2012年10月23日

希望だけがない国、希望しかない国



「この国(日本)には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」 --
村上龍「希望の国のエクソダス」(文春文庫)より引用

結論から言う、開発援助の目的は「希望を与えること」ことだと思う(でも青臭い話ではないです)。

まず希望とは何か。

僕思うに、希望とは「時間・お金・労力を費やしたら費やした分だけ良いコトがみこめる環境」だ。
趣味のマラソンを例に挙げる。

マラソンは苦行だ。

途中「なんでオレはこんなことをしているんだ?」と5分置きに自問する。それでも足を止めないのは、希望があるからだ。

「一歩進むごとにゴールに一歩近づいている」という確信があるため、何とか前へ進める。

しかし、そこで競技委員が現れ、こう言った。

「申し訳ありません。あなたはコースを間違えています。このまま進んでも一生ゴールできません」
ここにあるのは「絶望」だ。今までの自分の努力は、今までの努力ではゴールに近づいておらず、むしろ遠ざかっていたからだ。ここから踵を返し再びゴールに向かえる人は少ないだろう。

開発の目的は「貧困国に希望を与えること」だと思う。

つまり、貧困国で「頑張れば頑張った分だけ報われる」という環境を整えることに終始撤し、あとは当事国に任せて次の国(地域)に移るべきだ(※あくまで僕個人の意見です)。

しかし、貧困国に一見当たり前の「希望」を持たせるのは容易でない。貧困国では得てしてガバナンスやインセンティブのシステムに欠陥がある。つまり強奪や重税や賄賂などが原因で「どれだけ頑張っても何も変わらない、他者が得をするだけ」という状態が染み付いているケースだ。

確かにインフラの不備も貧困の原因の一つだ。援助を使ってのインフラ整備は最も見えやすい、効果的援助といわれる。だが「インフラを整えるだけで貧困が根本的に解決するのか」と訊かれると疑問が残る。

例えば、A村で採れた農作物をB町に運ぶため、A村とB町の間に大きな道路が整備されたとする。この道路のおかげでA村の農民は農作物を売りにB町へ行きやすくなり村は豊かになるだろう、と考える。大きな道路を作ることは村に希望を与えているように見える。

しかし、警察がロクに仕事をしない国でA村付近の治安が非常に悪い場合はどうか。少なからず「盗賊になってこの道路で農作物や売上を強奪すると簡単に財を築ける」と考える人が出てくるのではないか。農民は、どれだけ上手く利益を出しても盗賊に奪われる危険はある(むしろ増える)。この場合、道路がA村の農民に希望をもたらしたとは断言できない。

反対に、もし警察組織がキチンと機能し盗賊の危険が薄れた場合、A村に「希望」が生まれる。このとき、インフラ(上記の例でいう道路)は抜群の効果をあげるだろう。ちょうど戦後直後の日本のように「皆が頑張れば頑張った分に正比例して豊かになる」環境になれば、高度経済成長の如き爆発的成長も期待できるのだ。

希望さえあれば、国は遅かれ早かれ成長していく。人は自分の幸せには貪欲だからだ。

システムを変えるのはインフラを作るよりも更に困難だろう(そもそもインフラを作るのだって充分困難だ)。しかし、援助効率を増大させるためには避けては通れないと思う。

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伊勢崎 賢治 著「国際貢献のウソ」 
開発援助には長所も短所もある。「貧困撲滅」は崇高な目的だが、こういった意見にも目を向け、現実から構築される必要があると思う

蛇足だが最初の村上龍氏小説の引用について、現在の日本は「閉塞感」という言葉が充満し「私だけ頑張ったところで…」と考えている人が多い気がする。貧困国における「希望がない」状態とは少し意味合いが異なるが、先進国で他にどれだけインフラが整っていたところで「希望だけがない」状態では成長は止まる。これだけ豊かになったのに、皮肉なものだ。

希望しかない国、希望だけがない国、どちらが幸せなのかは僕にはまだわからない。

【まとめ】
・開発の目的は「希望」を与えること
・希望とは「頑張れば頑張った分だけ報われる状態」
・インフラを作るだけでは希望を与えたことにはならない

posted by 世銀スタッフ at 08:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | 西田 一平
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