2010-09-15
通州事件の惨劇 (Sさんの体験談) 日本人皆殺しの地獄絵・其の四
通州事件の惨劇 (Sさんの体験談)
日本人皆殺しの地獄絵・其の四
お待たせ致しました。9月1日の更新に続き、通州の惨劇を体験されたSさんのお話の続きを掲載致します。
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Sさんの体験談
(続き)
そして私とTさんの周囲には何人もの支那人達がいました。そしてこうした光景を見ているのですが、誰も何も言いません。氷のような表情というのはあんな表情でしょうか。兵隊や学生達がニタニタと笑っているのにこれを見守っている一般の支那人は全く無表情で只黙って見ているだけなのです。しかしようもまあこんなに沢山支那人が集まったものだなあと思いました。そして沢山集まった支那人達は学生や兵隊のやることを止めようともしなければ兵隊達のようにニタニタするでもなし、只黙って見ているだけです。勿論これはいろんなことを言えば同じ支那人ではあっても自分達が何をされるかわからないという恐れもあってのことでしょうが、全くこうした学生や兵隊のすることを氷のように冷ややかに眺めているのです。これも又異様のこととしか言いようがありません。こんな沢山集まっている支那人達が少しづつ移動しているのです。この沢山の人の中には男もいます。女もいます。私もその支那人達の女の一人としてTさんと一緒に人の流れに従って日本人居留区の方へ近付いたのです。
日本人居留区に近付いてみるといよいよ異様な空気が感ぜられます。旭軒という食堂と遊郭を一緒にやっている店の近くまで行ったときです。日本の女の人が二人保安隊の兵隊に連れられて出て来ました。二人とも真っ青な顔色でした。一人の女の人は前がはだけておりました。この女の人が何をされたのか私もそうした商売をしておったのでよくわかるのです。しかも相当に乱暴に扱われたということは前がはだけている姿でよくわかったのです。可哀想になあとは思ってもどうすることも出来ません。どうしてやることも出来ないのです。言葉すらかけてやることが出来ないのです。二人の女の人のうちの一人は相当頑強に抵抗したのでしょう。頬っぺたがひどく腫れあがっているのです。いやその一部からは出血さえしております。髪はバラバラに乱れているのです。とてもまともには見られないような可哀想な姿です。その二人の女の人を引っ張って来た保安隊の兵隊は頬っぺたの腫れあがっている女の人をそこに立たせたかと思うと着ているものを銃剣で前の方をパッと切り開いたのです。女の人は本能的に手で前を押さえようとするといきなりその手を銃剣で斬りつけました。左の手が肘のところからばっさり切り落とされたのです。しかしこの女の人はワーンともギャーッとも言わなかったのです。只かすかにウーンと唸ったように聞こえました。そしてそこにバッタリ倒れたのです。すると保安隊の兵隊がこの女の人を引きずるようにして立たせました。そして銃剣で胸のあたりを力一杯突き刺したのです。この女の人はその場に崩れ落ちるように倒れました。すると倒れた女の人の腹を又銃剣で突き刺すのです。私は思わず「やめてー」と叫びそうになりました。その私をTさんがしっかり抱きとめて「駄目、駄目」と耳元で申すのです。私は怒りと怖さで体中が張り裂けんばかりでした。
そのうちにこの女の人を五回か六回か突き刺した兵隊がもう一人の女の人を見てニヤリと笑いました。そしていきなりみんなが見ている前でこの女の人の着ているものを剥ぎ取ってしまったのです。そしてその場に押し倒したかと思うとみんなの見ている前で陵辱をはじめたのです。人間の行為というものはもっと神聖でなくてはならないと私は思っています。それが女の人を保安隊の兵隊が犯している姿を見ると、何といやらしい、そして何と汚らわしいものかと思わずにはおられませんでした。一人の兵隊が終わるともう一人の兵隊がこの女の人を犯すのです。そして三人程の兵隊が終わると次に学生が襲いかかるのです。何人もの何人もの男達が野獣以上に汚らわしい行為を続けているのです。私はTさんに抱きかかえられながらその姿を遠い夢の中の出来事のような思いで見続けておりました。それが支那の悪獣どもが充分満足したのでしょう。何人か寄っていろいろ話しているようでしたが、しばらくすると一人の兵隊が銃をかまえてこの女の人を撃とうとしたのです。さすがに見ていた多くの支那人達がウォーという唸るような声を出しました。この多くの支那人の唸りに恐れたのか兵隊二人と学生一人でこの女の人を引きずるように旭軒の中に連れ去りました。そしてしばらくするとギャーという女の悲鳴が聞こえて来たのです。恐らくは連れて行った兵隊と学生で用済みになったこの日本の女の人を殺したものと思われます。しかしこれを見ていた支那人達はどうすることも出来ないのです。私もTさんもどうすることも出来ないのです。もうこんなところにはいたくない。家に帰ろうと思ったけれどTさんが私の身体をしっかり抱いて離さないので、私はTさんに引きずられるように日本人居留区に入ったのです。
そこはもう何というか言葉では言い表されないような地獄絵図でした。沢山の日本人が殺されています。いやまだ殺され続けているのです。あちこちから悲鳴に似たような声が聞こえたかと思うと、そのあとに必ずギャーッという声が聞こえて来ます。そんなことが何回も何十回も繰り返されているのでしょう。私は聞くまいと思うけど聞こえて来るのです。耳を覆ってみても聞こえるのです。又私が耳を覆っているとTさんがそんなことをしたらいけないというようにその覆った手を押さえるのです。旭軒と近水槽の間にある松山槽の近くまで来たときです。一人のお婆さんがよろけるように逃げて来ております。するとこのお婆さんを追っかけてきた学生の一人が青竜刀を振りかざしたかと思うといきなりこのお婆さんに斬りかかって来たのです。お婆さんは懸命に逃げようとしていたので頭に斬りつけることが出来ず、左の腕が肩近くのところからポロリと切り落とされました。お婆さんは仰向けに倒れました。学生はこのお婆さんの腹と胸とを一刺しづつ突いてそこを立ち去りました。誰も見ていません。私とTさんとこのお婆さんだけだったので、私がこのお婆さんのところに行って額にそっと手を当てるとお婆さんがそっと目を開きました。そして「くやしい」と申すのです。「かたきをとって」とも言うのです。私は何も言葉は出さずにお婆さんの額に手を当ててやっておりました「いちぞう、いちぞう」と人の名を呼びます。きっと息子さんかお孫さんに違いありません。私は何もしてやれないので只黙って額に手を当ててやっているばかりでした。するとこのお婆さんが「なんまんだぶ」と一声お念仏を称えたのです。そして息が止まったのです。私が西本願寺の別府の別院におまいりするようになったのはやはりあのお婆さんの最期の一声である「なんまんだぶ」の言葉が私の耳にこびりついて離れなかったからでしょう。
そうしてお婆さんの額に手を当てていると、すぐ近くで何かワイワイ騒いでいる声が聞こえて来ます。Tさんが私の身体を抱きかかえるようにしてそちらの方に行きました。すると支那人も沢山集まっているようですが、保安隊の兵隊と学生も全部で十名ぐらい集まっているのです。そこに保安隊でない国民政府軍の兵隊も何名かいました。それがみんなで集まっているのは女の人を一人連れ出して来ているのです。何とその女の人はお腹が大きいのです。七ヶ月か八ヶ月と思われる大きなお腹をしているのです。学生と保安隊の兵隊、それに国民政府軍の正規の兵隊達が何かガヤガヤと言っていましたが、家の入り口のすぐ側のところに女の人を連れて行きました。この女の人は何もしゃべれないのです。恐らく恐怖のために口がきけなくなっていることだろうと思うのですが、その恐怖のために恐れおののいている女の人を見ると、女の私ですら綺麗だなあと思いました。ところが一人の学生がこの女の人の着ているものを剥ぎ取ろうとしたら、この女の人が頑強に抵抗するのです。歯をしっかり食いしばっていやいやを続けているのです。学生が二つか三つかこの女の人の頬を殴りつけたのですが、この女の人は頑強に抵抗を続けていました。そしてときどき「ヒーッ」と泣き声を出すのです。兵隊と学生達は又集まって話し合いをしております。妊娠をしている女の人にあんまり乱暴なことはするなという気運が、ここに集まっている支那人達の間にも拡がっておりました。
とそのときです。一人の日本人の男の人が木剣を持ってこの場に飛び込んで来ました。そして「俺の家内と子供に何をするのだ。やめろ」と大声で叫んだのです。これで事態が一変しました。若しこの日本の男の人が飛び込んで来なかったら、或いはこの妊婦の命は助かったかも知れませんが、この男の人の出現ですっかり険悪な空気になりました。学生の一人が何も言わずにこの日本の男の人に青竜刀で斬りつけました。するとこの日本の男の人はひらりとその青竜刀をかわしたのです。そして持っていた木刀でこの学生の肩を烈しく打ちました。学生は「ウーン」と言ってその場に倒れました。すると今度はそこにいた支那国民政府軍の兵隊と保安隊の兵隊が、鉄砲の先に剣を付けてこの日本の男の人に突きかかって来ました。私は見ながら日本人頑張れ、日本人頑張れと心の中に叫んでいました。しかしそんなことは口には絶対に言えないのです。七名も八名もの支那の兵隊達がこの男の人にジリジリと詰め寄って来ましたが、この日本の男の人は少しも怯みません。ピシリと木刀を青眼に構えて一歩も動こうとしないのです。私は立派だなあ、さすがに日本人だなあと思わずにはおられなかったのです。ところが後ろに回っていた国民政府軍の兵隊が、この日本の男の人の背に向かって銃剣でサッと突いてかかりました。するとどうでしょう。この日本の男の人はこれもひらりとかわしてこの兵隊の肩口を木刀で烈しく打ったのです。この兵隊も銃を落としてうずくまりました。
でもこの日本の男の人の働きもここまででした。この国民政府軍の兵隊を烈しく日本の男の人が打ち据えたとき、よこにおった保安隊の兵隊がこの日本の男の人の腰のところに銃剣でグサリと突き刺したのです。日本の男の人が倒れると、残っていた兵隊や学生達が集まりまして、この男の人を殴る蹴るの大乱暴を始めたのです。日本の男の人はウーンと一度唸ったきりあとは声がありません。これは声が出なかったのではなく出せなかったのでしょう。日本の男の人はぐったりなって横たわりました。それでも支那の兵隊や学生達は乱暴を続けております。そしてあの見るも痛ましい残虐行為が始まったのです。
(次回に続く)
※通州事件の惨劇 −日本人皆殺しの地獄絵−は、財団法人慧燈財団、前理事長であられた、調 寛雅(しらべ かんが)氏著作『天皇さまが泣いてござった』より、氏のご子息様のご許可を頂き、引用掲載させて頂いております。
※参考書籍、「天皇さまが泣いてござった」では、証言者であるSさんのお名前が掲載されていますが、当ブログではイニシャル表記とさせていただきました。
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【参考書籍】
「天皇さまが泣いてござった」
著者:しらべ かんが
教育社発行 定価1800円
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『通州事件の惨劇 (Sさんの体験談)−日本人皆殺しの地獄絵−』URL一覧
其の一 http://d.hatena.ne.jp/minoru20000/20100730/p1
其の二 http://d.hatena.ne.jp/minoru20000/20100816/p1
其の三 http://d.hatena.ne.jp/minoru20000/20100901/p1
其の四 http://d.hatena.ne.jp/minoru20000/20100915/p1
其の五 http://d.hatena.ne.jp/minoru20000/20100929/p1
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※応援クリックにご協力下さると、下記告知の周知効果が高まります。
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▽以下、告知コーナー
場所:JR徳島駅前(雨天決行)
日時:10月2日 午後14:30〜17:00迄
街頭宣伝は15:00開始予定です。お手伝い戴ける方は14:00集合でお願いします。
内容:チラシ配布と街宣
主催:頑張れ日本!全国行動委員会徳島県支部設立準備委員会
連絡先 せのお よしかわ
日時
平成22年9月23日(木・祝) 14時00分〜16時00分
場所
内容
チラシ配布 及び 街頭宣伝活動
※ お手伝いいただける方は 13時30分に集合願います。
主催
頑張れ日本!全国行動委員会 徳島県支部 設立準備委員会
《頑張れ日本!全国行動委員会 http://www.ganbare-nippon.net/》
ご連絡先
TEL 080-6386-1225 (せのお) TEL 090-7582-8582 (よしかわ)
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「HRネットワーク徳島」が主催で標記催事が開催されます。仔細は下記のとおりです。
● 第一回
日 時 : 平成22年09月19日(日)
時 間 : 13:30〜15:30(13:00開場)
会 場 : 那賀川図書館研修室
● 第二回
テーマ : 「よど号グループと拉致」
講 師 : 岡田 和則氏(特定失踪者問題調査会副代表)
日 時 : 平成22年10月24日(日)
時 間 : 13:30〜15:30(13:00開場)
会 場 : 那賀川図書館研修室
*よど号グループとは、1970年によど号(日本航空351便・ボーイング727-89型機、愛称「よど号」)ハイジャック事件を起こし、北朝鮮に亡命した共産主義者同盟・赤軍派グループ。
● 第三回
テーマ : 「帰国事業の真実」
日 時 : 平成22年11月21日(日)
時 間 : 13:30〜15:30(13:00開場)
会 場 : 那賀川図書館研修室
*帰国事業(在日朝鮮人の帰還事業)とは、1950年代から1984年にかけて行なわれた在日朝鮮人とその家族による日本から朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)への集団的な永住帰国あるいは移住のこと。
*上記3集会での参加費は無料です!
転載元
http://plaza.rakuten.co.jp/19951207/diary/201006290000/
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『今の情勢を鑑み将来の日本を考える』
日時:平成22年9月20日(月祝)
講演14:00〜16:00
参加費:一般市民2,000円
定員:964名
問い合わせ先:0889-43-2911
http://www.toshio-tamogami.jp/
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■各政党の連絡先
http://gameandpolitic.que.jp/wiki.cgi?page=%B3%C6%C0%AF%C5%DE%A4%CE%CF%A2%CD%ED%C0%E8
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※投稿文も受け付けております。
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「徳島県関係の特定失踪者」
戸島金芳 1955年1月14日 貞光駅で失踪(ご家族は県外に居住)
正木冽子 1961年9月24日 眉山公園で失踪(ご家族は県外に居住)
山本正樹 1966年7月11日 大阪で失踪(徳島県出身・ご家族が徳島に居住)
七條 一 1970年2月10日 金沢で失踪(徳島県出身・ご家族が徳島に居住)
B(女性) 県内で失踪(徳島県出身・ご家族は県外に居住)
至極 透 1978年7月13日 和歌山で失踪(徳島県出身・ご家族が徳島に居住)
秋田美輪 1985年12月4日 神戸で失踪(ご家族が徳島に居住)
松岡伸矢 1989年3月7日 貞光町で失踪(ご家族は県外に居住)
賀上大助 2001年12月22日大阪で失踪(ご家族が徳島に居住)
http://www.geocities.jp/sansyoukai223/index1.html
【動画紹介】
短波放送で拉致被害者救出のメッセージを北朝鮮に発信し続けています
拉致被害者の方々へのメッセージ
http://www.youtube.com/watch?v=QeN6w0u5WUc
北朝鮮に拉致された方々へ向けたラジオ放送「しおかぜ」をご存じですか。
ご家族からのお手紙を短波放送を使って毎日読みあげています。拉致被害者の方々が一刻も早く救出され、ご家族のもとへ戻られることを願っています。
しおかぜ通信HP : http://www.senryaku-jouhou.jp/shiotsuu.html
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竹島、対馬、尖閣諸島が日本領と示す外国発行の地図が次々と焚書
地図が焚書? - 楽仙堂・恥の記録
http://d.hatena.ne.jp/ooidoya/20100907/1283862310
水間条項ー国益最前線 ジャーナリスト 水間政憲のブログです。「捏造歴史認識を封じ込める『朝日新聞が報道した「日韓併合」の真実』〔韓国が主張する「七奪」は日本の「七恩」だった〕(発売開始!)」
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