兵法・三十六計

勝戦の計 敵戦の計 攻戦の計
1・瞞天過海 2・囲魏救趙 3・借刀殺人 7・無中生有 8・暗渡陳倉 9・隔岸観火 13・打草驚蛇 14・借屍還魂 15・調虎離山
4・以逸待労 5・趁火打劫 6・声東撃西 10・笑裡蔵刀 11・李代桃僵 12・順手牽羊 16・欲擒姑縦 17・抛磚引玉 18・擒賊擒王
混戦の計 併戦の計 敗戦の計
19・釜底抽薪 20・混水摸魚 21・金蝉脱殻 25・偸梁換柱 26・指桑罵槐 27・仮痴不癲 31・美人計 32・空城計 33・反間計
22・関門捉賊 23・遠交近攻 24・仮途伐虢 28・上屋抽梯 29・樹上開花 30・反客為主 34・苦肉計 35・連環計 36・走為上
 ■ 兵法としての三十六計について  ■ 兵法・三十六計の容(かたち)

いぎきゅうちょう

囲魏救趙

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第二計   魏を囲んで趙を救う
瞞天過海
「敵を共にするは敵を分かつに如かず、敵の陽なるは敵の陰なるに如かず」
 

「魏を囲んで趙を救う」というのは、敵軍が主力を集中して隣国に進攻し、双方が退治して激戦を展開している機に乗じて、敵国の本土の要害の地を急襲し、敵軍が進攻を中止してあたふたと救援に向かうように仕向け、その機に乗じて途中で待ち伏せ攻撃して殲滅する戦略である。

時代背景
 魏と趙はともに、もとは晋の権臣であった。
 前四五三年、晋は韓氏、魏氏、趙氏によって分割され、三氏は独立国となって韓は山西東部を領有して首都を平陽に構え、魏は山西南部から河南北部を領有して首都を当初安邑、のち大梁、現在の開封におき、趙は山西より河北を領有して首都を当初晋陽、のち邯鄲に置いた。
 この三氏は三東の斉(首都は薊、現在の北京)、陝西から甘粛に及ぶ秦(首都は擁、のちに咸陽)、湖北から湖南、江西、安徽北部に及ぶ楚(首都は鄢郢、現在の宜城県)とともに戦国の七雄と呼ばれて抗争を繰り返していた。

斉の軍師「孫臏」の大梁攻撃

 本計の例話は、その中で魏が趙を包囲したのを、斉が救援するときの計略で、名軍師「孫臏」が提案した一石三鳥の策である。

 

--- 戦理 解説 ---

戦史・桂陵の戦い(紀元前353年)である。

@〜A 「魏」に攻め込まれた「趙」は「斉」に救援を求めた。

「斉」の威王は孫臏を将軍にしようとしたが、孫臏は刑余を理由に辞退。田忌を将軍とし孫臏はその軍師としてし輜重車の中で籌策を運らすことになる。

田忌将軍は兵を率いて直接「趙」に赴こうとした。

軍師・孫臏の「状況判断」は「糸のもつれを解く者は拳で叩いたり、むやみに引っぱたりせず。喧嘩の助太刀をする者はやみくもに殴り合いに加わってはいけません。相手の「虚」をついてこそ、自然に形勢が有利になるものです。今、「魏」は「趙」との戦いに全力を尽くしており、精鋭の兵卒は国外に出尽くし、国内には老弱の兵のみが残っていることでしょう。将軍(田忌)は兵を率いて、「魏」の都の大梁に急行し、街路に布陣して「魏」の「虚」を衝くべきです。そうすれば、「魏」は必ず自衛を講ずるため、「趙」を放棄して、自国に兵を返してくるでしょう。これが我が一挙を以て、「趙」の包囲を解き、「魏」を疲弊させる方策であります。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

囲魏救趙
借刀殺人
以逸待労
趁火打劫
声東撃西
無中生有
暗渡陳倉
隔岸観火
笑裡蔵刀
十一 李代桃僵
十二 順手牽羊
十三 打草驚蛇
十四 借屍還魂
十五 調虎離山
十六 欲擒姑縦
十七 抛磚引玉
十八 擒賊擒王
十九 釜底抽薪
二十 混水摸魚
二十一 金蝉脱殻
二十二 関門捉賊
二十三 遠交近攻
二十四 仮途伐虢
二十五 偸梁換柱
二十六 指桑罵槐
二十七 仮痴不癲
二十八 上屋抽梯
二十九 樹上開花
三十 反客為主
三十一 美人計
三十二 空城計
三十三 反間計
三十四 苦肉計
三十五 連環計
三十六 走為上

 

 

 

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