単語記事: 神道

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神道(しんとう)とは、「神社」に徴されるような日本人民間信仰の形式が、長い年をかけて体系化され、とくに明治時代以降宗教として意識されるようになったもの。

 概要

(1) 日本の多彩な民間信仰

太古の昔から人間は言い伝えが好きなようだが、日本においても各地で、いつの頃からか言い伝えられてきた数知れぬ伝承がある。
例えば中国の場合は伝承は「君の話」として伝わっているものが多いが、日本の民話にはあまり君の話はなく、むしろ、よろずの「神様」がよく登場する。 神様といっても、キリスト教の「YHVH)」やイスラム教のアッラーのように善悪を絶対的にる形上的存在の「God」ではない。あえて英訳するなら「Spirit」(精霊的存在)くらいに考えるとよいだろう。

八百万(やおよろず)の神様という言葉どおり、まず太陽そのものが「おてんとさん」という女神か?)であり、の上で和太鼓をたたきを落とすカミナリ様がいれば、お稲荷様をはじめとするの収穫の神様、各氏族を護ってくれる氏(うじがみ)様、徳の高い人が亡くなれば天国では神様、怒らせれば祟り(たたり)になる、や巨石や大木も実は神様ばたの石碑などに宿っての事故がないよう厄除けしてくれる、怠け者などのにとり憑いてまわる貧乏神から疫病中国典に登場する人・女様まで、日本人は実にいろいろなものを自然に信仰してきた。
別に汎論(存在する全てのものが神様等に信仰する)というわけではなく、特徴としては「すごいもの」「古いもの」「ありがたく、あやかりたいもの」が信仰の対になる。
物体や故人に結び付けられる神様だけではなく、死後の世界との境界として考えられる場所や概念、占いののようなもの、戦没者祈念碑、収穫祭、歴史上の事件などのモニュメントが聖地となるのも同じような感覚である(儒教の影もある?)。

いつしかどの村にも神社が建てられ、地域や身分集団によって、さまざまな祭りや習慣が伝わってきたのである。

なお、日本人の身近な「神様」好きは近代になっても実は変わっていない。例えば大阪神戸の商店などでよくにするビリケンさまは20世紀になってからアメリカで突如生まれた「神様」だが、縁起物が大好きな日本人は、ビリケン像を輸入するやいなや、たちまちありがたく福を呼ぶ存在として祭りあげてしまった。
それに、現代の日本語ネット界でも、ちょっとすごい人はすぐ「」に祭り上げられ、信者を獲得している。まったく同じことである。

(2) 多彩な信仰を繋いだ「神の国」ストーリー

な信仰が、神話や一つの宗教として体系化されるのは、日本に限ったことではなくどこのでもあることである。

日本の場合、文化の単一性が強く鳥居の形を見ても分かるように同じように伝播・発展したし、古代朝廷が8世紀初頭までの土支配の過程で用意したストーリー天皇太陽アマテラスから連なってきたという古事記神話伊勢神宮信仰)が既に実際の史実やに西日本の様々な伝承を包みこむ大きなものであったと同時に、その天皇自体が連綿と続いてきたため、較的自然な体系化がしやすい環境があったと思われる。

江戸時代後期になると、お勢参りがブームになり、平田篤胤や本居宣長によって「復古神道運動などを通した日本神話の体系化が進む。ただし民間信仰の中でも中国由来の仏教・儒教的な要素は基本的には取り除かれていく。長いあいだ武や儒学者の教養と無縁になっていた『古事記』などがよく読まれるようになり、尊王攘夷運動にも影を与えるようになる。

明治になると、こうした「神道」が言わば教となり、伊勢神宮を頂点とする神社本庁が全のほぼすべての神社を統括する体系が作られたり、歴史の授業で日本神話から教えたりするようになる。1935(昭和10)年には昭和天皇の名で「わが体は、孫降臨の際下し賜へる御勅に依り明示せらるゝ所にして、万世一系の天皇を統治し給ひ、宝祚の地と与に窮なし」ととしての日本を明らかにする「体明徴生命」が出されるなどする。

なお、神道に明確な教義は無いため、宗教ではなくただの生活の中の習程度のものではないか? という認識はもちろんある。これを根拠として「ヲシテ世ヲ治メシムハ政教分離ニ違ハズ」(イメージです) などと堂々と政府機関国家神道を扱っていた訳でもある。

しかし、戦後は政教分離が行われ、天皇は人間宣言をすることになる。
もっとも、今も神社信仰自体はさまざまな形で日本人の生活の中にあり、現在日本には8万社以上の各種神社があると言う。

 ネットと神道の共通点

 神道と仏教の関係

日本人の信仰の歴史る場合、インドに発祥し古代中国朝鮮から伝わってきた仏教は、まぎれもなくもう一つの最大の要素である。

復古神道運動以前の長いあいだ、日本の「神様」信仰と「仏教」は全く原理的に対立するものではなかった(もちろん小競り合いが皆無だったわけでもないが)。(「神仏習合」の項もご覧くだされ)

民間信仰は、典に登場する人や女を神様という感覚で扱ったし(七福には典由来の弁財と大毘沙門天が含まれている。特に弁天神社なんてあちこちにある。)、仏教各宗の教義に帰依する人びとも、人を悟りに導くとは別に利益(りやく)などをもたらす神様にも対して親しみ、村の祭りに参加したわけである。
神様様、・・・」というフレーズはよく聞くし、お寺によく行く人なら、お寺の境内に神社鳥居があるを何度も見たことがあるだろう。

 神道と政治

古来から事と政治が深い関わりを持っていたということは、「政」の訓が「まつりごと」であることからも想起されやすい。実際に卑弥呼が生きていた時代は祭政一致であったと言われている。

明治以来の大日本帝国でも「神道」が国家政策であったことは前述のとおりである。

政教分離の現代では、「神道政治連盟」という政治団体(森喜朗首相神の国解散を起こした遠因です)が神社本庁を体に成立しており、自民党を積極的に支持しているという程度である。その自民党創価学会を支持体とする公明党と連立政権を立したり選挙したりしてる所を見ても、やはり日本人には神仏習合が似つかわしいと思わざるを得ない。

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初版作成日: 10/11/14 02:46 ◆ 最終更新日: 12/10/24 07:47
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神道について語るスレ

174 : ななしのよっしん :2012/09/18(火) 21:36:57 ID: wajqlu7jHx
>>172
本居宣長は「直毘霊」で意(からごころ)の排除について論じている。

>>sm5015829
175 : ななしのよっしん :2012/09/25(火) 00:31:40 ID: Di7+7SigDZ
ネットとの共通点ワロタwww
確かにw

初詣に行ってそこでそんな高くないものだけど、縁起物買ってくると妙に心する。
小さな俵とかだるまとか招きとか妙にらしいし親近感がある。
不思議な感じだ。
176 : ななしのよっしん :2012/09/27(木) 19:25:18 ID: wajqlu7jHx
記事では神道をアニミズム(animism)と書いているが間違いだよなぁ?

神道はどう見ても多教(polytheism)だ。
場合によっては単一教(henotheism)とも言える。

本居宣長の説を採ったとしてもマナイズム(manaism)だ。

もっとも、宗教は信じる信じないの世界だから、
神道をアニミズムだと信じたいなら信じてもいいのかもしれない…。
177 : ななしのよっしん :2012/09/27(木) 19:39:25 ID: /NTnjOVzMV
>>176
うんにゃ、確かに固有のもいるけど八百万九十九なんかはアニミズム思想でしょ。
だから神道はアニミズムですって言っちゃうと間違いだけど
に多教かって言うとそうでもない。ちゃんぽんだと思う。
178 : ななしのよっしん :2012/09/27(木) 22:32:11 ID: wajqlu7jHx
本居宣長は、「の霊(みたま=アニマ)がなのではない、が直接になのだ。これらもまたすごい物だからだ。」と書いている。

アニマが無いんだからアニミズムではない。

これは結構納得がいく。
現代でも、例えば野球の卓抜した打撃や送球をも「」と呼ぶことがあるが、そこに霊(みたま=アニマ)は無い。それらを直接「」と呼んでいる。

宣長のこの分析は鋭い。西洋の宗教学の100年先を行ってると言えるかも?
179 : ななしのよっしん :2012/10/02(火) 11:15:38 ID: j2X9q2bw5k
信じる信じないの世界なのは宗教であって、宗教学では基本そんな考え方はしない。
がそう信じるからアニミズムではないとかしても滑稽なだけ
180 : ななしのよっしん :2012/10/02(火) 11:52:48 ID: bVlUI7kUAF
アマテラス太陽だがアマテラスなのではなく太陽が直接になのかというとそうは思わんね
太陽は直接にたり得るだろうがアマテラスアマテラスでれっきとした神様だろう

伊勢神宮にお参りに行った人間が太陽宮どっちにお参りするか悩んだりすると思うか?
181 : ななしのよっしん :2012/10/02(火) 21:05:23 ID: wajqlu7jHx
だから普通に多教なんじゃないの?

とはいえ、「天照」を「アマテラス」とし、太陽としたのは本居宣長の功績だ。
で、宣長はアマテラス太陽そのものだと考えていたそうだね。(それが本来だと。)

現代日本人初日の出を拝むときなんかは、太陽そのものを拝んでる感じだし、ありえそうではある。
182 : ななしのよっしん :2012/10/05(金) 18:45:22 ID: yD7gA3D38t
教というより汎教である
183 : ななしのよっしん :2012/10/05(金) 21:47:22 ID: wajqlu7jHx
>>182
うーむ…、例えば両部神道真言宗)などでは教義上からも汎教と言えそうだ。
仏教系の神道明治政府によって全て絶させられたが、民間信仰では現代でも残っているだろう。

だから神道を汎教だと理解している人が居ても、その信仰を否定する必要も無いなぁ…。

もちろん本居宣長にとっては、それらは誤った神道だが…。
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