トキワ荘

2012年10月24日

『烏城物語』続報

しばらくぶりのブログ更新です。

トキワ荘の元住人である、
伝説的な孤高の漫画家、森安なおや先生の遺作
『烏城物語』が、
『岡山芸術回廊』にて限定2000部で復刻される・・・
と、いう事については、以前このブログでも紹介しました。

今回、『岡山芸術回廊』の公式ホームページ上で
その情報の続報が更新されました!

http://okayama-kairo.jp/?p=2437

私のブログもリンクされています。
稲垣さんと並んで紹介されるなんて、
恐縮ですが嬉しく思います^^

この続報によって、
定価が1000円というお手頃価格というのがわかりました。

古書店でプレミアがついていた本が
1000円で入手できるのですから、
本当に有難いです。

通販も検討しているみたいですが、
せっかくですので、
私は現地岡山まで出向いて
直接購入する予定で、
今旅行計画をたてています。

岡山の、森安先生のゆかりの地も
巡ってみたいですからね。



yota874harahara at 04:46コメント(2)トラックバック(0) 

2012年04月22日

トキワ荘パワー@あけぼの湯

区民ひろば
21日土曜日に開催されたトークショー
「トキワ荘パワー@あけぼの湯〜トキワ荘周辺史〜」
を聴きにいって来ました。

会場は椎名町にある「区民ひろば富士見台」

ここはトークショーのタイトルにあるとおり
以前 は「あけぼの湯」という銭湯で
トキワ荘住人の先生方も利用した事があるというゆかりの地。
現在は「区民ひろば」という地域の集会所になっております。

銭湯だけでなく「あけぼの荘」(「あけぼのハウス」とも)という
石ノ森章太郎先生がトキワ荘の後に借りたアパートの跡地でもあります。

そんな聖地でのトークショー。
トキワ荘ファンの私としては
行かないワケにはいきません(^_^)

この日は先日ネットラジオでも共演した
nobuさんも来られるというコトなので
新モニュメントの前で早めにまちあわせて、
二人で松葉でラーメンたべてから会場にむかったのですが、
まだ時間が早く開場していない・・・

なのでどこかで時間をつぶそうかと
二人ウロウロしてたら、鈴木園の前で
(鈴木園は赤塚先生とよこた先生がトキワ荘の後に住んでいた
アパートのあったお茶屋さん。「おそ松くん」「ひみつのアッコちゃん」
という二つの漫画史に残る名作が生まれた場所)
マイミクさんであるKさんに偶然会いました。

Kさんは愛知在住の為、nobuさんともども驚きつつ、
じゃあせっかくだからと、3人でまた新モニュメントや
紫雲荘のあたりを散歩しつつ時間をつぶしてから会場へむかい、
今度は開場していたので入場。

トキワ荘通りスタッフのHさん、
紫雲荘大家さんOさん(この日お誕生日との事でおめでとうございます)
そして本日の司会進行で、
トキワ荘ミュージアムの建設にむけて邁進中の
トキワ荘通り協働プロジェクトのK事務局長といった
いつもお世話になっている方々にご挨拶しつつ
トークショーの行なわれる大広間に入りました。

そしたら、先日の打ち上げで初めてお会いした
トキワ荘の正真正銘最後の住人である
イラストレーター向さすけさんも来ておりました。

観客としてじゃなく、壇上にあがるべき人だと
私だけじゃなくK事務局長にも言われたのに
奥ゆかしい(?)向さんはご遠慮していらっしゃいました。

さて、トークショーのゲストは4名のトキワ荘の生き証人の先生方。

少女漫画界の大御所中の大御所・水野英子先生
赤塚先生の盟友で学習漫画界の大御所・よこたとくお先生
動物絵文字のイラストで知られる大御所・山内ジョージ先生
と、いった「トキワ荘元住人」の大御所の先生お三方と、
講談社少女クラブ誌元編集長で、数多くの漫画家を育てた名伯楽
トキワ荘に関する著作も書かれた丸山昭先生。

そんな豪華メンバーでトークショーはスタートします。

先ほどもかいた通りこの会場は銭湯あけぼの湯と
アパートあけぼの荘(あけぼのハウス)の跡地。
昭和39年に石ノ森章太郎先生が住んでいて、
当時アシスタントだった山内ジョージ先生も通っていた場所です。

そういうゆかりの地で先生方は青春時代の思い出話を語ります。

漫画家は仕事中に音楽かけることが多いのですが、
当時のトキワ荘の漫画家さんたちもステレオはみんなもっていて、
(レコードが一枚、当時の価格でも二千〜三千円した時代)
特に石ノ森先生は昼夜問わず大きなボリュームで
ガンガン音楽かけていた事や、
トキワ荘ではないが、山内先生が水野先生の
雑司ヶ谷の仕事場に遊びにいった話などを最初にしていただきました。

その後よこた先生は赤塚先生と住んでいた鈴木園のアパート
(部屋は別々)の間取り図を描いてきていらしたので、
それをスライドに写したり・・・
それだけでなく、赤塚先生がパンツ一丁で
「今度こういう連載するんだけど」と、よこた先生に
「ひみつのアッコちゃん」の原稿をみせにくるという
歴史的シーンまでも漫画に再現して描いてきていただき、
それもスライドに写しました。
よこた先生はサービス精神が旺盛ですね〜。

しかしこれはトキワ荘ではなく鈴木園でのエピソードです
「鈴木園では僕と赤塚氏しかいなくて、この時は奥さんもでかけてたので
 気を許してパンツ一丁で僕の部屋に来たのだと思う」
と、よこた先生は当時を振り返ります。

で、トキワ荘住人はふだん
そんなにだらしない格好でいたりはしなかったそうで、

「トキワ荘では皆さんはキチンとしてましたよ、
 パンツ一丁でいるとか、再現ドラマではよく描かれますけど
 そういう事はなく、廊下でるのにも何か一枚羽織って出てましたよ」
と、水野先生は証言していました。

さて次は丸山先生の思い出話に移ります。
丸さんよせがき
画像は丸山先生が漫画家の先生たちからいただいた寄せ書き。
奇しくも日付が石ノ森章太郎先生の命日です。

まず司会進行のK事務局長がサルベージした
寺田ヒロオ先生が描いた「石ノ森章太郎伝」(!)といった
漫画のワンシーンをスライドに写して紹介した事について語ります。

初めて石ノ森先生と丸山先生が出会った日、
熱血編集マルさんが「今までに無い新しい少女漫画を描こう!」
と石ノ森先生と二人で誓ったといった感動的な内容です。
(この漫画の内容は石ノ森先生の名著「マンガ家入門」にかかれている
内容を下敷きにしておられるとの事)

しかし、丸山先生の語る現実の出会いの日の話はというと、
手塚先生の住んでいた並木ハウス(現存)に
若き日の石ノ森章太郎・赤塚不二夫・長谷邦夫の三人の先生が
尋ねてきて・・・
手塚先生のファンの子が仕事中たずねてきたと勘違いした丸山先生は
「先生忙しいから、また今度ね!」と追い出したが、
意を決した石ノ森先生が「手塚先生!イシモリです!!」と叫んで
気がついた手塚先生は「どーもどーも」と三人を招き入れて、
で締め切り(その時執筆中だったのがリボンの騎士)間際なのに話し込んで
丸山先生ははらわた煮えくり返る思いでいた・・・

と、いうのが真実の話と訂正されました。
このファーストコンタクトシーンは丸山先生の著作にも
書かれているエピソードですね。

けどそこで石ノ森先生の実力を認めた丸山先生は
少女クラブに描かないかと石ノ森先生にすすめたのも事実。

その事については
「自分の慧眼で石ノ森さんの実力をみぬいたのではなく、
石ノ森さん本人の実力だった」
と丸山先生は謙遜気味に語っていました

そして水野先生を起用した話ですが、
火の鳥の執筆準備のために手塚先生の原稿整理を
丸山先生が手伝っていたら、
たまたま水野先生が 「漫画少年」誌に投稿して
佳作はとったものの掲載されないままの原稿がなぜかあり、
それを読んだ丸山先生が「コレはすごい!」と思って
当時14歳の水野先生に手紙を送った・・・との事

そして石ノ森先生・赤塚先生・水野先生の
「U・マイア」名義での3人の合作や、
そのために水野先生がトキワ荘に入居した
という有名なエピソードに繋がるワケです。

あ、有名ったってそれはトキワ荘のファンの間ではですがw

他にもスライドで当時の貴重な
写真や作品・雑誌等を紹介したり、
ビッグコミックオリジナル増刊号に
掲載されたばかりの
藤子A先生「愛…知りそめし頃に…」に
丸山先生が登場しているという事も紹介したりしました。

丸山先生はご存知なかったようで、
興味深く雑誌を手にとりしげしげと眺めていたのが印象的でした。

トークショーでは「まんが道」も通じて丸山先生が
漫画に登場するのは初めてだろうと言ってましたが、
実は小村さんと一緒にトキワ荘をたずねて
「ばらと指輪」別冊64ページを依頼する少女クラブ編集長の
「丸池」氏という名前ですでに登場しております。
(中央公論社の愛蔵版では第三巻の886ページ)

ですが、丸山先生が「愛知り」に登場するのははじめてです。


最後は各先生方の今後の活動の告知と、
質問コーナーがあってトークショーは終了。

そのあとは別室にて物販と先生方のサイン会がありました。

と、それとは別に会場に来ていた桐木先生も捕まって(?)
こちらのミニサイン会も始まってしまいました。

そうそう28日はトキワ荘通り商店街でイベントがありまして
豊島区のヒーローもきたり、模擬店もでたり、
あと紫雲荘の特別公開の他、
ここでも桐木先生のサイン会があるそうですので
イケメンを拝みつつサインが欲しい方は是非トキワ荘通りへ!
http://blog.goo.ne.jp/tokiwasou-street/e/9889e487773dcb2c9be23afd228e8da8


さて私とnobuさんとKさんの三人は
「出待ち」よろしく先生方のお見送りをした後、
新宿へ流れて居酒屋で飲みつつ
漫画談義に花を咲かせました。

しかし、酒に弱い私は後半完全に酒に飲まれて、
久々に悪酔いしてダウンしちゃいました
酒量はビールジョッキ2杯だったのですが、
前日も酒を飲んでいたりとか、
あんまり睡眠とれなかったのが響いたのか、
酒に弱いコトは自覚していましたが・・・
いやはや情けない話ですね>_<

ゲストの先生方、スタッフの方々、
ご一緒していただいた方々、
楽しく、かつ勉強になる時間を提供して頂き
有難うございましたm(_ _)m



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2012年04月06日

トキワ荘跡地モニュメント除幕式

トキワ荘看板レプリカトキワ荘の記念碑は3年前からすでに
南長崎花咲公園に建っておりますが、
このたび、トキワ荘の跡地(日本加除出版敷地内)に、
新しいモニュメントが建つ事になり、
その除幕式が6日にあったので、見に行って来ました。


最初の画像はトキワ荘の看板のレプリカで、
これがモニュメントではないですよ。




除幕前モニュメントはこちら。
いま除幕されようとしている瞬間。











除幕あと除幕され、関係者の方々が並んで記念写真を撮られていました。

この除幕式の来賓は、
まず豊島区の高野区長に、区議会議員の方々、
商店街の関係者の方々や、
トキワ荘の跡地の現所有者である日本加除出版の尾中社長。

そして、トキワ荘に住んでいた・通っていた先生方。
よこたとくお先生
山内ジョージ先生
丸山 昭先生

今回欠席された水野英子先生の代理でご子息・春暁氏、
手塚プロダクションの松谷社長、
石ノ森プロの滝川副社長、
藤子Fプロの島常務取締役、

紫雲荘ワークショップの講師を以前された
田中圭一先生
河口 仁先生
井上和郎先生

と、いった面々。

あと本人はさすがに来ていなかったけど、
麻生太郎元総理から祝辞コメントが贈られていました。

麻生の祝辞代読はトキワ荘通り協働プロジェクトのK事務局長。
「漫画のファンとして心よりお祝いします」
といった内容でした。


そう、この除幕式は本来なら関係者しか見れないんですけど、
トキワ荘通り協働プロジェクトのK事務局長をはじめ、
商店街スタッフのご厚意で、見学させていただきました
ありがとうございましたm(_ _)m





新モニュメント(左は取材をうける、よこた先生)
モニュメントのトキワ荘の模型の原型は
花咲公園のと同じ感じだけど、
材質は違います。(黒御影石)

画像が携帯で撮ったのでちょっと良く無いですが、
ちゃんとカメラで撮った鮮明なモニュメントの写真も
あります。
ある事はあるのですが・・・
ちょっとパソに取り込むより先にブログを
書いてしまったもので・・・

鮮明画像はあとで改めて載せてみたいと思います。

除幕式が終わった後は、K事務局長や、
スタッフの方々や、桐木先生とご挨拶し、
写真も撮って、さて、それじゃジャマにならないように
そろそろおいとましましょっかねー・・・

と、思っていたら、ワークショップの時に
一度お会いした河口仁先生の姿がみえたので、
多分 私の事は覚えておいでではないだろうなーと、
思いながらもご挨拶したら、
ちゃんと覚えていてくれていました!

それだけでも感激なのに、
この後、来賓の皆様やスタッフの皆様が
加除出版の中で休憩し歓談する事になったので、
関係者というワケではないし、
「じゃ、これで・・・」
と去ろうとする私を河口先生は呼び止めて
「キミも入りなよ」
と、誘って下さるではないですか!

「い・・・いや、そんな関係者ではないですし、
 そんな大巨匠の方々の休まれている所におジャマするなんて
 だいそれた事はできませんよ」
と、遠慮したのですけど、河口先生は

「気にする事はないの!こういう時は恐縮とかしないで、
 何食わぬ顔してまぎれ込んでればいいんだから。
 で、もし注意された時は出てけばいいだけの話だよ」
と、仰る。

ここでお断りするのも河口先生に失礼なので
「では河口先生の関係者という事でお邪魔します」
と、結局中に入らせていただきました^0^

結果、追い出される事なく、
そのあとの打ち上げの寿司屋まで
巨匠達とご相伴預かりました

まさかまさか、関係者でもない
(スタッフの皆様からはほぼ関係者と同じと仰っていただき、
有難い限りです)
イチ売れない漫画家という しがない存在の私が、
トキワ荘に関わりのある巨匠方と 打ち上げ会に参加できるとはっ!
光栄&恐縮の至りでございますよ。

・・・ところで、私は回らない寿司食ったの何年ぶりでしょーねw

ここでは元「墨汁一滴」(石ノ森章太郎先生がつくった同人誌)
同人で、トキワ荘に何度も訪れた準住人の菊池先生や、

あの神様手塚治虫先生を「手塚」と呼び捨てる事が出来る、
御歳85歳のご高齢にもかかわらずお元気でカクシャクしている
元、講談社の編集者(なんと丸山先生より先輩!)上杉先生。
と、いった方々ともご一緒させていただきました。

この上杉先生のお話がすごくてすごくて・・・
トキワ荘へは手塚先生と寺田ヒロオ先生しか
住んでいない時代から出入りしていたとか、
藤子不二雄先生のお二方がトキワ荘に入居する時に
引っ越しの手伝いをしたとか(!)
漫画の歴史の証人ではないですかっ!!

歴史の証人といえば、
以前からお会いしたいと思っていた
トキワ荘の正真正銘「最後の住人」である
向さすけさんにも初めてお会いできて、
色んな貴重なお話を伺ったのも大収穫でした!

この打ち上げ中、
NHKニュースで6時10分あたりから
除幕式の様子が報道されるとの情報をキャッチして、
みんなでワクワクしながら
まだかまだかとテレビみていたのですが・・・

結局やりませんでした>_<

後でNHKに問い合わせた所、
ニュースが色々入って、構成が変わったそうで、
そのあと8時45分のニュースに繰り越して紹介される予定・・・

だったのですが、
私が帰宅したのが夜9時で
そのニュース結局みれずじまい・・・

ちゃんと報道されたのでしょーか?
(追記・無事に放送されたようです^^)

打ち上げ終了後は
椎名町駅で帰る人と、
落合南長崎駅で帰る人とで別れました。

私はどちらでも帰れるのですけど、
今日は落合南長崎駅を利用してやってきたので、
帰りもそっちから、
よこた先生・山内先生方とご一緒に帰りました。

このお二人は今度21日に
南長崎の区民ひろば富士見台で開催される
トークショーに出演する予定です。


さて、今回こうして跡地に日本加除出版の協力もいただき、
モニュメントの設置が実現した事ですし、
これをキッカケにして今後一気に商店街が発展して行く事を期待しています。

いずれはトキワ荘ミュージアムの実現ですよね〜
K局長!

ご一緒させていただいた
巨匠の先生方や関係者、スタッフの皆様方
有難うございましたm(_ _)m
 



yota874harahara at 23:16コメント(0)トラックバック(0) 

2012年03月12日

「トキワ荘とその時代」講座

3月10日(土)
川口市の『芝北公民館』という所で
『トキワ荘とその時代』なる講座が開かれるとの事で行ってきました。

ここ、地図みたらウチの田舎の浦和との境界近くで、
祖父母の墓がけっこう近い場所でしたが、
時間も無いので墓参りはしませんでした。
まあそんな事はさておいて、本題に入りましょうw

今回の講座の講師はノンフィクション作家の伊吹隼人さん。
昨年『トキワ荘無頼派・森安なおや伝』という本を上梓されています。
このブログでも以前紹介してますね。
「トキワ荘」無頼派―漫画家・森安なおや伝 併載『赤い自転車』(森安なおや作)
「トキワ荘」無頼派―漫画家・森安なおや伝 併載『赤い自転車』(森安なおや作)
クチコミを見る


改めて森安なおや先生とはどんな漫画家かというと、
トキワ荘に居住していたが、
後年漫画家を廃業したので、
一般的に忘れられた存在の方。

童話風の叙情的で心温まる作風に定評がありましたが、
『まんが道』ファンにとって森安先生というと、
奇怪な笑い声のコメディリリーフとしての印象が強いですね。

そんな森安先生に光を当てた良書を書かれた方の講座ですし、
何か新しいトキワ荘に関する話を伺えるという期待を持って
今回参加を決めました。
参加費も無料 ですしね(^_^)

前回、スタジオゼロトークライブでご一緒した、
マイミクさんであるnobuさんも参加されるので
最寄りの蕨駅で待ち合わせしてたのですが・・・私は遅刻

なので先にnobuさんはバスにのっていかれ、
私は後から来るバスで行こうと思ったのですが・・・
次は30分後かい!?

仕方なくタクシー使っちゃいました。
タクシー代は講座の参加費と考えればいいか

タクシー使った結果nobuさんより先に現地についてしまいましたw


・・・さて会場でnobuさんと雑談して講座の時間を待ってたら
背広の方に『原田さんですか?』と声をかけられた

今日の講師の伊吹さんでした。

お会いするのは初めてなんですが、
以前このブログにコメントもいただきましたし、
私の事をご存知だったようです。

お話を聞いたら、私も去年参加させていただいた、
みやわき心太郎先生の追悼展覧会を見に、
わざわざ鷲宮画廊まで足を運んでいられたとの事です。

みやわき先生は晩年、森安先生とも交流があり、
森安先生最晩年の名作「烏城物語」を絶賛していました。

私はその「烏城物語」を
みやわき先生の生前にみせていただいたコトがあります。

その時みやわき先生は「今度コピーしてあげる」と仰ってたのだが
その機会を逃したまま、みやわき先生は亡くなられ、
今はその先生所蔵の「烏城物語」は行方しれず・・・

と、なると「烏城物語」をまた読むためには復刻を待つしかないのですが、
伊吹さんの話によると諸事情で復刻は難しいとの事・・・
残念です。

そうこうしてるウチに講座はスタート。
会場見ると・・・地元のご年配らしき方々ばかり。

なので、今回の講座は初心者にもわかりやすく語るという
スタンスで進行となりました。

まず最初は伊吹さん自身と漫画との関係について。

伊吹さんは練馬出身で幼い頃からまわりに堀江卓先生や、
ちばてつや先生、そして手塚治虫先生(!)など漫画家が多く住み、
漫画家の家に遊びに行ったりしてたそうで、
大学時代には実業之日本社で漫画家の原稿とりのバイトしたり、
手塚プロで雑用のバイトしたりといった経験があるとの事。
(手塚先生には一度しか会ってないそうだ)

そこでは興味深いエピソードも聞かせていただきましたが、
ちょっとブログでは公開出来ません。スイマセンですm(_ _)m

20年前に自ら命を絶たれた漫画家・山田花子先生(お笑い芸人のほうに非ず)から
いただいた「ファンレターの返事」という貴重なアイテムもみせていただきました。
まさか、トキワ荘の講座で山田花子先生の話になるとは!
会場の8〜9割を占めたご年配の方々はついていけなかったでしょうね〜
それどころか、「山田花子」を完全に芸人のほうだと
間違って理解した感じの感嘆の声がもれてましたw


自身の体験談の話の次は本題の「トキワ荘」の話へ。


☆加藤宏泰さん→手塚治虫先生→寺田ヒロオ先生→藤子不二雄A先生
 の流れでトキワ荘がいかにして漫画家アパートになったかを説明。

☆トキワ荘グループの漫画家たち
 居住組、通い組ふくめて紹介。
 山内ジョージ先生の名前は出てきませんでした。

☆黎明期の日本漫画と手塚漫画の革新性について触れ、
 トキワ荘メンバーの生活や
 藤子A先生の名作「まんが道」と事実とどう違うか検証。

☆「消えた漫画家」寺田先生と森安先生の晩年の話と、
  問題のNHKドキュメンタリー
 「我が青春のトキワ荘」(1981年放送)の裏話等等・・・
 
☆トキワ荘出身漫画家のその後や、
 トキワ荘跡地周辺の現在の画像をスライドを紹介して終了。


最後、時間が圧してしまい、質疑応答の時間がなかったので、
「質問ある方は講座修了後直接質問して下さい」
というお言葉に甘え、
私は気になった点のいくつかを伊吹さんに質問させていただきました。

終了後にもかかわらず、
伊吹さんからは丁寧に質問に答えていただきました、
有難うございましたm(_ _)m

今回の講座は非常に分り易く、
トキワ荘全体について説明されていたと思います。

特に「トキワ荘は奇跡的に漫画家アパートになった」
と、広く一般に伝説化されて伝わっていますが、
実際はそうではなく、
漫画少年編集者、新漫画党、
そして新漫画党の党首・寺田ヒロオ先生が
意図的に「漫画家アパート」を作り上げたという事を
明確に示した事は私も大いに同意します。

非常に実りある講座だったのですが、
やはり正直いえば、場所柄、
本当にトキワ荘の事を知りたいと思う参加者が
余り足を運んでいない様子だったのが、残念と言えば残念でしたね。

もちろんこういった地域の公民館で
開かれる講座というのは地域の文化発信という点で
重要だとは思いますが・・・
私みたいなトキワ荘ファンからしてみたら、
出来れば「聖地」椎名町あたりで講座を開いていただきたかったなー
なんて、ワガママな事を思ってしまいました。



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2011年07月04日

紫雲荘ワークショップ参加

トキワ荘横丁看板2657月3日。
トキワ荘跡地隣にある、
半世紀前に赤塚先生が住んでいた紫雲荘の部屋で、
「第一回紫雲荘ワークショップ」として、
トキワ荘元住人・山内ジョージ先生が上梓した
「トキワ荘最後の住人の記録」
出版記念のトークショーが開催されたので、
私も一般聴衆として参加しました。

聴衆の定員は10名。
関係者をふくめるともっと入っていましたので、
6畳とあと3畳か4畳の部屋の二間である
「赤塚不二夫の部屋」は満員。実に濃密な空間でした。

トキワ荘最後の住人の記録: 若きマンガ家たちの青春物語
トキワ荘最後の住人の記録: 若きマンガ家たちの青春物語
クチコミを見る


主役の山内先生の他、
ゲストは同じくトキワ荘の元住人・よこたとくお先生。
司会進行は、紫雲荘にすでに住みながら、
「紫雲荘プロジェクト」の中心として活動している
漫画家の桐木憲一先生。

あと、一番驚いたのが、一般聴衆として
漫画家の勝川克志先生がいらっしゃっていた事!

トークショーの写真撮影および録音は禁止ですので、
私は会場内の写真はとれなかったのですが、
トキワ荘通りのブログの中で
当日の写真が公開されていました。
http://blog.goo.ne.jp/tokiwasou-street/e/b9e260f2deed6afabc00c7bfa416dac4?fm=rss

山内先生も、よこた先生も、勝川先生も、
あと私まで思いっきり写ってますねw

色々なディープなお話がきけました^o^
・・・本に書けないようなスゴイお話までもw
もちろんそれはここでも書けませんのであしからず。

書ける話といいますと・・・
先生があの貴重な「漫画少年」の実物を
持参していただいた事とか、
石ノ森先生主宰の伝説的肉筆回覧同人誌
「墨汁一滴」のコピーをお持ち頂いた事。

山内先生は、いつかトキワ荘の話を発表しようと
メモをとってあった事(それが今回、本という形で実ったワケですね)
以前から、資料を豊島区に預けたりしていた事。

あとは、トキワ荘当時の石ノ森先生は
わりとルーズな所があって、
アシだった山内先生と、もう一人のアシの長田吉夫氏に
仕上げは完全に任せて、最終チェックをしなかった事。
(それだけ信頼されてたともいえますね)

そして、石ノ森先生が漫画に最初に導入した効果
「見開き」
それは最初理解されずボツになったのですが、
ボツにしたのが秋田書店だったという事・・・

と、そんなカンジでしょうか?

あと、石ノ森先生のお姉さんの思い人が誰だったのか?
と、いう質問に山内先生は即答されました。
「ああ、それは◯◯さんだよ」と・・・

ここでその名前は出しませんけれど、
それは、やはり多分そうではないだろうかと噂されていた、
私も「あの先生じゃないかな?」と思っていたあの先生でした。
と、だけ書いておきましょう。
(ここまで書いておいて伏せるのもしらじらしいですが・・・)

あとは、伝説の豪傑編集者・壁村耐三氏の話も伺えました!
意外にも壁村氏は酒が入っていないと大人しく、
常識家であったとの事。

しかし酒が入ると・・・噂通りの方だったようですw

あと、身長が190近くあったとか仰ってましたが、
本当でしょうか?だったら本当に怖すぎます。

他の資料だと180ぐらいだという話もあります。
まあ壁村氏は威圧感もあったでしょうし、
当時としてみたらかなりの長身ですから、
190はある雰囲気があったのだと思います。

ホラ、子どもの頃1メートルはあるカブト虫をみたとかいう
目撃証言とか聞いた事あるじゃないですか?
そんなようなカンジかもしれませんね。(都市伝説扱い)

よこた先生からは
西荒川の下宿時代のお話を主にうかがいました。

そこで、若き日のよこた先生と赤塚先生は同居し、
当時交友関係のあった、つげ義春先生も毎週来ては
泊まって行ったとの事です。

赤塚・よこた・つげの三人の巨匠が
一つ屋根の下、5畳の部屋で寝泊まりしていたとは!

よこた先生からみた、つげ先生はマジメという印象だったそうです。
ある時、よこた先生はつげ先生の家に遊びにいって、
その時まだ小学生ぐらいだった、つげ忠男先生にも会っていたとの事。
つげ先生から、深井国氏を紹介された事もあるとか、
つげ作品「義男の青春」は、実話を元に構成されたとか・・・

つげファンの私には興味深すぎるお話が
次から次へでてきて、大興奮です!

私は山内先生とよこた先生の
目の前というポジションに陣取っていました。
そのおかげといいますか、お二人とも気さくに話しかけて下さるので、
ついつい色々マニアックな質問ばっかしてしまいました。

そんな濃密なトークショーは二時間で終了。

その後、若手の漫画家の卵がこれから住む、
紫雲荘の部屋の一つを拝見させていただきました。

建物の形が少々変形なので、
斜めに切った畳がある、かわった形の部屋でしたが、
陽当たりもよく、クーラーも完備され、
畳のいい臭いのする、なかなかいいお部屋でした。
ここが2万円でいいなんて!
私が住みたいくらいですよ。

その部屋に住む、漫画家の卵の福田さんも
当日紫雲荘に来られていました。
もうそろそろ引っ越しの準備をして
7月半ばあたりには入居するそうです。

もう一人の方は静岡在住ですので、
この日は来られてませんでした。

さて、トークショーの後は山内先生がこの南長崎(椎名町)時代に
よく通っていたスナックの「サルビア」で二次会が開催されました。
「サルビア」は残念ながらもう閉店されるとの事です。
こうして知られざる「ゆかりの地」が知られざるまま
消えて行ってしまうのは寂しいですね。

二次会のあとは三次会まで開催されました。

トークショーよりもディープかつ、
これはオフレコだろってな話が
バンバン飛び交っていましたよ。

その話まではさすがに公表は無理ですが・・・
差し障りの無い範囲での内容は
また次回、ちょこっと触れてみたいと思います。

山内先生、よこた先生、勝川先生、桐木先生、
トキワ荘通りのKさん、Hさん、紫雲荘の大家さん、
あと、参加された皆様方、
有難うございました!
&お疲れさまでしたっ!


紫雲荘7/3
画像は紫雲荘

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2011年04月29日

トキワ荘トークショー

本日、豊島区南長崎(椎名町)にある、
トキワ荘通りのイベントに遊びに行きました。

2時ぐらいに現地到着。
そこでまず漫画家の北澤バンビ先生とお会いしご挨拶。

それから、赤塚先生がトキワ荘とともに
仕事場として借りていたアパート 「紫雲荘」の、
現存する「赤塚先生の住んだ部屋」が公開されていたので、
お邪魔して、大家さんの大山さんにご挨拶。
そこで、声優の伊藤さんもいらしていたので、ご挨拶。

次に、トキワ荘通りのイベント主催者側の本多さんにご挨拶。

そして、本日お仕事帰りにもかかわらず
私の呼び立てに答えてくれて遊びに来てくれた
ミクシィのマイミクさんである、赤ダルマ親方さんと合流し、
3時からはトークショー会場の
映画館跡地である薬局の2階に二人で向かいました。

まずトークショーの前に今回被災されてしまった
宮城県石巻市にある、
「石ノ森萬画館」の現在の様子を
石ノ森プロの方が説明して下さった。

石ノ森萬画館は、建物も、
所蔵してある貴重な石ノ森章太郎先生の原稿も
無事だったとの事で一安心。

石ノ森萬画館は、一時避難場所として40名余りの
被災者の方々をうけいれていたとの事です。

そして、石ノ森プロの社長であり、
石ノ森先生の子息である小野寺章氏も来ていらして、
お話をされました。

その後に、トキワ荘に住んだ・あるいは通った事のある
大巨匠の漫画家・編集者の先生方のトークショーがスタートしました。

スクリーントーンを初めて漫画に導入したパイオニアであり、
「のらくろ」執筆権継承者である、永田竹丸先生

日本の少女漫画に革命をもたらした大御所で、
「少女漫画界の手塚治虫 」との異名をもつ、水野英子先生

現在も現役で描き続ける学習漫画界の大御所
よこたとくお先生

講談社「少女クラブ」元編集長であり、神様・手塚治虫先生や、
石ノ森・赤塚・水野先生らの担当者だった、丸山昭先生。

そして、記念碑にも、トキワ荘関連のどの書籍にも書かれてはいない、
謎のトキワ荘住人で、私も今まですごく気になっていた、
動物イラストの第一人者、山内ジョージ先生。

こんな豪華メンバーでトークショーは開催されました。


内容については・・・
詳しく書くと長くなりすぎるので、
いっぺんには書きませんが、

ホントーーーーーーーに貴重すぎるお話をうかがったので、
いずれこのブログで、問題ない部分だけ
(そんなヤバイゴシップ的な裏話はないですがw)
少しずつ発表しよーと思っております

2年ほど前のワークショップと同じく、
また私は永田先生に質問をしてしまいました。
おかげで漫画史上のひとつの謎が解けました!!

永田先生有り難うございましたm(_ _)m

で、トークショーの後は、
先生方からサインをいただきました!!

実はサイン貰う為に購入した「トキワ荘パワー」は
すでにもってるんですけど
サインいただいた本のほうは永久保存版。
すでに買ってるほうは、くりかえし読む実用版にしとくというコトで、
散財と思うのはやめておきますw

トークショーの司会をされていたライターの真鍋さんの著作も買って、
無理言ってサインをいただきました!
有難うございましたm(_ _)m

そして、トキワ荘通りの事務局長小出さんにもご挨拶。

まあ、私は色々とトキワ荘通りの皆様方に
ご迷惑をかけてしまっているので、
今日は皆様にお会いし、遅れながら直接ご挨拶できて、
良かったと思ってます。

・・・いや、私はまだまだ誠意が足りぬ
無礼な男ですがね。

サイン貰うため並んでる時間、
親方さんをかなりお待たせしてしまい、
重ね重ね無礼なコトばっかしてますし >_<


トークショーのあとは、
親方さんと、トキワ荘の先生方も通ったラーメン店
「松葉」で食事。

私の同人誌を渡すかわりに、
親方さんからはチャーシューメンを
おごっていただくという形となりました。

「ンマ〜イ」です^o^
ごちそうさまでした!!

さて、もうすぐ、
トキワ荘の謎の住人(そーいう言い方失礼かもしれませんが)
山内ジョージ先生の、
トキワ荘について書いたという本が発売されるそうです。

私はトキワ荘についての本は
ほぼ集めているから(絶版もあるのでさすがに全部ではないですが)
山内先生の本は絶対購入せねばっ!!


いやいや、トークショー。
実に堪能させていただきました〜。

コミティアとか
色々やらねばならない事ありますので、
今日うかがった貴重な話を書くのは
もうしばらく先になると思います。

本日来られなかったトキワ荘のファンの人にも、
そういう貴重なお話はなるべく
(問題ない範囲で)共有したいですからね。

yota874harahara at 23:55コメント(0)トラックバック(0) 

2010年04月14日

つげ義春とトキワ荘

ネット辞典「ウィキペディア」で、
「トキワ荘」を調べてみると、
「実際に居住したことのある漫画家」という項目があります。

手塚治虫・寺田ヒロオ・藤子不二雄の二人・石ノ森章太郎・赤塚不二夫et・・・
有名なトキワ荘グループ面々の名前が当然書かれています。

しかし、その中になぜか「つげ義春」の名前も書いてあります。
つげ義春がトキワ荘に住んでいたなんて、そんな話は聞いた事もありません。

映画「トキワ荘の青春」に、つげ義春が登場しているので、
何かの勘違いで書かれたのだろうと思って、
「つげ義春」をウィキで調べてみると・・・

そこには、「短期間だがトキワ荘に住んでいたこともある」と、かかれ、
御丁寧にも「ただし、人見知りが激しく赤塚以外のいわゆるトキワ荘系の漫画家とは、
それほど交流を持つことはなかった」
と、いう但し書きまで併記されていました。

そうなると、いくら信憑性の薄いウィキペディアとはいえ、
「もしかしたら・・・」と、思わざるを得ません。

私の調べた上での結果から先に言ってしまうと、
結局「ガセネタ」で、
つげ義春先生はトキワ荘には、ほぼ確実に居住した事はありません。

確固たるソースも無いのに堂々と住んでいたと、
二つの記事にまたがって書くなんて、タチが悪いですね・・・
一体誰でしょう?そんないい加減な事するのは。

と、いう事で、今回は「つげ義春」と「トキワ荘」との関係を
検証してみました。

それでは続きは追記にて。続きを読む

yota874harahara at 01:45コメント(6)トラックバック(0) 

2010年04月11日

紫雲荘の三巨頭

紫雲荘外観紫雲荘の階段赤塚先生の住んだ部屋











画像は赤塚先生が仕事場として、
トキワ荘と併用して借りていた紫雲荘。
順番に外観・階段・赤塚先生の住んだ部屋となっております。

トキワ荘は解体されて今はないですけど、
ここはまだ現存していて、
この日、Tシャツ購入者はその部屋を見学できたワケです。

この赤塚先生が仕事場として使った部屋。、
リフォーム等したので、当時と全く同じではないけど、
当時の雰囲気は今でも色濃く残っています。

そこで、トキワ荘に実際に住んでいた漫画家である、
よこたとくお先生・水野英子先生。
そして、トキワ荘に出入りしていた講談社の元編集者、
丸山昭氏の三名の巨頭が、
講演会によくある広い会場でなく、
普通のアパートの一室で、たった10人足らずの聴衆を相手に、
貴重なお話や、こちらの質問に答えて下さったのですよ!!
まさに思いがけない至福!幸運!

私も、ふじもと先生も、大菊さんも
3人して大興奮でしたよ!!

水野先生・丸山元編集・よこた先生毎度毎度写真がヘタですが、
左から、水野先生・丸山元編集・よこた先生。

よこた先生からは名刺までいただいてしまって恐悦至極。
本当に「講演会」ではなく、
「座談会」の趣きでした。

私はよこた先生に色々と東日本漫画研究会
(石ノ森先生主催の漫画サークル)の事聞いたり(よこた先生も会員)
赤塚先生の話や、つげ先生の話まで伺った。

ソレが、いま私が気になってるコトなんですよ。
ウィキの「つげ義春」の項目に「つげ義春は短期間トキワ荘に住んでいた」
という記述がありましてね。
(トキワ荘の項目にも住人だったとされている)
つげファンでトキワ荘のファンの私は関連本や研究本を
それなりに色々読んできましたけど、
そんな記述どこにも見当たらない。
ウィキだけのソースなんですよ。

住むどころか「つげ氏がトキワ荘には一・二度行っただけ」
というふうにかかれていた本だってあるのに。
ウィキは信憑性が薄いけど・・・
(要出典)の注釈も無いし、もしやって事もある。
さて、真実やいかに?
ってなコトで、よこた先生に聞いてみました。

よこた先生「彼は一回くらいしか来た事なかったよ」
私「じゃ、つげ先生はトキワ荘には住んでないんですね?」
よこた先生「そうだよ」

スッキリした〜・・・

誰だよ、いい加減な事かいたの!!
映画「トキワ荘の青春」につげ先生が出てくるから、
それで勘違いしたのでしょうか?

水野先生からは、石ノ森先生のお姉さんの話や、
トキワ荘のもうひとりの仲間(?)南京虫(吸血する虫)
のことについても伺った。
本にサインもいただきましたよ^^

さて、紫雲荘のこの部屋には先生3名に、
私ら聴衆(スペイン人のライターさんもいた)
商店街の小出氏(たしか事務局長の方)
お手伝いのライター眞鍋じゅんこさん。
そして、紫雲荘大家・大山さん。
総勢10人以上も2間あわせ8畳程度の部屋に詰まって、
なんか、トキワ荘の漫画家の集まり、
新漫画党の会合みたいでした。

・・・で、なんか、
売れない&食えない分際で「漫画家」を名乗っている、
そんな私に制裁が下ったのか?
フスマに寄せ書きを頼まれてしまいましたよ ・・・

そう。名前(サイン)だけじゃダメなんですよね、
漫画家を名乗るならイラストを書けってコトですよね。

「私は下書きカッチリ描かないと描けないタチで・・・」
「こういう衆目監視の中描いた事ないので・・・」
「せ、せめてトップバッターでなく、最後に・・・」
などという必死の抵抗もムダ
観念してトップバッターで描きましたよ・・・

フスマの寄せ書きなによ・・・このヒドイ出来
トップバッター見逃し三振ですよ><

さて、このフスマに絵を描いてるのに気づいた
スペイン人のライターの方が
「描イタイラスト見セテ下サーイ」
と、仰るので、渡した。

感想は・・・無言。
うなずくのみ。
そ、そのうなずきの真意は一体!?

あとは、ふじもと先生にリレー。
やはり何を描こうか困ったご様子。

他にも漫画家の方々がこられてて、
寄せ書きリレーはつづく。

あの寄せ書き、水野先生やよこた先生も描くのでしょうか?

・・・ねぇ、こういう後に残る様なモノ描いたからには、
漫画家として大成せなアカンって事ですよね ?
うう・・・プレッシャーが。

あ、あと雄星投手も大成してね。
ここにイラスト描いちゃいましたから。
あとから「こんな選手いたっけ?」ってならない様に・・・

本当に思いがけない貴重な時間を満喫させていただきました。
三名の先生方に感謝です!!

ありがとうございました。

・・・ところで、
この椎名町にトキワ荘記念館とか資料室があれば、
どんなに素敵だろうか?と思ったのですが、
それで目についたのは、トキワ荘跡地前に今も残る
旧落合電話局の空きビル。

まんが道でもおなじみの建物。
これ使わないで遊ばせてあるならば、
ここをぜひトキワ荘の記念館としていただきたい!

よろしくたのみますよ、NTT&豊島区〜



yota874harahara at 18:11コメント(2)トラックバック(0) 

2009年12月11日

トキワ荘検定?

今年の漢字は「新」だそうですね。

それはともかく、この今年の漢字ってヤツは
確か漢字検定の協会が主催しているんでしたっけ?
まあ内紛もあったりしましたが・・・
その漢字検定がキッカケで世の中に検定ブームが起きましたね。
中には漫画関連の検定も当然あったりします。

もし「トキワ荘検定」なるモノがあったら
是非私は受けたいと思うのですが、あいにくそんなのはありません。

と、いうコトで、今回私が軽〜く検定というか、
トキワ荘に関する初級三択クイズを10問作ってみました。

時間があったり、気が向いたりしたらやってみて下さい。
全問正解しても何も出ませんがw


☆第一問 トキワ荘に最初に住んだ漫画家は?

 1・手塚治虫
 2・寺田ヒロオ
 3・藤子不二雄A
 
☆第二問 トキワ荘の漫画家達が中心となり結成したグループの名前は?

 1・こども漫画集団
 2・トキワ漫画会
 3・新漫画党

☆第三問 そのグループのリーダーは誰?

 1・手塚治虫
 2・寺田ヒロオ
 3・藤子不二雄A

☆第四問 トキワ荘の漫画家達が常連だったラーメン屋さんの名前は?

 1・松葉
 2・角屋
 3・EDEN

☆第五問 トキワ荘名物「チューダー」は焼酎を何で割ったモノ?
 
 1・コーラ
 2・ラムネ 
 3・サイダー

☆第六問 トキワ荘のあった「椎名町」の現在の地名は?

 1・西落合
 2・南長崎
 3・雑司ヶ谷

☆第七問 昭和29年当時のトキワ荘の一ヶ月の家賃は?

 1・3000円
 2・4000円
 3・5000円

☆第八問 トキワ荘の漫画家達が主に執筆していた伝説的雑誌は?
 
 1・少年倶楽部
 2・漫画少年
 3・少年画報

☆第九問 トキワ荘に住んだ唯一の女性漫画家は?

 1・小鷹洋子 
 2・小野寺由恵
 3・水野英子

☆第十問 トキワ荘の漫画家達が常連だったパン屋さんの名前は?

 1・菊香堂
 2・菊菓堂
 3・菊華堂


答えは追記にて。
続きを読む

yota874harahara at 22:59コメント(0)トラックバック(0) 

2009年11月28日

トキワ荘ワークショップ

記念碑ワキの電柱本日11月29日。
私はまたもや「トキワ荘のあった街」
豊島区南長崎(旧・椎名町)に行って参りました。

記念碑ワキにはいつのまにか、
昭和30年代をイメージしたと思われる
電柱と街灯が建っていました。
住所表示もキチンと椎名町です。


と、べつに電柱を見に来たワケではありませんよ。

今日はその旧・椎名町にある「区民ひろば富士見台」にて、
「トキワ荘ワークショップ」というイベントが開催されたので、
それに参加しに行ったのです。

今回、地元商店街のブログ「トキワ荘通り」
http://blog.goo.ne.jp/tokiwasou-street/
のHさんからお誘いいただきました。

その「トキワ荘通り」様とリンクしましたので、
興味ある方は是非ご覧になって下さい。

さて、ワークショップの内容は、
トキワ荘には住んでいなかったけど、
通いで頻繁に訪れていたという二人の巨匠の漫画家先生を招き、
貴重な思い出話や写真を発表するというモノ。
その巨匠とは、

永田竹丸先生永田竹丸先生と、












横山孝雄先生横山孝雄先生のお二方。
(画像悪くてスイマセン)










まず、永田竹丸先生のお話からスタート。
永田先生は「まんが道」にも登場したので、
ファンには有名な先生ですね。


永田竹丸(ながた・たけまる。本名は同じ字だが"みよまる"と読む)
1934年(昭和9年)東京産まれ、椎名町の近く下落合で育つ。
八人きょうだいの4男で、父はスペイン語学者。
中卒後染め物職人の弟子になるが、その師匠から、
「漫画と染め物どちらをとるか」と言われ、漫画をとる。

それを受け、母が近所に住んでいた漫画家沢井一三郎に頼み込み、
その沢井氏に弟子入り。
その後は芳賀まさお、田河水泡らにも師事する。
芳賀氏は義父。田河氏からは「のらくろ」の執筆権を継承。

漫画家デビュー後、第一次新漫画党に参加。
トキワ荘の漫画家達と交流を持つ。
「ピックルくん」で第一回講談社児童まんが賞受賞する。


スライドに映し出された秘蔵の写真を流しながら、
永田先生は記憶をたどり、語っていくので進行はゆっくりでした。

進行役のライターさんは何度か「早く進めたいのに・・・」
という焦りを醸し出したりしてましたねw

その紹介された写真で気になったのは、
1954年(昭和29年)新宿御苑てとられた新人漫画家集合写真。
藤子両先生・赤塚先生・石ノ森先生。当然永田先生も写ってる中、
つげ義春先生も写っていたというコトと、
まんが道の続編「愛・・・しりそめし頃に・・・」に登場していた
満賀の当時のガールフレンド小鷹さんのモデルと思しき女性の写真。

永田先生は「安孫子くんの(藤子A)当時の彼女」と仰ってましたw


永田先生に続いては横山孝雄先生の出番。

横山孝雄(よこやま・たかお)
1937年(昭和12年)中国北京生まれ。父は日本領事館付の警官。
戦後母の故郷福島・相馬に引き揚げる。
高校時代「漫画少年」誌で「東日本漫画研究会」を知り、
石ノ森章太郎と出会い、同会加盟。

その後上京し、足立区の玩具会社に就職。
その傍ら漫画を描き、赤塚不二夫のアシスタント一号となり、
フジオプロ設立にも参加。82年独立後は、
北海道に移住し、アイヌ民族や民話を題材にした漫画や絵本を発表する。


横山先生のお話で興味深かったのは
「肉筆回覧誌」のシステム。

石ノ森章太郎主催の「東日本漫画研究会」は、
今で言えば同人サークル。
で、その研究会の同人の作品集。つまり同人誌が
「墨汁一滴」という肉筆回覧誌でした。

約50年前の当時は同人誌の印刷なんてのは、
今みたいに気軽にできるモノではありません。

だから"肉筆"
生原稿を印刷せず製本した手作りの雑誌を
"回覧"板と同じ様に、会員同士、一冊の本を三日間・72時間のみ預かり、
そして次の会員に回して行くというリレーシステムをとっていたのです。

まさに会員同士の信頼でなりたっています。

あとは、フジオプロ時代の思い出話として、
赤塚先生のマンションに居候をしていたタモリに
退去勧告をするという損な役回りを横山先生がしたとのコトです。


会場の参加者には近所の年配の方が多く、
古い椎名町界隈の写真が紹介されるたび、
懐かしいと感嘆の声をもらしていたのも印象的でした。

で、その一般参加者の中には
あの「EDEN」のマスターもおられました。

EDEN(エデン)とは、
たしか「まんが道」には出てこなかったとは思いますが、
トキワ荘に関する著作には数多く登場する、
トキワ荘の近所の喫茶店で、残念ながら現存していません。
当時珍しいクーラーがあったので、
暑い夏の日、トキワ荘の漫画家がよく涼みにやって来たことで有名です。

エデンの鹿角なんと、今回そのエデンに飾られていた、
鹿の角の掛け物の実物を持って来て下さいました!

逆光で暗くなっててスイマセン。









先生方のお話終了後、赤塚先生が仕事場に使っていた
紫雲荘見学ツアーがあったのですが、
私はこの前に見学したばっかなので、参加せず、
お二人の先生の著作を購入し、サインもいただきました。

永田先生著作横山先生著作











思えば私が「サイン会」に参加したのって初めての経験です。
その初めてが永田・横山両巨匠とはなかなかシブくていいですね。
お二人と握手もしていただいたので、
私もいい作品が描ける様になれるやもしれませんw

貴重なお話もたくさん聞けて、
なかなか有意義なイベントでした。

・・・さてさて、そのまだ書いてない、
「貴重なお話」は
ちょっと字数が多くなったので、次回に回します。

yota874harahara at 21:13コメント(0)トラックバック(0) 
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