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2012年10月24日

池田菊苗とグルタミン酸

さて今月の新潮45での連載「世界史を変えた化学物質」は、グルタミン酸がテーマです。世界の食文化の中で「うま味」がどう位置づけられてきたか、うま味調味料の発見者池田菊苗と、発売元である味の素の苦悩、みたいなところを書いてみました。


こちらが表紙。

 実際、これほど日本人に愛されていながら、これほど嫌われた物質もないのではと思います。今回は編集者さんにも大変好評だったので、見かけたら手にとってやっていただければと思います。

MSG
グルタミン酸ナトリウム

 今回いろいろ調べて思いましたが、グルタミン酸という化合物はなかなか特異な位置を占める物質です。たとえば20種あるタンパク質構成アミノ酸の多くは、グルタミン酸を原料として作られます。つまりグルタミン酸は、生体の最重要物質であるタンパク質合成の、鍵を握る存在なのです。

 またグルタミン酸は神経伝達物質てもあり、記憶や学習などの高度な脳機能に欠かせない存在です。しかしそれだけに、グルタミン酸に似た物質は神経の情報伝達を混乱させ、毒として働き得ます。イボテングタケなどに含まれるイボテン酸、赤潮や貝毒などの有毒成分であるドウモイ酸などがこれに当たります。重要な物質に似ているものというのは、えてしてろくなことを引き起こしません。

iboten
domoi
イボテン酸(上)とドウモイ酸(下)

 これらはグルタミン酸受容体に作用して神経を異常興奮させることによって毒性を顕します。このため、ドウモイ酸は記憶喪失など特徴的な症状を発することが知られています。またイボテン酸はグルタミン酸に比べて10倍ほどもうま味が強く、このためこれを含むキノコは大変に美味しいのだそうで、なかなか困りものです。

 こうした毒性のメカニズムは、うまく逆手にとれれば薬の開発にもつながります。グルタミン酸受容体に作用する認知症治療薬・メマンチンはその例です。類似のメカニズムによる医薬も開発されつつあり、難治性疾患である認知症治療に光をもたらしつつあります。

memantine
メマンチン

 池田菊苗は、単にうま味成分を発見して調味料産業の礎を造ったというだけでなく、こうして一世紀後の現代に続く「グルタミン酸の科学」の扉を開いた人物であり、ノーベル賞を受賞してもおかしくなかったと思えます。開国間もない日本がこれだけの科学者を生み出したのは、ひとつの奇跡といってもよいでしょう。

 ただし池田の功績は生前にはきちんと認められず、商業的に成功したばかりに科学者としてもかなりの苦悩を味わっていたようです。一般的な知名度は極めて高いとはいえませんが、せめて化学に関わる者くらいは、彼の業績をもう少しよく知っていてもよいのではと思う次第です。

ikeda
池田菊苗


(参考文献)
海から生まれた毒と薬」 Anthony T. Tu著
「うま味」を発見した男」 上山 明博 著
化学者池田菊苗―漱石・旨味・ドイツ」 広田 鋼蔵 著


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route408 at 01:22│Comments(0)TrackBack(0)

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