頑固親爺の徒然手記(難問解決への道標)

現役を引退した頑固親爺が、法治国家において法で解決できない問題が山積している現代社会に本音で迫り、問題解決策を模索していくブログ。難問を抱え込まないで相談にも応じます。

 ピンポン教室
 「天才卓球少女」、「泣き虫愛ちゃん」名で一躍日本のアイドルとなった卓球選手の福原愛さんは、先のロンドンオリンピックで銀メダルを獲得した。
 4歳でテレビにデビューして以来20年の歳月が経過するが、この間、常に社会から注目され続け、強くて当たり前と思われるプレッシャーを乗り越えての快挙は、泣きながら必死に球を追い続けた幼少の頃の姿が現実のものとなって喜ばしい限りである。
 また、「愛」の名前を日本全国に広げた功績や卓球人口を増やした影響力を考えると、彼女が卓球というスポーツを介して社会に貢献した功労は国民栄誉賞にも匹敵すると思う。
 
 この愛ちゃんに刺激されたわけではないが、半年ほど前から地元の体育協会が主催するピンポン教室に通って汗を流している。
 卓球でなく「ピンポン」としているところが、市民が親しみ、参加しやすいイメージにしようとした配慮なのだろうと勝手に判断している。
 週に1~2回程度、時間は約2時間、古女房に誘われて運動不足を解消しようと考えて参加したが、一年以上継続している古女房より上達してしまった。
 上手な相手だと、3~4分間、一球のピンポン玉でラリーを続けられるまでになった。
 参加者は、市内の老若男女であるが、平日に開催されるため主婦や高齢者が比較的多い。
 中には、当年80歳を超えた先輩がおられて、顔をあわせると必ずプレーに誘われるが実に上手で、その性格は明るく人生の範としている。
 この先輩は、週に3回は教室通いをしているとのことで、卓球に興じることを人生の大きな楽しみとされているようである。
 
 ところで、卓球というと、「身体能力や体力がなくても出来るスポーツ」の印象があるが、実は動体視力と反射能力、高い瞬発力や持久力が求められるハードなスポーツである。
 オリンピック観戦をしていて、選手が絶え間なくタオルで汗を拭いている姿が映し出されたが、盛夏の頃は汗が床や卓球台に流れ落ちる状態となるほど激しいスポーツである。
 この教室は、卓球の技術を向上して試合で勝敗を決めるのでなく、指導者(元学校教師)が基本だけを教示して、あとは参加者が自由に相手とプレーを楽しむ方式である。
 8分毎に相手を替えながらプレーするから、参加者との交流の場にもなっている。

 また、その一方で、卓球を通じてプレーする相手の性格が如実に表れることに気付いた。
勝負を争うのでなくて、ラリーを続けるなどして汗を流すことが目的であるにも関わらず、昔、学生時代に部活などで経験のある人で負けたくないといった意識が強い人、好き勝手なプレーをする人、相手の能力や経験に合わせて打ち返しやすい球を打ってくる思いやりのある人など様々である。
 どのようなプレースタイルが、参加者にとって楽しくてやり甲斐があるかは個人の価値観の違いであるが、こんなスポーツを通じて相手の性格が見えてくるのは、頑固親爺の人間性の悪さなのだろうかと考えてしまう。
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運転姿勢の重要性
 
 三重県鈴鹿市に世界規模のF1レース(鈴鹿24耐久レース等)が開催される鈴鹿サーキットがある。
 F1車が轟音を立てながら疾走するレース場だけでなく、親子や家族で遊べる総合レジャー施設もあって、関西や中部に住んでいるものであれば1回位は訪れる施設である。
 先日、この鈴鹿サーキットで開催されたF1レースで日本人レーサーが三位に入賞してる。
 この鈴鹿サーキットに安全で正しいドライブテクニックを教えてくれる交通教育センターがあることは余り知られていないし、利用者も多くはないのではないだろうか。
 当然、有料であるが、自動車教習場でしかドライブテクニックを習ったことのない人は、自分の命を守るために、お金をかけてでもセンターでの教習を受けることをお薦めする。

 というのは、最近のドライバーの運転姿勢が気になって仕方がない。
 特に、女性に多く見られる運転姿勢に、座席の背もたれと背部の間に大きな空間がある姿勢、簡単に言えば背中をシート部に密着しない姿勢である。
こんな姿勢をしていると、急ブレーキをかけた際、路面の影響等で車がスリップした際に的確に対応できるのか心配である。
 そのような咄嗟の危険状態に陥った時、何の対応もできないまま大事故を起こすことは明白である。
 また、シートベルトを装着していてもシートと背中の空間があるためシートベルトが正しく機能しない。
さらに、長時間、このような姿勢で運転すると数倍疲れるとともに、場合によっては腰を痛め、それが足にも影響してくることになる。

 また、頑固親爺の昔話であるが、この鈴鹿サーキットで安全教育の研修を受講した経験がある。
 当時25歳、今からちょうど40年前であるが、この安全教育で学んだことや体験したことを忠実に守り、かつ交通ルールを厳守しているから、これまで交通事故を起こしたことがないと考えている。(後方から追突される被害等にも遭ったことがない。)
 たしか、2~3日の日程の宿泊研修であったと記憶しているが、インストラクターの講義からから始まって、実際に車両(ホンダシビック)を操作しての走法訓練、夜間における本コース周回走行訓練、大量の水を散水した路面での急ブレーキ操作訓練などの研修を受けた。
 インストラクター曰く、「車はいくらでも製造しているから壊してもよいが、命は一つだから絶対怪我をしないで欲しい。」であった。
 訓練車両はホンダシビックで、車内は強固なアームで補強されていて、仮に横転して車体が破壊してもドライバーの身体を保護する構造、シートベルトはジェット機のパイロット並みの4点固定式である。
 ヘルメットを覆って、研修初日は、とりあえず好きな運転方法(車両の速度も制限なし)で車両を走行させた。
 そして、カリキュラムにそって、次第に安全で正しい運転姿勢を教示されるなど知識、技術を向上さえていくのである。
 印象的であったのは、時速100キロメートで散水した路面を走行し、思い切り急ブレーキを踏んで車両がスリップする状態を作り出し、ハンドルをソーイング、カッテイングのいずれかの方法で車両の路外逸脱・横転防止する訓練であった。
 ここで、最も重要なのが運転姿勢で、座席の背もたれに背中を密着しておかないと、車両のスリップ状態を身体で感じることができないことであった。
 参加者の多くは、時速100mメートルに慄いて減速していたことを思い出す。
 動物は、全て脊髄で今置かれている身体の状態とその先の予想される状態を感知し、そして対応するらしい。だから、先に記した運転姿勢では、このような訓練は受けられないし、インストラクターから拒否され運転をさせてもらえないことになる。
 また、夜間、本コースを走行する訓練は速度メーターを隠しエンジン回転メーターを頼りに各周回毎のタイム差を少なくする技術を身につけるもので、走行速度は高速であろうと低速であろうと自由である。
 インストラクターの車両が、進路を妨げたりして速度を惑わすような研修であった。
 実に充実した訓練であったが、研修に参加できた幸運に今も深く感謝している。
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 忘れ去る記憶

 最近の我が家(老夫婦二人きり)の会話で最もよく使う単語は、「あれ」である。
 このように言うと、心当たりの人もおられるだろう。
 「お~ぃ あれ 取ってくくれるか。」
 自分で動くのが面倒だから、ついつい家事中の女房を使って欲しいものとってもらうのであるが、その取ってほしい物が頭の中で解かっていても言葉として出てこない。
 朝一番の「あれ」は新聞である。
 逆に、古女房も同じことで「あれ してくれた。」である。
 前に頼まれていた用事をしたかどうかを女房が確認してきたのであるが、女房もその頼み事が頭の中で解かっていながら言葉として表現できないから、「あれ」となるのである。
 そして、長年、夫婦で居ると、この「あれ」だけでお互いに何を指しているのか判るのだから、まさしく夫婦付随、似たもの夫婦ということなのだろう。
 一日、単語を一個、忘却していると言っても過言でないような気がする。

 「認知症の人と家族の会」が経験則のもとに作成した「認知症早期発見のめやす」があって、次の6項目が認知症判断のポイントとされている。

  ① 物忘れがひどい
  ② 判断、理解力が衰える
  ③ 時間、場所が判らない
  ④ 人柄がかわる
  ⑤ 不安感が強い
  ⑥ 意欲がなくなる

であるが、各ポイント毎にチェック項目がある。
 
 これで自己チェックすると数項目が該当するから、認知症の初期ということになるのだろうか。そうとは思いたくないがこれが現実と認めざるをえない。

 でも、精神年齢、体力年齢とも自称40歳と自負しているのである。

 老化防止のためにも、まだまだパソコンのキーボードを叩きまくって毒舌の頑固日記を書き続けるのだと、強く自分自身に言い聞かせている。

 頑固親爺のブログを飽きることなく愛読し?そして弛まぬ愛情を注いでコメントを送り続けて頂いているブロガーの皆様に感謝して・・・ (いつもありがとうございます。)

 追記
 頂いたコメントは必ず読み、心に留め置き、そして謙虚にご意見を受け入れる日々を送っている。

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舞妓に一憂一喜

 紅葉の綺麗な古都・京都は観光客で賑わっているが、インターネットにアクセスしていると「一流の老舗料亭で舞妓遊びプラン」と題した画面が検索された。
 京都には、昔から遊郭でもあった「花街」と呼ぶところが数か所あり、そこには「お茶屋」が軒を連ねている。
この「お茶屋」は、京懐石料理を食べながら舞妓の踊りなどの芸を鑑賞する男の遊び場で、京料理と酒をたしなみながら舞妓の踊りなどを鑑賞して楽しむ遊びが「お茶屋遊び」である。
 「舞妓さんとお茶を遊ぶプラン」、「修学旅行生の特別プラン」等が時間や価格表と共に掲載されているが、高価であるから庶民にはなかなか手の届かない遊びである。
 しかも、お茶屋は「一見(いちげん)さんお断り」の世界であって、常連客等の紹介がないと利用できないとされてきたが、近年、そうした営業形態では経営が困難であるから従前の方法を改めて集客を狙っている。
 
 ところで、28年前、このお茶屋遊びを経験したことがある。
 当時の部下職員8名を連れてお茶屋の女将に無理難題をお願いして「お茶屋遊び」の一端を経験させてもらうことにしたところ、全く予想もしない舞妓と芸妓が座敷で迎えてくれ、冷や汗をかいた苦い思い出(結果としては一生忘れられない楽しい思い出)がある。

 当時、ある特命を受けたプロジェクトチームのキャップをしていた。
 部下は、優秀にして経験豊かな者ばかりで精鋭部隊(チーム)であったが、それに反してキャップに命じられた不肖頑固親爺は経験がなく、しかも37歳の若さであった。
 家庭を顧みず無我夢中で仕事に没頭した時代であるが、ある日、部下が特命に関する情報を入手してきた。
 その情報の入手先はお茶屋の女将であったが、この花街の信条は「一見さんお断り」の世界、そこで生きる女将は命に代えても客のことは口外しないのが鉄則である。
 この女将を口説き落とした部下に対して、男気をだし「よし、この仕事が成果をあげることが出来たらお茶屋遊びを経験させてやる」と言ってしまったのである。
 「しまった。」と思った時は後の祭りで、この言葉に刺激されたのだけではないが、仕事は順調に成果を挙げ多大な評価を受ける実績を残すことができた。

 そこで、男の約束の履行となったのであるが、安給料で小遣い銭は少なく貯めておいた僅かな全貯金を引き出し、またお世話になるお茶屋の女将には、事前に、「舞妓は一切不要で部下が一度も経験をしたことのないお茶屋での食事だけをさせて欲しい。」旨依頼していた。

 そして、いよいよ部下8名を連れて京都の祇園近くにある花街へと乗り込んだのである。全員が始めての経験であるお茶屋を訪れ座敷に案内されたところ、座敷隅には舞妓と芸妓の2名が綺麗に着飾って我々を迎えてくれたのである。
 これには驚くしかなく、それとともに舞妓や芸妓に支払う金(花代)の持ち合わせ等なく、「どうしようか。」と慌てふためいたばかりか冷や汗が背中伝った。
 部下は、舞妓、芸妓の姿をみて大喜びしながら騒いでいる一方、当方は冷や汗をかきながら女将に理由を尋ねたところ、女将は、「これは私が勝手でしたことで花代など一切要りません。」と答えるのである。
 心意気のある女将の言葉に甘えて、その夜はお茶屋遊びに興じたが、京懐石料理はこれまで口にしたことのない美味しい料理で見ただけでも綺麗であったし、舞妓のお酌で頂いた日本酒は酒をあまり好まない者にとっても最高であった。

 最終的に支払ったお金は頑固親爺の全財産であったが、恥ずかしくて到底公開できる金額ではない。
 女将は代金を請求しなかったから、持ち合わせの全財産を支払ってお許しを頂いた。
 インターネット上では、お茶屋遊びの経費(料金)は90分で最低一人6万円くらいとされている。しかも、一流の老舗料亭でのプランでは14万円以上となっている。
 
 まだ続きがあって、部下は酔って二次会に連れて行くように催促したが、これをみた女将は、「こんな祇園で一元客として飲んだらいくらお金があっても足りません。階下にスナックを設けているから舞妓や芸妓を連れて、そこで飲んで下さい。」と誘ってくれ、二次会まで女将に甘えた。

 今も、この女将には感謝しているが、いつか恩返しをしようと思っていながら実行出来ないまま、とうとう年金生活者になってしまった。


 この夢の世界を体験した翌日から、部下は、何の指示や指揮をする必要もなく職務に精励してくれたのである。
 
 そして、舞妓とツーショットの写真は女房にみつかり、取り上げられたまま所在不明である。
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 長崎は雨だった

 旅行と雑用が重なりブログを綴れない日々が続いた。
 今は秋の修学旅行の最盛期で全国各地の名所や旧跡、美術館、博物館などは、修学旅行の中学生、高校生で混雑している中、中学生になった気分(半世紀以上前にタイムスリップ)で博多、佐賀、長崎を旅行してきた。
 修学旅行の定番コース、新幹線で博多に降り立ち大宰府天満宮参拝、国立九州博物館を見学、美肌の湯で名高い嬉野温泉で宿泊、翌日は長崎市内(出島、グラバー園、天主堂、平和公園等)を見学し、博多から新幹線で帰宅する1泊2日の日程であった。
 大宰府天満宮は、35年前、九州北部から中国地方一帯で悪事を重ねた男を引き連れて一週間の出張をした際、その近くまで行く用事があったことから参拝した。
 その際、久留米市内の飲食店で夕食をとり、食した活魚(鮮魚の造り)が美味しかったことが今も深く記憶に残っている。(またまた食べ物のことになった。)
 嬉野温泉では、温泉好きであることから幾度となく美肌の湯に浸かったが、確かに肌に滑りを感じる湯質で美女ならず美男になった気がした。
 
 ところで、この旅館の露天風呂で全身に刺青をした若者と遭遇した。
 この旅館は日帰入浴も受け付けていることから。宿泊者以外のお客さんも入浴することができる。夕食を済ませて入浴客の少ない時間帯を見計らって露天風呂に行ったところ、背部から臀部一帯に見事な刺青をした若い男2名だけが入浴中であった。
 いずれも30歳前後で、同じような刺青の絵柄であったから、二人は仲間なのだろうと推察できたが暴力団員であるか否かは定かでない。
 しかし、その刺青の状況からして、普通の会社員、公務員(大阪市は例外)でないことは確かである。
刺青を観察しながら、この若者らは親から授かった美しい身体に一生消すことのできない刺青を彫って、悔いはないのだろうかと考えながら湯船に浸かっていた。
 一見して気弱そうな若者は、頑固親爺と目をあわすことなく湯船を後にしたが、この旅館には修学旅行生が誰も宿泊していなかったことが幸いである。
 
 九州は、今なお暴力団が勢力を持っていて抗争事件や暴力団排除運動に積極的な飲食店に放火する事件が多発しているようである。(この放火事件が暴力団関係者の犯行と断定はできないが、そうであろうと推定は出来る。)
旅館には、関西の入浴施設で見られるような「刺青をした人の入浴禁止」の看板を掲示がなかったが、みんなの力を合わせて暴力団排除に取り組む必要があるのでないだろうか。
 
 刺青の話のついでに、昔気質の性格で刺青を身体全身に彫って「男の美学」と自負している知り合いの元暴力団員がいるが、厳冬であっても決して湯に浸からず水風呂を徹底している。
 熱い湯に浸かることで肌が柔らかくなって刺青の絵柄の鮮明さが劣化することを避けたいからであるようだが、こんな気質の男が居なくなった今日である。

 旅行二日目の長崎は、歌の歌詞ではないが「あぁぁ・・長崎は今日も雨だった」のが残念である。
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甲賀の"ういたかひょうたん狸"
  • Author: 甲賀の"ういたかひょうたん狸"
  • 1948年1月生れ
    長年、公務員として奉職し定年退職
    コンサルタント会社オフィース”K”代表
    地方公共団体、道路管理、警備業等の顧問、セキュリティーアドバイザー、相談役経験
    社員教育、公判対策、各種問題解決、対外交渉、リスク管理、コンプライアンス等幅広く担当
    「生涯現役」が信条
    法的な解決だけでなく、日常生じる「難問」を抱える企業等の要望に対応、奮闘中

     

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1948年1月生れ
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社員教育、公判対策、各種問題解決、対外交渉、リスク管理、コンプライアンス等幅広く担当
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