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1.『鉄の掟』
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昔、ある漁村の現地調査をした。その時、現地で漁協長から突然「この漁村には『鉄の掟』があるのだが、知っているか?」と問われた。知らぬ、教えて下さい、と頼んだが、中々教えてもらえなかった。再びどうしても教えて下さい、とお願いしたところ、その「鉄の掟」とは、『くわえタバコで村の中を歩かないこと』だった。
その漁村は、多分世界中でも珍しい木造3階建の家がぎっしり詰まった美しい「超過密」漁村でした。火事を出せば全村丸焼けは目に見える。くわえタバコで調査した人間反省!
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2.『漁業への偏見を無くそう』
―脱サラまき網乗組員の一言―
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東京で仕事に追われ限界を感じた会社員が転職を決意、家族の理解のもと、福岡県玄海大島漁協のまき網船団乗組員となる。最初は、船酔い、昼夜逆転の生活、方言、漁師言葉に苦しむ。しかし直ぐ慣れる。網を巻き上げる時の乗組員の一体感、大漁の感激などサラリーマンでは味わえないことがいっぱい。収入は減ったが、家賃など生活費が安いので支障無く、休日が多いので家族との時間が喜び。妻も婦人部に加入し、島の生活になじむ。長女も生まれた。
漁業という職業、一般の人の就職先の選択肢にはない。「漁業」は排他的、3K(きつい、汚い、危険)の仕事、収入不安定などと誤認されている。実際に漁師になってみて、これほど夢があって、やりがいのある仕事は他に無いと思う。このことを広く一般の人々に知ってもらい、漁業への偏見が無くなって欲しい。
(雑誌「漁村」平成11年第四号から抄出)
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3.『超高齢漁村はユートピア』
―幸せに働き安らかに死ねる島―
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山口県の最東端周防大島の、さらに外れに全島漁村の小さな沖家室島がある。離島とはいえ、橋で本土と繋がり、山々に囲まれて暖かく、災害のほとんどない素晴らしい島である。島民戸数157戸、人口236人、高齢化率(65歳以上人口)71.6%の超高齢漁村である。島の日常は、好天時はお爺さんは猫に見送られて漁業へ、お婆さんは山へ畑や蜜柑の手入れへ、天候が悪い時はおやつや弁当を持って皆んなで造ったお堂へ行き、日がな物語を尽くす。魚が獲れ、山の幸があり、年金、仕送り、少しの漁業収入で、美しい自然の中で働いて幸福な毎日が過ぎて行く。お盆になると子、孫、親類が一斉に帰郷して「盆に沈む島」といわれ、人間が溢れる。やがて元の静寂の高齢漁村に戻る。お迎えが来ると、この部落のヤンゲスト住職の導きで昇天して行く。病院で薬浸けパイプに繋がれて死ぬ姿と比べて下さい。しかし、残念なことに、この島も人口の補給が無く、存亡の危機に瀕してきた。
何とかこのユートピアを守れないものであろうか。
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4. えりも砂漠
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戦後の北海道えりも岬周辺は「えりも砂漠」と呼ばれていた。戦時中、燃料不足で、周辺の山の木を切って燃やしてしまいハゲ山になっていた。それを森進一は『えりもの春は〜何も無い春です〜』と唄ったとか?は真偽を確かめていない。しかし、森が無くなると磯が荒れて、昆布やアワビが育たなくなってしまった。漁民たちは、営林署にお願いして植林を始めた。しかし、強風でどうしても苗が活着しなかった。漁家のお婆さんは海岸に流れ着く雑海藻を拾い、畠に肥料として土が飛ばないように利用していたので、このことを営林署の技師と相談して、植栽の回りにまいてみた。海藻には粘り気があり、苗はしっかり守られ木が育った。森林技師の技術と漁家のお婆さんの知恵とで森が育ち、今では「緑のえりも」となっている。ちょっと遠いけども、いろいろ沢山ある「えりも」である。是非訪ねて見て下さい。
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5. 震災と漁村
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トルコ、台湾で大地震が発生、莫大な物的、人的被害が出ている。思い起こせば、平成7年1月17日我が国でも阪神・淡路大震災が発生した。以下は、その震災時の余り報道されなかった震災と漁村の話。
一般的に、広い平地があれば農村や都市となり、漁村は猫の額のような土地にギッシリ詰まって集落(密居)が形成される。従って、漁村の社会あるいは環境問題は、過密な都市問題と共通するところがある。すなわち、住人は隣同志で、音、臭気、掃除、ごみ処理、挨拶、習慣など我慢と干渉の中で、軋轢に耐えて生きているのである。
漁村では隣の家の箪笥の何番目の引き出しに何が入っているか、着物を何枚持っているか、今何を食べているか、いつ寝たか、どんな客が来ているか、など皆知られている。お年寄りの一人所帯でも、おすそ分けの食べ物が届くのは勿論、朝起きて来なければ誰かが尋ね、健康状態は部落中知れ渡ってしまう。簡単に孤独に死ぬわけにはいかない。ここがアパートのピアノ殺人事件や白骨化死体発見の大都会と大違いである。
淡路島の震災で、漁村の多くの古い木造瓦葺きの家がペシャンコになった。当然、お爺さんやお婆さんが下敷きに閉じこめられた。漁村の消防団で構成された救助隊(これも活躍した)に、近所の人が「お爺ちゃんがこの下に寝ているから掘って!」と頼み、ほとんど間違わず掘り出された。神戸市内に比べ、下敷きから救助された人の率は高い。
震災の心得の第一は、物的被害は人智の及ばぬところと諦め、人的被害を最小限に食い止める、すなわち安全な場所への避難、救急措置などである。人間が生きてさえいれば、必ず復興することが出来、明るい未来もある。このためには、日常から暖かい人間の輪をつくり幸福な生活を追求することが最適な災害対策になるのではないだろうか。過密漁村の震災のお話、都市社会に何か大切なことを教えてはいないであろうか。
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6. 漁港と野生動物
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北海道伊達市有珠漁港は天然の良港で温泉も湧いている。半分は漁業で使い、半分は自然の海岸で、冬には白鳥が渡ってくる。大群ではないが、白鳥の湖ならぬ美しい白鳥の漁港となる。
雪と氷の冬の北海道は厳しい。羅臼のオジロワシは、スケソ漁からのおこぼれで生きている。ヒグマも人間がふ化放流して戻る豊富な鮭を餌に安定した生活を送っている。
三陸の観光船にはウミネコがついてくるが、ワカメの入ったパンを上手に空中捕獲する。
これと似て、良く見掛ける風景としては、定置網の漁船には出港から帰港までカモメがついてきて、何とかおこぼれにあずかろうとしている。
先日、朝の漁港を散歩しながら、どんな動物がいるか数えてみた。カモメ、カラスが多い。トンビも沢山いた。カラスやカモメは、ずうずうしく選別作業中の荷さばき所の中まで入って、こぼれた魚を喧嘩しながら奪って行く。トンビは、屋根などで待機していて、チャンスがあると急降下して魚をさらって行く。屋根に居るときは、カラスに意地悪されて、大きい体なのにすごすごと逃げる。泊地の片隅にはアオサギが彫刻のように動かず水中を凝視している。捨て猫?も何匹か逃げ隠れする。水溜まりからハクセキレイ?が尻尾を振ってさっと逃げる。電線や軒先には雀が一杯。余り良くないことだが、排水溝から海に流れ出る魚の残砕をねらいカモメや、水中では小魚が集まっている。朝食を求め、漁港には何と多くの動物がいることか、驚がされる。
漁港や漁村は自然の海からの恵みで生きている。そして、この人間の営みを頼りに生きている動物も多い。豊饒の海を頼りに、人間を含めた様々な生物が助け合う小宇宙を形成して、皆仲良く活きている。
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7.志摩漁村物語り
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寒くなると志摩の漁村を思い出す。この地方は気候温暖で沈降海岸の複雑な地形の中に、箱庭のように漁村がへばりついている。海、漁港、漁船と働く人々、漁村、神社仏閣、周囲は森林で何処を切っても美しい景色がある。大王町は、「絵かきの町・大王」のキャンペーンを行って画家が集まる。どの漁港にもその一角に、お年寄りが集まる広場がある。冷たい風が当たらず、燦々と太陽が照り、しかもこの広場からは子や孫たちの働いている姿、漁港が一望できる。古い椅子やベンチが置かれ、手作りの祠があり、花や供物がされている。仕事から完全リタイヤしたお年寄りは、ここにお菓子やお弁当を持ってきて、自然と漁港を眺めつつ、日がな物語を尽くしている。そしてやがてお迎えが来て昇天してゆく。
海しか働き場のない志摩の漁村の漁師には大きなライフサイクルがあった。漁村生まれた男は、中卒でまず遠洋鰹鮪漁船の見習いとして乗船、世界の海で働き、甲板員、漁労長、雇われ船主と出世、腕の良いのは船を持ち経営者になる。そして年をとると船を下りて沿岸に戻り、沿岸漁業で働けるだけ働き、やがて完全リタイヤする。この間、妻は海女漁業と小さな畑で家を守る。遠洋漁業で稼いだお金が送られてくるので、超過密の中の漁家の造りは大きく重厚で他の漁村にない豊さがある。また、漁師も世界中を知っており、国際人である。自ずから物語りの内容も想像していただけると思う。
この素晴らしい漁村は、遠洋で稼ぐ富によって豊かな暮らしがあった。今、遠洋漁業が撤退してゆく中で、漁村はどのように変貌して行くのであろうか。
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8.漁村の50・50の法則
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漁村は平地が狭く、いわゆる密居で人口密度は大都会並である。この過密の漁村の日常生活は、種々の軋轢やストレスに耐えているのが実情である。ボス支配がうまくいっている場合は、外部に向かって一致団結して、閉鎖的と言われるほどである。しかし、一端部落を2分するような事件が起きると、完全に半々に割れる。これを「漁村の50・50(Fifty/fifty)の法則」と名付けた。
過密ということは、隣家の音、臭い、ゴミ、境界など我慢の限界で暮らしているので、仲良さそうな隣同志でも、基本的に隣は憎っき奴なのである。一軒とぶと、間の家を悪者にして、仲が良い。それは血縁などに関係なく、住環境のなせるところなのである。
都会の過密マンションを思い浮かべて下さい。四角い升目にぎっしり人が詰まって住んでいる。上下、左右は仲悪く、ピアノ殺人事件など発生、一軒おけば攻撃目標が一致しているので、仲良しである。その升目に碁石を置いたとすると、白黒交互に並び、丁度半々になることがお解り願えると思う。
ある地方選挙で親戚のような2人の候補が出て、漁村を2分したことがあった。後日ボスの方から、話を聞きこの法則を検証することが出来た。そして、両派の親分衆を呼んで、「選挙“運動”は終わった、互いに相手の健闘を讃え握手しよう!」と酒を酌み交わし修復した。これを怠ると、嫌な、陰湿で物事が進行しない漁村になってしまう。
この法則は、海の資源分割も過密になっているので、漁村間にも当てはまる。都市と同じような漁村環境の中で、暖かい人間関係を構築する基本法則であると自負している。
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9.漁業が農業を興した話
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なぜ、「農・林・漁業」と言うのでしょうか。答は、勢力あるいは腕力の強い順で、社会的ステータスの高い順というと問題があるか。この順でゆくと、農林は常に漁業を助けるのであり、逆に漁業が林業を助けたり、農業を興したりすることは例外的、奇妙な事件なのである。漁業者が「山を大切に」考え、「山に木を植える」ことなど、ごく自然に昔から行っているのに、『漁民が山の大切さを認識して植樹』と報道される。漁業を一段下に見るという、知らず知らず刷り込まれている認識の恐ろしさが感じられないであろうか。
これは漁業が農業を興した本当の革命的お話。鹿児島県錦江湾は温暖で、比較的波も穏やかなために、鰤類、鯛など魚類養殖のメッカである。魚類養殖には大量の餌(鰯などの安価冷凍魚)が必要となる。この餌は全国から、もしかしたら世界中から搬入される。沢山の保冷車(冷却装置つき冷蔵自動車)が岸壁に着けられ、餌を供給する。さて、この空になった保冷車には帰りの貨物が積まれる。この荷物が温暖な気候が育て、高価な早成の野菜や果物、花卉である。養殖が、漁業しか出来ない地域への大物流を生み、帰りの物流が、桜島の影響で条件の厳しい農業に光を与えたという、これぞ漁農地域経済振興のモデルのようなものがある。もし、都会のスーパーで、鹿児島産の農産物を見つけたら、是非とも、錦江湾の魚類養殖を思い出して下さい。
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10.漁船乗組員の掟
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いつも「掟」で申し訳ないが、「マナー」では弱く、「取り決め」ではなく、やはり掟なのである。
漁業は3K(汚い、危険、きつい)産業の代表格である。特に漁船の乗組員は、狭くて、木の葉のように波間を漂う、「板子一枚下は地獄」の漁船で、時には昼夜を分かたない厳しい環境で働かなければならない。こうした中では精神状態がおかしくなる人もいたし、本当は優しい人でも「荒くれ」になってしまう。昔は稼ぎが良かったから、我慢して乗船していた。こうした長期出漁の漁船乗組員の掟は友情に溢れている。
乗組員は当然漁船内で食事をするが、この時酒を飲みながらいろいろな話が出る。長期になると話題も尽きてくるし、繰り返しが多くなる。人によっては酔うと毎晩同じ話になる。ここで『どんな話も初めて聞いた如く聞く』ことが、乗組員の掟なのである。「その話おとといも夕べも聞いた。お前も頭が悪いなあ。」などというと「表へ出ろ。」となるが外は海しかない。
「俺昔、気仙沼に入った時によう。飲み屋のおねえちゃんと懇ろになってよう。」ほうそれからどうなった。「随分通って、所帯持とうかって話にもなったんだ。いい娘だった。」その娘をものにしたのかい。【出港時刻がきてしまって、借金があってよ、船を降りるわけにいかねで、涙を流しながら別れてきた。】毎晩同じ聞き手は【 】をハッピーエンドに変えてほしいので、[そこをなんとかしてくれないか]と頼むが、やはり毎晩変わらず「悲しく別れた」話で終わり、皆残念がる。
我が仲間も齢を重ね、飲んで繰り返しの話が多い。この掟を皆に普及、教育して新鮮な日々を送ることが出来ている。
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11.「北限の海女」
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「あま」漁業は、ご承知のとおり、海中に潜って魚を捕ったり、アワビ、ウニ、海草などを採取する原始的な漁業である。この漁業に携わるのは、男の海士と女の海女とがある。海士は、魏志倭人伝に「入れ墨をして潜るのが上手で、魚を良く獲る」と記され、昔、海士が獲物を求めて沿岸を転々としている間に住み着き、全国に漁村が誕生していったといわれている。
伊勢、房総、舳倉島の海女が良くニュースや風物詩に登場する。この北限が、岩手県久慈市小袖漁村といわれ、「北限の海女」として知られる。本当は夏でも冷たい海に潜るかなり過酷な漁業で、忍耐力のある女性にしか出来ない漁業だったのかもしれない。今はウエットスーツを着て潜る。
小袖の海女の漁場は海岸から数百メーターの水域である。その沖は同じ磯漁業でも漁船を使い、箱めがねと鈎棒とでアワビ、ウニ、海藻を採捕する漁場となっている。海女の漁場は地形が複雑で、波や流れも複雑なため、漁船を使い難い空間であり、潜る方が効率が良い。沖に出れば定常的な波になり、操船がし易い。こうして女の漁場と男の漁場とに分けられ、狭い沿岸漁場の資源が守られ、有効利用が図られている。
小袖の婦人部の経費は、ある1日、子供からお年寄りまで、女性軍総出で働きその稼ぎで賄われる。潜る者、操船、陸揚げ、運搬、昆布干しなど能力に応じた持ち場で一斉に働く。男の稼ぎを分けてもらっているのではない。
海女漁業の漁村は全国どこでも、明るく逞しい。女性が自分で稼いでいるから、自分の財布を持っているからであると思う。洪水やフェーン火災に見舞われたことのある厳しい自然の、半島の先端の小袖漁港へ、崖っぷちの狭く危険な道路をようやくたどり着くと、可愛い子供たちが沢山遊んでいる。北限の海女の実力と未来への明るさとに感激せずにはおれない。
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12.魚を売らない漁師
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東海道は熱海の沖に浮かぶ小島、初島はユニークな島として知られる。天保年間から戸数41戸に固定され、人口は最大で320名、現在約170名である。島の歴史は古く、縄文遺跡もあり、江戸時代は幕府直轄領であった。島民は半農半漁、自給自足で厳しい生活を送ってきた。近代に入って商業経済の時代になり、現金収入が無ければ生活が出来なくなった。
島の特産物は、たくあんとテングサがあったが、微々たるもので、島を利用した観光開発に期待をかけて、様々な試みが行われてきた。これとても、地権がモザイク様に細分化されている形態では、極少数の反対でも計画が中断したり、諍いが生じたりした。しかし、バブル経済の頃、リゾート開発かさもなければ島民餓死かの決断に迫られ、ついに島全戸が株主に参加して、「初島クラブ」というホテル&フィッシャリーナ(漁業版マリーナ)の大開発が決行された。島民による従来からの民宿・食堂とあわせ、全島観光産業の島となった。
この島の漁師は魚を獲ってくるが売らない。民宿や食堂の予約が入ると、客に提供する分だけ、その時の旬の魚を獲ってくる。出荷しようとすると大量に漁獲しなければならないから、小さな島の資源は簡単に枯渇してしまう。資源を大切にして、島が生きてゆければ良いという、昔からの島の哲学が浸透している。しかし、民宿にはリピーターが多いとのこと、本当に美味しい漁師の料理が提供されているのではないか。箱庭のような島、島の木々や生物、美しい磯も大切に保全されている。
自分の船でフィッシャリーナへ上陸し、初島クラブの豪華なリゾートホテルに泊まって民宿の魚を食べる。これぞお奨めコースである。やや高価かもしれぬが近いこと保証、是非訪ねてみて下さい。
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