昭和31年頃の通り魔など
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作成日時 : 2007/03/27 11:59
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産業経済新聞 大阪版 昭和29年(1954年)1月26日 火曜日 7面
仲居さん 刺さる 北区に 通り魔
25日 午後 7時 15分ごろ 大阪 北区 梅ヶ枝町 20 先 路上を 同区 西寺町 大日本製薬 第三工場内 仲居 S子さん(30歳 女性)が 歩いて いると、前から 来た 男が いきなり S子さんに 抱きつき、匕首様の もので 左背に 治療 1週間の 刺傷を 与えて 逃走した。S子さんの 話では、賊に 心当たりは なく、22, 3歳、会社員風で 中折帽を かぶって いたと いって おり、天満署では 痴漢の 通り魔と みて 捜査を 開始した。
産業経済新聞 大阪版 昭和30年(1955年)3月6日 日曜日 第7面
娘さんの 背中 突き刺す 浪速 追いかけて きた 中学生?
5日 午後 8時 50分ごろ 大阪 浪速区 新川 洋裁師 N さん(26歳 女性)(←年齢は判読困難であった。25歳かもしれない)が 同町 655付近の 空地を 通行中 追いかけて きた 若い 男が いきなり 小刀ようの もので N さんの 背中を 突き刺し 全治(←判読困難であった) 10日間の 傷を あたえて ○に 逃走した(←判読困難であった)。
浪速署(←判読困難であった)で 犯人を 捜査して いるが 5尺ぐらい 学生服に ジャンパーを 着て おり 新制 中学生風。
産業経済新聞 大阪版 昭和30年(1955年)4月27日 水曜日 14版 7面
道を 尋ね 少女 刺す 布施で 尾行して 来た 男
26日 午後 8時半ごろ 布施、養○業、Cさん(←原文には、『「日本人のような姓名」こと「日本人の姓としては私が見たこともない名字+名前」』が書いてあったが、プライバシー保護のため、ぼかした)(42歳 男性)の 二女 A子 さん(18歳)が 勤務先の 大阪 東成区 大成通 △丁目 H 美容室からの 帰途、自宅付近の 同市 長栄寺 九番 同先に さしかかった ところ、近鉄 布施駅から 前後して つけて きた 18歳位の 男が
“氷和駅に 行くには どう 行けば よいか”
と 話しかけたので 同女が
“あちらの 方です”
と 指した ところ、やにわに かくして いた 刺身包丁ようの もので A子さんの 左わきばらと 左胸を つきさし そのまま 西方に 逃走した。A子さんは ただちに 布施 市民 病院に 収容されたが 重体、布施署では ×情に からむ 犯行と みて 捜査して いる。
なお、現場は 布施署 長栄寺 派出所から 北 約 50bの くらがりで あった。賊の 人相は 5尺3寸位、丸ガリ、白カッターに 黒ズボン、下駄を はいて おり、眼鏡を かけて いる。
産業経済新聞 大阪版 昭和31年(1956年)3月11日 日曜日 14版 7面
北大阪に “顔きり魔” 東淀川で 娘さん 2人 切らる
10日 夜、北大阪で 相次いで 顔きり魔が 現れた。同日 午後 8時半ごろ 東淀川区、事務員 I 子さん(20才 女性)が 阪急電車 神崎川駅で 下車、帰宅の 途中、同区 堀上元町 3付近で 暗がりから 飛び出して 来た 男が みだらな ことを いって 突然、カミソリようの もので 顔を 切りつけ 、右頬、鼻に 3週間の 傷を 負わせて 逃走。さらに 約 10分後の 同 8時 40分ごろ 同区、武田薬品 検査工、A子さん(24歳 女性)も 近所の 友だちと 稽古ごとの 帰り、同町 北通 3ノ36付近で 待伏せて いた 男から 顔を 切りつけられ、上唇から 右頬に かけ 1週間の 傷を 負い、男は そのまま 逃走した。同現場は 500bしか はなれて おらず、同一犯人の 仕業と みられ、35, 6歳、5尺1寸位で 中折帽に 黒ぶち眼鏡を かけ、オーバーの エリを 立てて いた。I 子さんの 話では
阪急電鉄 神崎川駅で よく 顔を みた 男だ。
と いう。
なお さる 24年から 29年 夏に かけて 同署 管内で 発生した 21人の “顔切り魔事件”は ○◇が 小刀、キリなどで、背後から 襲って おり、一応 関係は ないと みられる。
産業経済新聞 大阪版 昭和31年(1956年)3月17日 土曜日 14版 7面
また 「顔切り魔」 横行
16日 午後 8時半ごろ 堺市、工員 Kさんの 二女 工員 H子さん(21歳 女性)が 男の 友だちと 自宅近くの 同市 長曽根町を 通行中、前から 自転車に 乗って 来た 男が すれ違いざま 鋭い 刃物で H子さんの 右肩を 切りつけ 逃走。H子さんは 市立S病院に 収容されたが 口から 耳に かけ 約 5aに わたり 切られ 治療 2週間の 傷。
最近 2ヶ月に ○×顔切魔が 反正仁▽◇線を 中心に 出没、すでに 4人の 娘さんが 鋭い 刃物で 顔を 切られて おり、堺北署では 手口から 同一人に よる 仕業と みて 特別警戒を 実施、捜査中で あった。
産業経済新聞 大阪版 昭和31年(1956年)3月25日 日曜日 4版 3面
殴られた 男は 死亡 アベックの バット 事件
既報= 24日 夜 8時ごろ、堺市 南長尾町 2丁目付近の たんぼで 同町、府営 金岡13号 アパート ×◇○号、会社員 Y子さん(26歳 女性)と 雑談中 何者かに 後から バットで 頭部を 数回 殴られ、頭部骨折、脳内出血で 府立 堺病院に 収容された 泉北郡 高石町 羽衣、会社員 H氏(27歳 男性)は 25日 午前 11時 死亡した。
下記の新聞記事では、本文が判読困難であったので、見出しのみ載せる。なお、昭和31年(1956年)4月23日起った通り魔事件であり、被害者は22歳女性であり、加害者は27, 8歳くらいの男性であり、この新聞記事の時点では、まだ捕まっていなかったらしい。
産業経済新聞 大阪版 昭和31年(1956年)4月24日 火曜日 14版 7面
女店員 切らる 堺で 通り魔
産業経済新聞 大阪版 昭和31年(1956年)4月28日 土曜日 4版 3面
南区に 通り魔 女中さん 腿 切らる
27日 夜 11時半ごろ 大阪 南区、料理旅館 Sの 住込女中、K子さん(16歳 女性)が
「戒橋交差点付近を 通行中、紺の 背広の 男が 突き当り、スカートの 上から 右太腿を カミソリで 切られた」
と 南署に 届け出た。K子さんは 治療 約 1週間の 傷を うけて おり、男は 25, 6歳、5尺3寸、○長。南署では 傷害容疑で“腿切り魔”を 捜査して いる。
日本経済新聞 夕刊 昭和31年(1956年)10月18日 木曜日 4版 3面
京浜線で また モモ切り
ラッシュ時の 国電内や 駅ホームの 混雑を ねらう モモ切り 事件が また 起り 東京 公安課では 犯人捜査に 躍起と なって いる。18日 午前 7時半ごろ 京浜東北線 蒲田ー川崎間で 大宮発 桜木町行 電車に 乗って いた 東京都 大田区 会社員 S子さん(22歳女性)は カミソリようの もので スカートの 上から 左大たい部に 長さ 15a、深さ 3a、右でん部に 長さ 10a、深さ 4aの 2ヵ所を 切られ、横浜 鉄道 公安室に 届出た。S子さんは 全治 2週間の 負傷で ある。
東鉄管内での モモ切りは 先月 26日以来 これで 5回目、いずれも 朝夕の ラッシュ時に 20代の 女性と 女子学生が ねらわれて いる。5件の うち 3件は いずれも 京浜東北線 電車内で 起った もので、目撃者の 話から 犯人は 5尺3寸、17, 8歳ぐらい、黒の 学生服を 着た 高校生風の 男で 常習犯らしく、いずれも 安全カミソリの 刃の ような ものを 使って いる。特に 混雑した 電車内から 押されながら 下車する 際が ねらわれ、後ろから 切られる ことが 多いと 当局では 乗客の 注意を 望んで いる。
参考として、
転載自由のサイトである
http://kangaeru.s59.xrea.com/31.htm
から、下記に転載する。
昭和31年(1956).12.26〔中3が電車で女性ばかり7人の腿切り〕
東京都秋葉原駅で、中学3年生(15)が電車から降りようとした女性事務員(24)のスカートをカミソリで切り裂き1週間のケガを負わせたが、被害者が捕まえて駅員に突き出した。「下着が見えたり、驚く女の顔がおもしろく、すごいスリルがあった」と自供。通学途中の総武線で先月から女性ばかり7件のモモ切りを犯していた。江東区の中流家庭の長男だった。
ちなみに、神奈川新聞によれば、昭和29(1954)年8月1日頃に、片瀬海岸東浜海水浴場で、太もも切りが頻発していたらしい。詳細を知りたければ、下記サイトがお薦めである。
http://miurahanto.net/20th/index.html
http://miurahanto.net/20th/19540802.html
ついでに、転載自由のサイトである
http://kangaeru.s59.xrea.com/31.htm
から、下記に転載する。
昭和31年(1956年) 7月27日〔片瀬東浜海水浴場でまたもや切り裂き通り魔〕
神奈川県藤沢市の片瀬東浜海水浴場で、泳いでいる女性(28)が若い男にカミソリで下腹部からモモまで12センチ切られた。
この海水浴場では昭和28年18人、昭和29年13人、昭和30年は3人の派手な水着の女性が泳いでいる最中にモモやお尻を切り裂かれており、犯人は捕まっていない。
せっかくだから、戦前の通り魔事件の新聞記事を下記に引用する。下記の大阪朝日新聞の新聞記事は、大阪府立中央図書館で紙にコピーしたものを手入力したものである。なお、年齢は数え年であるので、私がイメージしやすいように、推定される満年齢を付け加えた。ちなみに、原文は縦書きであったので、「右〜」という表現が使われていたが、いちいち注意書きを挿入すると、読みにくいので、そのまま、「右〜」と入力した。また、原文の仮名は、そのまま入力した。
大阪朝日新聞 昭和11年(1936年)4月25日土曜日 四 (二)
京の 通り魔 捕る 日本刀を 抱いて 寝る 空家の 少年 数回の 女斬りを 自白す
京洛の 婦女子を 震え上らせた 街の 通り魔は なんと 小学校を 出た ばかりの 15歳の 少年(←満13〜14歳位か?)で あったー
昨年 12月下旬の 夜 左京区 ショップガール K子(22年)(←満20〜21歳位か?)が 帰宅の 途中 岡崎公園に おいて 自転車と 擦違った 刹那 背部に 5寸大の 小刀を 突刺し 昏倒せしめた 事件が あり それより 引続き 同様の 被害は 新京極に 5件、岡崎公園に 3件 あり 犯人は 常に 自転車に 乗った 小男で ある ところから 右犯行は 少年の 仕業と 睨み府 刑事課では 必死の 捜査を 続けて いたが、23日 夜 百万遍 Kアパート付近の 空家に 日本刀を 抱いて 寝て いる 少年を 川端署員が 発見、疎水に 飛込んで 逃走せんと するのを 逮捕、取調べた 結果、右の 犯行 一切を 自白した。
この 少年は 左京区 吉田本町 飲食店 山田 三次 長男 清(15年)(←満13〜14歳位か?)=いずれも 仮名=で 昨年 某 小学校を 卒業、ギャング映画に 心酔し同年 8月 家出、歪んだ 春の めざめで 右の ような 残忍所業に 快感を 感ずると ともに 北白川追分町 T方に 忍び入り 同家 下宿人の 書籍を 盗んだ ほか アパート、下宿屋を 舞台に 十数回の 空巣を 働いて いた もので ある。
私が、ギャング映画に心酔したからという理由で、この犯罪者に情状酌量してはいけないと思っているのはいうまでもない。そのへんの詳細は、私が書いた下記ブログ記事参照。
http://supplementary.at.webry.info/200701/article_4.html
ちなみに、「疎水」というのは、「灌漑・給水・発電などのために土地を切り開いて設けた水路」のことである。
なお
http://web.mac.com/smuraka/iWeb/Site/At%20the%20moment/A980F670-3A91-11DB-9D14-00112431537A.html
に
「川口市にまた少年通り魔 人妻刺されて重体」
(毎日新聞昭和41年8月31日朝刊15面)
が載っていた。
なお、このブログ記事に関しては、自由に使用してよいものとする。さらに、特殊な漢字や文字が用いられていたが、現在、一般的に用いられているであろう漢字や文字に直して載せたことも念のため、断っておく。
ちなみに、産業経済新聞大阪版は、大阪府立中央図書館でコピーしたものを手入力したものであるが、その図書館では、昭和30年以降の数年間、産業経済新聞大阪版はマイクロフィルムしかなく、判読困難な箇所があり、そういう箇所は前後の文脈から推測したことを念のため、断っておく。また、日本経済新聞(←載っている少年犯罪や性犯罪などの場所に東京付近が多いことから、東京版と推定される)は、国立国会図書館 関西館で紙にコピーしたものを手入力したものである。
また、原文では、実名や詳細な住所などが記載されていたが、プライバシー保護のため、省略したり、ぼかしたりした。
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