2011年08月16日

躍進するサッカー日本代表 香川真司選手(ドルトムント)

日本代表の若きエース香川、韓国戦で躍動の2発
 
サッカーの国際親善試合、日本代表(世界ランク16位)と
韓国代表(同28位)は8/11、札幌ドームで行われ、日本が
香川真司(ドルトムント)の2得点の活躍で韓国に3:0と
快勝した。韓国戦で3点差で勝ったのは1974年の日韓定期戦
において4:1で勝って以来37年ぶり。
対戦成績12勝22分38敗としたが、これほどライバル韓国を
圧倒したことがかつてあったろうか。
今回はそれほどの爆勝であった。
日本の攻撃を躍動させた中心にMF香川がいた。
右足小指を骨折した1月末のアジアカップ準決勝の
韓国戦以来の代表復帰を果たした香川。
35分と55分に巧みなボールタッチで2ゴールをあげた。
「2点ともイメージ通りに決められた」
「結果を残さないと信頼を得られない。
いかに点を取るかにこだわっていた」と語る表情は
力強い。ザッケローニ監督も「アジアカップの時と
比べて、大きく成長している」と評価していた。

香川君は兵庫・神戸市でサッカー少年として育った。
中学・高校時代は、仙台市のクラブチーム「FCみやぎ
バルセロナユース」で鍛えられ、アンダー15(15歳以下)
の日本代表に選ばれた。
06年1月、高2(16)の時、関西に戻り
「セレッソ大阪」に入団。08年5月、フル代表デビュー。
8月、18歳で北京五輪にも出場、切れ味鋭いプレーと
抜群のセンスが世界の注目を浴びた。
09年にJ2得点王となり、セレッソ大阪のJ1昇格に貢献。
そして昨年7月、ドイツ1部リーグの名門「ボルシア・
ドルトムント」に移籍。
新人ながらシーズン前半の全17試合で8得点。
ここ数年リーグ中位をさまよっていたチームが首位を
独走する原動力となり、リーグ前半のMVP。
地元ドイツにあって「今季(2010年)、最大の発見」
と評価された。
サッカーの本場・欧州を驚かせた実績と実力の片鱗を
見せたのが1月末のアジア杯。
準々決勝では2ゴール、1アシストの大活躍だった。
準決勝の韓国戦で右足小指を骨折したため、治療に
専念。ドイツ1部リーグの後半戦を見送ったが、
7月の最終節に登場。ドルトムントの9シーズンぶりの
優勝に貢献した。
アジア杯以来、半年ぶりに出場した韓国との代表戦。
先制弾を含む2得点で日本代表を勝利に導いた。
翌11日の各紙には「香川2発、韓国に大勝」の
見出しが躍っていた。
香川真司君は創価家族の温もりの中で育った。
実家は神戸市西区にある。両親は未活動だが、
祖母はバリバリの婦人部支部幹部。
香川君はおばあちゃんの献身の姿を通して
「創価家族の誇り」を胸に抱いて成長した。
香川君は「セレッソ大阪」に入団したことで、
転機を迎えた。ジュニアチームのコーチが
バリバリ男子部員(圏男子部長)で、サッカーの
技術面だけでなく、日常生活のことも含めて
さまざまに激励を受けた。
同志と触れ合う機会にも恵まれ、勤行・唱題に
励むようになった。
日本代表の合宿中にイタリアのセリエAで活躍する
森本貴幸選手と知り合い、同志として交流を温め、
一緒に勤行・唱題もしている。
現在、香川君は森本君とともにスポーツ部に所属。
CPご出席のHKにも2回参加している。
毎年、新年勤行会で一年を出発する学会っ子の
香川真司君は今年も、アジア杯に出発する直前、
実家のある神戸市の兵庫池田文化会館での新年勤行会に
両親と共に出席。決意を披瀝した。
香川選手の日本代表の背番号は「10」。
栄光の日本代表の「10」はこれまで中村俊輔が
つけていた。俊輔は副支部長の祖父に信心を教えられた。
香川君は祖母に創価の魂を学んで大きく育った。
posted by ハジャケン at 10:38| 山梨 曇り| 最近の話題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする