私には、漫画やアニメは手塚治虫さんから始まっているような観念があるが、もちろん、彼以前から漫画もアニメもあり、彼もまたその世界の駆け出しからスタートしている。
しかし、現代の漫画やアニメの方向付けが彼によって成されたことは確かと思う。
桑田次郎(現在は桑田二郎)さんは、手塚治虫式の絵から脱却しようと、専門的なイラストを学んだそうだし、楳図かずおさんも、手塚さんの絵とは異なる独自の絵の描き方を模索した話をどこかで見たことがある。それは達成されたのだろうが、それでも、やっぱり手塚さんの影響は残っていると思うのだ。
それは、少女の絵の描き方にあると思う。そして、これに関しては、現在の漫画、アニメ全体に対し、今に至るも変わっていないと思う。
男性漫画家が女の子や女性を可愛く、美しく描くのは、商業的な目的以外にも、個人的趣味も必ずだろう。
それは、女性漫画家が女の子をきれいに描くのとは、全くと言って良いほど異なる。
手塚治虫さんや石森章太郎(後に石ノ森章太郎と改名)さんがシンプルに描く女の子の可愛らしさは、よく見れば大変なものだと思う。
手塚さんは、宝塚歌劇団に憧れて育った影響があるらしいが、彼の絵には、子供の憧れそのものが残っているように思う。
石森章太郎さんは、大変な美人の姉がいて、誰か不思議な人物に、「この子は美し過ぎる。長生きはすまい」と言われ、その通りになったという特異な経験があるらしいが、彼の漫画の少女や女性の多くがお姉さんっぽいのは、姉の影響であるのだろうと思う。そして、それがまた非常に良い雰囲気である。
手塚さんは、あまり絵が上手い方でなかったと思われているかもしれないが、私は、兵庫県宝塚市にある手塚治虫記念館(宝塚大劇場のすぐ近く)で、手塚さんが中学生の時に描いたデッサンを見て、あまりに上手いので驚いたことがある。天才と言って良いのではないかと思う。
石森さんも、本気で描いたデッサンはやはり凄いらしいし、早くから天才と言われていたのは、絵だけではないだろうが、やはり独特の絵を描けるからだろう。

漫画やアニメの女の子の美しさは、日本では古くから特別なものがあり、高橋真琴さんの絵は今でも人気がある。だが、より広く一般的になったのは、第二次アニメブームと言われた、『美少女戦士セーラームーン』や『新世紀エヴァンゲリオン』の頃からではないかと思う。
また、この頃から、アニメの人物を立体化する試みが為されるようになった。
従来、漫画やアニメの人物画は2次元だから可能なもので、3次元的に描くのは不可能と思われていた。仮に3次元化したら、オリジナルとは甚だ異なるものになると考えられていたと思う。
ところが、『新世紀エヴァンゲリオン』の14歳のヒロイン、綾波レイの等身大の見事な立体像は高額で納品日未定でありながら注文が殺到し、その後もますます立体化技術は進歩し、現在では、アニメそのままの立体化は当然になった。
日本の漫画、アニメが世界的に人気があるのは、日本独自の表現が基礎にある作品の素晴らしさと、やはり、MOE(萌え)に現れた女の子の可愛らしさ、美しさが、海外の人々の心にも何かを感じさせるのだろう。
イギリス人やフランス人の女性の好みは日本人と比較的似ているが、近年では、それとは全く異なるアメリカ人にすら影響を与えているように思える。
そして、その究極が、動く3次元キャラクターである、初音ミクのコンサートになって結実したと思われる。
以前から、ゲームの世界ではリアリティの高い映像はあり、それが映画にもなっているが、それはアニメ的、あるいは、日本的ではない。
だが、初音ミクでは、手塚治虫や石森章太郎の時代から、人々が憧れ続けたアニメのヒロインが、そのままリアルで実現してしまったのであり、日本人にとって、それは真に天使であり女神のようであると思う。
そして、初音ミクを見ても、やはりどこか手塚治虫的だと思うのは、別に不思議なことではないと思う。
手塚治虫記念館で、初音ミクをデザインしたKEIさんが描いた『リボンの騎士』のサファイヤ姫を見たが、非常に個性的なサファイヤでありながら、とても手塚治虫的だったと思う(KEIさん本人が気に入っているかどうかは知らないが)。
無論、時代の違いもあり、手塚さんの絵とKEIさんの絵は全然違うのだが、手塚治虫さんの魂の量子的影響は全てのアーチストに影響を与え、その中でも、KEIさんのDNAに作用し、反響を発生させたに違いない。KEIさんが初音ミクをデザインし、それが世界的に人気が出たのは偶然ではないだろう。








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