2009-11-11
英才教育を煽るクソみたいなニセ科学番組
このエントリでは、TV番組『エチカの鏡』と、これによく出てくる"脳科学おばあちゃん"こと久保田カヨ子さんへのかなり厳しめの批判を書く。
たぶんかなり長くなるので、先に言いたい事をまとめておく。
『エチカの鏡』というテレビ番組で、"脳科学おばあちゃん"こと久保田カヨ子さんが脳科学に基づいた英才教育を提唱している。
しかし久保田さんは、科学的な言葉を強引な推論で自分の経験則に当てはめているだけであり、彼女の提唱する英才教育が脳科学に基づいたものなどとはいえない。これを科学だと主張するなら、それはニセ科学である。
なお、久保田さんは子育ての一般論として妥当なこともいっている。しかしそれは脳科学とは関係ない。
影響力のあるメディアが科学じゃないものを科学といって宣伝するのは間違っている。それに本職の脳科学者が荷担するような形で関わるのはもっと間違っている。茂木健一郎&久保田競、あんたらのことだよ。
このようなやり方で脳科学と英才教育を結びつければ、優生学まであと一歩だ。また、久保田さんは優生学と親和性の高い発言もしている。
この番組は、子育ての不安につけ込み英才教育を煽ることで視聴率を稼いでる。場合によっては久保田さんの主張さえも番組の趣旨に合わせてねじ曲げてすらいる。本当にクソだ。
英才教育なんかしなくても普通に子育てすれば、子どもは脳も含めて普通に育つ。そして多かれ少なかれ親の思い通りにはならない。ぼくはまだ子育ての真っ最中で経験としては語れないが、世界中の普通の人たちの存在がその証明だ。
クソみたいなテレビ番組や学者のいうことなんか気にせずに、気楽にやろう。
以下、上に書いたのと同じ意味のことを長く詳しく書く。暇な人は是非どうぞ。
普段テレビを見ないぼくは知らなかったが、最近、久保田カヨ子というお婆ちゃんが、フジの『エチカの鏡』という番組で有名になったらしい。なんでも脳科学に基づいた子育てを提唱しているという。
いかにもな香ばしさを感じたぼくは、youtubeに番組の動画がアップされていたので、ひととおり見てみた。
──それは、予想どおり酷いものだった。
番組では久保田カヨ子さんの英才教育法が紹介されていた。
彼女の夫は高名な脳科学者の久保田競氏であり、彼女は夫が集めた専門書を自分でも読み、それを元に脳科学に基づいた英才教育理論を作り上げたという。
番組によれば、久保田さんの理論の基本となってるは以下のようなものだという。
- ヒトの脳は歩き始めるまでに急成長する
- 歩き始めるまでの脳の成長具合によって一生の脳の働きが決まってしまう
- 特に重要なのが脳の前頭連合野という部分で、ここは思考・判断・行動をになっている脳の司令室
- この前頭連合野の成長を促すような子育てが重要だ
「脳科学」「前頭連合野」という言葉と共にこんなグラフまで見せられたら、多くの視聴者はこれが科学的に正しい見解だと思ってしまうだろう。しかし、実際は彼女の主張は科学と呼べるようなものではない、一万歩譲ったとしても「そういう仮説を裏付けデータ無しで元気なお婆ちゃんがいってるだけ」のことだ。普通、こういうものを「脳科学に基づいている」とはいわない。
ぼくにできる範囲で、久保田さんの主張を検証してみよう。
・ヒトの脳は歩き始めるまでに急成長する?
グラフで示されている、生後すぐから急激に脳の質量が増えるという部分は正しいといっていい。ついでにいえば体積も大きくなる。
しかし、脳の機能面からいえば、重要なのは、大きさよりも脳を構成するニューロン(神経細胞)の配線と接続である。大雑把にいえば、ヒトの脳はニューロンがシナプスというコードで複雑に配線・接続されることで機能を発揮するのだ。
ヒトは最初から完成された脳を持って生まれてくるわけではない。誕生後、脳は様々な刺激を受けて、これを元に脳内の配線を複雑化させて、成長してゆく。この配線は、一般に20歳くらいまでは活発に行われるといわれている。
生後すぐの時期は特に活発に配線が行われ、基本的な機能にまつわる接続が行われるので、そういった意味で重要な時期なのは間違いない。だが裏を返せば、脳が成長する限り重要でない時期はないともいえる。
・歩き始めるまでの脳の成長具合によって一生の脳の働きが決まってしまう?
これは著しく不正確で誤解を招く最悪のアオリ文句だ。
確かに生後すぐに行われる脳の配線に不具合があれば、一生の障害を背負うこともある。
たとえば、新生児の片目に長い間目隠しをして育てると、視覚の為の脳の配線が正しく行われず、その目は一生見えなくなる。
前述したように「脳は様々な刺激を受けて、これを元に脳内の配線を複雑化させて、成長してゆく」。つまり必要な刺激がなければ、成長が阻害されてしまうのだ。
しかし、目隠しなどせずに普通の環境の中で育てば、脳の配線は適切に行われる。少なくとも、視覚の獲得について特別な英才教育は必要ない。
また、この時期の成長が脳の全てを決めるなどということもない。
脳にはこの時期に形作られ、その後取り返しがつかない機能もある。だがそれはごく一部でしかない。それより前に遺伝的に決定されている機能もあるし、その後の少年期や青年期に育まれる機能もある。
個人の脳の個性が、遺伝と環境の影響が複雑に絡み合って決定されるのは間違いないようだ。しかし特定の時期の経験にどのくらいの影響力があるかは、まだ確定的に示せない。
歩き始めるまでの環境が脳に影響を与えるとしても、それはワン・オブ・ゼムであり、全てを決めるようなものではないのは確かだ。
・特に重要なのが脳の前頭連合野という部分で、ここは思考・判断・行動をになっている脳の司令室?
前頭連合野が脳の司令室のようなものだというのは、間違いではない。この部位は非常に高度な情報処理を行っていると考えられている。しかしこの前頭連合野も含めて脳のメカニズムが完全に解明されたわけではない。
また、この部位が高度な処理を行っているとして、他の部位に比べて重要だと断言することはできない。脳は全体で脳であり全ての部位が重要である。
この英才教育に直結すると思われる結論は、とてもじゃないが科学的に妥当といえない。
まず、脳の特定の部分(前頭連合野)を重点的に成長させることが可能かどうかすら、科学的には分かっていない。
例えば久保田さんは前頭連合野のトレーニングとして"いない、いない、ばあ"が効果的だというが、これはただ彼女がそういってるだけだ。
"いない、いない、ばあ"をすると前頭連合野が活性化するのは事実だろうが、前頭連合野はその性質上大抵の刺激に対して活性化する。"いない、いない、ばあ"が他の刺激より前頭連合野の成長にプラスに働く根拠とその証拠となるデータはないようだ。
彼女の主張は全てがこの調子で、そもそも何を持って前頭連合野が成長してるといえるのか? 英才教育によって前頭前野を重点的に成長させることがどのような優位性を生み、その優位性がどの程度の期間保持されるのか? ──といった根本的な部分についても客観的なデータによる証明は一切なされていない。
彼女は自分の子どもの子育てや、自分の幼児教室での取り組みを「実験」などと称している。面白い表現だとは思うが、そんな対照群もない「実験」で得られたデータは、何の証拠にもならない。ただの経験則である。
彼女の英才教育の理論は脳科学に基づいてなどおらず、「前頭連合野」といった脳科学的なワードを強引な推論で自分の経験則に当てはめているにすぎない。
2 これはニセ科学だ!
保田さんが具体的に指南する子育て法については、全てが間違ってるとは思わない。と、いうか、子育てに絶対的正解などあるわけないので、一つのモデルケースとして参考にするくらいの価値はあるだろう。
前出の "いない、いない、ばあ" だって、脳科学に基づいた前頭連合野のトレーニングというのは間違いだが、「子どもが喜ぶし、なんか情緒の発達にも役立ってる気がする遊びの一つ」と経験則に基づいて語るなら何も悪いことじゃない。
多くの親が、脳科学の裏付けなんかなくても、"いない、いない、ばあ" をして子どもを育んでいる。
また、久保田さんが多くの人に好感を持たれるキャラクターなのは間違いないだろう。ぼくも彼女に一度くらい説教されてみたいと思う。
しかし、久保田さんが自分の提唱する英才教育が脳科学に基づいていると主張するなら、それは間違いであり、ニセ科学といわざるを得ない。
ぼくは、非科学的なものやオカルト的なもの全てを否定する立場はとらない。星占いが人を救うことだってあると思うし、人の抱える問題の多くは科学では解決できないと思っている。久保田さんは地域子育ての重要性など、良いこともたくさんいっていると思う。
しかし、だからといって科学じゃないものを科学と主張するのは明らかに間違いだ。
特にテレビを通じて科学についての間違った情報が垂れ流され、多くの人に事実のように受け入れられることは、混乱の元である。
3 ニセ科学の流布に荷担する学者たち
実はこの『エチカの鏡』には脳科学者の茂木健一郎氏も出演している。
彼は「今の時点では正しいとか正しくないとかいえない」「脳科学の根拠が100%あるとはいえない」といった発言をし、消極的に久保田さんの主張が科学的でないことを示唆していた。
しかし、あの場に彼がいること自体が、内容が脳科学的に正しいという印象を多くの視聴者に与えてしまうし、テロップやナレーションでさんざん「脳科学」といいまくってることにも一切口を挟まない。これでは、ニセ科学の流布に手を貸してるといってもいいくらいだろう。
個人の自由に属することなので「べき論」で語るのはやや気が引けるが、彼が脳科学者だというのなら、もっとハッキリと「これは脳科学ではない」と主張すべきだし、番組のスタッフに脳科学という表現を使わないように進言すべきだ。たぶん折り合いがつかないと思うが、だったら出演すべきじゃないのだ。
専門家としての矜持より、テレビの出演料の方が大事なんだろうか?
と、いうか、高名な脳科学者で夫という立場で、久保田さんと共著を出したりして後押ししてる分、タチが悪い。
驚いたことに久保田氏は、森昭雄氏の『ゲーム脳』を「科学的な根拠がない」と厳しく批判したり、川島隆太氏の『脳トレ』についても「効果がある「かも」しれないという程度のもの」と、妥当な見識を示している。
何故自分の奥さんにはこのような批判精神を発揮できないのか。まあ、我が身を振り返っても嫁に逆らうのが怖いのはよく分かるのだが。第一人者がこれじゃ困る。
4 優生学まであと一歩
また、久保田さんは番組の中でこんなことを言っていた。
「(優れた)脳の持ち主を育てておけば、これは商品価値がある」
「世界と戦って勝てるような子どもを作ることが第一目的です」
なんというか、大日本帝国生まれの人は違う。
こう言い切るのが潔いという気もするが、ぼくは子育てにこういう価値観を持ち込みたくはない。
そもそも「優れた人間を作るために脳を鍛える」って発想自体、かなりグロテスクだとぼくは思う。
"脳科学に基づいた英才教育"を子どもに受けさせたがる親が、脳の機能を人為的にコントロールすることに肯定的なのは明白だ。では、そんな親たちはもし脳科学に基づいた"脳に良いサプリ"が売り出されたらどうするだろう?
このサプリは脳に良い影響を与え集中力を高める効果があり、勉強前に飲めば効率が大幅に上がり、試験前に飲めば得点アップ間違いなし──そんなサプリだ。親たちは子どもにこれを与えるんじゃないだろうか?
外国ではこういったものは実在する。アメリカには"脳に良いサプリ"を飲んで勉強する学生が大勢いる。その主成分はアンフェタミン、我が国では覚醒剤と呼ばれているものだ。
また、「歩き始めるまでの脳の成長具合によって一生の脳の働きが決まってしまうから、この時期に脳を鍛えて優れた脳を持った人間を作ろう」という発想は、「脳を含めた人間の肉体の大部分の性能は遺伝情報によって決まるから、遺伝子をいじって優れた人間を作ろう」という発想と何が違うのだろう?
ぼくは、脳科学を安易に英才教育と結びつければ、それはもう優生学まであと一歩だと思う。
失礼を承知で書かせてもらえば「世界と戦って勝てるような子どもを作ることが第一目的です」という久保田さんの発言は、ナチスドイツの将校のものといわれても全く違和感がない。
5 不安を煽って視聴率を稼ごうとするテレビ局
ぼくがこの『エチカの鏡』という番組の最もクソだと思うところは「脳科学に基づいた英才教育」という情報の価値を高めるために、暗に不安を煽るような表現をしているところだ。
「歩き始めるまでの脳の成長具合によって一生の脳の働きが決まってしまう」というアオリ文句がその最たるものだろう。
さらに番組は英才教育の効果を分かりやすく歪めて演出する。
久保田さんは全人格的な優れた人間を作ることをイメージしてるためか、あまり学歴で人を計るようなことはなく「お受験なんか糞くらえだ!」なんてこともいっている。
しかし番組では、英才教育の効果として学歴をアピールするのが手っ取り早いためか、久保田さんの息子さんが東大に行ったことや、かつて面倒を見ていた子どもたちが、京大・早稲田・慶應といった一流大学に合格したことを強調する。
ここに至っては、久保田さんのメッセージすら歪めているのだ。
そしてこうした番組が放送されることでも、「英才教育には効果がある≒英才教育をしないと落ち零れるかも」といった不安が煽られる。この不安が英才教育についての情報の価値を高める。番組を見逃した人たちは、次こそは見逃さないようにとチャンネルを合わせる。
かわいい我が子にちょっとでも良い人生を送って欲しいと願う、普通の親たちが不安になればなるほど、視聴率が上がるのだ。反吐が出る。
それに、英才教育なんていわれても誰もがすぐに実践できるような環境で生活してるわけじゃない。
また、遺伝的な発達障害を持って生まれてきた子は、英才教育を施しても健常児よりも発達が送れる場合がある。親に十分な知識があれば良いが、そうでないケースも多くある。そんな親が「英才教育によって普通よりも早く発達してる子」の様子をテレビで見る度に、どれほど不安になるか、番組を作ってる人たちは考えたことがあるのだろうか。
6 英才教育なんていらない
子どもが楽しんでやる分には、そして各家庭の家計が許す分には、お稽古事や習い事をやらせるのも悪くないだろう。我が家でも、ぜん息がキッカケで子どもがスイミングに通うようになった。
でも、何か特別な教育をしなければ、子どもの脳がちゃんと育たないということはない。
未だに人類は"天才の脳"を作る方法を見つけてはいない。それどころかどんな脳が「良い脳」なのかという定義すらままならない。
でも、ほぼ間違いないといえるレベルで証明されている仮説がある。それは「普通に子育てすれば、子どもは脳も含めて普通に育つ」ということだ。
「脳は様々な刺激を受けて、これを元に脳内の配線を複雑化させて、成長してゆく」のだが、普通に脳を成長させるのであれば、特別な刺激は必要ないようだ。色々なものを見たり、色々な音を聞いたり、おっぱいを飲んだり、親に話しかけられたり、といった「普通の子育て」の刺激の中で、子どもの脳の配線は妥当に接続され緊密化される。
普通に子育てすれば普通に育つ。世界中の普通の人たちの存在がそれを証明している。
そして、自分とその周りを見渡す限り、子どもが親の思い通り成長しないというのも、かなり蓋然性の高い事実のようだ。
親の思惑と違う我が子の「普通の成長」が受け入れられないなら、必要なのは子どもの英才教育ではなく親のカウンセリングだと思う。
クソみたいなテレビ番組や学者のいうことなんか気にせずに、気楽にやるのが良いと思う。
このエントリを書くに当たって、何冊か脳科学の本を参照したが、結果的に欲しい情報は全てこの一冊の中にあった。
つぎはぎだらけの脳と心―脳の進化は、いかに愛、記憶、夢、神をもたらしたのか?
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現在の脳科学では、脳についてどこまでが分かっていて、どこからが分かっていないのか、分かっていることはどの程度の確かさで分かっているのか、分かってないことについてはどんな仮説が有力なのか、専門家以外にも正確に伝えようとする著者の姿勢が感じ取れて大変好感を持って読んだ。
名著と思う。
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