事件は、かつての学校では、なかったと思います。(例外として、子どもに対する性犯罪と、学校の物品の窃盗はむかしもありました。)
学校における犯罪(ここでは教職員の起こす犯罪は除外して考えていいですね。)に限定した資料はないと思いますから、統計的には言えず、わたしの見聞きした範囲に過ぎないのですが、この双方をどう解釈したらいいのでしょう。印象はやはり現在の犯罪多発なのです。
そこで思いました。かつては、学校を舞台に犯罪を起こそうとする人はいなかったのではないかと。池田小学校事件の前後から、その聖域扱いがなくなってしまったのではないかと。
もしそうだとして、そういう一部の事象における考察が、全体への認識の誤りを助長することになるのかなと思いました。
とりとめのないことで、申し訳ありませんでした。
そちらでは非常識なまでに長いコメントで、失礼しました。また誤読もあったようで、申し訳ありません。また改めてお邪魔致します。
学校にかかわる犯罪、あるいは、犯罪的な事象が増えている実感があるとのご指摘、重いですね。身近な先生方からも「かつてはなかったようなトラブルが増えている」というお話を聞いたことがあります。
学校での犯罪に関する統計資料も、探せばあるはずです。たとえば下記の記事では、「平成16年度の学校における犯罪は4万3516件。そのうち凶悪犯罪は94件発生している」と書かれています。
http://nikkei.hi-ho.ne.jp/secucon2006/panel/01.html
元になる資料があるはずなので、ちょっと探してみたいと思います。
ご指摘のようなケースが犯罪を扱う統計に現れているかというと、難しいかもしれませんけれど、学校でのトラブルに関する調査などもあるかもしれません。
池田小事件を境に、学校が狙われるようになったのか、ということになるとぼくにはなんの判断材料もありませんが、それを境に学校のあり方が劇的な変化を遂げたという感触はあります。
それまでじわじわと「開かれた学校」に向かっていたものが、全国で一斉に逆を向いたという印象です。地元でも校門は閉鎖され、監視カメラが導入され、パトロールが始まり、放課後の校庭開放は激減しました(それでも「開かれた学校」との両立は模索されていましたし、今も模索されていますが、傍目には一転して殻に閉じこもったように見えたのではないでしょうか)。
ですから、その時期が転機だったとしても、要因も多岐にわたる可能性が高いだろうと思います。
事件や事件報道の影響をどう見るか、統計をどう見るかは、本当に難しいです。
またよろしくお願い致します。
>元になる資料があるはずなので、ちょっと探してみたいと思います。
警察庁の統計に「平成××年の犯罪情勢」という統計がありました。
http://www.npa.go.jp/toukei/
「平成16年の犯罪情勢」(http://www.npa.go.jp/toukei/keiji23/hanzai.pdf)の凡例によると発生場所として「学校(幼稚園)」という項目があるようです。先の記事は、この資料に基づいているのかもしれません。これから、ちょっと詳しく見てみます。
横レス失礼します。
>toshiさん
私のほうが経験年数は少ないのですが、実際に最近事件が多いのかどうかは、安易に判断できないと思います。
かつては教員に知らせずに家庭や保護者同士で解決していたような事象や、泣き寝入りしていたような事柄も、我々教員に知らせてくることが増えたようなことはないでしょうか?
校庭や学校に石を投げる、という事件は、残念ながら20年以上前にも経験しています。
個人の経験の範囲というのは非常に狭く、偏りがちなので、統計が重視されるのだと思います。
私の知り合いのある元教員は、担任生徒が在学中に重大事故に巻き込まれることが一度もなかったのですが、別の教員は勤務開始10年で交通事故で担任生徒が3人(別々の事故で)死亡しています。
この2人の場合、生徒が交通事故にあう確率を印象で語ると大きな差ができると思います。
これは難しい問題ですよね。色々な要因が絡み合っていて。
はっきり言えるのは、個人の観察から、広い対象に容易に一般化は出来ない、という事です。これは間違い無いです。
ここの所は、全体の集合として何を見るか、というのとも関わってきます。つまり、ある学校における傾向なのか、それとも日本の学校全体の傾向なのか。
もし、勤めている学校の出来事についての印象という事であれば、それは、その学校の傾向を語る限りにおいては、有用な資料となると思います。ですけれど、もしそこから、より広い集合について何か言うとすると、それは慎重に行う必要があります。
そして、仮に、ある学校で増えているのが事実だとしても、それが統計的に意味がある違いであるのか、それとも確率的に充分起こり得る事柄なのか、というのも、きちんと考えられねばなりません。憂鬱亭さんが指摘されている通りですね。
もし、検討の対象が、日本社会一般、つまり、日本の学校総体についてであるとすると、その場合には、統計資料を参照しないと、はっきりした事はほとんど言えない、となるかと思います。その場合でも、資料は信頼のおけるものなのか、とか、暗数についてどう考えれば良いか、等、色々考えるべき所がありますね。
池田小の事件は、何らかの大きなインパクトを社会に与えた、と私も思います。あの事件は、マスメディアを通じて社会に広く情報を伝達した、というはっきりした事実がありますので、その方向性はともかく、影響の大きさという点で考えると、注目すべき所であると考えます。
それがどのような社会的認知の形成に繋がったか、などは、また検討が難しい問題でしょうね。これは、社会学や社会心理学等の対象なのだと思います。浜井氏の論考等で、色々指摘されていますね。
論理的には、学校に対する認知が変わり、学校内という空間で問題行動なり犯罪なりが増加する、というのはあり得る事ですね。がしかし、それが「事実どうであるか」は、調べなければ解らないのですね。ここは、絶対に押さえておかねばならない部分です。もちろん、「調べても判明しない」可能性すらある訳です。
また、「現在どうであるか」と、「過去に較べてどうなったか」、というのも、一応分けて考えるのが重要かも知れません。
全国を回るような形で活動をされている人の場合、ソースも全国レベルだったりするわけですね。
こうなると、だんだん「個人の体験」というよりも「個人の体験の集積」になってくるんですよね。統計に近いような精度を持つこともあるだろうと思います。
ただ、やはり口コミや直接体験で得る知見というのは、自分のバイアスを排除するのが難しいですよね。印象に残る情報とそうではない情報があったりして、それまでに得た感触を補強する方向でまとめがちなようです。
信頼のおける統計が重要な由縁のひとつかと思います。
もっとも逆の面では、直感・直覚が正鵠を射ることだってないわけではない。人間の、とくにキャリアを積んだ専門家の洞察力はすごいと思うこともあります。
もちろん、キャリアを盲目的に信じることはできませんし、ある点で素晴らしい洞察力を発揮した人が、別の点ではとんでもないことを言い出すことだってあるわけですが。