自分が人生をかけてやりたいことができる人間はわずかであるらしい。
自分のやりたいこと。
それをやれているとして。
当然ながら続きがある。
そのやりたいことをするだけでなく、まず継続させることも大変。
継続しながら、
深化(進化だけない深化)させることもまた大変。
その上で、
楽しむこと。
私の経験する限りでは(時間の長さじゃなく)、
この「楽しむこと」は自然と訪れるような気がする。
ただし、前に書いた困難を乗り越えて。
この感覚はふわりと訪れる。
儚いものだから、酔っている暇はない。
だから、また次にすすむ。
日々、この本当に「愉しむ」へ向かって。
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ここまで書いて、
実はうんざりしていることがあった。
人はいろいろいるけれど、と思いながら。。。
真正面から言われたことを信じないで、
陰口を信じ、いつまでも執着し、
新しいこと、大きなことを成し遂げていると自らを持ち上げて
意気揚々としておきながら、
一方では陰口を信じて創り上げたイメージをひきずって
それらと同じように悪態をつく。
Twitterで仕事内容をつぶやのなら、
悪態は自分の中にしまえ、と。
結局何もかも美しくなくなるんだよ。
醜い。。。
残念な人。。。
だから「腰抜け」って真正面から言ったのだけど。
まだ腰抜けだったのか。
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人は人だ。
それでも人と関わり合っている。
自分に迎合する人間だけでは発展しない。
喧嘩することと意見を言うこととは内容も全く違う。
批評と非難が全く違うように。
誰しも矛盾はあるだろうけれど、
その都度気づけばいい。
楽しむには、あらゆることを乗り越えてこそ
本当の愉しみになる。
ふと、執筆中に思う。
あまりにもどうでもいいことと、
大事なことを。