人間の“きれいな気持ち”を描こうとする時、イレギュラーな設定の方が伝えやすい場合がある。例えば道徳的には良くないとされている不倫の中で、良心の呵責に苦しみながらも、生まれた情熱を殺せない主人公は“きれいな気持ち”の持ち主だと思う。たぶんその“美しさ”は、闇夜を眩しく照らす懐中電灯が、蛍光灯の下では光に見えないことと同じだ。

成熟し腐敗しかかっている社会では、何が悪で何が善であるか明確に分けられないのだから、正義の味方が説く愛にはどこか嘘が匂う。ダーク・サイドの痛みや哀しみを纏ったヒールこそ、今、愛を歌う資格があるのではないだろうか。

もし布袋寅泰が僕の言葉を欲してくれなかったら『POISON』は生まれなかった。いや『POISON』だけではない。『スリル』も『CIRCUS』も『バンビーナ』も布袋君に託せるからこそ書けた歌詞達である。そのセッションは二人の魂に刻印されていた“ROCK”という紋章〜曖昧でありながら70年代を生きた人間には極めて明確な紋章〜を感性の触手でなぞりあう崇高な行為に似ていた。


今回トリビュートの企画が持ちあがった時、真っ先に、この『POISON』をポルノグラフィティが歌ってくれている絵が浮かんだ。

ポルノグラフィティはデビュー曲の『アポロ』から大好きなバンドで、勝手な旅を終えてホームタウンのアミューズに帰って来た僕を、温かく元気に迎えてくれた事務所の後輩にも当たる。抜けてしまったベースのタマを含めて何度も飲んだが、特にギターのハルイチは僕も嫉妬してしまうほどの才気溢れる詩人で、刺激的な会話を交わしたくなって、酔っぱらおうよと、つい誘ってしまう。

さて『POISON』のケレン味のある歌詞を、飄々としたアキヒトがどう歌い倒すか?興味深々な所だと思うが、それはもう想像を絶するほどアキヒト節が炸裂して、見事なまでにポルノグラフィティの『POISON』として生まれ変わっている。嬉しい!これでこそ、カヴァーだ。そしてこの攻撃的な姿勢があれば、日本のROCKはまだまだ終わらない。


“ROCK”は音楽のジャンルでもバンドの形容でもビートの種類でもなく、既成概念を壊し、時代に飼い馴らされることなく生きる“気高き種族の紋章”だと、今でも僕は信じているからだ。