今年6月、神戸地裁尼崎支部1号法廷に2人の男が立った。
ドラム缶女性遺体遺棄事件の公判が開かれていた。男の1人は被告席の李正則(38)。事件の中心人物とされる角田(すみだ)美代子(64)の用心棒といわれ、「マサ」と呼ばれていた人物だ。
もう1人は検察側の証人、川村博之(42)。元鉄道マンで、事件に絡み自らも死体遺棄罪の共犯で起訴されている。
検事の質問に答える形で、川村が事件の核心を語り始めた。美代子の呪縛から決別するかのように。川村の証言と関係者の取材から、一家6人が破滅へと向かう2年半を追ってみる。
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川村と美代子の出会いは2009年の春にさかのぼる。「孫を乗せたベビーカーが電車の扉に挟まれた」。美代子が大手私鉄にクレームを付けた。このとき私鉄側の担当者として対応したのが、川村だった。
謝罪のため、上司と2人で何度も美代子の自宅マンションに足を運んだ。口がたつ上に威圧的で、恐怖を感じたこともあった。ようやく解決したのは半年後の秋のことだ。
その夏、なぜか川村は妻の裕美(41)を連れて、美代子のマンションへ遊びに行っている。クレーム処理のさなかであるにもかかわらず、だ。川村は法廷でこう振り返っている。
「(美代子に)応対中、時計をちらりとも見ず、真剣に対応する姿勢に感心していると言われた。少し気に入られ、不満や相談を打ち明けるようになった」
「夢はないのか」と問われ、「家族で喫茶店をやりたい」と話すと、知り合いを紹介し土地を探してくれた。
「今の年齢なら最後のチャンスや」。熱心に退職を勧められ、迷うそぶりを見せると「いまさら何を言うとる。決断できん男は最低や」と責められた。川村は後に引けなくなった。
翌10年の春、20年間勤めた私鉄を退職。美代子とは家族ぐるみで付き合うようになっていた。この時点で、美代子が川村家の乗っ取りを画策していたかどうかは分からない。だが、一家はどんどん追い込まれていく。
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「退職したら競馬はやめる」。その年の夏、川村が妻の裕美と交わした約束を破ったのがばれた。裕美は美代子に相談し、さらに夫の浮気話を打ち明けた。
ここで美代子が豹変した。裕美とともに川村に離婚を迫った。そして「家族会議」を始めた。
川村、裕美、2人の子ども、裕美の姉香愛(44)と母和子。家族6人の会議のテーマは子どもの養育と、二世帯住宅の処分に絞られた。話し合いは朝まで続き、疲れ果てて居眠りすると、美代子に怒鳴られた。
川村が「もう一度、裕美とやり直したい」と言ったときのことだ。美代子は「マサ、殴ったれ」と李に命じた。これを境に、会議に暴力が加わるようになる。
矛先は裕美にも向かった。「子どもを虐待していたやろ」。連日の家族会議で意識がもうろうとする中、裕美が認めると、美代子は「責任を取って死ね」とののしり、殴った。
「他人の私が殴っているのに知らんぷりか。身内がやらなあかんやろ!」
この言葉で家族は互いを責め、殴り合うようになる。誰が責め、誰が責められているのか分からない。何も考えられず、言われるままに暴力を振るう。
そんな異様な光景が川村家の日常となっていった。
=敬称、呼称略=
(2012/10/23 16:19)
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