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若松孝二監督、新作道半ばの急死に冷たい涙雨…通夜に800人参列

スポーツ報知 10月24日(水)8時3分配信

若松孝二監督、新作道半ばの急死に冷たい涙雨…通夜に800人参列
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おだやかにほほ笑む若松監督の遺影

 12日夜に都内でタクシーにはねられ、17日に多発外傷のため死去した映画監督の若松孝二(本名・伊藤孝)さん(享年76歳)の通夜が23日、東京・青山葬儀所で営まれた。親族によると、若松監督は福島第1原発の事故のほかに、沖縄戦、第2次世界大戦の731部隊、白虎隊をテーマにした映画を構想していたという。道半ばでの急死に、葬儀所は冷たい涙雨に包まれた。告別式は24日午前10時半から同所で営まれる。

 冷たい雨が降りしきる中、若松監督の通夜が営まれた。俳優の奥田瑛二(62)、佐野史郎(57)や多くの映画関係者ら約800人が参列した。

 遺影は2011年5月の「海燕ホテル・ブルー」の伊豆大島ロケで撮影されたもの。帽子にサングラスをかけ、にっこりとほほ笑む姿が参列者の涙を誘った。暴力やエロス、政治などをテーマにした反体制の作品作りとは対照的な温和な表情が、多くの俳優に慕われる監督の人柄を物語っていた。

 監督には子宮回帰願望があったそうで、祭壇も「母の胎内に抱かれているイメージ」(関係者)で制作された。女性の柔らかな丸みを曲線で表現。バラやカーネーションなど監督の好きだった黄色の花3000本で彩られた。

 あまりにも突然の別れだった。若松監督は12日午後10時14分頃、東京・新宿区内藤町で道路を横断しようとした際にタクシーにはねられ、頭と腰を強く打った。救急搬送される際には意識があったが、病院到着後に意識不明となった。現場は片側2車線の直線道路。見通しは悪くないが、監督は約30メートル先にある横断歩道まで行かずに横断したという。

 三女の宗子さんによると、監督は亡くなる直前まで精力的に新作の構想を練っていた。9月のベネチア国際映画祭で福島第1原発事故の映画化をぶち上げたが、ほかにも沖縄戦、太平洋戦争期で細菌戦に使用する生物兵器の研究・開発機関で、満州(現中国東北部)などで人体実験も行っていたともされる731部隊、白虎隊がテーマに挙がっていたという。

 宗子さんは監督の口癖を、こう明かした。「映画に時効はない。僕が死んでも作品は50年、100年と残るんだ」。場内には「キャタピラー」など代表作のポスターが飾られた。その功績は永遠に色あせることはない。

 【主な弔問客】安藤政信、伊藤俊也、井浦新、内田裕也、大西信満、大森南朋、岡田裕介・東映社長、奥田瑛二、高良健吾、小山明子、佐野史郎、篠田正浩、染谷将太、高岡蒼佑、高橋伴明、山本晋也、行定勲、満島真之介、満島ひかり、村上淳(敬称略、五十音順)

最終更新:10月24日(水)8時5分

スポーツ報知

 

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