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社会

レッドパージ控訴審、24日判決 大阪高裁 

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24日の控訴審判決を前に記者会見する大橋豊さん(右端)ら=大阪司法記者クラブ

24日の控訴審判決を前に記者会見する大橋豊さん(右端)ら=大阪司法記者クラブ

 約60年前、連合国軍総司令部(GHQ)の勧告によって共産党員とその支持者が職場を追われた「レッドパージ」。その対象となった神戸市の男性3人が計6千万円の国家賠償を求めた訴訟の控訴審判決が24日、大阪高裁(西村則夫裁判長)で言い渡される。原告弁護団によると、パージの対象となったのは全国で3万〜4万人。被害救済をめぐっては、これまで日弁連などからも政府に勧告が出されており、司法判断が注目される。(前川茂之)

 1950年8月29日、神戸市西区の大橋豊さん(82)は当時、勤めていた旧逓信省神戸中央電報局の局長室に突然、呼び出された。「君は家族が多く申し訳ないが…」。局長はそうわびながら免職辞令を手渡した。

 時に1日16時間働くこともあった過酷な職場。寮での食事は大豆を固めた団子だけ。「劣悪な環境を変えたい」と労働組合の執行委員になり、共産党に入っていたことが当局の目に留まった。「アカ」の烙印(らくいん)を押されると、大橋さんだけでなく家族の就職もままならず、一家は離散した。

 「黙って死ねるか」。2009年3月、同じく旭硝子を解雇された同市北区の川崎義啓さん(95)、川崎製鉄を解雇された同市兵庫区の安原清次郎さん(91)とともに提訴に踏み切った。

 昨年5月の神戸地裁判決は過去の最高裁決定を踏襲し、レッドパージを「GHQの実質的な指示によるもので超憲法的」と判断。国に救済義務はなく、補償も「国会の裁量」と退けた。

 控訴審で原告側は、証拠として新たに専門家の意見書を提出し「レッドパージはGHQの『指示』ではなかった」と主張。さらに、政府が被害救済策を取った公職追放者と比較し「遅くともサンフランシスコ講和条約発効後には、パージの被害者にも救済措置を取るべきだった」としている。

 判決を前に会見した大橋さんは「被害者は高齢化が進み、生きているのは約1割。戦後50年間、声を上げることもできなかった。戦後最大の人権侵害を司法が認めてくれると期待している」と話している。

(2012/10/23 07:38)

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