スティーム・パンクというのは、本来はSFの用語だ。
SFの源流は(定義にもよるが)19世紀に遡る。ジュール・ヴェルヌはフランスで1864年に「地底世界」、1865年「月世界旅行」、1870年「海底二万マイル」、1871年「洋上都市」など「空想科学小説」を次々に発表、機械技術がもたらす新たな社会の姿が空想逞しく描かれ始めた。
それから100年あまり、1980年前後に「サイバーパンク」をもじったジャンル名称として提唱されたのがスティームパンクである。
これは要するに、初期SFの作風に影響を受けて現代の作家が描いた「レトロフューチャー」である。
ヴェルヌが描いたのは当時の知見に基づく「来たるべき未来の姿」である。対して、スティームパンクが描いているのは「来なかった未来」だ。蒸気機関が内燃機関にとって代わられ、電気技術が電子技術へと発展した現代社会ではなく、たとえば蒸気機関が主力のまま成長を遂げた社会、たとえば解析機関が完成・普及し情報化社会が100年早く到来した社会。レトロ・フューチャーであると同時に歴史改編SFの要素を色濃く持つものであると言える。
とはいえ、実際にはそれほど厳密に定義されるようなものでもない。語の成立当初から、スティームパンクは大雑把に雰囲気で成り立つジャンルであった。
蒸気といいながら、必ずしも蒸気機関にこだわらない。パンクといいながら、特に退廃的であったり反社会的であったりするわけでもない。SFだけれど科学的とも限らない。そんな緩いジャンルに過ぎないのだ。
ファッションとしてのスティームパンク
結局スティームパンクはSFとしてはあまり広まらず(とはいえ一部には「天空の城ラピュタ」のような知名度の高い作品もあるが)、むしろファッションとして浸透していった。基本的には産業革命華やかなりしヴィクトリア朝様式を中心として機械装置っぽいものを組み合わせたスタイルだが、クラシカルさを漂わせるゴシック系ファッションとの親和性も高く、また米国では同時期のスタイルであるウェスタンとの組み合わせも多く見られる。日本では本来ならば江戸末期〜明示初期に当たる時期だが、鎖国によって科学技術の導入が遅れた日本では蒸気機関車の国産化は20世紀に入る明示末期〜大正頃まで待つ必要があり、洋装化が進み独自の和洋折衷様式を持つに至った大正モダンとの相性が良い。
当時の加工素材を反映し、革及び真鍮が多用される傾向にある。そのため茶〜金系の色彩をベースとし、それに合わせる布地も基本的に色彩を抑えた渋めの色合いを基調とする。また、機械部品、とりわけ歯車を装飾的に使用することが多い。
ファッションの一語で済ませるには大仰なスタイルで、半ば「コスプレ」の域にあるものも少なくない。とはいえ特定の作品設定に則るのでない限りは明確な縛りもなく、なんとなく共有されるイメージはあるものの個々の作り出すものはかなり異なっている。
個人がスティームパンクと思えばそれがスティームパンクだと言っても良いのだが、まとまりを考慮すれば自分なりの一貫性というものは必要だろう。そこで、参考までに産業革命時代の技術水準や流行を示す。
スティームパンク時代の技術史
当時の服飾技術
合成染料
19世紀は染色の時代である。1856年に紫色の合成染料モーヴが開発されると、1869年に茜色のアリザリンが、1880年には藍色のインディゴが合成され、機械式織機と相俟って鮮やかな色彩を持つ布地が大量生産されるに至った。
にも関わらず、当時の流行色は「黒」だったという。とりわけ男性の服に於いて黒が重用され、その傾向は上流のみならず中産階級にまで普及した。これは蒸気機関に顕著な問題としての「煤煙」と無関係ではないだろう。煤で汚れがちな街では黒こそが合理的だ。
化学繊維
1855年、ニトロセルロースから最初の化学繊維レーヨンが開発され、特許取得。絹のような光沢を持ち重用されたが、原料となるニトロセルロースは「綿火薬」と呼ばれる極めて燃え易い物質であり、「ドレスに火が付いて火だるまになる」などの事故が相次ぎ、20世紀初頭には使用されなくなった。
しかし1884年頃には別の製法が開発され、ニトロセルロースではなくセルロースそのものを繊維化するようになった。
ジーンズ
1853年に米国でリーバイスがカンヴァス地を用いた作業用パンツを販売。1880年にデニム地に変更、現在のジーンズが完成する。
ミシン
近代的なミシンの原型は1810年に発明された。1830〜50年にかけて英米を中心に複数の特許が取得され、1850年にはシンガーがミシンの製造販売を開始している。
アイロン
1882年に最初の電気アイロンが特許取得。それまでは鉄の鏝に炭火を入れる炭火アイロンか、専用のストーブの上で加熱しては使うものが一般的であった。
眼鏡
当時はまだ眼鏡のフレームは様式が定まっていない。現代のものに近い、楕円フレームにテンプルを備えたものも登場しているが(フレームは細い鋼あるいは鼈甲が用いられた)、耳かけというより頭を押さえる方式であった。その他に、より古い形として鼻梁を左右からバネで挟み込む鼻眼鏡や、頭の上からアームで吊るもの、棒付きで手に持って使うものやチェーンの付いたレンズを眼窩に嵌め込むモノクルも使われた。
明治時代の眼鏡|玉水屋電子博物館|メガネの玉水屋
眼鏡とは別物だが、ゴーグルについても触れておこう。元々は航空機の操縦者が風から目を保護するためのものであり、登場は20世紀初頭である。
雨具
歴史的には傘は雨具ではなく日傘・天蓋として発達してきた。現在のような「こうもり傘」が作られたのは18世紀頃だが、当初は日傘あるいは「女性の持つ雨具」として使われ、男性がこれを雨具として使うようになったのは18世紀の末頃からだという。
それまで男性は主に「オイルド」と呼ばれる、油脂を染み込ませて撥水効果を持たせた布で作られたレインコートを使用していたが、1823年にイギリスでマッキントッシュが「ゴム引き」と呼ばれる、2枚の綿布の間に天然ゴムを挟んだ防水布を発明、以降レインコートの代名詞となった。
当時の機械技術
鉄
産業革命に大きく影響した技術のひとつが製鉄である。鉄は頑丈で使い易い素材だが、鉄鉱石からの溶融には高い温度が必要なため製造が難しかった。これを、石炭を蒸し焼きにすることで不純物を取り除いて多孔質の炭塊であるコークスを得、精錬を容易にしたのが大きな技術革新だったと言える。また、石炭から抜けたメタンや水素を含む可燃性ガスはそのままガス灯に流用された。
アルミ
アルミは精錬に電気を用いるため、鉄よりも精製が難しい。初めてアルミが精錬され元素としての存在を確認されたのは1807年(この時点では鉄との合金)、単離に成功したのは1825〜27年だが、この頃は貴金属扱いであった。
1840〜50年代に電解法が発明されて量産が開始されるが、現代でも使われる手法の成立は1886年。
照明
1797年に英国でガス灯が発明された。石炭を精製してコークスを作る際に副産物として生じる「石炭ガス」を燃料とした照明器具で、定期的な燃料補給が不要になる利点があり普及した。ガスの噴出口を潰して平たく炎を広げることで照明範囲を拡大しているが、明るさが充分とは言えなかった。1871年以降は日本でもガス灯が普及し始めた。
1886年に白熱マントル灯が発明されて3倍ほどの明るさが得られるようになった。
一方、1802年には最初の電球が発明されているが、寿命、光量とも実用的とは言えなかった。1835年頃から段階的に改良が続けられ、1878年のエジソンによるフィラメントの改良、及び1880年代の電気インフラ展開によって、ようやく実用的な照明装置としての地位を確立する。
また1900年に炭化カルシウムと水の反応を利用した、極めて明るいカーバイド・ランプが発明され、灯台の光源や自動車の前照灯などに利用された。
ガラス
ガラスの歴史は古く、窓への板ガラス利用についても紀元前から行なわれているが、近世まではクラウンガラスと呼ばれる、吹きガラスを遠心力で円盤上にしたものが主流であったGoogle画像検索例。大きな面積の平板を得るのは困難であり、そのため当時の窓は桟で小さく区切られたデザインとなっている。18世紀頃には円筒の吹きガラスを切り開いて平板を得る手法が開発されたことで板ガラスの大型化と量産が可能になり、1851年ロンドン万博のクリスタル・パレスは全面を板ガラスで覆った。
製鉄と同様の手法で圧延ローラーを通す製造法も19世紀中頃には開発されているが、平滑さに欠け両面の研磨を必要としたため実用的ではなかった。この方式は1920年代のロールアウト法に発展し、1930年代以降は「表面に模様を入れたぼかしガラス」が作られるようになる。
その後、1901年には溶融したガラスをローラーで垂直に引き上げる手法が開発され、手作業によらぬ大量生産が開始されるが、日本に入ってきたのは昭和初期のことであり、それまでは円筒法を使用している。
ガラスづくりの基本
光学技術
レンズそのものは古くから使われており、紀元前700年ごろのものが出土している。1590年代頃には最初の望遠鏡及び顕微鏡も製作されている。
電気
1746年にはライデン壜の発明により蓄電・放電が可能となり、また1800年にはボルタが化学反応を用いたガルヴァーニ電池を発明しているが、電圧を安定させ動力源として利用可能な電池は1866年のルクランシェ電池まで待つ必要がある。これは構造的にはほぼ現代の電池に等しい。
発電機及びモーターは1820年代〜30年代に確立しているが、大規模な発電装置からの送電というインフラが展開するのは1880年代から。
電子技術
1884年にエジソンが電球の実験中に発見したエジソン効果を受け、1904年には最初の真空管が発明されている。電気回路に用いられ整流、変調、検波、増幅などの機能を担い、20世紀半ばまでの電子技術を担った。
通信
電信以前の高速通信技術としては、フランスで1792年から開通した腕木通信システムがあった。これは塔の上に設置された腕木の向きによって視覚的に信号を送るもので、10km以上の距離を越えて瞬時に通信可能な利点があった一方、10〜30km程度毎に通信士を置かねばならず、また常時腕木を監視する必要があり、決して容易な方法ではなかった。とはいえ国内を僅か8分で通信が行き渡る速度は当時としては驚異的なもので、一時期はヨーロッパに広く普及した。
なお日本には同時期に旗振りと呼ばれる視認通信が普及した。これは主に相場を伝えるためのもので、長竿に旗や提灯を着けたものを用い3〜5里ごとに旗振り師が立ち、大阪〜広島間を30分程度で結んだとされる。
1839年には電信が開発され、順次腕木通信を置き換えていった。1866年には大西洋横断海底ケーブルが開通し、大陸間通信網が成立。
また1876年に電話が発明され、続く78〜79年に英国・米国で相次いで商業電話サービスが始まったことにより、通信は音声の時代に移行してゆく。
無線通信は1893年ニコラ・テスラの無線トランスミッター、後1901年マルコーニの無線通信によって拓かれた。
フェッセンデンは1900年にラジオを開発したが、公共放送が開始されたのは1920年である。日本でも1923年に放送免許が交付されている。
意外にも映像通信はむしろ歴史が古く、映像の信号化手法についてはまず1843年にファクシミリの原型が特許を取得、1898年にはいくつかの新聞社がFAXを採用している。1906年には光電管を用いて白黒だけでなく中間色の認識が可能となり、写真の送信が現実的になった。
また1897年にブラウン管が発明され、1925〜27年には各国でテレビの放送実験が行なわれたが、定期的な放送が開始されたのは1935年のベルリンオリンピック以降である。
気送管
1854年イギリスで初めて実用化された、荷物を収めた金属カプセルを空気圧で送り出す短距離輸送システムで、主に郵便用途に使用された。かつては主要都市の隅々までを結ぶほどに発達し、気送管鉄道構想まで打ち出されたほどだったが、20世紀に入った頃にはほぼ廃止された。
パリの気送管ネットワークの例
現在では工場内部の簡易輸送用など限定された範囲で利用されている。また、第二次世界大戦頃までの大型戦闘艦では通信室を攻撃から守る目的で艦内深くに設置していたため、艦橋との通信に艦内気送管が使われていたという。
カメラ
感光により化学的に光を定着させる写真機が登場したのは1826年頃。実用化に至ったと言えるのは1836年のダゲレオタイプからだろう。
感光板が工業的に量産されるようになったのは1871年の乾板写真発明以後のこと。ここで初めて写真機は携行可能なほど小型化された。フィルムの発明は1885年、最初は紙フィルムだったが1889年にはセルロイドフィルムに変わっている。現在知られる35mmフィルム写真機が販売を開始するのは1925年のこと。
時計
懐中時計が発明されたのは17世紀。18世紀の時計職人ブレゲにより飛躍的な進歩を遂げ、遅くとも19世紀初頭には腕時計が作られ始める。ただ、この頃の腕時計は(懐中時計よりも格段の小型化が求められるため)非常に高価で、ほとんど普及していない。
腕時計が市民の間に普及し始めるのは20世紀以降。飛行機の発明により、操縦士が片手を放すことなく時間を確認できる腕時計の需要が発生したことが契機のようだ。
筆記用具
万年筆は原型の発明なんと10世紀エジプトだそうだが、現代型に近いものは19世紀初頭に始まる。幾度かの改良を経て、毛管現象を利用した自動インク吸い上げペン先の発明が1883年のこと。
音楽再生装置
楽器の自動演奏技術は早くから研究され、様々な装置の発明へと繋がってゆく。
多数の発音装置を同期的に作動させる方法の考案は、例えば円筒に刻まれた凹凸によって、あるいは穴の空いた紙によって記録された通りの再生を可能とし、これらは一方でオルゴールや自動演奏オルガンへ、一方でパンチカード式の自動織機や演算装置へと発展する。
オルゴールの発明は18世紀末、1815年には工場で量産されるようになる。主に時計の産地で製造された。1862年にはシリンダー換装可能なものが作られ、1885年頃には円盤型が主流となってゆく。
音声振動を記録する最初の装置は1857年に発明された「フォノトグラフ」。ただしこれは波形を視覚的に記録するものに過ぎず再生はできなかった。
1877年にエジソンが錫箔を貼った円筒型の「フォノグラフ」を、1887年にベルリナーが円盤型レコードによる「グラモフォン」を発明。
車両
1769年に発明された「キュニョーの砲車」の後、1801年にイギリスでトレビシックが蒸気自動車の試作を開始。1827年には馬車に代わり定期便の運行が開始されるまでになる。
しかし内燃機関の普及は意外に遅く、19世紀の末から20世紀初頭にかけてはむしろ蒸気自動車が優勢で、特に米国では小型・高出力化が進行し、またフラッシュボイラーの発明により始動も劇的に短縮されたことで半数以上が蒸気自動車で占められたという。1906年にはスタンレー・スチーマーが203km/hの速度記録を樹立。
またこの時期は電気自動車も人気だった。これらは1920年代の末頃まで生産され続けたが、航空機用を中心に急速に発達した内燃機関に押され姿を消してゆく。
鉄道は、16世紀には炭鉱などで木製レールの上を走らせる貨車が既に存在し、18世紀には鉄製レールに置き換えられてゆくが、自走する車両の走行は1804年のトレビシック蒸気機関車まで待たねばならない。その後戦争の影響で馬が不足し、代替としての鉄道輸送研究が進む。1825年には最初の商用路線が開業し、1863年にはロンドンに地下鉄が引かれる。また1879年には電気機関車が作られ、1881年にはベルリンで電車の営業運転が始まっている。
最初のモノレールは1821年に発明されたが、様々な方式が乱立し、本格的な営業は19世紀の後半まで待たねばならない。現代型に近いものとしては1876年リロイ・ストーンの跨座式や1886年マイグス式、また1901年にはヴッパータールに片持ち懸垂式の空中鉄道が開通、現在も営業を続けている。
戦車は1915年から開発され、1916年に実戦投入されている。
自転車はその祖先たる「ドライジーネ」の登場が1817年、これは前後2輪とハンドルを備え跨って乗るところは現代のものと同じながら駆動装置がなく、足で地面を蹴って進んだ。1861のミショー型で初めてタイヤを回すクランクペダルが着くが、前輪の軸に直接取り付けられたものだった。1870年頃にはペダル回転ごとの移動量を高めるために前輪を大型化したペニー・ファージング型が流行するが、足が地面に付かない、急制動をかけると頭から転倒するなど危険なものだった。
1879年にようやくクランクペダルとタイヤを切り離し、チェーンで後輪を駆動させる現代的なスタイルが登場。1885年に三角形を組み合わせたフレーム構造のローバー安全自転車が登場し、1888年にダンロップが空気入りのゴムタイヤを開発したことで、ほぼ現代の自転車スタイルが完成している。
飛行機械
人類の飛行装置は1783年のモンゴルフィエ熱気球・ロベールの水素気球に始まる。18世紀末までには世界各地でグライダーなどによる飛行の逸話が複数残っているが、いずれもはっきりとした記録ではない。
19世紀に入り、1852年にはジファールが蒸気エンジンを備えた最初の飛行船を製作、また1874年にはデュ・タンプルの蒸気飛行機がごく短距離ながら飛行実験に成功している。1890年頃からリリエンタールがグライダーの実験を開始。1900年にはツェッペリン伯が最初の硬式飛行船を製作。
20世紀は飛行機とロケットが飛躍的に発展を遂げる。ライトフライヤーが初飛行したのが1903年、また同年にツィオルコフスキーが液体燃料ロケットの概念を発表。1907年にはフランスで最初期のヘリコプターが試験飛行に成功している。1910年にはルーマニアでコアンダによる最初のジェット機製作。また、この頃から航空旅客や航空輸送が事業として成立し始め、また軍用としても使われ始める。
1926年、ゴダードによる最初の液体燃料ロケット飛行。
船舶
蒸気船は18世紀後半にアイディアが成立しているが、実際に建造されたものとしては1807年イギリスで試作された外輪式蒸気船クラーモントが最初である。以降、商船を中心に帆船が蒸気外輪船に置き換えられてゆくが、船体中央に大きな蒸気機関が据え付けられるために積載量が削られ、また船体が前後に分断される問題があった。
軍用では動力部が攻撃に晒されるをこと問題視して採用が遅れ、戦闘艦よりも先に輸送船などで採用されていった。
実用的なスクリュープロペラを備えた蒸気船は1836年から作られるようになり、外輪船との競争に勝利して性能を認められた。
1882〜98年にかけて蒸気タービン機関が実用化され、1894年に就航した初の蒸気タービン船タービニア号は世界最速の34.5ノットを叩き出し、優位性を証明した。この後、20世紀に入り第一次大戦頃を境に大型船舶の機関はほとんどタービンに置き換えられてゆく。
潜水
古い「潜水服」のイメージにある、ガラス窓付きの真鍮ヘルメットは19世紀初頭のものである。1825年には圧縮空気を入れた缶を背負う独立式の潜水服が、1837年には船上から管で送気する方式が成立する。首から下はゴム引き防水布で作られ水を防いだ。服そのものの重量に加え、水中で浮力に抗って直立し、また潮に流されないための錘が付いており100kg近い重量であったようだ。
潜水艦は1776年の米国独立戦争、1864年南北戦争で既に用いられている。ただしいずれも手動でスクリューを回すもので、またハッチ付近を水上に出した半潜水に過ぎない。
同1864年、フランスで最初の動力式潜水艦プロンジュールが進水。圧縮空気タンクを備えた大型の艦で、9mの潜行に成功しているが、圧縮空気の再充填のために支援艦の随伴を必要とするなど実用的とは言えない。とはいえ先進の驚くべき技術であったことは疑いなく、ジュール・ヴェルヌに海底二万マイルの着想を与えたという。
また1860年に最初の魚雷が開発され、1870年には量産を開始している。
エレベータとエスカレータ
エレベータの原型は紀元前からあった(滑車とロープを用いた巻き揚げ機)。17世紀にはロープの反対側に釣り合い錘を下げたものが作られている。
19世紀初頭には水圧式のエレベータが、1835年には蒸気式のものが発明されているが、近代型の構造は1853年のニューヨーク万博に於いてオーティスが展示したものが最初である。これは落下防止装置を備え、実際に目の前でロープを切ってみせ安全をアピールした。
水圧及び蒸気式のものは冬季の動力に難があったが、1889年に電気式が開発され、以降急速に普及してゆく。
日本では1890年に浅草・凌雲閣に電動式が設置されたのが最初の例。ただしこれは構造強度上許容されたものではなく、関東大震災で崩落した。
エスカレータは1886年にニューヨークで初めて製作され、1898年にはハロッズに設置された。1900年パリ万博には複数の企業がエスカレーターを出展している。日本では1914年大正博覧会で初めて展示され、日本橋の三越呉服店に設置されたが、こちらも関東大震災で失われている。
食文化など
喫煙
喫煙の歴史は意外に浅く、16世紀にアメリカから輸入されたものの習慣として定着するのは1820〜30年頃。
葉巻は16世紀から作られていたが、当時の主要な喫煙形態は刻み煙草を用いたパイプであった。また19世紀頃の上流階級は嗅ぎ煙草や噛み煙草を(高級な容器に入れて)嗜み、あるいは準備に手間のかかる紙巻きのシガレットを吸った。
1853〜6年にかけて行なわれたクリミア戦争に於いて、初めてシガレットが兵士及び帰国後の下層階級を中心に広まってゆく。
またインドでは16世紀に貴族の趣味として水煙管が広まり、これは中東やアジアなどに伝わってゆく。