きのうの石原知事辞任会見の最中、一緒にいた出口晴三元東京都議会議員はぽつりと私にこう語った。
「石原さん、三島由紀夫のあの市ヶ谷での最期の演説みたいな思い詰めている雰囲気になっているな。三島とは、時代も型も違うけど、ターゲットは同じ国家官僚、『憂国の情』だね」
憂国の情――。なるほど、同じく「国家革命」を希求した二人だが、かたや文学と武力、片や文学と政治の道に分かれて進んだ当時のスター。膨大な石原さんの過去の著作を漁っても、不思議なことに三島への記述は少ない。
それは石原さんと話していても気づく。おそらく、当時の文壇の2大スターだった二人は常に比較され続けてきたのだろう。
「川端(康成)さんは見ちゃたんだよ。三島さんの(断首された)頭を。でも、僕は(上の階に上がらず)見なかったんだよね。それが生き方の違いに繋がったかね」
いつの頃だったか、石原さんに三島由紀夫の話を振った時、珍しくこう答えたのだった。
江藤淳に「無意識過剰」と評された石原慎太郎――。
今年「憂国忌」は42年目を迎える。80歳の石原さんは、無意識のうちに、当時距離を置いたあの三島由紀夫の「憂国の情」に重なっているのかもしれない。
昨日の緊急辞任会見を観ながら、私はそう観想したのであった。