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塩釜・浦戸2島の集団移転決定 人口激減 生活に不安も
| 仮設住宅前で住民と語り合う区長の内海さん(右)=塩釜市の桂島 |
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東日本大震災で被災した宮城県塩釜市浦戸諸島の桂島、寒風沢島の集団移転計画が25日、国の同意を得た。移転を計画する2島計69戸のうち、島内にとどまるのは計31戸で、計38戸が島を出る。人口が一気に減り、島で生活を続けることを危ぶむ声も上がる。藩制時代、舟運で栄えた浦戸諸島は大きな曲がり角に差し掛かっている。
浦戸諸島で最も人口が多い桂島。震災直前は93戸231人が住んだ。津波で多くの住宅が全壊し、集団移転で19戸が島外へ移り、塩釜市本土の災害公営住宅などに入る。本土に住宅を再建した人もいて、現在島に残るのは69戸159人。人口は3割以上減った。 「島には病院がない」「島外にいる息子夫婦から一緒に住もうと言われた」。移転する島民の多くは理由をそう語る。 区長の内海粂蔵さん(71)は「これだけ急激に人口が減ったのは、島の歴史始まって以来だろう。さらに数戸が離れる予定で、残るのは高齢者が多い。島の将来が不安だ」と話す。 内海さんは震災直後、桂島を訪れた佐藤昭市長に「何としても島に残りたい」と訴えた。宮城県は離島に仮設住宅を建てない方針だったが、市が説得して建設にこぎ着け、19世帯が入居する。「仮設がなかったら、もっと人口が減っていた」と内海さんはみる。 浦戸諸島の地場産業はノリやカキの養殖、小規模な刺し網漁業だ。しかし、高齢化や震災被害で仕事を手放す住民が後を絶たない。 寒風沢島の区長、島津功さん(71)は「震災後、ノリ養殖をやっていた6人全員がやめた。新しい地場産業を確立しないといずれ、みんなが本土に移らざるを得なくなる」と焦燥感を募らす。 寒風沢島も集団移転で19戸が島外に移る。そのうちの大部分は既に島を離れ、人口は震災前の74戸168人から50戸105人に落ち込んだ。 寒風沢島は藩制時代、舟運で繁栄した。仙台藩は船検所を置き、幕府も米蔵を設置した。 塩釜市の佐藤達也復興推進課長は「集団移転の推進とともに、跡地で浦戸諸島の歴史を学べるようにするなど、市内外の人が訪れる仕組みをつくる必要がある」と話す。
2012年10月26日金曜日
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