2012年10月16日火曜日

■個人的TRPG史観#2 ダイヤモンドの騎士

さて、前回はソード・ワールドRPGとウィザードリィRPGについて話した。
日本のTRPGの、あの当時が絶頂期と言えるだろう。
いや、ホントにそうだったんだ。とにかくコンベンションは人!人!人!

それが1993年辺りになるとだんだんと離れていって1994年にはブームは過ぎ去った。

ホントに一瞬の瞬間最大風速みたいなブームだった。


この頃になると日本のTRPGは、<独自の進化>を迫られることになる。
ロボットと人間の組み合わせのTRPG『ワースブレイド』は、これは世界観含め熱狂的なファンも多いが個人的にゲームバランスにかなり無理があったと思う。<操兵>と呼ばれるロボットが強いんだが、パーティーのメンバー全員が乗れるわけじゃないし、人間vs操兵というシチュエーションもある。…まあソノラマ文庫の『聖刻1092』が良かったという事で。
ホビージャパンは、今にして思えば、実に多種多様なゲームをリリースしていたが、しかし出しっぱなしでサポートが無いというのが無責任だと思った。
やっぱり追加サプリメントや追加シナリオを定期的にリリースするのは大事だ!雑誌でのサポートも大切だ。とにかくTRPGは『ルールブックさえ出せば後は知らね』じゃ駄目なんだ!

遊演体(現:ライアーソフト)のゲームは、蓬莱学園の冒険があるが、これは世界観が孤島の学園で、そこで様々なことが起こる、言ってまえば『うる星やつら』で『るーみっくわーるど』だ。SFありオカルトあり、んじゃめな本舗という所が蓬莱学園でクトゥルフというリプレイ本も出していたな。ちなみに俺はんじゃめな本舗にちょっとだけ関わったことがある。コピー誌の製本を手伝っただけだけどな!でもそのお陰で俺は両面印刷コピー誌の作り方をガッツリ学んだ。それには今でも感謝している。
これはこれで、J-TRPGの一つの回答だ。小説もあるしサプリメントも多数リリースされている。

ただ、俺はこういうロールプレイ主体よりも、やっぱり剣と魔法とバトルの世界が好きなので向かなかっただけで、客観的に評価するなら蓬莱学園は名作だと思う。

現在のJ-TRPGはF.E.A.Rが牽引している状態で…
あーちなみにイラストレーターの石田ヒロユキは俺の絵の師匠にあたる。直にリキテックスでの彩色とか水張りとか教えてもらったから。

えっと話がそれたな、
そうそうF.E.A.Rだ。ここのゲームは、俺は殆どが未プレイでルールブックにザッと目を通したくらいなんだが、これはすでに独自の進化を果たしている。D&Dから始まったTRPGの文脈とは違う地平を行っているゲームだ。

何が言いたいかって?
つまりだ、D&Dは数値化されたキャラクター、ストラテジーゲームで言う<ユニット>に名前を付けた所から始まったという。根底にはウォーシミュレーションがあるのだ。数値化されたキャラクターが数値化された敵と戦い、数値化された報酬とマジックアイテムを得る。
これは今現在のコンピューターRPGもずっと踏襲している血脈だ。
それがF.E.A.Rのゲームでは<脱・数値化>をしていて、プレイヤーとマスターの<ドラマ>が主体となってゲームが展開する。その<ドラマ>の為のシステムと設定を作り込んでいる。それが希有馬屋(井上純弌)の仕事でもある。

こういった<脱・数値化><ドラマツルギー化>したゲームには幾つかの利点がある

ゲームマスター長い時間掛けてマップやらなんやらを準備しなくても当日マスタリングできるすなわちゲームマスタリング敷居低さ
プレイヤーゲームマスター一体となり盛り上げるようにシステム出来ているので否が応でも盛り上がる
プレイヤー憶えることが少ないのでプレイヤー敷居低い



そうさ、TRPGはゲームマスターが命なのだ。
どんな優れたシステムでもゲームマスターがタコだとクソゲーと化す。
D&Dの血脈のゲームは、ダンジョンを用意して戦闘バランスも考えて…やることが多い。
これがルーンクエストとなると、<宗教>や<戒律>が関与するので、シナリオを書くには、ラノベ作家の一次選考通過レベルは無いとこなせないだろう。

これが日本のTRPGブーム衰退の一要因だと俺は勝手に思っている。
ゲームマスターが育たなかったんだ。そしてクソゲーが溢れた。



次回に続く

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